元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ「虎に翼」 寅子の衝撃~幸福追求など個人の尊重や性別ゆえに差別されずという法の平等(憲法の公布)

2024-06-09 13:17:15 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 自分だけでない他人の魂もこの世に生がある間はお互い自由に生きる・生きさせること=この世に生きる我々の使命!!

 昭和21年11月3日に日本国憲法が公布された。その記事が掲載された新聞を見ながら寅子は、河原で人知れず涙を浮かべていた。そして、家族会議を開き、これからは女性でも平等であって差別されない自由な世の中になるんだと告げる。戦中の動乱や挫折などから、いったん法曹界からドロップアウトした寅子。戦前は女性ゆえに弁護士しかなれなかった寅子であったが、戦後女性にも開かれた裁判官の道に進むことにしたのである。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

<第13条> すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

<第14条> すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 この朝ドラ「寅に翼」の主人公である寅子のモデルである三淵嘉子氏は、この日本国憲法を見たときに、男女で今まで同じ司法試験に受かっても、弁護士しかなれなかった女性が裁判官への道が開けたんだというという喜びを隠すことが出来なかったと本人が述べている。※※※ 第14条の性別等の差別を謳った法の下の平等 第13条の寅子が家族会議で各人に聞いた幸福追求等の個人としての尊重 そして11条の国民に保障するとした基本的人権 昭和からの時代を過ごしてきた私たちの世代、平成からの時代を生きてきた世代や今の令和の時代を生きている世代 どの世代の人々もこの日本憲法の基本的人権を基本とする第11条から第14条までのこの条文をもう一度読み返してみませんか。朝ドラの中で河原で涙を流した寅子のように、私、高齢者になった今だからこそ、本当に胸にくるものがあります。

 この基本的人権たるものは、学校で習っている間は、あまり分かっていなくて、社会に出てから物事を経験して、初めて分かる、私の場合はそうだった。世界人権宣言で言う「生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利において平等」の概念も、またしかりで、生まれながらにして平等ってなんだろうと学生の頃は疑問であった。具体的に自分のものとして考えられなかったのだ。白状すれば、本当に遅いのだが、高齢者になって初めて、この生まれながらにしての概念がやっと分かりかけた気がするのだ。誤解されるかもしれないので言っておくが、頭の中では分かっていたつもりではいたのだが、本当に自分のものとして考えていたかは疑問であるということなのである。

 人間の歴史をさかのぼってみれば、奴隷制の中で虐げられた人、そして身分制のあった時代の人々 現代においても身分制がなくなったといっても、いまだに差別される側に立つ人々がいることだろう。「神との対話」における神は、そんな時代における差別に対しては、神は善悪の判断をしないという、それゆえ差別する人間に処罰もしないという。ただ、時代の移り変わりの中で、「良く」なっていっているのは、事実だろう。それは、この世で死んだら、魂は神のもとに往き神に「包含」されるものであるので、差別の概念として、人間の私が考える事は、神も同様に考え至るところであるという。そして、どうも神の「時間」感覚は、私たち人間の時間と違って、一(いち)時代が一瞬のうちに過ぎていくようなのだ。だから、私たち人間からすれば、現象面からすれば、歴史的には少しずつ、本当に少しずつ差別もなくなっていくのだろう。

 さて、戦後の日本に生まれ、日本国憲法の中で育ってきた。せっかく憲法のなかで差別禁止を謳い、基本的人権を守ることをここに宣言したのだから、もう一度、その意義を考えてみよう。「憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」(憲法11条)としている。人間が人間として生まれた以上、侵すことができないのが、この基本的人権なのだ。今は奴隷制や身分制度のある時代ではない。今の時代に、人間として生まれたということは、この時代では自由に生きれるということ(=権利)なのだ。もっというならば、自分という「魂」を自由に生きさせるということ それは、他人に干渉して他人の自由の道を閉ざすことをしてはならない=他人の「魂」にも自由に生きさせるということにもなる。 そして、その各人の寿命がつきるまで、その人の人生を、自由に生きながらえさせることなのだ この世に生を受け寿命により死亡するまで、自由に生きることができる世界を実現することが、現実に生きる私たちに与えられた課題なのだ。その人なりに困難な人生の中で、お互いに、その人に沿った人生を精いっぱい生き切るように出来るような世の中になればいい。 

