元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

共感と信頼で読み解くNHK朝ドラ「ちむどんどん」=ちむどん店の繫盛は「矢作」に期待

2022-09-12 06:57:05 | 人間関係
 ただただ賢秀の真人間化に期待するが「ドラマの展開と登場人物の描き方」をもっとリアルに!!

 岸田内閣の基本姿勢は、「信頼」と「共感」である。確かにこの「共感」「信頼」が国民から得られている限り、支持率は上がるであろうが・・・。NHK朝ドラ「ちむどんどん」の分析もこの「共感」「信頼」のキーワードで解くことができそうだ。朝ドラ「ちむどんどん」は最終に近づいてきたが、どうも途中からの評判がよくない、ストーリーが破綻しているといわれる始末。確かに主人公の比嘉暢子にしても、父からは遺言どおりの「好きなように生きよ」のことばどおりに、ただ料理と食べることが好きなだけという生き方。東京に出て料理人を目指すが、フォンターナのオーナーには、従業員の立場で「料理」の喧嘩を売るわということで、少し世間の常識から外れた性格のようだ。物語終盤になって、目標であった「ちむどんどん」という沖縄料理店を開業するが、経営能力からみてどうかとか、経営者としての計画性のなさにはあきれるほど。それこそ、後半になって、時代背景もあろうが、比嘉賢秀が勤める養豚業や暢子の夫信彦の母が言う「牛飼い」がそんなにはずかしい職業なのかとの思いや食品ロスの問題について、もっと丁寧に取り扱えないのか。ことほどさように、いちいち取り上げないところであるが、また、あまり成長もしないような、主人公暢子の描き方についても実に粗雑で見ていられないのである。

 暢子は、フォンターナに多大な迷惑をかけ独立開業はしたがつぶれてしまった、フォンターナの元先輩であった矢作の腕を見込んでシェフとして雇う。最初は暢子に矢作は反発していた。ある日、暢子はやっと工面した開業資金の返済金を店のカウンターに置き忘れた。矢作が一人店にいたので、暢子のおさななじみ砂川智(野菜の仕入れを行っている)から真っ先に取ったと疑われるが、暢子一人が矢作はそんな人間ではないと言い張る。矢作がレジになおしておいたことが分かり皆はほっとするという結末である。そのとき、矢作は砂川智と酒を飲みかわしながら、暢子が「前科のある」自分を信じていたことがうれしくて、共同経営の話があったがこれを断って、暢子が船長である船を共に乗っていこうと誓ったと言った。

 ここでやっと作者の意図がわかってきた。「信頼」である。長男の賢秀も子供のころから、いいかげんな人間で大きなことを言っては騙される。そして、父親は賢秀が明らかに間違っていると思える場面でもお前を信じるといったのである。父亡き後も、何度も何度も騙されて詐欺まがいの商売を行うが、今度は母親からお金を無心するという設定。この家族はどうなっているのだろかと思うくらい何度の何度もだまされても母親はそれでも信じる。どうもここまでくると、一般のテレビをみている視聴者は、この人たちなんだろうと思ってしまうのであるが、それでも母は賢秀がしていることだからとどうにか金の工面をする。詐欺どころでなく悪の道にそまってしまった社長が運営するマルチ商法に引っかかったケースでは、暢子自身が店の開業資金に用意していた資金を長男賢秀が助かればいいと相手に手渡してしまう。物語自体がそこまでするというのかという、まことに納得がいかない物語の展開である。第一、借金ばかりしている返済については、どこで穴埋めしたのか分からないのだ。不思議なことに、長男賢秀は沖縄と東京などを飛び回っているのだけれどもこの金はどこから出たのだろう。このハチャメチャな物語の展開も、比嘉家の家族愛というか、これも、ただただ「信頼」するという一点では、スジが通っているように思う。結局、この物語のテーマは、「信頼」だったのだ。(ただひたすらこの盲目的な「家族愛」にも映るのも納得はしてはないのだが・・・)

 「共感」という見方については、視聴者が「共感できるか」という点に尽きる。この共感なくして、ストーリーは進められないし、ストーリーが破綻していると取られる原因のようだ。東洋新聞の同僚の大野愛と恋人だった青柳和彦、前述のおさななじみの砂川智と暢子の4角関係の結末。智が暢子に告白するシーンでも、幼いころからずっと好きだった智が告白しているにも関わらず、暢子はそれを幼いころからの「友情」だと断言してしまうのである。暢子は智の告白に向き合いもせずに済ましてしまう性格の悪さ(サバサバしているのか)、どうも、朝ドラファンとしては、こんなデリケートなところを納得できる形に出来なかったのかと思う。本当に物語の展開には「共感できない」のである。ストーリーが破綻しているといわれるも、こうふうに進行するだろうと期待するのだけれども見事に裏切られるという、実にこの納得感・「共感」できるところがないというのが、そう思わせるところであろう。

