(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

居残りはツラい

2011年02月24日 | 昔、81】日本海縦貫線撮影行詳報【今、510

★南鳥海にて
4060レ 124 (帯) 0708上
4061レ 129 (国) 1028下
4075レ 123 (帯) 1124下 ・最後尾にコキ106×1車

2001M  T-18ヘセ  1057下

★本楯~南鳥海間にて
3098レ 142 (国) 1240上

★酒田~本楯間にて
4094レ 510- 6   1507上
4096レ 146 (国) 1614上

キヤ回D パンタsage 1415下 ケ
2010M  T-18ヘセ  1418下

 昨夜の4091レの牽引機は今日の4096レのそれ。という訳で「居残り」撮影決定。出来れば早く帰りたかったのに、天は最後まで残れといいやがりますか。天気いいって予報が出てるならまだしも今夜から崩れるって出てるんですよ?見るからに罰ゲームじゃないですか(´・ω・)曇って露出が下がって、撮れなかったらブツブツ・・・(しかし、4091レがガスコンテナ載せて『ガス屋』になってたとは思わなかった)
 とか思いつつ、就寝&起床。二度寝してしまって2番電で出撃。124牽引の4060レを撮った後はまた酒田まで戻って、魚民でガッツリ朝飯、昼飯要らず。


 その後、昨日のネカへで休憩とってから0938発の下りで再度南鳥海へ。

あぁ( ´ワ`)暖けぇ…

 山はオカンムリで雲が懸かりっぱなしだが、天気は上々。暖かな陽射しの下を129牽引の4061レが駆け抜けていく。

一回撮りたかったんだ、この組み合わせ。

 捨ててある板パレに横になってるうちに2001MでT-18ヘセもやってきた。コレは折り返しで2010Mとして戻ってくる。
 4075レは123の牽引でコキ50000×16車…と思ったら、珍しく最後尾はコキ106。上には土砂コンのUM12Aが載っていた。
 南鳥海の駅で一休みした後で、某ポイントまで歩く。

↓白いおばちゃん観光団もロシアに向けて帰り支度



 今日も先客が居たけど、昨日の知り合い氏だった。なので、セッティングしながらまた駄弁り話。そうこうしてる内に3098レが接近。142との組み合わせはコレが2回目。
 撮影が済んだ俺の方は本楯のお母さんのお世話になる。向かうはあすこしかない。予定通りT-18ヘセが2010Mで戻ってきたが、先日来から知り合い氏のいう件はバッチリ確認出来た。クハ485-1508の海側、旧貫通扉レール金具のすぐ上に何をやらかしたか、塗装剥げがあるのだ。タイフォンカヴァーの次は塗装剥げですか。ついてないというか何ちゅうか。
 おまけに俺も地元のT-18ヘセ狙いのじい様に掴まりその雑談のお相手をすることに。じい様、俺が野良仕事するって読んでて、態と掴まえたろ?暫くして、またも知り合い氏合流。701、701って言うからどうした?と思ったら仙電から追い出された旧型パンタの2Bが秋田側についていた。あぁ、これは久しぶりに見たかも。何せ内陸の電はひっそりとみなZパンタ化してて昔ながらのパンタは見られなくなってるからな。
 そのウチに、南から雲が広がってきて危惧していた通り露出が低下して1600時には1/500の開放とか、ヤヴァいことに。けれど、この程度は想定範囲内。ここでは1/400まで実績あるからまだ余裕だった。
 1614時、昨日の4091レ牽引機146は所定で4096レを牽いて通過。手を挙げたら「ピッ!」とホイッスル一鳴。「鳴らす前に手ぇ挙げた?」と知り合い氏。「いや?鳴らした後だげど」と俺。知り合い氏曰く、ひょっとしたら自分の知り合いの運チャンかも知れない、そんな事を言っていた。
 帰りは130Bからヘラ替わりの158B。要は久々にシウ発1845時のつば電で帰宅の途。アレだ、今回はデイバッグに詰め込んできたから次は本番用のカメラバッグで背負ってこなきゃな。

(01.10.'17修正)


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