 今以上に、戦後間もない時期を生きる寅子にとって、女性としての「裁判官」へ至る現実は、まだまだ厳しいものがあった。

 「自分を取り巻く環境は、今までと何ら変わらない。でも憲法がある。好きで戻ってきた以上、私が私でいるために、やれるだけ努力してみるか」・・・・と思い直す寅子 (6月7日放送)

 ※※※ 三淵氏は女子部卒業での最初の裁判官であって、男女共に卒業した第1号の裁判官及び検察官は別途おり、三淵氏は2番目に当たる。

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「アキラとあきら」の「運」=選択結果として出来事は変えらず⇒受止め方を変えること<神との対話>

2024-05-21 16:21:59 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 人生は情報を駆使しても最後に動かせない「運」がある?!<神との対話・生きがいの創造・斎藤一人から>

 池井戸潤原作の小説をドラマ化した「アキラとあきら」。大手海運会社東海郵船の創業家の長男である階堂彬(あきら)は一家を背負う期待を一身に受けながら育ち、一方の山崎あきら(「あきら」は「王」編に「英」と漢字で書く)は、倒産した零細企業の元社長の息子として全く違う生まれと育ち方をするが、彼らはメガバンクの産業中央銀行の実務を想定した初任者研修で出会い、そこで伝説ともいえる成績を残した両名である。そして、日々の銀行業務の中で苦労しながらも業績を上げていく2人。銀行の本命ともいえるのは、融資相手の会社の将来性を見抜くことに尽きるのだが、その中でどうしてもその会社の資産や経営能力だけでない、どうしようもないところのもの「運」を取りあげている。彼の作品は、実社会の中で「情報」を十分に見極めていくタイプのものが多いが、それをもってしても動かせないものを、彼はそれを「運」と言っているようなのだ。それもこのドラマでは、よく出てくる言葉なのだ。池井戸氏が実際の世界において、努力だけでない運が作用することを見てきたからなのだろう。

 この「運がいい」とか「運が悪い」とかいうが、この「運」って何だろう。「神との対話」(Nウォルッシュ著、主にp69~)における神は言う。あなた方からすれば、出来事等としての「結果」はあなた方が意識的に選んだわけではないと思っているかもしれないが、すべてあなた方の意識の選択の結果として起こっているという。しかし、世界には、どう考えてもあなた方が引き起こしたと言えない事案も起こっているが、これは、人々の意識の総体・集合体(=集合意識)として創造されるものなのだ。あなた方は、集団として、また個人として、魂の発達という目的に向かって、自分たちの人生と時を創造しているのだ。

 ここで自分が「悪い」と思える結果(出来事)も、しかりである。あなた方が 間違っているのは、そのことを選んだことではなくて、それを「悪」と呼ぶことであるという。運が悪いとはこのことであろう。そこで、その出来事から生じる苦痛を減らすことは出来るのか。出来事やそれからもたらされるあなたの経験は、どうあがいても結果は同じであり、結果そのものは変えられない。これらから感じる苦痛を減らすには、結果としての出来事の「受け止め方」を変えるしかない、内的な「経験」を変えるしかないという。これが生きることの王道であるとする。

