おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

東京思風塾 4月例会

2014年04月05日 18時04分52秒 | 自分のこと
今日は東京思風塾4月例会でした。



今回のテーマは『理性教育からの決別~愛の子育て・子供は「信」の一文字で生まれてくる』でした。遅刻したり打ち合わせがあったりでしみじみ筆記ができませんでしたが、よろしかったらご覧ください。



 これまでは、『人材たれ』と言われた。人罪・人材・人財など、いろいろな言われ方をするが、いずれにしても『使われる』という意味において同じなのである。

 これからは、『人物たれ』

 人物とは、人間として、能力的・人格的に優れるということである。

 感性論哲学においては、30歳くらいまでを『教育』の期間と定めている。なぜなら、能力の一つである肉体が生理学的に衰え始めるのが27、8歳だから。

第一段階 0歳から3歳(欲求欲望に基ずく第一反抗期)
生まれ来る子供には、一点の曇りもない絶対的信頼がある。この信頼を裏切ってなるものかという親としての精神。
① 『愛されているんだよ』 この時期にたっぷりと感じさせる。それが欠けると大人になってから愛を感じられない、人を信じられない、不安でたまらない人間になってしまう。愛を命に浸み込ませる。その手段とは、『スキンシップである』。ただ抱きしめているだけではダメで、『いのちに浸み込ませる』という意識を向ける必要がある。それが欠けると、『愛している』といっても自己中心的で身勝手な『愛』に陥りやすい。
② 『信じていいんだよ』 人間への信頼感をこの時期に味わっていないと、ひとを信じることができない。子供は『泣く』という行為によって意志を示す。悲しくって泣いているんではない。その『泣く』という表現を的確につかむことから親は学び、成長する。的確に対応してあげることによって、信じる力が身につく。
③ 『安心して生きていいんだよ』 この時期にこの心情を持てないと、何ごとに対しても『不安』が付きまとう。試験・結婚・様々な問題。では、どのように『安心感』を命に浸み込ませるか。自分のいのちを生んでくれた両親がケンカしたり嫌悪の空気の中にいると、自分が生きることそのものに不安を抱いてしまう。ゆえに、できるだけ子供の前では夫婦ケンカをしない。

もう遅い、と嘆くなかれ。人間は不完全である。だから、上記のような対応ができずに子供が愛に薄い、ひとを信じれない、不安がいっぱいな人間になってしまったとしたら、こころから謝罪する。『ごめんね、許してね』ほんとうに心底から過ちを認め謝る。抱きしめる。『許してね』まで、言えるかどうか。人間は不完全であるということを理解すれば理解するほど『謝罪の美学』ともいうべき姿がそこに現れる。


第二段階 3歳から6歳(脳の基本構造ができあがる・第一反抗期)
 第一段階をきちんと教育された子供は、3歳くらいになってくると自分の力で外に関わろうとする。
① 行動力と自制心をつくってあげる。 子供の意志を親の身勝手で強制しない。自分の意志の力で完了するまでさせてあげる。行動力が育つ。また、余りにも身勝手な行動をした時、『痛い!』と命に響くほどの痛みを味わせる。この時期、人に迷惑を掛けたときに殴る・つねる等により『自制心』が成長する。
② 子供の脳の発達に積極的に関わる。 この時期に脳細胞の80%が成長する。興味関心好奇心に対して的確な対応をしてあげる。これを怠ると、決断力が鈍い、考えるのが苦手な子供になってしまう。嘘でも間違っていてもいいから、断定的な答えを伝えてあげる。ニューロンの結びつきを瞬時にしてあげる。
③ 遊ばせる。 例えばおもちゃ。説明書を読んで使い方を教える、ということをしてはならない。それは自由に対する支配だ。子供が自由に、遊ぶ。大人であっても、遊ぶことを知らない人間は、新しきものを創造する力がない。既存の世界に支配されているのだ。

第三段階 6歳から10歳(性ホルモンが分泌されることによる変化)
第四段階 10歳から13歳(理性に基ずく第二反抗期・自我の目覚め)
第五段階 13歳から15歳(第二反抗期の最中)

第六段階 15歳から20歳(高等教育における環境) この段階で大切なことは、人生における意味と価値を深めるということである。『この命なにに使うか』という問いを立たせることである。社会に出て、大人になるということはどういうことなのか、人間の格を高めるということはどういうことなのか、ということを的確に教えてあげることである。
人間の格を高める原理とは、『不完全性の自覚から滲み出る謙虚さ』『より以上を目指して生きる』『人様の役に立つ存在になる』(謙虚さ・成長意欲・愛)

第七段階 20歳から30歳(社会人としての体験) 社会とは何か。自分の価値は社会が決める。他人に評価されて何ぼの世界である。職業とは、人様をしあわせにすることによって自分も幸せになれるというのが本質である。また社会の中で生きる、ということは、考え方が違う、価値観が違う、宗教が、人種が、違う。その違いの中で、考え方の違う人と協力し助け合うことができることを『社会性がある』という。『違う』ということを理性は排除しようとする。画一化しようとする。『愛』が必要な時代だ。『違う』という『矛盾を生きるチカラ』こそ、理屈を超えた『愛』の実力である。


中途半端でごめんなさい。

ではまた。

おさむ