DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

今日は、訪問看護師による入浴初日だった!

2017-09-04 21:57:00 | 雑感

 週1回訪問看護師が入浴をやってくれることになり、今日がその初日だった。

 今日は、最初ということで、ケアーマネージャーや理学療法士も一緒に来て、看護師に本人の病状や動作等について説明があり、早速、入浴をすることになった。これまでどのような手順で浴室まで移動させていたか等を説明し、浴室や洗剤等を見せ、簡単に説明した。あとは看護師が手順を考え、本人を浴室へ移動させ、洗体やシャワーをさっさと済ませて早々と出てきた。時間にしてわずか20分から30分程度だった。短時間に済んだので、本人の疲労はそれ程ではなかったようで、特に疲れた様子もみられない。こんなことなら、もっと早くから頼んでいた方が良かったと思った。

 看護師は何人かで順番に回すようで、2,3人が担当するらしい。まあ、餅屋は餅屋というとおり、患者の移動のさせ方等は手際が良い。今日のことが次の担当者に引き継がれ、若干の説明をすれば、概ね今日の手順に従って、入浴をさせてくれるようだ。さて、次の担当者はどういう人なのだろうか、若干、気になることではあるが、まあ、大勢に影響はないだろう。

 今日のところはまあ無事クリアーといったところだ。それにしても、午前中、浴室を掃除しておいて、良かった。ということは、毎週月曜日の午前中はお風呂掃除をやらなければいけないということか?????まあ、仕方ないか!

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蒸発したい人の気持ち分かる気がする!

2017-09-04 00:38:38 | 雑感

 「蒸発」とは、全てを投げ出し、現状から逃げる。それって賞賛できるものではない。むしろ、無責任の極みだと軽蔑される行為だ。でも、苦境が続き、明るい光が見えなくなってしまうと、全てがどうでも良くなってしまい、「蒸発」することを選ぶのだろう。しかし、そういう行為に及ぶ前には、相当の葛藤があり、それでも、蒸発することを選ぶわけですよ。それって凄いことだと思いませんか?

 何が凄いって?これまでの人生を捨ててしまうわけですよね。良いことも悪いことも、親兄弟、友達、そして家族、全ての人との関わりを捨ててしまう。それって、なかなかできることではない。まあ、望んで、やろうと思ってやることではなく、追い詰められ、追い詰められ、そして、ついに一線を越えてしまうのだろうと思う。確かに、人によって、その限界には差がある。そして、大部分の人は、全てを棄てることに躊躇し、現実に踏みとどまるわけですよ。ところが、このブログで何度か話題にしているホームレス、全てではないだろうが、かなりの「蒸発」した人がいるのだろうと思う。

 全てを捨てて蒸発しても、生きている限りまた人間関係は生まれてくる。苦しみぬいた世界の人間関係とは違うかも知れないが、長く生きて行く中で、また、しがらみができ、悩みはまた始まるわけですよ。そこからまた逃げなければならないという状況が生まれてくる。そうそう、逃げ続けなければならない。

 昔、「逃亡者」というアメリカのテレビ番組があった。妻を殺した容疑を着せられた医者が、警察から逃げる中で、様々な事件に遭遇し、人を救い、それが話題に上ると、警察に察知され、捕まえる寸前に、かろうじて逃げ、そして生き延びる。ドラマの主人公には妻を殺した真犯人を探すという究極の目的がしっかりあって、上記の蒸発とは全く意味が違うのだが、状況としてはあまり変わらないように思う。

 今日、何でこんなことを長々と綴っているのだろうか?現状から逃げ出したいという願望がそうさせているのかも知れない。しかし、その選択はまだまだできそうにもない。その選択をしてしまったら、私が私でなくなることなのだから・・・・・。