 「完全版生きがいの創造」(飯田史彦著、主にp377~p666~)では次のように言う。常識的に分かるのは、人生において「常に、より愛のある、創造的な選択をしていくこと」こそが、最も理想的な選択肢を選ぶ続ける鉄則であろうと説いている。そして、選択の結果、自分の思ったような展開ではなくても、「あせらないで、起きたことを受け入れること」が人生を順調に生きていくうえで、必要なテクニックであるというのだ。実は、事故、病気、又は挫折等(運がないと思えるようなこと)であっても、それは自分を成長させる修業課題としての順調な試練であって、あらゆる出来事や人間関係に深い意味付けをそれに感じて、それを乗り越えていくことが自分(の魂)を成長させることにつながるのだという。しかも、その時々のその人の成長に応じて、試練が生じるため、乗り越えられない壁はないのだともいう。

 齋藤一人氏(ツキを呼ぶセラピーp96・97)は、根本的にはその意味は同じであろうが、以上述べたことを簡単に分かりやすいく日常生活に沿った形で述べている。「どんなに実力をつけても、努力しても、運に勝つことはできません。運は天が与えてくれるものだから。天とケンカしても、人は天に勝つことはできないでしょ。」 そして、「人間だれでも平等に今日から明日へとは運ばれているのですから、運がないというのは違います。運ばれているということ自体、運があるんですから。ただ、運に勢いをつけることができるか、できないだけ。運がないと嘆く前に、人の倍ぐらい働いてごらん。いま、やっている勉強でも仕事でも、これまでよりスピードをアップしてみるの。・・・難しいことを考えないで、自分がすぐできることから始めてみればいいんです。」と言う。

   注意:「ツキを呼ぶセラピー」(斎藤一人著)は、そのまま引用している。「神との対話1」(Nウォルッシュ著)、「完全版生きがいの創造」(飯田史彦著)においては、私なりの解釈で要約しているため、原文とは違っているかもしれないので悪しからず。(「神との対話」においては、日本語訳が分かりにくいのはわたしだけであろうか?)

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私にとってのchatGPTは最高の英語教師(=英語圏の標準的な教師)⇒英語の勉強には必須の友

2024-03-15 13:42:07 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 日本人にはない会話の微妙な違い・語源・言葉の意味・現在形/未来形の日本人との意識の違いなどが分かる

 英語の勉強において、私にとってchatGPTは欠かせないものになっています。外国人が身近にいない私の環境においては、ちょっとした疑問点が出てきた場合に、今までの「検索」システムでは、ことばの検索しかできなかったので、的確な答えが返ってこなかったのであるが、今度は文章そのもので疑問をぶっつけられるようになったからです。

   さらには、言葉の投げ返しが可能なので、もっと具体的にここらが聞きたいとか、疑問点の聞き方が的確でなかった場合などがあるときには、chatGPTの答え方に応じて、さらに追加して質問をすることができます。まったく人間同士の会話のように、前の質問の受け答えに応じて、chatGPTはさらに答えてくれます。ですので、さらに議論を深めていけます。

 言うならば、標準的な英語圏の教師がいるようなものです。正確には、ChatGPTは、イギリス人やアメリカ人といったような特定の国の人ではなく、世界中の様々なソースから学習したデータを基にした言語モデルのため、英語を話す人の総体というべきです。ですので、優秀な標準的な英語圏の教師がそこにいると考えて、英語に関する疑問を、特に私にとっては、具体的に基礎英語を勉強する際に疑問に感じたものについて、なんでも聞くことができるのです。日本人にはない会話の微妙な違い、 歴史的な言葉の変遷(語源)、言葉そのものの日本語との意味の違い、現在形・未来形の日本人との意識の違いなど思った疑問について、聞くことができるようです。

 chatGPTはよく嘘をつくと言われますが、こと英語に限っては、質問内容によりますが、また自分が嘘を見抜けないところもあるのでしょうは、そこは英語という言語の世界ですので、自分なりに納得できる答えが得られれば十分と考えます。

 ただし、あくまでも英語圏の人の教師です。むしろ日本人的な発想はありませんので、日本人向きの答えは返ってこないところはあります。例えば、「be able toとcanの違いについて例文を交えて教えて」とすると、その微妙な違いに的確に答えてくれますが、日本での文法にあるような「canの未来形はwill be able toであること」までは言及しません。

   以下はchatGPTに質問した具体的な疑問点です。その答えとしては、順次、以下に続くQ&Aをご覧ください。               

Q1 How bad can it be?(そこまでひどくはないでしょう?)のcanは必要なの。How bad is it ?との違いは?       

