元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

障害年金という最強の社会保障があります!!<公的年金は老齢年金だけではない>第1回

2014-05-24 17:44:33 | 社会保険労務士
 知らなかった、障害年金という最強の社会保障

皆さん、公的年金の老齢年金ばっかしに目が入っていて、若い人たちの中でも年金に入っていなくても・・・という声があるようですが、同じ掛け金でもって、もしもの場合の障害年金が支給されることについては、考慮がなされていないようです。かく言う私も、社労士を名乗っていましたが、この本を読んで初めて、障害年金の重要さについて考えさせられました。

 同じ年金の掛け金で持って、一般的には65歳から年金がもらえるというのが老齢年金ですが、この同じ掛け金でもって、障害になったときには、障害年金が支給されるのです。

 この本は、「障害年金というヒント」三五館 中井宏監修 著者が5人の障害年金専門の社労士さんたちが書かれた本ですが、えっ障害年金てそんなことだったのかと考えさせられました。著者たちが訴えていたのは、国の制度であるにもかかわらず、障害年金の制度に対する認識があまりにもないために、もらえるのにもらわない人がいかに多い事かということです。はじめにで、次のように、監修者が述べられています。

 
 皆さんは「障害年金」という制度を知っていますか。
 知らない方も、知っている方も、まずは本文を読んで「驚いて」いただきたい。
 唐突なはじまりとは思いますが、本書を説明するうえで、この表現が一番ふさわしいと思います。
 私は、これほどの社会保障システムはほかになく、これこそまさに「最強の社会保障」と呼ぶにふさわしい制度だと思っています。本来、この制度は、傷病により働くことが難しくなったときや、日常生活を送る上でハンディを背負った方々を経済的に助けるための救済制度です。
 ガン、糖尿病、パーキンソン病、その他の難病の方々から、骨折などの外傷まで・・いつ身に降りかかるかもしれない、ありとあらゆる疾病・外傷のすべてを「障害年金」はフォローしています。


 
 この本の中で、16歳のときにバイク事故を起こし、片腕がまったく動かなかった27歳のAさんの話しが紹介されています。昔は素行が悪く親からも見放され、友達の家を転々としていましたが、あるとき、知り合いの紹介で小さな会社に入社。正社員として初めて厚生年金に加入し、年金制度を知ったとのこと。この人は、専門社労士さんの支援により、さかのぼって5年分の障害年金の支給がなされたとのこと。請求を社労士にお願いした際「もっと早く障害年金を知っていればもっとまっとうに生きてこられたのに」そして無事に受給決定通知を受け取った時には「先生ありがとう。これからはまっとうな人生を送ります」と言ったと書いてあります。

 ただ、この制度を知らないがために、本当は要件を満たしているにもかかわらず、書類が整わずに涙を呑んでしまうケースもあるとのことです。

 その要件とは、詳細に説明すると難しくなるので、今からザックリと書いてしまいますが、興味を持たれた方は、是非この本を読んで具体的には該当するかどうかについて考えていただきたい。(さらに、身内が、あるいは自分が関係あると思った方は、当会ホームページに専門社労士の紹介があります。)

 これは、病気やけがにかかり初めて医者にかかってから、治らないで1年6か月(病院にこれ以上かかっても医者からこれ以上は治らないと言われた、いわゆる「固定化」の状態のときは、1年6か月立っていなくても、そのときから)経ったときに、障害の程度が基準の状態であったときは、その時から障害年金がもらえるという制度です。国民年金は、その障害の程度が重い方から1級・2級までですが、厚生年金の場合は、もっと軽くても3級として、さらに支給されます。そして、最初に言いました、病気・けがで医者にかかった初診日に、国民年金か厚生年金に入っており、その時までに一定の保険料を納付していることが条件ですので、その一定額をおさめていなければ、いくら重い傷病にかかっていても、支給されないのです。

 この1級・2級・3級の障害の程度ですが、私も漠然と誤解していた向きがあるのですが、基本的には病名では区分されてはおらず、あくまでも日常生活や労働能力の区分であって、次のとおりになっています。
 また、病気の中には、うつ等のメンタル的な面での障害も含まれていますので、身体的な面だけでなく心の病気も入っていますので、誤解なきように!

