お菓子の香りに包まれような精神的に癒される夜ドラです!!
白井葵は、パティシエの修行後、ようやく大阪で長年の夢だった洋菓子店を開いたが、経営はうまくいかずに、店を閉じることになった。そこに、謎の料理研究家、佐渡谷真奈美があらわれ、閉店したその厨房で「一人だけのお菓子教室」を開くので協力してほしいというのだ。それぞれに心に悩みを抱えた生徒たちが、何人か現れた後、居抜きで厨房を買取したいという人が現れ、佐渡谷は、それなら最後に、生徒は白井本人で材料などは自分が用意するから、もう一度お菓子教室をやろうということになったのだった。
そして佐渡谷が作ったパウンドケーキを食べて、白井はつぶやく。「一流のお店にしたいと、最高の素材で最高のケーキを作りたい、要らないプライドばかり膨らんでいった。でも、この佐渡谷さんのケーキは、すごくシンプルなのに、こんなにも幸せな気持ちになれるってすごいなあ」と思った。佐渡谷が「また目標のために頑張るんでしょう。」というと、白井は「でも、私これからどうしたらいいんですかね。」といい、「あなたは大丈夫、私がいるから」と佐渡谷は応えた。
経営はうまくいかず店を閉じることとなった白井。一時的に始めた一人のためのお菓子教室。そして、最後のお菓子教室で、佐渡谷が作ったケーキを食べて、自分が作って来たケーキは何だったのだろうと打ちのめされたのだった。
「すっぱいブドウ」というイソップ童話はご存じだと思います。山路をきつねが歩いていると、いかにもおいそうなブドウが垂れ下がっていますが、ちょっと高いところにあるようです。飛びあがっても取れません。きつねは「あんなすっぱいブドウなんて」くやしまぎれにいって立ち去ります。これを心理学的には、酸っぱいブドウの「合理化」といいます。
しかし、いくら合理化をしたところで、おいしそうなブドウはすっぱいブドウに変わるとは限りません。食べてみなければ、分からないからです。一流の店にしたい(最高の素材で最高のケーキ)と掲げた目標は、経営上ストップしてしまったのです。白井にとって、悔しさがつのります。なんぼ、心理的「合理化」をしようとしても、経営上ゆきずまったという事実は消えません。
今は、それらすべてを受け入れて、できる限りやさしく、今の気持ちを包み込んでしまうこと そして、それが過去に囚われているあなたの気持ちをいやすことになるのです。
この世に完全な間違いなんてないのです。なにが間違いだったかは、判断する時、場所、状況によって違い、なにが良かったのか何が悪かったかは、一概に言えないというのが本当の所です。あなたは、その時々に応じて、自分なりにその時のただしい判断をしたはずです。大切なのは、あなた自身がそれを認めてあげることです。過去にとらわれ、あのときはこうすべきだったといっても、そこからは何ら得られません。その時は、あなたにとってベストの選択をしたにちがいません。そのときの自分を認めて「受入れる」「受容」しかないのです。(「心の魔法」ゆうきゆう著・オーエス出版社から当段落は「引用」他は同趣旨)
まずは、この自分を受け入れること、それができて初めて整理することができます。これからどうすべきか、次の段階の「再生」のポイント(私はまとめて見るので20回目しか見ていませんが・・)は、静(最初の生徒になった作詞家)が言う「お店に愛が足りなかった」のか、佐渡谷のケーキのように「目の前の人に喜んでもらえる菓子」のなのか、今までの「自分」を受け入れて初めて、今まで見えなかったものが見えてくるのです。何のためにお菓子をつくるのか見えてくるはずです。
このドラマを見ていると、バニラなどのケーキの甘い香りが、常に漂っているような気にさせられるのが不思議、癒されます。佐渡谷の白井に対する「大丈夫、私がいる」というのも、カウンセラーの「受容」ですもんね。
人生の終焉に向かいつつある私は、ここで人生の整理をしたいと思っています。考えれば考えるほど、思うとおりの人生ではありません。なにかやり残したとか、うまくいかずこうできなかったのかとか、悔やまれることは山々ですが、失った過去は取り戻せません。しかし、その時は一生懸命心血を注ぎ、生きてきました。その時、精神的に弱気な自分を含めて、できるだけのことをやってきたのも事実です、そうまるごと、その自分を認めてしまうしかありません。今の自分と過去に生きてきた自分を丸ごと受け入れること。そう思って、後期高齢者になる前に、ここで人生の第3四半期の決算をしておきます。