Q2   I am rooting for youには、「応援する」との意味があるようですが、rootには根ずくしか頭になかったのですが、語源的には、どうなっているのでしょうか?                                         

Q3  cleverは賢い・利口だとの意味もあるが、ずるがしこいとの意味もあると聞きました。使い分けはどのようにしてるんでしょうか。利用例があれば、教えて。                                          

Q4 「corned」(塩漬け)と「corn」(トウモロコシ)は、つづりは似ているけど、語源的に関連あるの           

Q5 文章の中で「there is (there are)」が未来形として使われるのがあるように思うのですが・・・             

Q6 自分の友達は、一般的には a friend of mine と表現し、 my friendは特定の友人をさすのでしょうか。その区別を教えてください。                                                      

Q7 meetingとconferenceの区別は?

 

<chatGPTとの具体的な応答>

Q1 How bad can it be?(そこまでひどくはないでしょう?)のcanは必要なの。How bad is it ?との違いは?  

A1 「How bad can it be?」と「How bad is it?」の違いは、次のようになります。①「How bad can it be?」は、状況や事態がどの程度悪いか、その悪さの可能性を問いかける表現です。つまり、「これほど悪くなる可能性はあるのか」という意味です。②一方、「How bad is it?」は、既に悪い状況や事態について、その実際の悪さを尋ねる表現です。つまり、「これがどの程度悪いか」という意味です。つまり、前者は悪さの可能性を尋ねるのに対し、後者は既に悪い状況の具体的な悪さを尋ねる点が違います。     

 Q2  I am rooting for youには、「応援する」との意味があるようですが、rootには根ずくしか頭になかったのですが、語源的には、どうなっているのでしょうか? 

A2  「I am rooting for you」というフレーズは、「応援する」「あなたを応援しています」という意味で使われます。この表現の語源は、"root"(根を張る、根をつける)から派生していますが、元々の意味とは少し異なります。この表現は、もともとアメリカ英語で使われていました。"Root"は、植物が地面に根を張りつつ成長する様子を表現しています。そのため、人々が誰かを「応援する」ときに、その人の成功や成長を支持し、彼らの道を開拓するようなイメージが込められています。つまり、"rooting for you"は、あなたが成長し成功することを願い、それを支持する、という意味を持っています。

Q3  cleverは賢い・利口だとの意味もあるが、ずるがしこいとの意味もあると聞きました。使い分けはどのようにしてるんでしょうか。利用例があれば、教えて。 

A3  「clever」は indeed「賢い」や「利口な」という意味だけでなく、「ずる賢い」や「策略に長けた」というニュアンスも持っています。使い分けは文脈によって異なりますが、一般的には次のようなケースが考えられます。              ①賢い・利口な場合:普通の知恵や理解力を指します。 例: "She's a clever student. She always grasps new concepts quickly." (彼女は賢い学生だ。新しい概念をいつもすぐに理解する。) ②ずる賢い・策略に長けた場合:通常は肯定的ではない状況で使われ、やや悪賢いイメージを持ちます。例: "He's clever enough to find loopholes in the system." (彼はシステムの抜け道を見つけるほどずる賢い。) ③ ずるい・悪賢いとき:「clever」が否定的な意味で使われることもあります。例: "It was clever of him to cheat, but it wasn't ethical." (彼が不正をするのはずるいことだったが、倫理的には間違っていた。)  すなわち、文脈によっては、同じ単語でも異なる意味を持つことがあるので、注意が必要です。 

