河野大臣は「能力のある国家公務員にはきちんと時間外を払い良い仕事をしてもらう」(「霞が関の崩壊始まる」)というごく普通の感覚での発言!!
河野太郎大臣はデジタル庁大臣が知られているが国家公務員制度担当大臣というものも併せ持っている。この国家公務員制度については、労働基本権の労働者の権利としての「団結権」「団体交渉権」「団体行動権」につき、この公務員については制限されているが、これをどうするかについての議論が昔から問題になっている。それはさておき、驚いたのは、その基本的な労働条件がなおざりにされているという実態である。河野太郎大臣は、担当大臣として一般的な普通の感覚の持ち主であるからこそ、大臣就任後、初めてその実態を明らかにした。
次の記述は、朝日新聞デジタル版での大臣の発言録をそのまま伝える。
① 霞が関がもう、崩壊の兆しというよりは、崩壊が始まっている。これはちょっといかんなあと。ついこの間も、ある役所の将来のエースと言われていた人が、辞めるというような話をしに来られた。② ちょっと前まで、霞が関は残業代を払わないのが当たり前みたいな風習がありましたけれども、明らかに民間なら手が後ろに回るようなことを霞が関だからいいんだっていうわけにはいかないよと。残業代を払えと言ったら、払うようになりまして。できるんだったらもっと早くやればよかったねっていうことだと思いますが。③ そもそも安い給料を承知の上で国のために働こうと思ってきた人が霞が関に入ったら、どうでも良いようなつまらない業務をやらされているんだったら、それは辞めるよねと。せっかく能力のある人が来てくれているわけだから、いかに来て良かったと思ってもらえるような仕事をやってもらうかがこれから大事なことだと思う。(日本記者クラブ主催の記者会見で)
河野大臣は、残業代は払わない風習みたいなものがありましたと本当に払わなかった実態を赤裸々に述べている。国家公務員といってもいろんな公務員がいるわけで、大臣だって特別職の公務員ですので、そういう方々は除き、一般的に国会が開かれれば、そのために答弁書を作ったりして残業せざるをえないような「一般職」の公務員を想定して考えていきます。
一般職の国家公務員は、残業代がもらえなかった場合に、労働基準監督署に訴えることはできないのでしょうか。一般職国家公務員とっては、そもそも労働基準法は全く適用になりませんので、労働基準法が規定するところの労働条件、そしてそれを監督する労働基準監督署の機関そのものが存在しません。(国家公務員法付則16条) ですから、労働基準監督署に訴えることはできないことになります。
その代わり、「一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律」及び「一般職の職員の給与に関する法律」と民間で言う就業規則に相当するものとして「人事院規則」が制定されています。そこには、民間と同じく超過勤務手当や休日給、夜間手当が規定されています。そして民間の労働基準監督署に相当するものとして、人事院が設けられているということができます。人事院は、先ほど労働三権の制限がある代わりに、「民間の春闘」で給与を決めるのではなく「民間を調査していくら公務員の給与を上げたらいいのかという勧告をする」という機能を持っているものでもあります。そこで、時間外をしたら時間外をもらえるわけで、それがなかったら、人事院に相談すればいいということになります。しかし、先ほど大臣が認めていたように、ちゃんと時間外手当をもらっていたようには思えません。
これには、あくまでも推測の域を超えませんが、民間の独立した労働基準監督署に比べ、国家公務員の場合は、独立した「人事院」という機関であるとはいえ、同じ行政機関であることから、いってしまえば、そんなところは仕方がないよねとかといった、取り上げない姿勢があったのではないか。もっといえば、同じ行政機関であるところから、内部事情が分かり納得し合えるといった「なあなあ」の姿勢がみられた(身内感覚)からではないでしょうか。残業代は払わないという風習みたいなものが出来ていたとの述べられていたように、国家公務員がそれぞれに残業代申請について、人事院への何らかのアプローチをしたのかも疑問です。早く言えば、この点について、人事院が全く機能していなかったということもできます。そもそも人事院云々と言う前に、それぞれの省庁のトップである大臣、すまわち一番上の上司はどういう対応をしてきたのでしょうか。残業をしてもなんの対応もしなかったのではないかと疑います。それぞれの大臣が対応すれば済むことです。
地方公務員の場合はどうなっているのでしょうか。地方公務員の場合は、基本的には労働基準法が適用になります。そこで、労働基準監督署の適用を、例えば現業の建設・建築部門とか病院部門とかは受けることになります。一方、事務的な色彩が強い本部などでは、国家公務員では人事院でしたが、これに類する人事委員会が労働基準監督署の役割を担うことになっています。(地方公務員法58条) したがって、いうならば、国家公務員とは違い、全く労働基準法が適用されない国家公務員よりは、部分的には労働基準監督署の監督も受けるということで、先ほど述べたところのより「身内感覚」はなくなっているということができます。
さて、今まで、こういった国家公務員の実態について全く情報がなかったことが不思議です。河野大臣であればこそ、民間感覚でおかしいところはおかしいといえるような人が大臣に来て、初めて実態がわかったのです。東大等の優秀な人たちが国家公務員をめざす時代は過ぎ去ろうとしています。優秀な人たちを集めてよい仕事をしてもらうのが出来ない状況を河野大臣は率直に認めています。そこで、河野大臣としては、将来のエースとされるような人が辞めていくのに、霞が関は崩壊が始まっているとの表現になったものと思われます。公務員制度自体をちゃんと見直す時期にきているといえるのです。そのことを素直に河野大臣はおしゃったように見られます。
※公務員の場合は、予算の原則(総計予算主義の原則ー予定額の全額を歳入歳出予算に計上すること)により、時間外として予算化されていない限りは執行できないことになります。しかし、予算がないから時間外を支出できないとはいえず、元々必要な場合は予算化されていなければならないのです。
