DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

ボケても介護はせねばならない!

2016-02-21 06:29:47 | 雑感

 俺も相当ボケてきた。ボケの自覚は、かなり前からある。聞いてもすぐに忘れ、思い出せない。いわゆる短期記憶がまるでできなくなってしまったのだ。例えば、人に電話番号を聞いたとする、ちょっと時間を置くと、聞いた番号が全く頭に入っていない。「えっ、今なんて言ったっけ?」と焦ることが多くなって、ボケを自覚するようになった。それから、聞いたことは頭の中で復唱し、音として記憶するようになった。音の感覚はまだ記憶に残りやすいからだ。それに加えて、メモするようにもしている。しかし、早口で次から次へと話されると、問題はメモする前に、どんどん記憶から飛んで行ってしまう。これは非常に困ったことだ。

 そういうことが増えるに従って、聞き逃してしまったことや忘れてしまったことがあるのではないかという不安が大きくなってきた。まあ、一大事になるようなことは余りないのだが、それでも、気になる。だから、記憶を辿り、思い出す、確認するという作業が必要になり、どうしても、速い動きができなくなってくる。それは当然のことなのだ。

 妻の介護をしていても、ああして欲しい、こうして欲しいと言われたことがいくつもある。例えば、「トイレの蓋は開けておいて!」ということだ。しかし、小用を足して、便座を戻すつもりでパッと閉めると、一緒に蓋も同時に閉めてしまうことがある。そうすると、妻はトイレに行って、「えーーー、また蓋閉まってる!空けて置いてって言ったじゃない・・・・」と言われてしまう。そこで、蓋をテープで固定して、これで大丈夫と考えたが、今度は便座を戻し忘れることがある。そのたびに、妻の泣き言を聞かされ、つくづく自分が嫌になってくる。

 まあ、正直言うと、忘れていることばかりじゃない。言われても、何も妻の言うとおりにすることはないのだという気持ちが優先しているところもある。単なる好みの問題だろう、それに合わせる必要なんてあるのか、という反発心もある。まあ、大人気ないといえば大人気ない。どうでも良いことだが、そんな変なところが俺にはあるのだ。

 妻が先を心配して言っているところもある。「私がいなくなったら、どうなっちゃうのか?」ということだろう。でもでも、俺はこうして十数年一人でやってきたのだから、ボケはボケなりに何とかやってきたのだから、心配するなと思う。ただ、それを口にしたところで、妻が納得するはずもないので、黙っている。

 そんなこんなで、妻との間に衝突は絶えない。勝手にしろと言いたいときもあるが、勝手にできないから、妻は色々と言って来るわけで、勝手にしろといって介護を放棄してしまうことはできない。ボケが介護するのは色々と大変なことが多いが、でも、逆に、ボケずに介護される方はもっと大変なことが多いのかも知れない。

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子守唄の効用と弊害

2016-02-20 12:41:36 | 雑感

 長男が生まれ、妻が夜に外出し、ひとりで面倒を見ることがあった。普段は、すやすやと眠る子だったが、母親の不在を感じ取り、不安になるのだろうか?そういうときに限って泣きじゃくる。抱っこしてあやして寝かそうとするのだが、なかなか寝ずに泣くばかり、そのうちに、私の方もいらいらしてくる。ますます泣きじゃくる。悪循環は止まるところを知らない。

 そんなときに、子守唄を歌ってみた。すると、どういうわけか、泣き声が穏やかになってくる。不思議なものだ。子守唄といっても、よく知っているのはそう多くない。そこで、小学生の頃に覚えた歌を歌ってみた。それでも、効果は変わらずにあった。効果があるのは、テンポが心臓の鼓動に合っているような、4拍子の歌が良かった。恐らく、歌を歌うことで、私の呼吸も整えられ、心拍も安定するのだろうと思い、それからは、子どもを寝かしつけるときには、歌を歌うことにした。音痴で、調子外れを自認する私は、楽譜を覚えているような歌を選んで、できるだけ音を外さないように注意して歌った。

 ところが、長男が大きくなり、小学校に入るころ、長男が歌っているのを聞いて、愕然とした。まさしく、私の音痴と調子外れが移ってしまったのだ。我ながら罪作りなことをしてしまったと子守唄を歌ったことを後悔した。その後、知人からエレクトーンを譲ってもらえることになって、さっそくエレクトーンの教室へ通わせることにした。3,4年エレクトーンを習わせていたら、音痴で調子外れは跡形もなく、消えたが、エレクトーン教室の授業料やその後購入したエレクトーンの代金を合わせると、相当の出費になってしまった。でも、まあ、普通なら考えもしなかったエレクトーンを習わせることができたので、良かったとしよう。

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野菜の甘みが出ていないよ!(2)