Q4 「corned」(塩漬け)と「corn」(トウモロコシ)は、つづりは似ているけど、語源的に関連あるの 

A4 「corned」と「corn」は、語源的には関連していますが、異なる意味を持っています。①「corned」は通常、「塩漬けにされた」という意味で使用されます。例えば、「corned beef(塩漬け牛肉)」や「corned fish(塩漬け魚)」のように使われます。この「corned」は、英語の「corn(穀物)」から派生した言葉ではなく、元々はラテン語の「cornus」(角)に由来します。これは、元々肉を保存するために塩漬けにする際に、塩漬けされた肉の表面が角張って見えることに由来します。一方、「corn」は英語で「トウモロコシ」を意味します。この言葉は、古英語の「corn」から派生し、元々は「小さな粒」という意味でした。その後、北アメリカでトウモロコシが主食として広く栽培されるようになったことから、「corn」はトウモロコシを指す一般的な用語として使用されるようになりました。したがって、語源的には「corned」と「corn」は共通のルーツを持ちますが、それぞれ異なる意味を持つようになりました。 

Q5 文章の中で「there is (there are)」が未来形として使われるのがあるように思うのですが・・・

Q5   はい、一般的には「there is (there are)」を未来の事柄を述べる際には、未来形(willやgoing toなど)を使いますが、現在形を使っても文脈によっては適切な場合があります。例えば、未来の予定や計画が確定しており、それがまるで現在のように確実なものとして語られる場合には、現在形を使うことがあります。以下に例を示します。・There is a concert at the park next Saturday. (来週の土曜日に公園でコンサートがあります。) この例では、来週の土曜日にコンサートが開催されることが確定しているため、現在形が使われています。

Q6 自分の友達は、一般的には a friend of mine と表現し、 my friendは特定の友人をさすのでしょうか。その区別を教えてください。 

A6  はい、その通りです。英語では、"a friend of mine" は一般的な友人を指す表現であり、特定の友人を指す際には "my friend" を使います。"a friend of mine" は、友人という一般的な概念を示すのに使われます。一方、"my friend" は、特定の友人を指し示します。例えば、次のような違いがあります。①"A friend of mine invited me to a party." (友人の一人がパーティーに招待してくれた)"My friend John invited me to a party." (友人のジョンがパーティーに招待してくれた)  最初の文では、誰が招待してくれたかが特定されていないので、「友人の一人」と表現されています。一方、2番目の文では、誰が招待してくれたかが特定されているので、「友人のジョン」と具体的に指定されています。 

Q7 meetingとconferenceの区別は? 

A7 "Meeting"(会議)と"conference"(会議、大会)は、一般的には似たような意味を持ちますが、微妙な違いがあります。①Meeting (会議): 一般的には少人数から中規模のグループが集まって、特定の目的や議題について議論し合う場を指します。 通常は内部的な集まりであり、同じ組織や部門のメンバーが参加します。 例えば、企業内の部署間の定例会議や、チームの週次会議がこれに該当します。②Conference (会議、大会): より大規模なイベントや集まりを指し、一般的には専門家や関係者が集まって情報を共有し、議論を行います。通常、外部からの複数の参加者が関与します。業界会議や学術会議がこれに該当します。大抵はプログラムやスケジュールが事前に定められ、複数のセッションやトラックがあることが一般的です。要するに、"meeting"は通常は内部の小規模な集まりを指し、"conference"はより大規模で多様な関係者が集まる場合を指します。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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英単語の覚え方①語源②語呂合わせから<中学英語辞書の単語はカタカナ表記になっているものが大半>=高齢者の勉強

2024-02-09 14:29:16 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 スマホから検索すると本当にうまくできた英単語の語呂合わせが見つかる!!

