元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・ らんまん「藩校の出来事」=因果とは人を傷つければ自分に還ること<少なくとも他人の悪口は言わないようにしたい>!!

2023-04-22 06:07:54 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 因果応報とはおどろおどろしいものではなく人生の成長過程での他人との貸し借りの原則!!

 土佐随一ともいえる作り酒屋「峰屋」の当主として生まれた万太郎。医者の息子とともに万太郎は、藩校である塾(実際は「名教館」というようだ)に通うことを許されるが、それを快く思わない武士の息子らが剣術の稽古と称して、今でいう「いじめ」を行う。もともと体の弱く力のなかった万太郎は、登校拒否ぎみになるが、塾頭の池田に大好きな植物の名称を教わることが縁で、また藩校に通うことが楽しくなる。

 人は持って生まれた環境の下で育っていくのだが、江戸の末期のこのころ、まだ身分制度があった時代においては、いかに酒屋として豪商の息子として育ち裕福な身分であっても、士農工商と言う身分制度にはかなわない。武士の息子ととて、そういうまだ身分制度がある中で、同じ塾生として同じ学問の道を志すこと自体が我慢ならんことであったのであろう。だから「剣術の稽古」となったのだ。どちらも、この時代、ありうべき衝突、必然的な結果ともいえる。時代がそういう場面を設定したともいえる。だからなのか、彼(ドラマの万太郎ではなく現実の富太郎博士)はこんな事件ゆえなのか、生涯、他人と全く「平等」の関係で接したという。

 人は、あの世から、この世の中で起こりうべき「計画」を立てて生まれ、その時々でどうするかを決めながら成長していくものであるという。(ただし、この世の予想した出来事はこの世に生まれ際に忘れてしまうのだというのだ。)当然、他人とのかかわりを通じて、「計画」を実行していくのだから、万太郎の時代の身分というものがあったように、他人に傷つけられ、また自分が気がついてなくとも( 意図的にはもちろん許されないことですが、意図的ではなくとも、気づかずに ) 豪商であるがゆえに、当主として他のだれかを傷つけていくことがあったかもしれない。しかし、これを実感として自覚することが「因果関係の法則」からは重要なのだ。

 「因果関係の法則」というのは、<自分が誰かを傷つけると、いつか必ず自分も誰かから傷つけられ、逆に自分が誰かを助けると、いつか必ず、自分も同じように助けてもらえる ※注>ようにできているというのです。しかも、この世だけでなく、次の世においてこの貸し借り(「気づかずに」を含めた傷つけ助け合う関係)を清算することもあるようです。この因果関係と言うのは、なにか因縁めいた「おどろおどろしい」ものではなく、単に自分の人生の中で、自分が立てた計画を実行して、自分が成長していく糧としていくため、他人とかかり合う関係・出来事であるということもできます。

 自分が返してほしくいないものは貸し借りをしないように努めるのが本当のところであろう。しかし、何かの縁では、知らず知らずのうちに、他人を傷つけているかもしれないのだ。そうであるならば、自分が成長するために「因果関係の法則」が働くのは必然的であるのであれば、気づかずに他人を傷つけないためにも、少なくとも、「他人の悪口を言わない」というのが、今自分にできる唯一の方法であるようだ。社会からリタイアーした自分は、今頃、そういうことをいっても後の祭りであろうが・・・。しかも、気が付いてもいまだに実行するのも難しい。前にここで取り上げたように、タモリさんは、その点、実に若いころから、自分を律して心がけていうから尊敬に値する。

 気づかずにといえば、自分の例を挙げて恐縮であるが、まだ子供の頃、電化製品のない時代のこと。自分は地方公務員の息子。というのも、父は地方では割と大きな農家の息子であったが、それも3・4番目の息子(何番目かは今となっては不明)であって養子に出されたが、戦後戦争から帰って来ても耕す農地もなく、役場に勤めることになったようなのである。そこで、周りは農家という地域に育った。まだ田植えも手植えをする時代で唯一の人力でないのは田を耕すのに、牛を使って行っていた時代であった。そんな時代だからこそ、日が暮れるまで農家の人々は働いた。一方、私たちはと言えば、年中、同じ時間に夕食になったのだが、夏の日が長いころになると農家の人がまだ野山で働いていた頃に、夕食の時間ということになる。そこで、ある日、母親が「いい身分」だと誰かに嫌味を言われ、しょっちゅう気にかけていたのを覚えている。傷つけあう関係と言うのは、意図的に行うのには差し控えるべきだが、育った環境や文化等の違いから、意図しなくとも傷つけ合うこともあり得るのだ。そして、何となく違和感を覚えながら、そういう関係は、子供の頃、特に小中学校のころは、意図しなくとも自分の「無知」がゆえに、自分のある発言が他人を傷つけあうことになっていたと思うのだ。

