同なじ列車に同なじカマ・・・
53+44が牽く5374レ (17.03.'99)
同なじ編成で3べんも。それでも男は諦めなかった。
前の年のこの時期は14両と見栄えも良かったけれど、全盛期の半分の10両ではイマイチ短い。それでもオキニの機がオキニのエンド向けて撮れた訳だから、悪い気はしなかった。 . . . 本文を読む
ナウなヤングの諸氏に於かれては「ひも(ry」って嫌う所のもので失礼。
50+22が牽く臨時タンカー列車、8380レ。(関山〜二本木間”防風林バック”にて:02.09.'98)
連続上り勾配25‰の長い坂を、ロクヨン重連が大音量のブロア音をあげながら、最大積車換算110両(1100㌧牽引)相当の重い貨レを牽いて上っていく。音も然ることながら、雷でも落ちたかと思う位の物凄い地響きを立てていた。そ . . . 本文を読む
経過はまずさて置き
9327レ (関山〜二本木間にて:17.02.00)
この当時の上沼垂の12系お座敷客車”カヌ座”は12系お座敷客車史上一番長い8両編成だったが、4両・4両で分割して別々の団体臨時列車として運転することが出来た。尤も、JR化した時点では12系ハザ車を改造した「サロン佐渡」を含めた7両編成で、そこから4両・3両で分割できるようにしていたが、サロンエクスプレス東京(東サロ) . . . 本文を読む
15+17の8373レを撮った「宮野原」の逆アンで新潟支社「カヌ座」4両編成を。
9312レ (関山〜二本木間:03.03.00)
背後の雪景色は、DD14やDD53が雄叫びをあげた特雪の聖地、「片貝」。それに限らず関山〜二本木間の冬の撮影地は、如何に雪を踏み越えることに心を砕いたものだった。
尤も片貝の場合雪が降っても降らなくても上に登れば、「北信五岳」の山々のうち妙高と黒姫と飯縄の三 . . . 本文を読む
突然の「元・御召し」機
次位に25を従えて8461レを牽く
京八道路がアンダーパスする所からフェンスにしがみついて手持ちで。
場所自体は分倍河原〜西府間に今もあるが、記憶が確かなら、ここは府中五小前の踏切(現在廃止)の近くにあって、しかも東西に線路が伸びてるから、晴れると側面が陰になってしまう所だった。当然、三脚使用は出来ない。尤も、甲州街道を跨ぐとこ以外に西府界隈で三脚が立てられる所は殆 . . . 本文を読む
あの日の私の本命は、コレです。
8+50の重連が牽くセメント貨物、5374レ (二本木〜新井間)
特雪は行っちゃったし雪降ってないしで、青海のデンカ軍団の脚周りは何も付いてない綺麗なまんま。一方、連日の山線運用でロクヨンのそれと屋根上はまだ雪塗れ。見比べるとなかなかチグハグだったりする。
まぁ8っていう大先輩がいるおかげで、他のロクヨンの0代もこの程度の着雪でも平気で走れる訳で、酷いと屋根 . . . 本文を読む
あんまし良くない画ではあるが昔何回か通ったとこだし、篠ノ井区に在籍した期間が短かった5が前機の重連の貴重な画なので
次ソは62。5462レ (聖高原〜冠着間にて:31.01.'00)
愛知機関区(旧稲沢第二機関区)から4と5の板谷経験機2両が篠ノ井区に異動してきたのは'98年10月改正時。尤も篠ノ井区のロクヨンは山線の運用のヤマが三つも消えて却って転属機が・・・と思ってたから、この転属はとて . . . 本文を読む
1シーズンだけ重連シュプールの運転に絡んできた1031だが、94年年末には全検入場も兼ねて電車とも連結運転が出来るよう連結器とブレーキ管周りの改造が行われたお陰で、シュプール運用から離れてしまった。
しかし”重連”運用には就かなかったものの、シュプール運用と縁がなかった訳ではなく、長野五輪翌年の99年1月にはレガートシートが編成中に入った「シュプール妙高・志賀」を牽いて長野までやってきた。(な . . . 本文を読む
昨日、この画像をうpせよという声が聞こえたので久々に再うp。
前機25、次位10牽引の8380レ (古間〜黒姫間にて:24.01.'98)
エンド面にこびりついた雪の下に”2”って塗ってあるのが見えないか?(分かんないか。)
撮ったのが長野の冬季五輪を2週間後に控えたこの日、もう1月も下旬なのに地面が見える。それもその筈この年の長野は雪不足で暮れ正月になっても降る気配が全然なかった所、16 . . . 本文を読む
ユーロが走る日に特雪が走ったのか、特雪が走るのにユーロがあったのか、メインが違うと言い分も違うのでお互いカチンと来てしまうが、だいたい日曜日に特雪とか、そんな好きそうな人間集まる日にやんのかと。
(回)9336レ。運転士席側スカートのすぐ右は『壁』(関山〜二本木間:14.02.'99)
再掲、並びに過去ログ再利用で失礼。
この99年のヴァレンタインの日は色々忙しい日で、シュプールユーロもあ . . . 本文を読む