 後期高齢者に近い私が英語の勉強を始めた。それも文章に書いてあるものではなくて、主に英会話である。なぜ始めたかは、一つはボケ防止である。もう一つは、彼らの普通の日常の会話が、翻訳もなしに聞けたらおもしろいかなと単純に感じただけのことである。実は、中学・高校と英語は優秀と自覚していた自分自身であったが、大学に行くと比べにならないくらいの優秀な人々に出会い、鼻をへし折られ断念したのであるが・・・。

 そこでNHKの基礎英語レベル1・2を聞くようになったのである。これで少なくとも中学レベルの英文法の「思い出し」には役立つだろう。さて、そこで、分からない単語が出てきたらどうするか。何年か前にNHKの朝の番組で(多分「あさイチ」か)、「大人のための英語学習辞典」を紹介していた(*注)ので、これはいいと思わず買ったのだが、これがまた高齢者が、再度勉強するに調度いいのである。これは、プログレッシブ中学英和・和英辞典という中学生用に作られた辞書であるが、辞書の構成はそのままに、若干大人用の見出しや用例の差し替え等を行ったもののようである。我々高齢者にとっても、字が大きい、ところどころに絵・図や写真、そして言葉の使い方の解説があり、使い勝手がよく、日常で使うような例文(難しいものは見当たらず)もある。

 さて、その元々中学用のこの辞書の使い方である。ここ2・3年は、基礎英語を聞く際に分からない単語が出てきたときに、引く程度だったのだが、ここに来て、これをA、B、C・・・L、M、N・・・すなわち「アルファベット」ごとに頭から読んでいくことに挑戦する気が起きた。例えばHについては、そのHの単語を頭から最終的には覚えることを目的として、例文を交えて「読んでいく」ことにしたのである。英語の勉強を断念した高齢者が、そんな再勉強するのには無理なことのようだが、実はそうではない。ほとんどの英語の単語が日本語のカタカナ表記で日本語になっているのが多いのだ。例えば「大人のための英語学習辞典」p316を見ているが、インスピレーション(霊感・ひらめき) インスタント(即席)、インステチュート(学会・専門学校) インストラクター(指導者) インストルメント(楽器・機械) インシュアランス(保険) とその関連語(例えば動詞⇒名詞など)で約8割を占めている。そこで英語の訳語と発音を整理すればいいことになる。確かに、日本語になる際にちょっと違ったニューアンスになっていたり、発音が全く違っていたりするなどはあるが、そこを覚え直すことは必要である。

 そう考えると、1ページに数か所の単語が全く新しいものがあるだけとなる。その単語のいくつかを覚えればいいことになる。昔なら匙を投げていたところであろう。しかし、今は、スマホという現代の発明がある。試しにこの辞書のp162を見てみよう。私にとっては、de-cline と de-crease が耳新しい単語である。スマホにこれらの単語を入れた後に、「語源」を付け加えて、検索するのである。すなわち、「decline 語源」として検索をかける。するといくつかの解説が出てくるが、そのいくつかを見てみると主な解説としては、de-下に cline-傾ける とあるので、これによって訳語が「衰える」「低下する」というようになる。decreaseの場合は、deー離れて(逆に意味になるの接頭辞)creaseー増やす で「減少する」「下落する」となる。

 また、同じ「大人のための英語学習辞典」のp162には、人が穴を深く掘っている場合と浅い穴を掘っている場合を図解して、深いのはdeepであるが、浅いのはshallowとなっている。deepは分かる方が多いと思われるが、shallowはどう覚えるかである。例えば物の名前などの分解できない単語のような、こんなときは「語源」に求めるよりも、いわゆる「語呂合わせ」を利用するといい。スマホの入れ方は「shallow 覚え方」で検索すればいい。これにも、いくつかの覚え方が出てくるのであるが、これには自分に合った、自分の覚えやすい覚え方をもってくればいい。私の場合は、元社労士なので、次の覚え方が気に入った。「社労(シャロウ)士は浅い人間関係でも深い洞察が求められる」のような語呂合わせを紹介している。(HatenaBlog 語呂合わせイメージで覚える大学入試必修英単語3000 その424) この語呂合わせは、社労士の神髄を言っているような、うまい語呂合わせである。このように、覚え方の先駆者たちが考えた語呂合わせから自分にあったものを見つけてくればよいのだ。