 1級 身の周りの事はかろうじてできるが、それ以上の活動はできない状態。活動範囲は、室内に限定。
 2級 家庭内の軽食つくりや下着の洗濯など極めて温和な活動は可能だが、それ以上の活動はできない状態。労働により収入を得ることは不可能。活動範囲は家の中に限定。
 3級(厚生年金のみ) 労働に著しい支障や制限があるが、短時間労働や軽作業など職場の理解や援助などの配慮の下で就労が可能。

 この程度がこの時点で軽くても、65歳に達する前日までに、重くなったときは、請求すればその時から支給されます。忘れてならないのは、請求しないともらえないということです。最近の病気やけがで障害のある方は、私も該当するのではと考えた方は、今から請求すれば、そう難しくはないのですが、10年、20年以上の前の過去の病気やけがであれば、最初にかかった初診日の証明ができずに、もらえなかったという例が多くあげられています。その10年以上も前のことになると、かかった病院がなくなっていたり、カルテの法的な保存期間は5年ですのでカルテがなくなっていたり、カルテがあってもその診断書を書ける診療科のお医者さんがいなかったり、また、数十年前のことになるとかかった本人が転院を繰り返し、最初の病院がどこの病院だったのか忘れてしまっている場合だってあるようです。

 初診日がどこの病院でいつだったのかが分からないだけでは、大したことはないと考える方がいらしゃるかもしれませんが、初診日は、国民年金に入っていたか厚生年金に入っていたかの重要な・入り口の要件であり、さらにはこの初診日から、基本的には1年6か月後が障害の程度を判断するので、この初診日が確定できない以上、この障害年金の支給は認められないのです。そこは、専門の社労士さんで、苦労して障害年金を勝ち取ったことも報告されていますが、残念ながら涙をのんだ方も報告されています。過去にさかのぼらなければならないのは、過去には「知らなかった」からであり、そうではなく、現在、そういう制度があるということを知っていることがこれほど重要なことか分かりますと思います。

 以上、簡単に言えば、初診日の時点で、公的年金に入っており、そのときまでに一定の保険料を納めており、初診日から1年6か月後に一定の障害にあれば障害にあればもらえるのです。正確にいえばこれだけではないのですが、ザックリおさえていただいて、どうか障害年金のことを頭の隅においていただいて、いざというときに考慮していただけたらということ そして、このザックリでも覚えていただいておきて、まったく検討しないよりは、もっともらえる方々が増えるのではないかと思い、誤解をおそれずに書いて見ました。⇒続く第2回NO2へ

 詳しくは、何度も言うようですが、次の本をご覧になってください。いろんな事例が簡潔に分かりやすく書かれています。(著者への連絡方法も書いてあるようです。)

 誰も知らない最強の社会保障 障害年金というヒント 中井宏監修 岩崎眞弓・白石美佐子・中川洋子・中辻優・吉原邦明共著 三五館発行

<障害年金という最強の社会保障~第2回NO.2へ>
<障害年金という最強の社会保障~第3回へ>
<障害年金という最強の社会保障~第4回へ>
<障害年金という最強の社会保障~第5回へ>
<障害年金とカルテの保存期間>
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黒田官兵衛は、名参謀か名補佐役か?!

2014-05-15 18:46:00 | 職場・組織等
 名参謀、補佐役の要件・条件等は?

 黒田官兵衛は、名参謀であったが、名補佐役ではなかった。堺屋太一著の「組織の盛衰」によると、参謀の条件としては、単なるトップの相談役ではなく、動員計画から作戦・陰謀までの企画を行うトップであるとしている。そのためには、「創造力」がなにより重要であるとしている。創造力の裏付けには、的確な現状把握と将来予測がなければならないとし、創造力に対する3つの条件を上げる。その創造力には(1)情報の収集・分析と先見性(2)実現可能性(3)企画に対する積極性(推進力といいかえることができると思われる)が必要である。織田信長が本能寺で光秀の謀反にあったときの官兵衛の働きは、まさにこの条件が発揮された、さえたるものであろう。いち早く織田信長が暗殺されたことの情報を把握し、秀吉に進言し、いち早く戦いの相手の高松城主と和睦し、瞬く間に京都に駆け上ったのである。黒田官兵衛は、この名参謀の要件を備えた人物であった。

