おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

強風被害

2018年04月08日 08時22分44秒 | 家づくり
一昨日の物凄い強風!!!一晩中唸る風に、『何事もなければいいのだけれど』と不安な一夜を過ごしました。

朝方OB施主様からお電話。

『きたざわさん、カーポートの屋根が飛んじゃったんですけど・・・』

・・・やっぱり。。。早速訪問すると



幸い飛散した屋根が第三者に被害を及ぼすようなことはなかったようで一安心。火災保険の適用になるかもしれなないので、保険会社に連絡を取ってもらうように伝えその場を離れました。

やっぱり工務店は近くがいいです。

ではまた。

おさむ






素晴らしき仲間と素晴らしき学び その⑤最終回

2018年04月07日 05時45分22秒 | 自分のこと
平成30年『特攻に学ぶ知覧の旅』の報告その⑤、最終回です。

例年は知覧方面のみの旅でした。今回はLCCの都合でたっぷり時間があるということで、旧海軍の特攻隊の最大基地である鹿屋航空基地資料館を訪問しました。

『西郷隆盛蘇生の家』のあと、錦江湾をフェリーで渡り、道の駅で食事をし、鹿屋に行く途中の垂水に参加者の内野さんのご友人が有名なお水の会社を経営されているということで訪問。名水中の名水『樵のわけ前117』をごちそうになりました。

いよいよ鹿屋航空基地資料館です。ここからはあの神雷部隊桜花隊も出撃しています。昭和20年3月21日の出撃は、靖国神社遊就館でもジオラマで紹介されていますね。館内は事前に申し込みをしていたのでガイド付きの見学となりました。そのガイドの方がまた素晴らしくてですね、、、(涙)

昨晩たっぷり泣いて今朝も早朝から指宿海軍航空隊跡でしみじみしていたものですから、もう泣かないだろうと思っていたのに・・・遺影の部屋に入ったら・・・一撃でした。海軍の特攻出撃の最年少は15歳。。。行かなければわからない空気が、そこにはありました。





戦争はいかん。戦争はしちゃならん。

しかし、私が伝えたいのはそこの議論ではない。

私たちは、過酷な時代に生まれ、やむにやまれずその渦中に巻き込まれていった御英霊の皆様を忘れてはならない。その死を、その姿を、意味あるもの価値あるものにする義務が私たちにはある。無言の『あとを頼む』を受け取った私。あとを頼まれた者として、御英霊の皆様に恥ずかしくない生き方、恥ずかしくない仕事をしていこう。そんな気持ちを新たにしました。

最後に訪れたのは串良海軍航空基地跡。この写真は当時の滑走路を走っているものです。ここから飛び立っていったのですね。。。



参加者26名。それぞれの二日間。いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい飲んで、最高の仲間と最高の二日間でした。また来年も企画しますので、ご興味のある方はぜひご一緒にいかがですか。

ではまた。

おさむ


素晴らしき仲間と素晴らしき学び その④

2018年04月06日 13時44分05秒 | 自分のこと
その④です。

二日目の旅程は、希望者のみというものの朝5時出発(^_^;)。魚見岳にご来光を仰ぎ、『下駄履き特攻』の指宿海軍航空基地跡に参拝して7時半にさくら館帰着。朝食をとって8時30分出発。トメさんのお墓に献花とお焼香。そして富屋食堂ホタル館へ。

とにかく私にとっての知覧の旅は、明久さんの存在なくしてありえません。今回も二日間、がっぷり四つでお付き合いくださいました。参加者の誰もが、明久さんのその姿に胸を打たれたと確信しています。







学び多き知覧を離れて、次は特別にある場所をご案内。今回唯一特攻に関係のない場所です。それは『西郷隆盛蘇生の家』。行徳先生が網小屋、あみごや、アミゴヤ、と言っている、西郷の生涯の中でも、極めて重要な場所です。幕末安政の大獄を期に、西郷にとって命の恩人とも言うべき月照が薩摩藩から追放されることになった。やむにやまれず、西郷は月照と共に船上から無理心中を図った。月照は溺死、しかしあろうことか西郷は漁師に救われて息を吹き返してしまった。西郷は武士です。恩人を殺して自分がおめおめと生きることなど到底できるわけがない。
しかし、西郷は死ななかった。後の明治維新で大活躍していく西郷。『土中の死骨』の西郷の激しい人生は、ここが転換点となって新たに始まったのです。西郷を語る上で、最も重要な場所だと言えるのです。



一度死んだからこそ、西郷は強かった。そこまでの経験はないにしても、私たちもどん底に落ちることがあるかもしれない。どん底に落ちたことがあるかもしれない。でもその時こそ、大きな転換点なのではないか。参加者の皆さんと、西郷が蘇った時に観たであろう同じ桜島の景色を見ながら、深く感じあったのでした。

次回は平成30年『特攻に学ぶ知覧の旅』最終回です。

ではまた。

おさむ









素晴らしき仲間と素晴らしき学び その③

2018年04月04日 02時50分27秒 | 自分のこと
その③です。

初日で胸いっぱいの私たち一行。懇親会も深夜まで続き、私自身いつ寝たのかよく覚えていない・・・(^_^;)

二日目は希望者のみ午前5時出発のスペシャルツアー。同室のN君に起こされて目が覚めるという、主催者として失格の私。しかも酒が残って運転ができない・・・(喝!)ということで、あのでっかい10人乗りハイエースをお姉ちゃんことT様にお願いすることに。。。結局21人が早朝のスペシャルツアーに参加してくださいました。