 今からでも、反省して残りの人生を、他人の悪口を言わず他人を傷つけないようにしたいと思うのだが、本当のところは、難しいと思う自分がいる。というのも、悪口を言うことによって、何か胸のつかえが降りたようにスーッとするように感じるからである。しかし、その時はそう感じても後で後悔するのであるが・・・。そこで、いまさらながら「どうでもいいわ」と言う自分がいるのだ。   

 何はともあれ「そのどうかしたいと思うこと」だけからでも出発したいと思う。

※注 引用; 完全版「生きがいの創造」 飯田史彦著 PHP文庫 p360~361

<参考> 完全版「生きがいの創造」 飯田史彦著 PHP文庫

     変な人の書いた世の中の仕組み 斎藤一人著 サンマーク出版       

      

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラ・ らんまん第2/3/5話「バイカオウレン」=<人生の問題集により「成長」>要らん命も同じ命も一つもなく自分の勤めをもって生まれる!!

2023-04-08 09:08:59 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 ドラマならではの万太郎と竜馬の出会い=この竜馬の言葉により「万太郎の人生の目的」が出来る!!

 万太郎は分家の紀平と豊治が「万の字は、生まれてこん方が良かったな。」「どうせ長ごうは生きられん。」というのを聞いてしまう。自分が病気がちなのを理解していた万太郎は母にこのことを尋ねるが、お前は母が神社にお参りしてやっと望んで生まれたことを伝える。しかし、納得いかず、だれの言うことも聞くことが出来なくなってしまい、家を飛び出してしまう。裏山の神社に行き「神様のアホ」と何度も叫ぶと、木の上からお武家様らしい「天狗」となのる人物が飛び降りる。

<天狗>;生まれて来ん方がよかったじゃと。そんなこと言うガキは頭から喰ろうちゃる。                              (万太郎);何するがや、離して。                                                 <天狗>;生まれて来ん方がよかった。そんなら頭から喰われても文句はないやろ。                        (万太郎);いやじゃ                                                     <天狗>;望みどおり頭から喰ろうちゃる。

 一瞬、目を閉じたのか目の前が暗くなるが、その後、木々がざわざわとそよぎ風が吹くのを感じる万太郎。

<天狗>;坊よ、坊よ。・・・・・・・坊よ。生まれて来ん方がよかった人らぁ。一人もおらんぜよ。                                ーーーー:要らん命は一つともない。この世に、同じ命らぁ、一つもない。                                                 ーーーー:皆んな。自分の勤めをもって生まれてくるんじゃけ。                            (万太郎);勤め。                                                       <天狗>;何か一つ、事をなすために生まれてくるがじゃ。誰に命じられたじゃない。                                             ーーーー:己自身が決めて、ここにおるがや。                                                                           ーーーー:おまんも大きゅうなったら何でもできる。望ん者になれるがき。                                                     ーーーー:さあ、望みや、おまんは、何がしたいがぜ。                                                              

 春が来て、亡き母が好きだった花が咲いたのを見て・・・(母はこの花の名は知らなかった。)                    (万太郎);わしはこの花の名前が知りたい。

 天狗と名乗った人物は坂本竜馬だった。坂本竜馬が暗殺されたのは1867年だったので、牧野富太郎博士は5歳ちょっとで、今でいえば小学校に入るちょっと前の年齢です。全く出会わなかったかといえば・・・こういう設定も考えられるところですが、史実では伝えられてはないところです。これが、主人公が牧野富太郎でなくドラマの中では「槙野万太郎」として表されていることや、今回の朝ドラでは画面の左隅に「NHK・DORAMA」として記されていることから、だいぶ脚色されているだろうということは容易に予想出来ます。

