「赤い糸」には会えるが結婚とは”人と自分は違うんだ”ということを知るための修行である!!
貴司が「歩み」を寝かしつけ、また寝たのを確認する舞であるが、貴司は短歌の書付のノートを開く。舞が貴司に「話があるねんけど・・・」
貴司;協力するって、舞ちゃんの会社が。 舞;けど今より、もっと忙しくなるかもて。こんねくとの事もあるし、歩みの事もあるから、悩んでいて。
貴司;やった方がいいと思うよ。舞ちゃんは大学の頃から空を飛びたいという夢を思い描いていた。それが巡りめぐって、またその夢に会えた。そんな奇跡みたいな巡り合わせ、逃したら後悔する。忙しかったら、また二人で相談して、何とかする方法を見つけよう。
舞の会社が空飛ぶ車の開発にかかわることになり、舞の気分も上々の時、貴司が居間にいるばんばと舞の所に来て、悩んでいる様子で舞に「話があるねん」という。
舞;どないしたん。 貴司;あのな、舞ちゃん・・・短歌、辞めようと思う。 舞;なんで。 貴司;書かれへんねん。どうしても。もうしんどい。離れたい。今は舞ちゃん、歩みがおって幸せ。それで十分や思う。 舞;少し、時間をおいて見たら。 貴司;もう十分考えてん。 舞;ごめん、私・・・。
貴司;舞ちゃんは、悪くないよ。僕、一人の問題やから。・・・・ごめん、最低やな。
貴司は高校卒業後、エンジニア専門ということで就職したが営業をもやらざるを得ないことになり悩んだ末に、遂にドロップアウトするこになった。しかし(元)デラシネの店主八木の影響もあり、放浪の旅の間に短歌をしたため、それが有名な短歌大賞に選ばれ、出版した短歌集も第2集までは順調に進んでいた。貴司の人生は、いったん底辺に沈み、また順調に進むかに思えた人生も、また今度は「短歌をやめる」という言葉を発するまでになったのである。編集者リュ―北條に言わせれば、貴司の短歌は、悩んで悩んだところから生まれるというが・・・本人にとっては、そうもいってはいられない。舞の人生も、空にあこがれパイロットになる夢を描いて順調に航空学校を育ったが、会社が不況のあおりを受ける中で、社長の父・浩太も急死することになり、母親と共に会社の経営に携わざるを得なかった。舞も貴司の人生もいい時もあれば悪い時もある。時には、夢を捨てなければならない時もある。それが、舞の前に、また空を飛ぶ夢がめぐってきたのである。
生まれる前の世界においては、思ったことはすぐに実現できるといいます。しかし、この世界に起きては、「思いどおりにならない」という現実。では、わざわざ、この世界に生まれる必要があったのでしょうか。この世界で、正しく苦悩しながらも、普段は思いどおりにならない現実の中で、時折「願いが叶う」という大きな喜びを味い、そして感謝するということを、この実生活の中で学んでいるのではないかということです。わざわざ「思いどおりにならない」という状況を体験して、この世界で人間としていきる人生を妙味を味わうために、自分の意思で、生まれることを選んだのです。(完全版・生きがいの創造・飯田史彦著P790・791、PHP出版 ⇒「私なりの要約」ですので足からず。)
舞と貴司の夫婦を見ていると、現代の若者だと感心するのは、常に相談しながら事を進めていく姿勢です。それぞれに違った道を進んでいる二人である以上、特にこういった姿勢は欠かせないといえば、そういえるかもしれません。それにも関わらず、舞は自分の仕事の「空飛ぶ車」で舞い上がっていたのか、貴司が悩んでいることには本人から言われるまで気が付かず、「ごめん、私」の言葉になったのだと思われます。舞と貴司の理想の夫婦のように見える夫婦にあっても、相手のことを必ずしも分かっているとはいえないのです。(さすが「ばんば」は前から気が付いていたようです。)
飯田史彦氏が言うには、いくつかの失恋を経験しながら、「赤い糸に結ばれた相手」に出会えるようにはなっているとのこと。それはツインソウル(双子)のような、理想の相手だけとは限りません。確かにそういう人たちもおり、「また生まれるときはあなたと」と誓う合うような夫婦もいるようです。しかし、斎藤氏は次のように言います。
結婚するのは相性なんです。ただ、相性がいいから結婚するとは限りません。人生は修業です。そう考えると、結婚も修業なんです。だから、相性の悪い人を選んで結婚する人が多いんです。「どうせ誰かと修行するなら、あなたとしたい」というのが結婚。結婚とはね、”人と自分は違うんだ”ということを知るための修行なんです。それで、どちらかが自分の意見に従わせようとすると、その人が苦労するんです。人は自分と違うということが分からないとダメなんです。 (変な人の書いた世の中の仕組みP95・96 斎藤一人著 サンマーク出版)
結婚に夢を持っている人たちには申し訳ないが、相性がいいから結婚するとは限らず、結局、他人とは違う自分を認識するために結婚するのであるというのだ。確かに、筆者の夫婦はもう何十年も寄り添って(?)過ごしてきたが、お互い分かったのは、ずいぶん性格・考え方の違う二人であるということ。それもあなたならこう考えるだろうというのが手に取るように分かってきた。それを十分承知の上で半ば諦めの気持ちで、最近では、じゃあ私はこうしようということにしている。