 ところで、黒田官兵衛は、名補佐役と言えるであろうか、否である。同じく堺屋太一の「組織の盛衰」によると、補佐役の3条件として、
 1、自分の功を顕示しないことへの喜びである。自分が、オレがではなく、むしろ自分の案がトップの名で発表されることへの喜びを感じるというのである。
 2、トップの基本方針の枠を超えない 
 3、絶対に「次期トップ」ではあり得ないことである。
 次期トップとみられることは、他の次期トップの皆と功を争うことになるし、さらにはトップとも功を争うことになるのであるから、絶対「次期トップ」とみられてはならないのである。官兵衛は、「秀吉のため」ということで行動し、例えば、荒木村重の謀反に対し単身説得に出かけ、地下牢に閉じ込められて、変節を促されたが決して曲げなかったのである。あの素早さと頭の回転の速い官兵衛の鈍重さといえる一面であった。まさに、1.2.の条件は満たしていたといえるのである。しかし、3.の条件を満たしていなかったのである。

 次期天下を狙うものとして、トップから見られていた。織田信長が暗殺されたときに、官兵衛が「殿、運がめぐってまいりましたなあ」と秀吉にと言ったときから、こやつ俺の本心を見抜きおってと思われ、俺と一緒で天下を狙うやつだを秀吉に思わせた。事実、秀吉死後の関ヶ原の戦いのときに、関ヶ原の本陣には参加せず(息子を参加させた)、自分は九州で近隣を攻め滅ぼしていた。関ヶ原の相手方に参加する者をやっつけるという名目で家康の許可を受けていたとされるが、九州を平定して中国地方を攻め入り、日本の家康の「東」方に対抗しようとしていたといわれる。最後の天下取りの野望であったと思われる。ところが、天下分け目の戦い=関ヶ原の戦いは、官兵衛は少なくとも数日はかかると見ていたが一日で終わってしまったのである、そして家康からすぐに「もういいだろう」と九州平定にはストップがかかる。一方、息子が関ヶ原で功をあげたということで、福岡で派遣されるのに伴い、息子に家督を譲り隠居してしまう。

 最後まで、彼の生涯は、決して補佐役ではなくて、名参謀であったのであるが、彼の類まれなる才能がそうさせたのであろう。(注1) それに対し、竹中半兵衛は、もって生まれた、名補佐役であり、名参謀であったと思われる。


 
 
 (注1)では、なぜ天下を取れなかったのか。それは、もう一つの条件は、「運」である。時代がそういう時代ではなかったのである。彼がもう少し早く生まれていたなら、どうにかなっていたのではないか。
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年を取ると「年の功」か「短気」か?!

2014-05-07 18:47:33 | 社会保険労務士
 「感謝」「余裕」のある人生を過ごしたいもの

 60歳(還暦)を過ぎても、私の場合は、気が長くなるのかと思っていたら、短期になり、怒りぽくなってきた。短気は損気で、今まで築き上げてきた人間関係をいっぺんに壊してしまう。職場研修の講師をしていた時、受講生に監督者はこれだけがまんすることが必要なのかと言った者がいたが、しかりであると思う。

 怒らない方法を考えたが、「感謝」以外にはないと思う。日頃尽くしてくれる妻に感謝、職場の同僚・上司に感謝、上司は上司なりにあなたのことを見てくれているものだ。自分の事しか考えていない上司しかいないと思っていても、よくよく考えてみると、どこかで職場がうまくいくように行動していることに気づくものだ。そのちょっとした行動に感謝である。なかなか、難しいが、感謝できるところに気づくようにしよう。

