元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ・ らんまん「キレンゲショウマ」98回=<人種差別と牧野博士の平等概念>人は神に似せて作られた意味!

2023-08-24 17:23:31 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 アインシュタイン・モーツアルト&牧野富太郎のこの世でのミッションについて

 万太郎のいる長屋へ「寺子屋の親友」である広瀬雄一郎が訪ねてくる。訪米していた彼は、札幌農学校の教授に迎えられことになっていたが、その途中で東京の万太郎の所へ立ち寄ったものである。

 (雄一郎の話) アメリカは、何もかもが雄大だった。ミシシッピ川の治水工事にかかわり、中でも忘れられんのは、そこに架かる巨大な橋を見たこと、緻密で幾何学模様は美しいと同時に強い。オレが学ぶ土木工学が何なのかが分かった。人間が建てる建造物で、巨大な自然の力と人の暮らしを調和させることが出来るがじゃあ。

 その人間の素晴らしさと同時に、アメリカ南部を訪れた際、南北戦争のあとが残っていたが、それが彼にとっては衝撃的(恐ろしいとの表現)だったという。

 (雄一郎の話の続き) 例えば、差別。南北戦争によって奴隷制度はなくなったが、一層差別がひどくなっている。黒人、我々アジア人、アイルランドから移った人々。自分は英語ができ、仕事が始まったら技師の能力で判断してもらえるが・・・。

 (そばを食べながらの雄一郎の話) 万太郎は、昔から、いっぺん(いちずなさま)じゃき。草花に優劣をつけることはなかった。生まれた国、人種、どこでどう生きるか、それぞれにおもしろうて優劣もない。万太郎、この先もずっと変わりなよ。

 モデルとなった牧野博士は、この時代珍しく誰彼に優劣をつけることなく、人を実に平等に扱ったという。ついこの前まで、やれ武士だの、やれ町民だのといっていた時代から、明治になってすぐに人は平等だと言っても、人の心はすぐには変わるものではない。その中で、彼に接した誰もが彼の特徴的な言動として言うのは、彼には「平等」に扱ってもらったというので、本当にそうだったのだろう。

 有名なアインシュタインやモーツアルトは、この世に生まれるときにこの世の技術や文化の振興に寄与する者として、一定の使命を帯びてくるものがあるというが、牧野博士も、日本における遅れていた植物学の発展のため、ミッションを果たすべく生まれてきたのだ。彼の場合は、そのミッションは植物学の振興ということだけと思っていたが、こういったドラマを改めて見て、さらに、彼は、日本人の心の中にこういった「平等」の概念を植え付けることも、彼の使命であったのではないかと思うのである。彼の平等概念は、おぼっちゃま気質から来たものと思っていたが、学問の世界において小学校も出ていない彼が差別されるのは想像に難くないところ、それをも跳ね返す力を有していたのは、彼自身の本質的な平等概念から来たものであろう。

 人は神に似せて作られたという。神は全知全能にして、しかも「善」である(※注※)。それゆえに人間は、本来は、人種、民族、性別、宗教、社会階級などの違いに関係なく、平等であるのが本来の姿なのである。この世に生まれたときに、その本来の姿を忘れて、この世の「文化」に染まる中で「平等」の概念を忘れてしまっている。しかし、人は、忘れてしまっているとはいえ、この世に何回も何回も生まれて、その本来の姿「平等」に近づいていくのだろうと思う。すぐに近づけないのは、基本的には神自身は「人の人生」を罰することはしないからだという。人自身が気が付かない限り、すぐには、この世は変化しないのだ。それゆえ、それでも、少しづつ、いい方向に進んでいることを期待しなければならないのだ。

 本質的に考えたいのは、肌の色に重きをおく「人種」というのは、肉体の違いであって、人の誕生は、その肉体の中に魂が入ってくることによる。あの世では魂そのものであり、肉体そのものは脱ぎ捨てなくてはならず、肌の色うんぬんというのは、この世の考え方であることが分かるのである。

(※注※)「神との対話」ではなかなかその解釈が難しいが、神そのものも「悪」をも含んでいるものだいうような矛盾した表現になっているところ、それを含めて最終的には「善」ということなのだと思う。

  

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朝ドラ・ らんまん「ムジナモ事件・東大教室の出入禁止」=<あの世で作成した問題集を解く者と神の使命の天才的才能を持つ者>問題集を投げ出さないように!!

2023-08-09 14:28:03 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

  この世の問題集は必ず解けるようになっている!!

