元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

育児休業法改正の背景=男性が育休を取得・家事育児を行うことが労働者不足の改善!!

2021-09-26 09:08:28 | 社会保険労務士
 出産時育児休業は男性の育休そのもの、従来の育休の2回取得も男性の育休の取りやすさにつながる

  育児・介護休業法は、新しく改正がなされて、令和4年4月1日から随時施行がなされ、1年後の令和5年4月1日の施行まで続くことになっている。この改正であるが、一言で言えば、男性の育児休業の取得の促進がその内容である。育児介護休業法は、誤解されることを周知で申し上げれば、この法律こそ男女平等の法律である。女性に認められている権利は、男性にも同様に権利として認められている。ところが、男性の育児休業取得率7.48%(令和元年)に過ぎない。男女共に同じ権利だとすれば、極端に少ない数字であるといえよう。

 ではなぜ政府は、男性の育児休業の取得の促進を打ち出したのか。これには、統計調査に基づき、この社会をどういう方法に進んだらいいのかを考えた結果であるともいえる。これには、3つの視点がある。まず女性の離職防止である。この前提には、社会全体の労働者の不足があるが、これが女性の場合は、結婚・妊娠・出産を機に会社を辞めていくという実態がある。統計的には結婚(女性正社員24.9% 女性非正規社員39.4%)はもちろん第1子の出産(女性正社員34.9% 女性非正規社員29.6%)の時期に離職しているのである。この女性の離職を防止するためには、夫の家事・育児の協力が欠かせないが、統計的にも、夫が家事・育児に協力している家庭ほど妻の離職率が低いという結果がでている。
→出産後の妻の離職状況 夫の家事・育児時間なし42.4% 夫の家事・育児時間4時間~6時間20.3% 夫の家事・育児時間6時間以上12.9%   (仕事と生活の調和連携推進評価部会「仕事と生活の調和レポート2019」)
 
 また、労働者不足の観点からは、すぐには改善するわけではないが、次の第2世代の労働力が不足していくのは、出生率の低下である。この改善のためには、離職防止と同様に、夫の家事・育児協力が欠かせない。統計的には次のとおり、夫の家事・育児の時間の関与が大きいほど、第2子の出生率が大きくなっている。
→子供がいる夫婦の「夫」の休日の家事・育児時間別の「第2子以降の出生」の状況 夫の家事・育児時間なし10% 家事・育児時間4時間~6時間79.7% 家事・育児時間6時間以上87.1%   (仕事と生活の調和連携推進評価部会「仕事と生活の調和レポート2019」)

 最後の観点は産後うつ対策である。産後うつ病は約10%の罹患率があり、産後3か月の間に発症することが多く、2週間以上持続するといわれています。この産後うつ病についても、夫などパートナーからのサポートの不足が、大きい要因になるとされています。(公益財団法人日本産婦人学会ホームページ) ここでは、経済的な観点よりも、精神を蝕む病気にならないためには、どうしたらいいのかという点から重要なことです。パートナーが産前からこれを支え産後も同様に精神的にも肉体的にも支えることが、産後うつを発症しないためには欠かせないことと思われます。その先に初めて言えることですが、うつ病事態が回復しにくい傾向にあることなどから考えて、経済に占める労働者の数は、その影響は大きく受けることになるといえます

 以上の3つの観点からみても、労働者不足の解消のためには、夫が家事・育児に参加することが何よりも重要で、そのためには男性の育児休業の取得の促進が必要になってきます。
 
 育児介護休業法の改正においては、この男性の育児休業取得の促進のために、内容の改正が主に2つある。出生時育児休業の新設である。子の出生後8週間以内に4週間まで取得が可能というものである。これは男性の「育児休業」にほかならない。というのも、女性にとっては、産後8週間は「産後休暇」が取れるからであって、出産時育児休業というのは、男性の育児休業といってもよい。(※注※) これは、分割して2回まで取得が可能であって(ただし初めにまとめて申し出は必要)、給付率は従来の育児休業と同じく68%である。
 