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長野の黄桃が届いたが・・・

2017-09-03 10:23:51 | 雑感

 長野の農家に注文していた黄桃が届いた。

 美味しいというふれこみだったので、気を長くして待っていたのだが、箱を開けると、印刷したチラシが目に入ってきた。「長雨の影響で、今年は不作で、甘みが十分ではない、これに凝りずに来年もよろしくお願いします。」とのこと。早速、一つ剥き始めたが、桃は硬く、熟し切れていないように思われた。食べてみると、やはり硬く、そして、みずみずしさに欠け、とても美味しいという代物ではなかった。これなら、スーパーで実物を手にして、選んで買った方が良かったと多少後悔した。まあ、通信販売のリスクってこういうことなのだろう。この農家は妻の父親がずっと懇意にしていたところで、毎年、秋には、義父がりんごを買いに行っていたところだ。私も、長野に住んでいた頃は、訪ねて行って、りんごを買ったが、買ったりんごのほかに、野菜などをたくさんもらって帰ってきた記憶がある。代も変わり、息子夫婦が実権を握ると、考え方もドライで、結構シビアな感じになったが、それでも、昔からの付き合いで、他から買うよりも良いだろうと、今も、毎年、秋にはりんごも買っている。

 息子たちにも送ってもらったので、息子たちからは「着いたよ。美味しかったよ!」とのメールが届いた。まあ、送り主の顔をつぶさないためにか、多少、配慮してくれたのだろうか?それにしても、長雨の影響はやはりこんなところにも出てきたのだろう。元来、農業は天候に左右される部分が大きく、これだけは避けようもないことなので、今年は不運だったと諦め、来年に期待することにしよう。

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包丁から日本文化論へ!(日本人のこだわりの世界)

2017-09-02 09:42:43 | 雑感

 我が家には、出刃包丁、小さめの出刃包丁、更に小さい出刃風の包丁、菜っ切り用の和包丁、パン切り包丁2本、ステンレスの文化包丁、そして、ドイツのグレステンという会社の包丁の計8本の包丁がある。なぜ、そんなに多いのかは別として、今日、ここで話題にしたいのは、グレルテンの包丁と菜っきり用の和包丁の違いについて少し考えて見たい。

 グレステンの包丁、確かに良く切れる。ただし、素人には研ぎが難しいというか研ぐことができないという代物なのだ。日本では、刃物を荒砥、中砥、仕上砥の三種類の砥石を使って包丁を研ぎ上げる。包丁の場合、中砥、仕上砥くらいで間に合うのが普通だ。和病長の特徴は、柔らかい鉄と鋼を張り合わせて包丁を作る。だから、比較的研ぎ安く、少し器用な人ならば難なく研ぐことができる。ところが、グレステンの包丁は非常に固いステンレスを使っているため、なかなか研ぐことができない。ちなみに、グレステンでは2か月に1回くらいの割合で、デパートなどを回って包丁を研ぐサービスを行っている。はがきが来ると、包丁を持ってデパートまで出かけて行って研ぎを依頼し、出来上がったら取りに行く必要がある。もともと包丁を研ぐのは好きな方なので、包丁研ぎに来ていた職人に聞いてみたところ、8000番という非常に細かい砥石を使うという。そして、その砥石が1本で8000円という。そんな高価な砥石を買ったとして、綺麗に遂げるという自信もあまりなく、自分で研ぐのは断念した。ステンレスの強度を極めつくしたという点では確かにドイツの凄さが伝わってくる。日本とは対照的な職人技の極みの一端をあらわしているように思う。

 日本の刃物の歴史は、刀の製造方法に非常に深く関係している。鋼を柔らかい鉄で包んで、刀を作り上げる。鋼の質については非常に硬い。しかし、硬いだけでは、衝撃に弱く、折れてしまう。その欠点を柔らかい鉄で包むということで克服しているように思う。その加工技術は農家が使う鍬や鎌といったものにまで応用されている。鋼と柔らかい鉄、刃物にして研いで行くと、鋼と鉄とが文様を作り上げ、刃文と呼び、その刃文の美しさを追及するまでに至っている。刀は良く切れれば良いというのは西洋の合理的な考えだが、日本人は時として細かいところにこだわり、それを極めつくすのが日本人の特徴なのかも知れない。最近では、携帯電話の外見の美しさを追及し、見事な形状を作り上げているのが端的な例だと思う。外の国の人は、そんなところまで拘りませんよ!携帯電話は確実につながり、通話できれば、それで満足というのが多いのではないでしょうか?