 さて、このセリフは、明治維新の立役者としての竜馬が言うので、確かに「大志を抱け」というような大きく受け取られる向きもあるだろうが、こういった大仰(おおぎょう)に捉えなくてもよいのではないか。ただ、渦中の竜馬自身は彼の人生の中でもがき考え、その結果が歴史の中で大きな業績を残したということだろう。それぞれの自分の人生は、自分が生まれる前に、自分が人間として修業するために、効率よく学びを積むために計画した試練の組み合わせ、すなわち「問題集」を決めてくるのだといいます。この問題集は、神様による助言をもらうことはあるかもしれませんが、基本的に自分で作るものです。ただ、自分で作った問題集とはいえ、この世に生まれる前に、その答えは忘れてしまうようです。しかし、人生で起こることは、自分で与えた試練だと捉えれば、他の人のせいでもなく神様のせいにして、運命を呪うことはできなくなります。(*1 飯田史彦著 完全版生きがいの創造)

 そして、この問題集を解くことにより、人間として最も大切な「成長すること」が必要になっているのだといえます。これがこの世に生まれ出た意味であるというのです。作者がドラマの中の竜馬に言わせた「この世に、要らん命は一つともない。同じ命も一つもない。皆んな、自分の勤めをもって生まれてくる。」というのは、そういう意味で解釈できるのではないでしょうか。作者は竜馬と万太郎を出会わせることによって、万太郎に生きる大きな意味を示したのです。(*2 飯田史彦著 完全版生きがいの創造) 

 *1・2 完全版「生きがいの創造」 飯田史彦著 PHP文庫 p479~481                               

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラ「舞いあがれ」最終話~全話=<目的と目標(ビジネス用語)>空を飛ぶ目的も螺旋階段の上のレベルでの同局面で実現!!

2023-04-01 15:48:11 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

東大阪や五島の振興(あくまでも物語の中であるが・・・)/ 目的=第2の人生での夢の実現も考える

貴司が「歩み」を寝かしつけ、また寝たのを確認する舞であるが、貴司は短歌の書付のノートを開く。舞が貴司に「話があるねんけど・・・」 

貴司;<「アビキル」(空飛ぶ車の開発会社)に>協力するって、舞ちゃんの会社が。                                     舞;けど今より、もっと忙しくなるかもて。こんねくとの事もあるし、歩みの事もあるから、悩んでいて。         

貴司;やった方がいいと思うよ。舞ちゃんは大学の頃から空を飛びたいという夢を思い描いていた。それが巡りめぐって、またその夢に会えた。そんな奇跡みたいな巡り合わせ、逃したら後悔する。忙しかったら、また二人で相談して、何とかする方法を見つけよう。 

 舞は、「こんねくと」を立ち上げ、東大阪市の町工場同士を結びつけ消費者に届けるという事業もどうにか順調に軌道に乗った頃、浪速大学で所属していた「なにわバードマン」(人力飛行機クラブ)の先輩の刈谷と玉本の会社「アビキル」が空飛ぶクルマの開発をしており、東大阪市に引っ越してきたのを縁に、再度、大空への夢が広がっていく。「こんねくと」が、資金ではすでに底を突きつつあった「アビキル」に資金獲得や広報支援の事業提携を行うことになり、IWAKURAとの事業で付き合いのあった菱崎工業の荒金部長(国への諸申請援助の担当)や浪速大学の渥美准教授(なにわバードマンの先輩)が教え子をつれて支援するようになり、コロナの中で遅くとも着実に計画は進んでいく。さらに、登校拒否ぎみであった星好きの朝陽君(五島のばんばの家で心の傷をいやす。)が登場し空飛ぶクルマのデータをグラフ化するという優秀な学生を演じた。

 そして、ドラマの最終日、空飛ぶクルマ「かささぎ」が五島の島々を結ぶこととなり、その初フライトのパイロットとして、病院に行くばんばと巡回診療のお医者さんを乗せて飛び立つ。この日が、2027年1月となっているので、コロナが終息した時点での近未来の出来事となるという設定である。(ドラマ最終放映日は、2023年3月31日である。)

 仕事の進め方によく出てくる用語に「ゴール」という意味で「目的」と「目標」と言うのがある。「目的」とは、最終的にどんなことを成し遂げたいのかという最終的な到達点であり、「目標」とは、目的を達成するために設けた具体的な「めあて」言い換えれば具体的な「手段」のことをいいます。「英語を話したい」という思った場合には、目的は「英語を話せるようになること」であり、目標は「NHKの英会話を毎朝聞くこと」や「英会話スクールに通うこと」になるわけです。目標とは、「目的」を実現させるためにどのようにしていくのか、その過程を具体的に設定していくことです。つまり、目標とは、何をどのような方法でどのような順序で、そしていつまでに、どれだけものを行うのかという計画を立てて行う具体的なゴールのことをいいますが、対して、目的とは、この目標の積み重ねによって、何を成し遂げたいのかの最終的なゴールのことです。