河野太郎大臣はデジタル庁大臣が知られているが国家公務員制度担当大臣というものも併せ持っている。この国家公務員制度については、労働基本権の労働者の権利としての「団結権」「団体交渉権」「団体行動権」につき、この公務員については制限されているが、これをどうするかについての議論が昔から問題になっている。それはさておき、驚いたのは、その基本的な労働条件がなおざりにされているという実態である。河野太郎大臣は、担当大臣として一般的な普通の感覚の持ち主であるからこそ、大臣就任後、初めてその実態を明らかにした。
次の記述は、朝日新聞デジタル版での大臣の発言録をそのまま伝える。
① 霞が関がもう、崩壊の兆しというよりは、崩壊が始まっている。これはちょっといかんなあと。ついこの間も、ある役所の将来のエースと言われていた人が、辞めるというような話をしに来られた。② ちょっと前まで、霞が関は残業代を払わないのが当たり前みたいな風習がありましたけれども、明らかに民間なら手が後ろに回るようなことを霞が関だからいいんだっていうわけにはいかないよと。残業代を払えと言ったら、払うようになりまして。できるんだったらもっと早くやればよかったねっていうことだと思いますが。③ そもそも安い給料を承知の上で国のために働こうと思ってきた人が霞が関に入ったら、どうでも良いようなつまらない業務をやらされているんだったら、それは辞めるよねと。せっかく能力のある人が来てくれているわけだから、いかに来て良かったと思ってもらえるような仕事をやってもらうかがこれから大事なことだと思う。(日本記者クラブ主催の記者会見で)
河野大臣は、残業代は払わない風習みたいなものがありましたと本当に払わなかった実態を赤裸々に述べている。国家公務員といってもいろんな公務員がいるわけで、大臣だって特別職の公務員ですので、そういう方々は除き、一般的に国会が開かれれば、そのために答弁書を作ったりして残業せざるをえないような「一般職」の公務員を想定して考えていきます。
一般職の国家公務員は、残業代がもらえなかった場合に、労働基準監督署に訴えることはできないのでしょうか。一般職国家公務員とっては、そもそも労働基準法は全く適用になりませんので、労働基準法が規定するところの労働条件、そしてそれを監督する労働基準監督署の機関そのものが存在しません。(国家公務員法付則16条) ですから、労働基準監督署に訴えることはできないことになります。
その代わり、「一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律」及び「一般職の職員の給与に関する法律」と民間で言う就業規則に相当するものとして「人事院規則」が制定されています。そこには、民間と同じく超過勤務手当や休日給、夜間手当が規定されています。そして民間の労働基準監督署に相当するものとして、人事院が設けられているということができます。人事院は、先ほど労働三権の制限がある代わりに、「民間の春闘」で給与を決めるのではなく「民間を調査していくら公務員の給与を上げたらいいのかという勧告をする」という機能を持っているものでもあります。そこで、時間外をしたら時間外をもらえるわけで、それがなかったら、人事院に相談すればいいということになります。しかし、先ほど大臣が認めていたように、ちゃんと時間外手当をもらっていたようには思えません。
これには、あくまでも推測の域を超えませんが、民間の独立した労働基準監督署に比べ、国家公務員の場合は、独立した「人事院」という機関であるとはいえ、同じ行政機関であることから、いってしまえば、そんなところは仕方がないよねとかといった、取り上げない姿勢があったのではないか。もっといえば、同じ行政機関であるところから、内部事情が分かり納得し合えるといった「なあなあ」の姿勢がみられた(身内感覚)からではないでしょうか。残業代は払わないという風習みたいなものが出来ていたとの述べられていたように、国家公務員がそれぞれに残業代申請について、人事院への何らかのアプローチをしたのかも疑問です。早く言えば、この点について、人事院が全く機能していなかったということもできます。そもそも人事院云々と言う前に、それぞれの省庁のトップである大臣、すまわち一番上の上司はどういう対応をしてきたのでしょうか。残業をしてもなんの対応もしなかったのではないかと疑います。それぞれの大臣が対応すれば済むことです。
地方公務員の場合はどうなっているのでしょうか。地方公務員の場合は、基本的には労働基準法が適用になります。そこで、労働基準監督署の適用を、例えば現業の建設・建築部門とか病院部門とかは受けることになります。一方、事務的な色彩が強い本部などでは、国家公務員では人事院でしたが、これに類する人事委員会が労働基準監督署の役割を担うことになっています。(地方公務員法58条) したがって、いうならば、国家公務員とは違い、全く労働基準法が適用されない国家公務員よりは、部分的には労働基準監督署の監督も受けるということで、先ほど述べたところのより「身内感覚」はなくなっているということができます。
さて、今まで、こういった国家公務員の実態について全く情報がなかったことが不思議です。河野大臣であればこそ、民間感覚でおかしいところはおかしいといえるような人が大臣に来て、初めて実態がわかったのです。東大等の優秀な人たちが国家公務員をめざす時代は過ぎ去ろうとしています。優秀な人たちを集めてよい仕事をしてもらうのが出来ない状況を河野大臣は率直に認めています。そこで、河野大臣としては、将来のエースとされるような人が辞めていくのに、霞が関は崩壊が始まっているとの表現になったものと思われます。公務員制度自体をちゃんと見直す時期にきているといえるのです。そのことを素直に河野大臣はおしゃったように見られます。
※公務員の場合は、予算の原則(総計予算主義の原則ー予定額の全額を歳入歳出予算に計上すること)により、時間外として予算化されていない限りは執行できないことになります。しかし、予算がないから時間外を支出できないとはいえず、元々必要な場合は予算化されていなければならないのです。