 やっと終盤になってきたが、「ちむどんどん」の店を立て直すのは、暢子が「信頼」した「矢作の存在」が大きいように思う。唯一シェフとして、また失敗したといえ元経営者として、今後、矢作の言動(ちょっとひねくれた物言いと態度)への「信頼」「共感」(経営面では物言いは別として、矢作の言動は的を得ているのではないかと思う。)が、ドラマ進行を立て直して、「ちむどんどん」という店を軌道にのせていくものと信じる。この信頼・共感がこのドラマのキーワードだったのだ。そして賢秀が猪野清恵とともに地道に養豚経営に乗り出し、智と比嘉歌子との仲がうまくいきますように祈ります。脱線部分もありあっち飛びこっち飛びのドラマ展開だが、少なくとも朝のドラマとして、ドラマ展開が視聴者の期待を裏切ることなく、そして暢子もちょっとは人間的に成長したと思わせるような終盤を迎えたいものです。主人公を演じる黒島結菜は、好きな女優さんですので、物語の中で嫌いにならないように、最後まで頑張って、ストーリーの中で少しは成長していただきたいのです。

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タモリのストレスに強い生き方<がむしゃらではなく一歩退き全体を見回せる>

2022-04-02 15:22:13 | 人間関係
 タモリさんの生き方は従来の仕事のやり方の逆をいくように思えるのだが・・・一理あるのでは・・・

  今では報道番組などでのキャスターをも務めるのだが、初めは動物の物まねなどをしていたタモリさん。いつでもひょうひょうと実に自然体。人生において、自由でしばられない、肩ひじ張らずに、しなやかに生きる技をもった人物。私にはそう見える。メンタルの病気とは無縁のようです。なにがそうさせるのか。

 自分自身に何の価値を見出していないような雰囲気がありますよね。芸能人っぽく自叙伝を書いてみたりとか、そういうこともないわけで、そういうことはどうでもいいわけ。それって、結構すごいですよね。(タモリを評して:山下洋輔)
 人間にとって一番恥ずかしいことは、立派になるということです。僕にダンディズムがあるとすれば、このへんですね。(タモリ)
 一度は好感度タレントに選ばれた時期が合って、オレは気にしていないようで、ついつい好かれるようにやっちゃってたんだよね。そんな自分が嫌だったな。(タモリ)

 「仕事の法則」からは全く逆のことを言っているのだが、それでも芸能界の大御所になれたのだ。
 (タモリさんにはこういう失礼な言い方ですみません。ここでは彼の努力の一貫は言わずに、今の精神的な病になる前にどうするかという点から考えているので、あえて、そのタモリさんの努力には触れていません。タモリさんの努力については2022ー3-26「タモリ流生き方の極意」を参照) 
 人間だれしも上昇欲求を持っているので努力して成長する。これをあえて拒否するのだ。要するに、無理をしないのだ。特に、精神的にまいっている人は、一度は真似してみるのもよいかと思う。

 ちゃんとした人、真面目な人は苦しいと思うよ、この業界は。反省と言っても、勝手に自分だけが悪いと思っている場合があるからね。そこでもう一回、その反省をもとにして、同じ状況に立って、こうすればよかったと思ったことを再びやったときに、それがその場にそぐうかそぐわないかは、また疑問だからね。そんなことのために反省してもしょうがないもんね。(タモリ)
 テレビで「映像文化」とか言われると困るねえ。必死でやっている人いるでしょ。気持ち悪くなってくる。全部なげてやるという意味ではなくて、ちゃんとやるんだけど、それで自分も楽しもう。遊ぼうという気持ちがあるでしょ。(タモリ)
 マルチ人間の秘訣を教えようか。すべてのものにたかをくくることだよ。(タモリ)

 私、確かに講師をやっていてもうまくいったと思っても意外に評価がよくないよいうこと(アンケート結果)がある。そうであれば、自分なりに反省しても意味がないのだ。そして、楽しもう、たかをくくろう。これは「たかが〇〇」といった一旦退いた考えで見てみようということであろう。

 「人間、お互い話せばわかる」なんてウソだから。話せば話すほど言葉にだまされて、ますますわかんなくなる。だから、「話せば、わかる」じゃなくて「離せば、わかる」だよ。本当に。(タモリ)

