元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・スカーレット「喜美子の好きな仕事」と父の「生活のためやらざるを得ない仕事」と差の興味深さ

2019-12-27 10:10:34 | 社会保険労務士
好きな仕事に打ち込んだ結果がだれも出来なかった信楽自然釉を再現!!神山清子  
 
 NHK朝ドラの「スカーレット」とは、緋色(ひいろ)のことで、焼き物が生み出す独特の赤や炎の色とされているとのこと。主人公の喜美子(戸田恵理香)が尊敬する絵付けの先生「深先生」=日本画家の大家(イッセー尾形)は、時代の趨勢で火鉢の生産が減少し火鉢の絵付けの仕事がなくなる傾向にあることを見越した上で、また先代社長も亡くなったことから、丸熊陶業を自ら退職することを決意した。さらに、先輩の弟子たちも新たな再出発(絵付けの塾の先生)となったので、狭い信楽の町では、深先生は首になったとのうわさがたった。

 喜美子の絵付けの仕事もなくなるのではと心配した父(北村一輝)母(富田靖子)は、ちゃぶ台をひっくり返す例の家族会議を開くが、喜美子はそんな噂のようなことはない、やっとつかんだ好きで入った絵付けの仕事もなくならないし、深先生は今後もまだまだやる気で佐賀の方で、若手の先生に新進の絵付けを習いに弟子入りするということで「すごい人」なんだという。

 喜美子のその態度は、深先生への尊敬と絵付けの仕事への熱意を示しており、絵付けの仕事が、好きですきでたまらないようであった。 
 そんな喜美子の絵付けに対する態度に対し、父は、自分は火鉢の運搬をしており、夏は汗をかきかき手拭き(タオル)でその止まらない汗を拭きふきしながら、やりたくもない仕事をしているという。仕事とは生活のため苦労せざるを得ないということ。お前みたいな、仕事が好きなやつは出て行ってくれと言って、親子げんかになる。

 このころ、喜美子はまだやっと絵付けの仕事が一人前に認められた程度で、しかしまだ半人前の給料しかもらっていない。そのあと、前述のとおり深先生と先輩の弟子たちもやめ、喜美子一人でできるほどの生産量になったので、喜美子の社長との直談判により、絵付けの仕事を続けて給料を上げてもらい、妹の高校進学ができるようになったのである。(喜美子は家庭の経済状況と女は勉強しなくていいという父の偏った考えから高校へは行けなかったのである。)

 脚色を加えているのでモデルとも言えませんが、このモデルとなった神山清子さんは、釉薬をかけずに、さまざまに発色をする信楽自然釉を再現させた人である。彼女は初めは朝ドラの主人公のように、当時女性が焼き物の道に進むことは穢れるとのことで女性のその道は難しかった時代に、好きな道の絵付けから入り、そしてその後興味がわいた陶芸に足を踏み入れ、単に好きな仕事を追いかけていった結果そうなったということのようだ。一方、朝ドラに描かれた父の言うように、戦後の混乱期においては(私は1950年生まれであるが、1950年ごろは神山さんはすでに当時中学生である。1950年ごろは混乱期を抜けて戦後の復興に向けてひた走りの時代である。そんな時代の話である。)食うのがやっとの時代で、父からすれば、本当に甘えた考えに映ったのではないか。

 しかし、戦後の復興期の中で、そんな中だからこそともいえるが、女性の差別をものともせず、自分の好きな道を進んできたのは頭が下がる。仕事は楽しんでやれというが、なかなか現実はそうはいかない。神山さんの生き方にそのヒントが隠されていると思う。好きなことに一身を傾け、それが実は仕事を楽しんできたということではないか。彼女の半生そのものは決して恵まれた境遇とは言えない。子供の頃は貧乏のどん底、そして差別、夫とは離婚し子供(娘と息子)の協力でやっとの思いで自然釉を完成させたのであるが、ただ好きな道を楽しんでやってきただけだと思う。戦後とは違い、今は好きなことができる時代でもある。
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