 前置きが長くなりましたが、舞の夢は「空を飛ぶこと」、これは目的です。そして、航空学校に通ってまで、最初に目指したのは「ジェット機のパイロット」になることでした、これは目標です。しかし、実際に実現させたのは「空飛ぶクルマのパイロット」でした、これも目標です。「空飛ぶクルマのパイロット」というのは、目標が後退したのでしょうか。いいや、そうではありません。確かに、ジェットのパイロットの方がより多くの客は運べます。

 しかし、舞の場合には、父の浩太が心臓病で突然に倒れ、IWAKURAの会社を母(代表者)と娘の舞(営業担当)が引き継けざるを得ない状況になり、航空会社への就職が決まっていた舞は一旦その夢を諦めます。会社再建の道の中で、東大阪の工場の職人さんの技術がいかに優れているかを身をもって知ることになり、IWAKURAの会社が軌道になった頃、その子会社として、「こんねくと」を立ち上げ、東大阪の町工場同士の技術を生かした商品開発を手掛けることになります。そういった東大阪の町工場の技術の乗った「空飛ぶクルマ」(もとろんネジにはイワクラのねじが採用)と 舞がばんばの養育を受けて精神的に強くなった原点との言える土地である「五島」の島々を結び、島々の生活を一変させるようなる「空飛ぶクルマ」は、ジェットのように単なる多くの客を運ぶというのではなく、東大阪や五島の振興という点で、より多くの事柄を巻き込んで空を飛んだという点で、また違った意味で大きな意味を持ったということができるでしょう。

 さらに、パイロットの訓練を受けてきたことが役に立ったという経験(それだけではなく仲間・教官との成長した舞)など、一旦諦めたかのように思えた「空を飛ぶ夢」=目的も、舞にとっては、らせん階段のもっと上のレベルでの同じ局面で成し遂げたような気がするのです。このドラマ、途中では舞はパイロットを諦めたかようでハラハラしましたが、子供の頃の五島のばんばの養育、浪速大学の人力飛行機のスワン号、航空大学校教育、そしてIWAKURA・その子会社「こんねくと」の会社経験すべてが一点に集まり、この空飛ぶクルマのパイロットということに凝縮されたかのようです。そのすべてがつながったのです。

 人生において、巡るめぐる、そんな夢物語みたいなことはないという人があるかもしれません。私の例で恐縮ですが、大学時代は税理士・会計士を目指していました。そう言えばかっこいいですが、目指していただけで、具体的にあまり勉強はしていなくて、ためしに税理士の一教科(いちきょうか)のみを試験を受けた経験があるだけです。学生時代ですが、目標だけは大きく掲げて、実際はがむしゃらには勉強はしていないという経験はお持ちではないでしょうか。社会に出てからは、まったくそんなことは忘れていたのですが、60歳の退職が近くなって、あの頃そんなことがあったなと思い出しました。自分の人生を振り返ったときに、税理士になりたかったのは、「人に使われない」からよいという単純な発想です。社会経験をして学び、士業にも社労士というのがあるのを知り、また今までの経験がより生かせる(人事管理や病院の経験)のは社労士だという発想に至りました。舞のように、大きな夢を実現するのは至らなかったのですが、昔の小さな夢(人に使われない)は実現できたようです。第2の人生を歩まれる皆さんの何らかのヒントになれば幸いです。 

 最後に、この朝ドラ「舞いあがれ」は3人の脚本家の共同執筆の関係なのかは分からないが、まずテーマの「舞があがれ」が心うきうきさせるだけでなく、祥子ばんばの人生訓・金言ともいえる言葉、貴司が作る味わい深い短歌(俵万智氏の応援短歌とメッセージの投稿による盛り上がり)、だれもが体験するだろう人生の岐路等の他、特に私的には、社労士の観点から、矢野倫子が言う「男社会」、親の介護、技術継承、リストラ、仕事のモチベーションなど考えさせられる問題が満載であった。それも、このいろんな切り口ができる問題を、押しつけがましいのではなく、朝ドラらしく、ちょっと考えさせられるような提示の仕方をしており、近年にない良い作品だと思う。※

  ※それにしても、視聴率がそれほど上がらなかったのは、なぜでしょうか。 最近の傾向として捉えるに、作品の良しあしではなく、別の所にあるのでは?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする