芳村思風先生の感性論哲学を学ぶ会である『東京思風塾12月度例会』が昨日五反田で開催されました。ぼくなりに学んだものを書き出しましたので、よろしかったらご覧ください。(長いですが・・・)内容については『ぼくが感じていること』を中心に書き込みましたので、思風先生の感性論哲学とずれるものや誤記もあると思います。ご了承ください。
東京思風塾2012-12
存在としての感性
日本精神の本質
≪前段≫
病気・問題・障害あらゆるネガティブな事象にも『意味と価値』がある。その背後にある天の意志に応え生きる。その事象を悪しきものとして排除しようとしている限り、病気は治らない。問題障害は肥大化する。
感性論哲学では、物質と同じように『感性』は『存在』すると考える。物質世界から見ると、物質は理性によって形を与えられているわけであるから、理性的で合理的であることが上位である。よって理性万能社会がつくられた。
しかし、物質文明の極みの今日、量子力学の世界からしても理性的で合理的な考え方では解明できない現象が数多く現れてきた。
例えば、宇宙は法則によって存在しているのではなく、エネルギーバランスを模索しながら存在している。その働きこそ『感性』である。
したがって、物質世界は法則によって成り立っているのではなく、エネルギーバランスを模索して成り立っているのである。感性が感じ合いながら存在しているのである。
つまり、カタチという物質をつくるのは、感性であった。
・・・ここは、『求感性』という感性論哲学の中核の部分なのだけれど、流石にここは哲学の世界で・・・・難しいわぁ。
聞こうとしなければ聞こえない。見ようとしなければ見えない。植物であっても、例えば茎であっても、先端が伸びようとして先端が震え、自ら必要な部分を探し求めて成長する。『求めている』んだ。つまり感性は、感受性のことを言っているのではなく、それをもせしめているものであって、それを『求感性』という。
≪平衡作用≫
エネルギーバランスの作用とは、『平衡作用』であって、常に動いている。バランスがとれた状態で固定化するとは、理性的・合理的な観念であって、真実は常に動いている。その作用は、行き過ぎないと返ってこない。メトロノームのように、時代も、問題も、関係性も、すべてにおいて感性はエネルギーバランスを模索している。
調和作用・合理作用・統合作用という感性の3作用・・・・これとっても大事!
宇宙も人間もあらゆる動植物もあらゆる物質までも、その本質は感性である。感性が感じ合って存在している。そういう視点で、考え方でものごとに接することが、宇宙の摂理・原理にかなう生き方といえる。
・・・先生の言葉が早くてついていけないわぁー!!(笑)でも、『感性とは物質と同じように存在するんだ!!』ということがわかったような気がする。
感性とは常にいのちを満たすものこころを満たすものを探し求めている。理性とは答えを出す能力。答えとは固定化されているものだから、現実は常に変化しているものだから、迷う。うまくいかない。常に自分を変化成長させていくことを模索し求めていくことが感性の力。模索するとは答えがないということ。
ひとのカラダは毎日5000個ものがん細胞をつくっている。5000個ものがん細胞は自らのいのちがつくっているんだ。自らのいのちの危険を併せ持つがん細胞をつくりだすことで人はより健康に生きることができる。感性は、健康を阻害する要因を自ら作り出すことで、エネルギーバランスを模索しているのだ。
これからの組織においては、意見の合わない人と共に育てていく。意見の合う人とだけではいのちが燃えない。感性の要請に沿えない。だからうまくいかない。自分の考え方と異なる人と共に会社をやっていく!!!
≪日本精神の究極・至高≫
『死ねる』という思いを持って何かをするというのは、万国にない日本的な精神の柱である。儒教が、陽明学が、老荘思想が、あらゆる文化的なアジアの思想の集大成が日本で最も成熟した状態で生きている。
『君は、何のために死ねるか』
感性論哲学の究極の問い。
いのちは、『死んでもいい』と思える対象と出会ったときに、最も美しく燃える。歴史を振り返ってもまさにそうであった。このためなら死ねる、という心情。
・・・・ここのところは、ぼくが一番燃えるところだ!!
日本人は、納得のいくものについてはあらゆる文化を受け入れてきた。理性的には矛盾のある対象を混ぜ合わせて受け入れてきた。
死ねるという心情は、何かのために犠牲になるのではなく、我が命が最も輝く、我が命が最も生きる、という人間として最高の生き方・美学。← 俺も存分にそう思う。
日本人は死をも文化たらしめた。
死の覚悟を持って生きる。文化としての死とは、時間によって殺されるのではなく、他者や病気等の要因によって殺されるのではない。死に得るものを持って生きるということが、不老不死の生き方である。死に得るものを持つことによって永遠の命を手にすることができる。
・・・・・自らに、問う。『おさむ、何のために死ねるか』
義理人情倫理道徳に縛られて、板挟みにあって生きる。不完全な人間としての『迷い』こそ日本人らしさ。それでも最後は『人情に生きる』のが日本人の美徳。血の通った暖かな姿。この『迷い』をもっともっと深めて悩んでいくことで、日本人らしさが更に引き立つ。
≪繊細な感性≫
日本人の手にかかることによって、外国が発祥であっても、達しえる最高水準にまで完成させてきた。その起源は神道にある(祓い給え清め給え)。学んだものを更に高度なものに成長させてきた。
これから日本はアメリカに代わって世界のリーダーとなっていく。あらゆるものの世界最高品質を世界に提供していく。そのためには、現代の欧米的な理性的で合理的な手法に奔走されている状態から、日本人の繊細な感性を生かしきる社会にしていかなければならない。『勘とコツ』こそ日本人の優れた感性。
・・・・・・日本人の素晴らしさや産業界のこれからあるべき姿、経営や経済についてのお話しが続くけど、ぼくには響いてこないんだなー。感性論哲学的ゴールは見える。でも足下のお話しが、、、、。(苦)
繊細な感性とは、細やかな気遣い気配り。カネやモノではない人間らしい関係性。感性→問題をいち早く感じる能力
恩を感じる。すばらしさを感じる。感動する。
感動させる文化が消えた。笑わせる文化が横行している。芝居・漫才・TV然り。
知識や学力では涙は出ない。感じる力を磨く教科書をつくる。感性がいのちの本質なのだから、感性を磨けば、理性は勝手についてくる。大人も子供も、したいことがない傾向が非常に強い。感性が鈍っている。仕事の本質的な価値とは、不可能を可能にすること。誰も達しえなかった仕事を実現すること。『勘とコツ』こそ、日本人的繊細な感性。
知識があると知識に頼って解決しようとする。知識が邪魔になる。知識がないことによって自分に必要なものが欲求となって現れるから、自ら学ぶ。『知識』は変化対応能力。『勘とコツ』は時流独走の世界。変化を自ら創造する能力。感性は問題を感じる能力。問題のない現実はない。ちょっとした問題でも感じる能力こそ『繊細な感性』→ 問題をいっぱい感じる会社にしたい。問題は乗り越えるために現れる。人類を進化させるために現れる。問題を恐れてはならない。問題がないことを願ってはならない。問題のない現実はないのだ。
現実への異和感→これこれこれ!!!(笑)
変化を感じるのが感性。固定化(理解)するのが理性。
という感じでした。
この後、年内最後の開催ということで、思風先生、行徳先生を囲んで多くの仲間と共に忘年会!!仲間って、ほんとにすばらしいなぁ。
ではまた。
おさむ
東京思風塾2012-12
存在としての感性
日本精神の本質
≪前段≫
病気・問題・障害あらゆるネガティブな事象にも『意味と価値』がある。その背後にある天の意志に応え生きる。その事象を悪しきものとして排除しようとしている限り、病気は治らない。問題障害は肥大化する。
感性論哲学では、物質と同じように『感性』は『存在』すると考える。物質世界から見ると、物質は理性によって形を与えられているわけであるから、理性的で合理的であることが上位である。よって理性万能社会がつくられた。
しかし、物質文明の極みの今日、量子力学の世界からしても理性的で合理的な考え方では解明できない現象が数多く現れてきた。
例えば、宇宙は法則によって存在しているのではなく、エネルギーバランスを模索しながら存在している。その働きこそ『感性』である。
したがって、物質世界は法則によって成り立っているのではなく、エネルギーバランスを模索して成り立っているのである。感性が感じ合いながら存在しているのである。
つまり、カタチという物質をつくるのは、感性であった。
・・・ここは、『求感性』という感性論哲学の中核の部分なのだけれど、流石にここは哲学の世界で・・・・難しいわぁ。
聞こうとしなければ聞こえない。見ようとしなければ見えない。植物であっても、例えば茎であっても、先端が伸びようとして先端が震え、自ら必要な部分を探し求めて成長する。『求めている』んだ。つまり感性は、感受性のことを言っているのではなく、それをもせしめているものであって、それを『求感性』という。
≪平衡作用≫
エネルギーバランスの作用とは、『平衡作用』であって、常に動いている。バランスがとれた状態で固定化するとは、理性的・合理的な観念であって、真実は常に動いている。その作用は、行き過ぎないと返ってこない。メトロノームのように、時代も、問題も、関係性も、すべてにおいて感性はエネルギーバランスを模索している。
調和作用・合理作用・統合作用という感性の3作用・・・・これとっても大事!
宇宙も人間もあらゆる動植物もあらゆる物質までも、その本質は感性である。感性が感じ合って存在している。そういう視点で、考え方でものごとに接することが、宇宙の摂理・原理にかなう生き方といえる。
・・・先生の言葉が早くてついていけないわぁー!!(笑)でも、『感性とは物質と同じように存在するんだ!!』ということがわかったような気がする。
感性とは常にいのちを満たすものこころを満たすものを探し求めている。理性とは答えを出す能力。答えとは固定化されているものだから、現実は常に変化しているものだから、迷う。うまくいかない。常に自分を変化成長させていくことを模索し求めていくことが感性の力。模索するとは答えがないということ。
ひとのカラダは毎日5000個ものがん細胞をつくっている。5000個ものがん細胞は自らのいのちがつくっているんだ。自らのいのちの危険を併せ持つがん細胞をつくりだすことで人はより健康に生きることができる。感性は、健康を阻害する要因を自ら作り出すことで、エネルギーバランスを模索しているのだ。
これからの組織においては、意見の合わない人と共に育てていく。意見の合う人とだけではいのちが燃えない。感性の要請に沿えない。だからうまくいかない。自分の考え方と異なる人と共に会社をやっていく!!!
≪日本精神の究極・至高≫
『死ねる』という思いを持って何かをするというのは、万国にない日本的な精神の柱である。儒教が、陽明学が、老荘思想が、あらゆる文化的なアジアの思想の集大成が日本で最も成熟した状態で生きている。
『君は、何のために死ねるか』
感性論哲学の究極の問い。
いのちは、『死んでもいい』と思える対象と出会ったときに、最も美しく燃える。歴史を振り返ってもまさにそうであった。このためなら死ねる、という心情。
・・・・ここのところは、ぼくが一番燃えるところだ!!
日本人は、納得のいくものについてはあらゆる文化を受け入れてきた。理性的には矛盾のある対象を混ぜ合わせて受け入れてきた。
死ねるという心情は、何かのために犠牲になるのではなく、我が命が最も輝く、我が命が最も生きる、という人間として最高の生き方・美学。← 俺も存分にそう思う。
日本人は死をも文化たらしめた。
死の覚悟を持って生きる。文化としての死とは、時間によって殺されるのではなく、他者や病気等の要因によって殺されるのではない。死に得るものを持って生きるということが、不老不死の生き方である。死に得るものを持つことによって永遠の命を手にすることができる。
・・・・・自らに、問う。『おさむ、何のために死ねるか』
義理人情倫理道徳に縛られて、板挟みにあって生きる。不完全な人間としての『迷い』こそ日本人らしさ。それでも最後は『人情に生きる』のが日本人の美徳。血の通った暖かな姿。この『迷い』をもっともっと深めて悩んでいくことで、日本人らしさが更に引き立つ。
≪繊細な感性≫
日本人の手にかかることによって、外国が発祥であっても、達しえる最高水準にまで完成させてきた。その起源は神道にある(祓い給え清め給え)。学んだものを更に高度なものに成長させてきた。
これから日本はアメリカに代わって世界のリーダーとなっていく。あらゆるものの世界最高品質を世界に提供していく。そのためには、現代の欧米的な理性的で合理的な手法に奔走されている状態から、日本人の繊細な感性を生かしきる社会にしていかなければならない。『勘とコツ』こそ日本人の優れた感性。
・・・・・・日本人の素晴らしさや産業界のこれからあるべき姿、経営や経済についてのお話しが続くけど、ぼくには響いてこないんだなー。感性論哲学的ゴールは見える。でも足下のお話しが、、、、。(苦)
繊細な感性とは、細やかな気遣い気配り。カネやモノではない人間らしい関係性。感性→問題をいち早く感じる能力
恩を感じる。すばらしさを感じる。感動する。
感動させる文化が消えた。笑わせる文化が横行している。芝居・漫才・TV然り。
知識や学力では涙は出ない。感じる力を磨く教科書をつくる。感性がいのちの本質なのだから、感性を磨けば、理性は勝手についてくる。大人も子供も、したいことがない傾向が非常に強い。感性が鈍っている。仕事の本質的な価値とは、不可能を可能にすること。誰も達しえなかった仕事を実現すること。『勘とコツ』こそ、日本人的繊細な感性。
知識があると知識に頼って解決しようとする。知識が邪魔になる。知識がないことによって自分に必要なものが欲求となって現れるから、自ら学ぶ。『知識』は変化対応能力。『勘とコツ』は時流独走の世界。変化を自ら創造する能力。感性は問題を感じる能力。問題のない現実はない。ちょっとした問題でも感じる能力こそ『繊細な感性』→ 問題をいっぱい感じる会社にしたい。問題は乗り越えるために現れる。人類を進化させるために現れる。問題を恐れてはならない。問題がないことを願ってはならない。問題のない現実はないのだ。
現実への異和感→これこれこれ!!!(笑)
変化を感じるのが感性。固定化(理解)するのが理性。
という感じでした。
この後、年内最後の開催ということで、思風先生、行徳先生を囲んで多くの仲間と共に忘年会!!仲間って、ほんとにすばらしいなぁ。
ではまた。
おさむ