まず向かった先は桜の名所でもある『魚見岳』。ここでご来光を拝もうという算段です。錦江湾越しに大隅半島から昇るお天道様。



実はこのスペシャルツアーで行く『指宿海軍航空基地跡』は、この魚見岳のすぐ下、今回私が最も行きたかった場所です。それは、、、

『君は信じてくれるだろうか』に始まる碑文です。泣けて泣けてたまりません。

『君は信じられるだろうか』とか『君は信じることができるだろうか』ではないんです。

『君は信じてくれるだろうか』なんです。

残された方々の現代の我々に対する渾身の『祈り』を感じぜずにはおられません。







ここからまたさくら館に戻って朝食。散々お世話になったさくら館を8時30分に出発してトメさんのお墓にお参りさせていただき、富屋食堂ホタル館へ。。。

ではまた。

おさむ








素晴らしき仲間と素晴らしき学び その②

2018年04月03日 04時30分54秒 | 自分のこと
その②です。

生前、トメさんの次女礼子さんにご案内いただいた『三角兵舎跡地』は、特攻隊員の皆さんのお世話をした『なでしこ隊』の皆さんにとって掛け替えのない場所なのだそうです。慰霊祭の後いつもここに集まり、万感の思いを込めて歌を唱ったのです。

私たちには不適格かも知れないと思いながらも、心ばかりの献花をし、軍歌『海ゆかば』と唱歌『ふるさと』を歌いました。

私はこの軍歌『海ゆかば』と唱歌『ふるさと』は特攻隊を語る上での両輪だと思っています。片方だけでは片手落ち。『大義』と『我が心中』とも言うべきもの。特攻平和会館は軍神特攻隊員として『にっこり笑っていった』と語り、特攻の母と慕われたトメさんは人間特攻隊員として『笑っていった人なんて一人もいなかった』と伝え続ける。どちらが正しいとかそうでないとか、そういうものではない。両方あってこそ真実。だからこそ命を懸けることができたのではないか。ここの部分は自分にとってとても大切な部分です。今を生きる自分を奮い立たせる感覚です。

戦跡巡礼が終えて、いよいよ明久さんの特別講演。宿泊地『さくら館』さんには、いつもいつもご好意とご配慮を頂き、2階の大広間の畳の上にそれぞれ自由に座り、明久さんの講演が始まりました。

私、、、身体の震えが止まらない。参加者26人の鼻をすする音・・・何度拝聴したかわからないけれど、これまでにない、言葉に尽くせない空間・・・。

・・・・・・・・・・・・・・

でも、ぼくは自分に言い聞かせる。感動して泣くのは誰でもできる。この感動を娑婆に生かすんだ。私が感じた特攻隊員の皆さんの思い、『あとを頼む』を、ひと時も忘れることなく、娑婆に生かすんだ。

何と言っていいのだろう、明久さんの講演に皆、魂がくたくたになってしまった。というか、私自身が、くたくたになってしまった。

その後は懇親会。今年も明久さんは最後までお付き合い下さいました。我々と膝を交えて、語ってくださいました。ひとりひとりの胸に、深く濃く鮮明に響いたと確信しています。



一次会が終わって、秘密の二次会、三次会????いつ寝たのかよく覚えていません。。。

翌朝は希望者のみ午前5時出発特別ツアー。さて、26人中、何人が起きる事が出来るでしょうか!?!?!?

ではまた。

おさむ










素晴らしき仲間と素晴らしき学び

2018年04月02日 19時14分24秒 | 自分のこと
3月31日4月1日と、『特攻に学ぶ知覧の旅』に行ってまいりました。最年少はまなちゃん中学2年生。OB施主様と有志26名での旅でした。初日は午前6時に出発。分単位のスケジュールにも関わらず夜の懇親会は深夜にまで及び、二日目は午前5時からまた分単位でびっしり。帰宅したのが夜11時過ぎ、というスーパーハードスケジュールの旅でした。参加してくださった皆様の協力のもと、事故もなく無事に帰宅できたのが先ず何よりでした。

それにしてもまーーーーーーーーーー、とにかく素晴らしかった。

いろいろ反省はあるものの、私は満足です。

その学びの旅を書いていきたいのですが、小分けにして写真でご紹介します。

鹿児島に向かう機内から、富士山がくっきりと見えました。参加者の中には一緒に富士山に登っている方も多く、その美しい姿に感動。『今年も登らせていただきます!』と遥拝。



最初に訪れたのは『万世特攻平和祈念館』。静かな特攻基地跡。館内を丁寧にご案内頂き、巡礼の旅が始まりました。





知覧に移動して昼食。鳥濱トメさんのお孫さんである明久さんが経営する『知覧茶屋』にて特製の玉子丼をご馳走になり観音堂へ。

多くの方々の尽力、中でもトメさんの思いの結晶とも言うべき観音堂にて、皆で『特攻平和観音経』を読経。

館内に入ると目に飛び込んでくる陶板壁画『知覧鎮魂の賦』。私はいつも、動悸が高鳴り、動けなくなります。



14時40分より40分間、館内で講話をいただく。『にっこり笑っていった』と伝え続けているのが知覧特攻平和会館。『笑っていった人など一人もいなかった』と伝え続けたのがトメさん、そして伝え続けているのが明久さん。私はどちらも真実であると確信しています。



このあと、戦跡巡りをし、三角兵舎跡地にて献花、猿山を経て明久さんの特別講演・・・・

日を改めて報告したいと思います。

ではまた。

おさむ