2016-02-19 21:56:42 | 雑感

 前回に続く。

 早速、朝食にスープを出してみた。妻の反応は、予想どおり、「水から煮たの?トマトは最初から入れたの?コンソメもはじめに入れた?」と色々聞いてくる。やはり野菜の甘みが出ていないらしい。だいたい私には野菜の甘みなんて分からない。だから、味見しても、判断ができない。困ったもんだ。

 弱火でコトコト煮るらしいのだが、ゆっくりというから、本当に弱火オ弱火で、なかなか煮立たない。2時間以上経っても、人参が柔らかくならなかったので、結局、圧録鍋で加熱し、人参を柔らかくする羽目に陥った。今度は、低温調理で挑戦してみよう!このままじゃ、癪に障るからね!

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野菜の甘みが出ていないよ!

2016-02-19 06:54:52 | 雑感

 これは、私の作ったスープを口にし、開口一番口にするいつもの言葉だ。これを聞いて、ムカついた。野菜の甘みって何なんだ?そんなもの私の味覚の中にあったっけ?グルメ志向もいい加減にして欲しい。

 最近、テレビ番組は、どこもかしこもグルメ番組。あそこの何が美味しいとか、絶品だとかそんな話ばかりだ。そして、そのグルメ番組を見て、「あなたも良くみて、料理覚えて!」、「美味しいものを食べさせたいとは思わないの?」と妻はのたまう。あいにく私はそんなものに価値を置いていない。それよりも、腹に一杯詰め込んで、胃に食べ物が詰まって、もう入らないという状態になったときの、満足感の方を優先したい方なのだ。

 そうは言っても、同じ材料費を掛けて、わざわざ不味いものを作るのもばかげている。多少、手間が掛かっても、美味しいに越したことはないとも思う。そこで、今日は4時半からスープ作りに挑戦している。みずから弱火でことこと煮ると野菜の甘みが出るという妻の言葉に、「それじゃ、やってやろうじゃないか?」と、煮込んでいた。もうすぐ妻を起こす時間だ。起きてきて、スープを口にしたら、果たして、何と言うか?

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小選挙区制は失敗だった!

2016-02-18 22:31:29 | 雑感

 中選挙区制から小選挙区制に変わったとき、マスコミはこぞって小選挙区制に賛成の意を表明したと記憶している。その理由は、自民党が多数を占め、自民党に変わる政党ができなかったこと、政権交代が可能な政党を育てていくためには、小選挙区制を取り入れ、アメリカの民主党と共和党、時々政権担当政党が交代するような社会を望んだからだと思う。

 しかし、そこには大きな誤算があった。野党は集散離合を繰り返し、実際に政治を担うことができるだけの実力を身に付ける努力をせずに、単に票集めに走ってしまった。小選挙区制に対応し、大政党になることばかりを考え、安易に共闘を組んだことによる弊害がモロに出た形となった。

 民主党がいったん政権を獲得したが、それは自民党のお粗末過ぎる政策とその失敗を背景に、できもしない根拠のない公約を掲げ、多くの国民がそれに乗せられて投票したことによるものだった。すなわち、高速道路無料化。本気でやればできないことではないが、わずか数年前に民営化したばかりだったという状況を全く度外視した公約だったわけだ。民営化するということは、高速道路の利用料金の収益と点検保守の費用のバランスを取り、儲けを出すということなのだ。そして、国営から民営化を図ることで、税負担を減らすという動きだ。高速道路の無料化はそうした一連の流れを全く無視している。まあ、それでも、維持管理の費用を全て税金で支払うだけの覚悟があればできないことはなかったのだろうが、その覚悟もなかったわけだ。また、沖縄に対しては、基地を全て国外へ、少なくても県外へと甘い公約を出した。日米の戦後の長い歴史を全く無視し、また、アメリカとの交渉など全く踏まえずに、絵に描いた餅を見せ、票を獲得したわけだ。これで、政策が決定できるはずもない。自滅は当然の帰結だったわけだ。

 最初に、小選挙区制は失敗だったと言ったが、それは日本人の気質にあっていないということなのだ。そもそも日本人はAかBかという選択は苦手なのだ。AかBかと聞かれると、Cではダメなんですか、Cという選択もありますよ。と、言いたい人が多いのではないでしょうか?それと、政党と言っても、党員の数は非常に少なく、その都度、賛成反対を唱える人がほとんどだ。日ごろから、政党の活動に参加するという習慣がほとんどない。まあ、共産党と公明党を除く他の政党は、活動があってないようなものだ。これでは政党が育つはずもないわけだ。日本人は政党ではなく、候補者を見て投票をする人がほとんどを占めているのではないだろうか?つまり小選挙区制は日本人の気質にあっていないということなのだろうと思う。

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