 同様のことは、私たちが身近に接している様々なことについても言えると思う。ラーメンについて、百人百様の好みがあり、そして、新たなラーメンが生まれてくる。流行っている店も、明日には、見向きもされなくなってしまう。常に新鮮味を求めて、好みは変化していく。その好奇心の強さというのも日本人の特徴なのかも知れない。その好奇心の強さが企業を動かし、企業は新しい発想で、その好奇心を満足させようとする。その循環が美味く行っているうちは進歩していく。例え、外国人から『ガラパゴス」と言われても、これは止まることはないだろう!

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大分涼しくなりました!

2017-09-01 10:00:09 | 雑感

 今日の早朝、タバコを吸いにベランダに出ると、涼しい風が肌に当たり、「大分気温が下がってきたなぁ、そろそろ秋が見えてきた!」と感じた。それから窓を前回、新鮮な空気を部屋に取り込んだ。昨日は湿気が強く、一日エアコンを除湿にして過ごしていたが、今日は、エアコンなしで朝食を食べた。春以来の出来事だ。今、午前10時を回ったが、まだ涼しい風が部屋の中に入ってきて、心地良い中で、このブログを書いている。

 そろそろ秋を迎える準備を始めないといけないと思う。そうはいっても、大してすることはないのだが、妻の衣服の入れ替えや春秋用の布団の用意とか、ぼちぼち始めないといけないと思った。まあ、涼しくなることは良いことなのだが、妻の入浴時、冷えないように手立てを考えなくてはいけない。これまで夏以外は浴槽に湯を張って、浴室を温めておくなど、準備をしていたが、やはりそれを始めるのは秋の彼岸過ぎになるのかなあ?来週から看護師が週1回入浴をやってくれることになったので、その辺のことは看護師に相談しながら決めていくことにしよう。そういう点で、少し気が楽jになったかも知れない。

 先日のブログで何か良いメニューはないかと書いたところ、姉から早速煮物がお勧めとのメールが入った。野菜とがんもどきなどを一緒に煮るといいという内容だった。ありがたいことだ!ただし、「酒、みりん、醤油、出汁などで味を調える。」と書いてあった。私が知りたいのはまさに底なんですよね。「味を調える。」のが結構難しいんですよ!自分の好みで調整と良く料理本や料理番組で言われることが多いと思うが、普段食べなれたものならば、こんなもんだろうと味の記憶を辿ることができるが、滅多に食べたことがないものは、それができないんですよね。

 料理の上手下手が生まれるのは、味を拘って吟味して食べるか、ただ何も考えずに口に放り込むかの違いにあるのだろうと思う。私は、現役時代、職場の食堂で、味などあまり考えないまま、ただ、義務的にお腹を満たしてきた。そのつけが今回されてきたのだろうと思う。味の記憶が非常に曖昧なのだ。ただし、子どものころに食べたものの記憶はしっかり残っているので、その味をまねることはできる。だから、全く味音痴ということではないと思う。私なんかはお腹が一杯になると、それで満足満足満足、それ以上は考えないで生活してきたからね。味なんて分かる筈もないさと居直ってしまう。一人のときはそれでよいのだけれど、二人になると、そうも行かないのが困ったところなのだ!まあ、めげずに何とかやっていこう!今日は涼しい風が入ってきて、気分が良いので、前向きにいけそうだ!良かった良かった!

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