◎ ムジナモを見た田辺教授(要潤)は、珍しい食中植物であるのを言い当て、この植物が日本にあり、その生態を論文として書くように勧めた。その後、このムジナモがめったに咲かないが開花することも分かった。このムジナモの研究に没頭した万太郎が、取り急ぎ植物画と論文を完成させたのは、ムジナモ開花後4か月後であった。

 その論文を見た田辺は「君は、自分の手柄だけを誇っているんだな」とおだやかだが何か言いたげ。論文を再確認した大窪助教授(今野浩喜)は、教授の田辺が著者として記載されていないことを指摘し、「お前が見つけたムジナモがアルドロヴァンダ・ヴェシクローサであると突き止めたのは教授だ! だがお前は、自分が見つけたという報告しか書いていない! いかに貴重なものを見つけても何であるか分からなければ、論文は書けなかったはずだ。当然、教授と共著の形にしなければならなかった。」と叱った。大窪助教授は、続けて「教授。申し訳ありません。事務局長としての私の落ち度です。全て破棄し、新たに刷り直します」と伝える。                     

◎ しかし、田辺教授は「何を期待していたんだか……。もういい! ミスターマキノ。今後、我が東京大学植物学教室への出入りを禁ずる」と万太郎に告げた。

 有名なムジナモ事件=植物学教室への出入り禁止事件である。田辺教授は、万太郎の植物学教室への出入りを認めたののであるが、この事件をきっかけとして、彼によって、万太郎の植物学教室への出入りが禁止されたのである。田辺教授は、万太郎の出入りにより植物学教室への活性化が認められると感じてはいたが、よくいわれる万太郎の才能に対して嫉妬したのも事実であろうし、物語にあるように、帝国大学という国立大学になった点などから、大学の出身者でない彼を排除しようとしたのもあろうと思う。

 あの世でこの世での課題を集めた問題集を自ら作成し、この世に生まれる際にそのこと自体を全く忘れるようになっており、その上で、この世でその問題集を解いていく仕組みになっているといわれます。学問を追及する植物学教室においては、一般的には東京大学の学生から植物学教室に専任し、・・・助手、講師、助教授、教授になっていくというシステムがあり、そこに勤務する人々も、その中でのルールに基づき、頑張っていくことになる。その人たちは、先ほどのこの世での問題集を解きながら、この植物学教室で生きていたのであろう。田辺教授も、留学した上で、このルールに基づき、この教室で生きてきた人物である。

 ところが、世の中には、この問題集を携えてくるのに加え、アインシュタインやモーツアルトのように、この世の文化・芸術・技術等の振興のため、天才的な才能を持って生まれてくる者もいる。遅れていた日本の植物学の振興のために、万太郎もこういった神からの使命をもって生まれてきた人であろう。こういった人々は、よく世間の常識からいって違った行動を取りやすい。というよりも、論文の共著で書くという植物学教室の教えは、学生から入って来た者ではない万太郎にとって、知らなかったのも無理はないのであるが・・・。いずれにしても、万太郎は、この植物学教室のルールを無視した行動(論文の共著)を取ってしまったのである。田辺教授が怒るのも無理はない。

 いうならば、植物学教室の中で問題集を解いていく者たちと神からの使命を持って天才的な才能を持って生まれた万太郎との「生き方のギャップ」によるトラブルであろう。

 さて、こういった人々に比べ、日々の生活を送ることだけに一生懸命の者もいる。生きていくだけでも精いっぱいの者もいる。その中には、生きるのに疲れてしまう人もいるのも事実。この世の問題集を解いていく過程で、その切り開いていく気力をなくしてしまう者もいるのだ。しかし、この世のその問題集は、その人に応じた問題集であるのであり、必ず乗り切れるものであるというのだ。今では、相談窓口がいろいろ設けられているし、隣の誰かに相談して乗り切るのもいい。※補足論点1・2

 途中で問題集を投げ出しても、あの世に行ったら、この世の途中で問題を投げ出したことを大いに反省し、同じような課題の問題集を行うことを、自ら進んで再度行うことになるというのだ。 

 ※補足論点1 まず、生きていることが理屈抜きに大事。いかに生きるか、どう生きるかも、もちろん重要だと思います。・・(しかし)・・・残りの9割ぐらいは生きることそのものだと言ってもいいのではないでしょうか。何があっても生きていれば、人生というテストに80点から90点は取れたようなものじゃないかと思います。(東大教授バリアーフリー研究者福島智=本人は3歳で右目失明・9歳で左目失明・18歳で失聴)<ことば巡礼 23年7月28日宮崎日日新聞 矢口誠著による>

 補足論点2 神は自ら「体」を持たないから、この世の体をもつヒトに対して「体験」させることにより、神も同時に「体験」したことになるという。生きることそのものがいかにつらいものであろうとも、神との一体化した体験であるということを考えれば、そのつらさが「やわらぐ」ことにはならないだろうか。

参考:完全版生きがいの創造 飯田史彦著 PHP文庫  

   神との対話

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