 主な改正点の2番目。従来の育児休業が、今までは分割できないことがあったが、2回まで分割して取得できるようになった。女性の場合は育児休業は基本「長期」の休業が多く、分割しても取得に大きな影響はないが、男性の場合は、2回までできることになったのは、非常にありがたいと思われる。その意味において、男性のための育児休業の改正といえる。
 
 今回の改正は、内容そのものの改正とともに育児休業制度の周知義務の影響が非常に大きいと思われる。規模の小さい会社にとっては、育児休業を取られると会社の経営が回らないためか、なるべく育児休業制度の周知を徹底してこなかったことがあると思われる。今後は、育児休業に関する研修や当制度の相談体制などの育児休業等環境整備に加え、労働者本人・配偶者の妊娠・出産の申出の際、育児休業制度等を個別に周知した上で、育児休業等の取得確認をしなければならなくなった。どの労働者にも育児休業制度が知れわたり個別に取得確認をすることになると、事業者にとっては、制度の周知を怠ってきた事業者ほど、ひじょうに苦しいものがあると思われるが、これもあるべき社会の大きな流れと考えられる。

 出産時育児休業の新設         令和4年10月1日
 育児休業の分割(2回)可能      令和4年10月1日
 制度の周知と個別の周知・意向確認義務 令和4年4月1日 

(※注※)従来は、産後8週間の間に、夫が育児休暇を取得した場合は、特例として再度取得できることになっていた。同じ育児休暇として、事実上2回取得できることになっていたのである。今回の改正は、この特例をなくすともに、産後8週間に男性のために「出生時育児休業休暇」として、新しく創設したものである。なお、産後8週間は、本文でも述べたように会社員の女性(妻)にとっては、労働基準法で労働を禁止されている期間(産後休暇)で、基本的には女性が自宅療養している期間である。
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おかえりモネ=災害多発地域の「非住居地」には住民にすればその地のこだわりがある!

2021-09-19 09:23:01 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 還暦を過ぎて人生の終盤になっても、コロナにかかって死にたくないという自分の思い<死神がいなければそうなのでは>

 NHK朝ドラ「おかえりモネ」の登場人物は、それぞれに自分の生き方を持っている。モネの祖父・永浦龍己は、人生経験に支えられ信念をもってカキの養殖にいそしみ、父耕治は若い時トランぺッターの夢を持つが、今は誠実に銀行員としてそれなりに生きている。モネが東京に出てからは、仲間の気象予報士は 神戸の震災の経験から防災を使命とする野坂、上司の朝岡は若い時の箱根駅伝の失敗でスポーツ気象に信念をかけ、さらにインターネットを通じての地域からの情報を集めるなど新しい気象予報の展開に事欠かない。相棒のニュースキャスターを目指す神野マリアンナ莉子は、自分の担当した気象予報の視聴率の低迷から、自分は震災等を経験してないから本当のところを伝えられないのだと直感、モネに震災のような経験をしないとダメなんだと伝えている場面で、モネの下宿先の大家・菜津はいじめに遭い引きこもりになった宇田川のことを思い「それはダメ」と大きな声をだす。

 またこの朝ドラ、この中で台風襲来の際、災害発生多発地域には人が住まないようにという場面があったが、これは住んでいる地域住民には移動するかといえばそうできないその地への思い・こだわりがあるという非常に重い難しいテーマを「なんとなく」それなりに扱っていた。

 明るくふるまうモネ(ドラマ自体も朝ドラらしくなんとなく明るい)だが、中学卒業の頃の東北震災の記憶が影を常に落としており、それはモネの人生を突き動かす指針のようなものとなっている。東北震災の影という点では、父が震災で船を失い自暴自棄になってそれを支える息子(モネの幼友達)の及川亮は、自分の人生にいやになり「投げ出してもいいよな(親友のモネに電話をかける)」というような状況にも追い込まれる。

