フィレンツェにはこれで3度目だ。
ローマの北230キロ、トスカーナ州の州都。
豪商メディチ家と、ルネッサンス文化の街でもある。
★親切なおじいさん
一度目は、一人旅だった。
どんなに色々な旅をしても、やはり20代の一人旅が私の原点だった。
人生で一番暗かった(笑)時代だが、旅においても
思い出がぎっしりと詰まっている。
当時泊まったYHは、今はもう無くなってしまったようだ。
(あるいは、建て替えられて他のホテルか施設になってしまったかもしれない)
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から、ユースホステルまでは当時は徒歩
15分から20分ぐらいだった。(ような気がする)
駅に到着後、駅前でYH方向のバスを探していた。(背中の荷物が重かったのだ!)
たまたま、親切なおじいさんが「一緒に行ってあげる」と、
バスに乗って、わざわざYHの前まで連れていってくれた。
今の時代だったら、「怪しいおじいさんに声をかけられた」としても、絶対に断るが。。。
数十年前(笑)当時は、日本人旅行者も少なかった。
インターネットも何も無い時代だ。
人の親切が身に染みた。
片言の英語も話さないその人は、きっと私を孫のように思ったのだろう。
もしかしたら、小・中学生と間違われていたかもしれない(笑)
ユースホステルでの宿泊手続きが終わるまでおじいさんは私を待っていてくれた。
そして、「安心しなさい」という感じで、すぐそばの自分の知っている
カフェのような場所に連れていってくれた。仲間のおじいさんたちがいた。
大皿に盛ったおつまみのようなお料理を、私も一緒に食べた。
ジェスチャーを交えながら、「日本から若い女性がフィレンツェ観光に来た」と
その場の人々にある程度わかってもらえたようだった。
★おじいさん、本当にありがとう!
このおじいさんは、数日後、私がフィレンツェを立つ日に見送りに来てくれた。
駅のそばのスーパーで、水とお菓子を買ってくれて、私に持たせてくれた。
実は心の底で「このおじいさん、もしかしたら」と、疑いの心も持っていたが、
別れるときはホントに悲しかった。
来ている洋服もそんなにパリっとしていない。多分、年金暮らしの老人だったのだろう。
そんな彼が、電車が動きだすと、心配そうに手を振って見送ってくれた。
私はひとり電車に乗ってイタリア半島を南下していった。
寂しいのと、有り難いのと、親切なおじいさんとの別れは複雑な気持ちだった。
私は旅の途中で、まだまだヨーロッパを旅する。
おじいさんには、もう二度と会えないだろうと思って手を振った。
若い頃、私はどちらかというと人間不信だった。
だから、旅での出会いと別れが、「砂漠の中の水」のような存在になっていた。
「天国にいる、フィレンツェのおじいさん。
あの時は本当にありがとうございました」