 本当に、今は、スマホから先駆者たちが苦労して作った語呂合わせを、いかんなく使うことができる。著作権の問題がいわれるかもしれないが、自分の中で私的に使っている限り、どうもこうもいわれることはないだろう。それにしても、うまいのはなかなかのものもあり、昔は学生時代に覚えた数の単語以上には、覚えるのはむりだといわれた時代があったが、今は本当にいい時代(スマホの活用)になり、かなり多くの単語を覚えられるような感じがする。

(*注)NHKであるとすれば、「大人のための英語学習辞典」のように宣伝的には紹介できないので、NHKだったのか分からなくなってしまっているが・・・。

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「三屋清左衛門残日録」会社組織に例え、北大路欣也の剣さばきも見られる!!

2024-01-03 13:29:12 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 リタイアした今ではこの「三屋清左衛門残日録」は身につまされる=「運と云うのも分かる気」

 時代劇「三屋清左衛門残日録」シリーズ(主演北大路欣也)*1は、昔、仕事の現役時代に見ており、その時はいわゆる「チャンバラ映画」として見ていたので、もう一つ生ぬるく感じられていた。しかし、リタイアした今になってみると、原作者が意図的であろうが、今の「会社組織」に例えられるところがあって、非常に興味深い。東北の小藩で前藩主の用人を務めた三屋は、今は隠居の身である。現役時代は、難しい藩の経営のかじをうまく取っていたことから、現藩主からも覚えがめでたく藩からも頼りにされ、それゆえに三屋を疎ましく思う朝田家老を中心とした藩を2分する派閥争いに知らず知らずのうちに巻き込まれていく。(2013年年末に再放送された。)

 三屋は思う。『わしは幸せ者。やさしい嫁がいて、孫も抱かせてくれた。当たり前のように、長年「お勤め」させていただいたお陰。』                                             

 三屋とは唯一の親友の町奉行佐伯(伊東四朗)のことば。『おれたちもあのように「しくじり」をし禄を減らされたかもしれん。それがなかったのは、単なる「運」がよかっただけかもしれない。』

 私は、これらの言葉がリタイアした今になって、実に胸に来るものがある。退職する先輩が「みんなのおかげで大過なく過ごさせていただいた」と言うのを、若いころは、半ば使い古されたつまらない言葉のように感じていた私であるが、今はそれこそが大事なのだと認識している。大過なくすごせたのは、本当に「運」というのがあるのかもしれない。

 完結編では、旧友の没落した金井奥乃助との再会。彼は別の派閥に属していたのである。自らの不遇を嘆く彼はある日、三屋を釣りに誘い、何を思ったか不意に三屋を突き落としかけたが、三屋が身をかわしたので金井自らが落ちしまう。逆に三屋に助けられた金井は、2人で焚火に当たり近くで食べ物を見繕ってくるという三屋に「自分の境遇に比べ、やろうと思ってしたのではなく魔が差したのだ。この礼は言いたくない」といい、このまま立ち去ってくれというのである。

 自分も若気の至りで「白を黒」と言えという上司に「正義」からかそんなことは言えないという自分がいた。そのためだけだとは考えたくもないが、昇進のルートから外されたように思う。まさか、金井のように、突き落とそうとは考えないが、今でもその上司に遭ったとしても、挨拶もしたくない。金井の気持ちがよく分かるのである。

 三屋清左衛門残日録シリーズは、派閥争いの朝田家老の悔しがる姿も面白いが、この藩で生きる人の生きざまを見られるのも、まさに会社組織に仕える者の悲哀を感じさせられて、実には興味深い。

 なお、三屋清左衛門の息子の心優しい妻を演じるのは「優香」さんで、笑顔がすてきで、実にぴったりの役柄。

*1 原作は藤沢周平氏による小説

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