 みんなそれなりにそれ相応に与えられた境遇で精いっぱい生きている。なんの悩みのないような神野マリアンナ莉子にもそれなりの悩みがあるし、どうしようもないような境遇の亮では、ひょっとしたら自死も考えることになったのかもしれない。しかし、それぞれの境遇の中でどう考えどうにかその場を経験して生きていくことに意味があるのだ。決して自死を考えてはいけない、そのときは苦しくて楽になるだろうなあと考えるのだが、多分、その時は死神がついているだけで、その場が次の場面にいけば「何を考えていたのだろう」となるのではないかと思う。私は還暦を過ぎて10年を過ぎているが、昔はいつ死んでもいいよと言っていた(ただし、自分は恵まれ亮ほどの立場にたったことはない。このことをなんとなく言っていたのだが・・)のが、今はコロナによって死ぬことを考えると恐ろしくなるほど死を恐れている。この年になってそれほどまでに生きたいのかと思うのだが、その時々の場面での「死神」がついていなければ、本来は、自分で自分の人生を閉ざすことは考えないようになっているのではないかと思う。

 というのも、持論になるのだが、自分の人生を死の最後まで経験して、その「記録」を自分の脳に刻み込む、人生の最後まで脳に記録されている。忘れているように感じるのだが。そうではなく人生の経験はすべて脳に記録されている。じゃあ、自分の肉体がなくなれば、その脳の記録もなくなるように感じるのだが、私は、自分が「考える」パソコン(パーソナルコンピュータ)とすれば、どこかにホストコンピュータがあって”「考える」大きな記録”として残るのではと思っている。その記録を人生の最後まで残すことが自分の人生ではないかと思う。途中で人生を降りることは、自分の記録を最後まで残すことが出来なくなってしまうと考える。自分の記録を最後まで残すことが使命だと思うからである。 最近とみにそう考えるのは、年寄りになると、自分史、郷土史、そして大きな意味では歴史に興味が出てくる(記憶→記録の重要性)という点で何となく考えられるからである。これは、私だけでしょうか。←最後のこの1行は一部の年寄りにだけ分かるフレーズかもしれません。よけいな1行かも。

 モネは働いていた森林組合に隣の診療所に来ていた医師の菅波と出会い、初めは菅波にいろいろ教えられていたモネ、菅波も地域医療や人の痛みの分かる医者になっていき、共に成長しあえる仲になっていくというようなストーリーでもある。
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渋沢栄一はフランスのサンシモン主義の流れ⇒合本主義←論語の影響も!!

2021-09-12 09:14:29 | 社会保険労務士
 渋沢の合本主義の公益性の重視はサンシモン主義がキリスト教の博愛を論じたことの共通性が感じられる!! 

 日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の原点は、徳川幕府の要請によって派遣されたパリ万博に他ならない。これは、最後の将軍であった徳川慶喜が次期の将軍と目した徳川昭武(民部公子)をパリ万博の使節団長としたのであるが、会計・経済に明るい渋沢をこれの金庫番として選んだものである。そして、パリ万博後も徳川昭武一行は欧米の文化を吸収させるため留学をさせていた。ところが、日本では徳川慶喜の政権返上(大政奉還)となり、明治政府の誕生により留学は2年間で打ち切りとなったものである。

 渋沢栄一はパリ派遣でフランスの経済学のサンシモンの流れをくむ「空想的」社会主義の思想を少なからず吸収したといってよい。サンシモン主義がフランスに与えた具体的な経済効果は、産業を強くすることと、そのために銀行、鉄道、株式会社を充実することの重要性を強調したことにある。1851年には3600㌔メートルにすぎなかった鉄道線路が、1876年には1万7900㌔メートルに拡充し鉄道網が整備され、これにより、原材料・製品の輸送を効率的に運搬することが可能となった。そして、鉄道は基幹産業である鉄工業を含めた重工業の発展をもたらした。もちろん、この発展のためには大きな資金が重要で銀行業の充実は欠かないし、そのためにはそれを実際に動かす株式会社の基盤は必須である。産業革命を最初に行ったイギリスに遅れをとったフランスであるが、19世紀の後半にはフランスの産業は飛躍的に発展したのである。このフランス滞在で、渋沢は徳川使節団の世話役のフリュリエラールなどに銀行業や金融全般を学び、フランスの発展の現実を直接に垣間見たのである。

 ではなぜサンシモン主義は、「空想的」社会主義なのか。経営者・管理者が経営能力の優れた発揮によって強い産業は発揮できるが、そのためにはそこで働く労働者の役割は同時に必要不可欠の存在である。労働者と経営者は対立するのではなく、労働者も同時に生活の改善を行い、その改善の努力は経営者も労働者も同じであると考えた。考えるに、経営者・労働者どちらもお金がいきわたって、国の経済は回っていくものであろう。そこで、労働者も経営者も国民みんなが、我一人、利益を享受するのではなく、キリスト教的博愛の精神に忠実であらねばならないとの思想に到達したのである。余談であるが、資本家によって搾取された労働者が革命という具体的手段によって社会主義の実現を図るという思想を考えたマルクス・エンゲルスは、このサンシモン主義を、社会主義に至る論理が欠如しているという理由で、自分たちの思想を科学的社会主義に対し、サンシモン主義を空想的社会主義と呼んだのである。

 渋沢栄一は、日本資本主義の父と呼ばれるが、創立・運営・顧問とさまざまな形でかかわった企業数は約500、社会事業は約600を数えるという意味では、そう呼ばれるのは当たっている。ただ彼は一度も資本主義と言うことばは使っていない。渋沢が理想とした経済システムは、「合本主義」ということばでした。利潤追求をその原動力とする資本家の精神が労働を生産手段として用いることが資本主義なのに対し、「公益を追及するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる考え方」であるというのです。資本主義と合本主義は、ともに資本、労働、市場を必要とすることには変わりがありませんが、資本主義は資本家の利潤追求に対し、合本主義は公益性を重視します。事業を行う場合に利潤追求は事業の原動力なのは欠かせませんが、その結果、同時に「国や社会が富むこと」「国民の幸福」が達成されなければ意味がないと考えたのです。ただひとり資本が中心となって事業を推進するのではなく、合本主義は「人(労働者も含む)、物、金、知恵」(これら4要素などをあわせて合本の「本」=資本と考えるようです。この中には労働者を含むも本=資本の中に入るようです。資本主義が資本=カネを中心として考えるのと違いがあるように思います。)をもって共同で事業を行い、その成果は皆で分配するという、今でいう労働者に対する労働分配率もちゃんと考えなければならないということだったようです。

 この背景には、明治にはいって欧米諸国に比べて国力が弱い日本は、いつ植民地化されても仕方がないというような状況にあったということも考えられます。日本国が国力で欧米に劣らず、強い国でしかも国民にすべての富がゆきわたるような社会が当然必要であったと考えられます。それゆえ、渋沢はフランスの発展に習い、同様に国を富ませることに奔走したのです。また、彼自身が子供のころから慣れ親しんだ論語の影響もあるといわれており、政治の根本は「自分を磨く」と同時に「人々の生活を安定させる」(修己安人)といったことであるという論語の影響もあるとされています。その意味では、渋沢は、あくまでも「日本の」資本主義の父なのです。

 現在の日本の会社法は欧米と同様に株式を持つ者の利益を図ることが基本となっていますが、日本に根付いたのは、渋沢の合本主義が今でも色濃く残っております。例えば、「従業員は家族」だというような考え方は、会社「法」の追及する株式主義とは違うような気がします。今でこそ、会社法ではSDGsなど社会貢献が叫ばれますが、一時期「株主至上主義」が叫ばれました。ここに法律と現実のギャップが見られ、渋沢に言う合本主義との両立(あるいは合本主義を基盤に)ができないものでしょうかと思う者です。

 なお、どこの国でも見られる資本主義初期の労働運動に反対する資本家の動きに、渋沢が当時あった法律における「労働運動禁止」の規定の撤廃を論じ、また、生涯にわたって、福祉事業に貢献したということは、彼の主張からすれば分かるような気がします。

 また、最後になりますが栄一の合本主義の公益追及はサンシモン主義の「キリストの博愛」との対比において、「論語」にそれを求めたという意味においても、興味深いものがあります。

 参考 論語と算盤(守屋淳著 NHK100分名著)
    渋谷栄一(橘木俊詔著) 
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新型コロナのワクチン接種しないようとの上司指示は無効?!(安全配慮義務・予防接種法違反)

2021-09-05 09:14:07 | 社会保険労務士
 従業員がコロナで死亡すれば安全配慮義務が問われるのでは!場合によっては損害賠償も!!

 新型コロナのワクチン接種について、会社によっては、ワクチンの副反応によって、業務が止まると困ることから、会社の上司が接種をしないように指示することがあるやに聞いています。大きな会社であれば、会社の体力があり少々の支障があっても、乗り越えることができますが、小さな会社であれば、シフト作成等の業務運用自体ができないこととなってしまいますので、そういうこともありなんと思ってしまいます。

 たしかにワクチンの副反応は、現役の若い人ほど強く発熱や腕の痛みにより、休まざるを得ないなど業務に支障が出ることは十分考えられます。

 しかし、会社は、「労働者がその生命、身体当の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」(労働契約法5条)となっており、ワクチンの効果として、コロナの発症や重症化を防ぐことがあるため、これを受けないよう指導することは、この安全配慮義務の違反になる可能性があります。この条項は「必要な配慮」とされており、配慮すればよいように受け取れられるかもしれませんが、あくまでも「必要な配慮の義務」であって、この規定は、「会社の」労働契約の締結に伴う労働者への重要な義務であります。

 ワクチン接種しないことの指示は、明日のシフト作成の交代人員が不足というような目先の利益にとらわれることであって、しかしそれは、その職場にクラスターが発生すれば元も子もありません。コロナの重症化や死亡を抑えるというワクチンの効果を考えれば、従業員がワクチン接種をすることは、その職場の労働者の生命、身体の安全の確保につながることになりますので、この安全配慮義務からいっても、会社は十分な責務を果たすことが必要となります。

 さて、新型コロナのワクチンj接種は、予防接種法上の予防接種であって、「接種を受けるよう努めるものとする」となっています。したがって、アレルギー反応のある方などを除けば、国が国民に協力を求め、国民はワクチン接種は努力義務となっているものです。

 この予防接種法の努力義務と会社の安全配慮義務を考慮すれば、ワクチン接種をするなという上司の指示は、会社の業務上の指示ではあっても、これは無効と言わざるを得ません。たとえ上司の指示であっても、無視すればいいことになります。ワクチン接種を受ける、受けないは、個人の自由ということになりますが、ただ予防接種法からいって、先ほどから申し上げているように、ワクチン接種は受けるよう努めなければなりません。

 では、従業員は上司の指示に従い不利益を被った場合に損害賠償できるのでしょうか。会社が接種を受けたら会社の命令違反だから就業規則に基づいて懲戒にしますという脅しに屈して、従業員が素直にそれに従い、コロナ感染して死亡した場合や後遺症が残った場合はどうでしょうか。会社の違法(違法を超えて「無効」です。)な命令によって、従業員の健康・生命が害されたことになり、十分損害賠償の対象になるでしょう。しかし、そこまでいかず、単に従業員に接種は控えるように「推奨」しただけでは、ワクチン接種は最終的には個人の権利・義務として考えるものであり、必ずしも損害賠償の範囲に考えることは困難であるというのが実情でしょう。

 いずれにしても、目の前の業務がひっ迫しているのはわかりますが、大きくとらえて、安全配慮義務にそった措置を取られるようお願いします。
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