 タモリさんは誰とでも気軽に話しているように思う。「笑っていいとも」のゲストとの話を聞いているとそう思える。しかし、そのタモリさんでも、こういう考えで人と接しているのだと聞いて心が軽くなった。内藤誼人氏は、苦手な人から「今度、飲みましょう」と誘われたら、「いいですねえ、ただ、ここ3か月くらいは忙しくて動けないんですよ。秋以降になったら、ぜひまたお声をかけてください」とうまく逃げるという。
 
 仕事をするにその人に成長してもらわなければならない場合には、全くタモリさんとは反対の考えで仕事をしていかねばならない(というか先輩からそう教えられただろう。) それだからこそ、ストレスがかかるのだ。しかし、ストレスによって病気になっては元も子もない。
 しかし、タモリさんの考え方にも、よく考えると一理ある。がむしゃらに一心に突き進むのではなく、タモリさんのように一歩下がって全体を見回すような考え方も必要ではないかとも思うのである。 

 ※タモリさんの言葉さらには山下洋輔の言葉は、著書 タモリさんに学ぶ「人生後半」に生きるコツ からの引用
     タモリさんに学ぶ「人生後半」に生きるコツ 内藤誼人者 廣済堂出版   
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仕事は親子同様等依存ではなく共生。子供の頃愛情に満たされる必要性⇒なつぞら(114回)

2019-08-12 11:33:32 | 人間関係
「じいちゃん子」として育ったなつ=共に精神的成長(NHK朝ドラ・なつぞら)

 主人公なつ(広瀬すず)は、戦災孤児であったが、父の戦友の柴田剛男(藤木直人)の家に引き取られ、北海道の大自然の下でのびのびと育てられる。祖父とは、祖父(柴田泰樹・草刈正雄)が中心となって経営している「乳牛」の関係を通じて、いわゆる「じいちゃん子」として育つことになる。北海道開拓者であった祖父は、それゆえ頑固なところを持っていたが、なつの深い「思い」を感じながら、農協等みんなで協同で行うような寛容さを持つようになっていく。
 そのなつは、東京に出てアニメーターとして一人前になるが、その時演出助手をしていた坂場一久(中川大志)と知り合い、結婚することになる。

 なつ    じいちゃん、お世話になりました。
 じいちゃん ありがとうな
 なつ    ありがとうはおかしいでべさ。育ててくれたじいちゃんが・・
 じいちゃん わしもお前に育ててもろた。たくさんたくさん、オマエにもろた。
       ありがとう。ありがとう、なつ。 

 この場合はじいちゃんとの関係であるが、親子関係においても、同様に親が育てるばかりではなく、特に精神的には、子供が親を育てることだってある。その中で、親子共々成長していくものであろう。
 これを職場の上司との関係で言うと、小手先の技術的なものについては、上司の方が上回っているかも知れないが、アプローチ方法や精神的な考え方等において、お互いの「共生」関係の中で仕事を進めていくものであろう。
 そんな関係でないと、現在、よく言われているパワハラ、セクハラの類は起こり得ることになるのではないか。
 
 子供は精神的には一人の独立したものとして育たないといけない。親子がいびつな依存関係にあると、大人になっても、その依存関係から抜け切れず、社会に出ても、うまく適応できなくなり、職場でも依存した上下関係になる例があると思われる。下が依存関係になるだけでなく上もそうだが、逆にパワハラだって起こり得る。さらに、「劣等感」は、親子のいびつな依存関係の中で、主に植えつけられると言われる。それだけ、親子関係等は重要なのだ。

 また、誰からもよく思われたいというのは、それだけ愛に飢えており、それは小さいころ愛情欲求が満たされていなかったということであるという。子供の頃愛情と承認の欲求が十分満たされていれば、他人にどう思われているかは、それほど重要なことではないと思われるからだ。さらに、いつも他人から責められていると感じるのも、子供の頃「甘える」のを抑圧した結果それが他人に「投影」され、他人が責めてもいないのに、そう感じるという。(自分に気づく心理学 *1) よい親子等の関係であれば、社会に出ても職場のよい人間関係を築けていけるのだ。*1 

 *1 よい親子関係でなかったという人は、それに気づくことが必要であるが、まずそれに気づいていない例が多いという。そのため、自分の何が満たされなかったかということに気付ければそれで十分であるという。(参考 自分に気づく心理学 加藤諦三)
 



 
 

 

 
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