 もう一つは、「余裕」である。余裕をもって行動しよう。余裕がなければ、何でもないのに怒りぽくなる。

 東海大学精神科学教授の保坂隆氏が、題名は忘れたが確か「60歳からの・・・」という本の中で、松下幸之助のエピソードを紹介している。

 松下幸之助氏が船着き場を歩いていた時、向こうから大男が来て、ぶつかってしまい、松下氏は、掘割(水路)に落ちてしまったが、「ああ夏でよかった」といったという。秘書が追いかけて、謝らせようかというと、「そんなことをしても、終わったものはしょうがない。元にもどるものではない」といったという。

 また、保坂氏自身が、ある老舗のラーメン店で、注文して待っていたところ、先に待っていた年を召した2人の女性のところより早く、保坂氏のところへラーメンが運ばれてきたという。さらに、次の客にも運ばれてきたという。さすがに、この2人の女性の一方が「ここ待ってんだけど。次の待ち合わせまで時間がないんだけど」とやんわりと言ったという。店員さんは真っ青になったが、店長が出てきて「作っていますので」と言ったが、実は、店員が女性客のところにラーメンを運んできて、注文を通すのを忘れていたことを謝ったという。もう一方の女性が「出てきたからこれでいいのよ。後から店長から怒られるかもしれないけど、頑張ってね」と言ったという。

 これこそ、計画されたOJTではないけれど、OJTのさえたるものとなった。この店員さんは、今後、絶対にこのようなことのないよう反省をし、よき店員になるとを心がけるだろう。

 「年の功」というテーマで、書いてあったが、松下氏や女性2人の年は明らかではないが、自分を顧みて、反省することしきりである。

 
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ネガティブオプション(送り付け商法)は、消費者・商人によって対応が異なる。<続き、商人の場合>

2014-05-03 02:50:26 | 社会保険労務士
商人の場合は、勝手に処分はできず、保管義務があります!!

 
 前回、消費者の場合は、送り付け商法については、一定期間保管しておけば、その保管期間(送り付けられた日から起算して14日間、相手の引手って欲しいと連絡すれば7日間)が過ぎれば、その商品を処分してよいとの規定があると申し上げました。ただし、これは商行為となる売買契約には、この規定は適用しないと書いてあります。(特定商取引法)

 
 この商行為を生業とする者のことを商法では「商人」と呼びますと申し上げました。そうです、商人の行為については、一定期間商品を保管しても勝手に処分することはできません。

 
 それどころか、商法では次のような規定があります。「商人」は営業の範囲内に関する契約の申し込みを受け、その申し込と同時に商品を受け取った場合は、申し込みを拒絶しようとも、その商品を保管しなければならないと定めてあります。商人は商人の責任において、申込みを拒絶した場合においても、営業の範囲において申し込みを受けた場合は、一定期間が立とうとも勝手に処分ができないどころか、保管しなければならないと規定してあります。野ざらしにして商品が駄目になったり、盗まれたりしたら損害賠償しなければならなくなるかもしれないのである。

 
 営業の範囲内に関するに契約の申込みを受けてとありますから、商人が営業上、日常的に集団的・反復的に行う契約のことで、これは一般取引が書籍販売の会社に、健康食品が送られてきた場合は、保管義務はないでしょうが、雑貨店を営む会社に健康食品が送られてきた場合は、適用される可能性はあるということでしょう。保管するといっても、それに要する倉庫代、倉庫までの運送代は相手に負担されることはできます。
(ただし、これには例外があって、保管することによって、送付された商品の価値以上の費用がかかったり、損害を受けたりする場合には、その必要はないとしている。)

 さらに、商法には、別の規定があって、商人が普段取引をしている相手方から、営業の範囲内の契約の申し込みを受けたときには、遅滞なく承諾するか否かの通知をしなければ、契約は成立したものとみなすとの規定もある。商法の商人の場合は、継続的に取引をしていることを前提にしているから、このような規定があるのでしょう。ただし、この場合は、前述の保管の規定と違い、まったく今まで取り引きもしていなかった相手ではなく、いつも取引をしている相手から申し込みを受けた場合であることに注意する必要があります。いつも取引をしている場合には、必ず承諾するかしないかを連絡しなければ、そのまま契約をしたことになるというわけです。
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