DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

日本って、日本人っていったい何なんだろう?(5)

2017-04-18 21:39:00 | 雑感

 私たちが小中学校の頃、日本が如何に遅れているか、西洋がどんなにすばらしい国かと散々聞かされて育った。しかし、良く考えてみると、西洋よりも日本は遅れていない、むしろ、日本の方がずっと豊かで、整備された国だったかということが次第に分かってきた。

 江戸時代には、すでに100万人もの大都市を作り上げていたし、その生活を支える物資の輸送手段を持ち、住宅等も整備されていた。江戸は地下水が低く、井戸が使えないということから、上水道も整備されていた。また、大量に出る屎尿も、システマティックに近隣の農家に配られ、下肥として使うなど、合理的かつ効率的に処理されていたようだ。町中が悪臭の漂っていたロンドンやパリに比べると、日本は、何と進んだ国だったことか?また、文化の面でも、黄表紙や瓦版といった印刷物が大衆に広がっていたというのは驚くべきことだ。

 日本人は、どうも何事についても極めるのが好きな民族らしい。建築物の装飾もすばらしいし、治水技術を駆使し、洪水の多い川を改修し、用水路排水路を整備し、新田開発を行うなど、その技術はすばらしいものがある。日本各地に点在している棚田などというものは、良くもこんな地形に作ったものだとしみじみと思う。身近なことについて言うと、例えば、そば打ちなども、技術を極め、喉越し、歯ごたえ、正に絶品と言われるものを作り上げている。しかし、それに満足してしまうのではなく、常に改良を加え、より高みを目指す当たりはまさに日本人の特長と言えよう。

 最初は、外国のものを模して作るのだが、次第に、日本の風土、好み、味覚等にあったように変えていく。こういうところが日本の技術水準の高さを形成している要因と言って良いだろう。しかし、それをひけらかすわけでも、奢り高ぶるわけでもない。むしろ、常に謙虚に足りないところを見つめ、改善しようとするあたりはとても西欧人にはないところだと思う。

 こうして数え上げていったら限がないので、今日はこの辺でやめておこう!

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諫早湾開門問題について

2017-04-18 15:18:37 | 雑感

 結論から言うと、農水省は自分たちの否を認め、農業者漁業者の双方にきちんと政策の誤りを謝罪し、損害賠償を含む和解交渉を始めるべき時期が来たということだと思う。

 干拓のために諫早湾に作った水門を巡り、農業者は開門反対を唱え、漁業者は開門を唱える主張で裁判を起こし、どちらも認められたという一見矛盾する判決となって、紛争解決は一段と遠のいた。一見、矛盾するように見えるが、開門すれば、農業被害が生じるという農業者の主張も、開門を求める漁業者の主張も、どちらの主張も筋が通っているということだろう。それでは、問題の根はどこにあったのか、ということだが、水門を作り干拓を強行した農水省の政策が誤っていたということなのだと思う。確かに、米の不足が叫ばれ、米の生産を増やすために、海を埋め立てて農地を作る。これは、昔からやって来た手法であり、米が不足し、農地を拡大する必要性が高いときならば、漁業者も、泣く泣く漁業を諦めたであろうが、一方で、減反政策をする中での干拓に賛成するはずもない。どうしてこんなことが起こったのかというと、米不足の時代に作った干拓の青写真を、米余りの時代に、干拓の是非をきちんと検討せずに、ただ、昔の青写真に従って事業を展開した農水省の怠慢が招いた問題なのだ。

 農水省は一歩も二歩も引いて、利害相反する両者が直接対決するような構図を作ってしまった。全く無責任にも程があるというものだ。開門訴訟で開門を命ずる判決が出たときに、総理大臣が上告を断念し、判決が確定したのであるから、開門に向けて、きちんと道筋を付けて、漁業者と交渉し、問題解決に向けて全力で当たるべきところ、それをしなかったわけだ。全く呆れて物が言えない。昔は農林省、水産庁と別れていたが今は一つの省庁になっているわけだから、部内でのきちんと話を詰めて、問題解決に全力であたるべきだと思う。

コメント (2)
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