「病気の家族の介護・看護を必要」から「子の養育が困難等」への移行か!!??(裁判例による変遷)
転勤について、<*1>使用者の転勤命令権として認められるためには、契約のよる制約と権利濫用による制約をクリアーすれば、有効なものとされる。一番目の契約の制限であるが、転勤命令権が労働協約や従業規則の定め等によって労働契約上根拠づけられていることが必要である。2番目の権利濫用法理であるが、転勤については、1、命令の業務上の必要性がない 2、不当な動機・目的 3、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益 がある場合が権利濫用とされ(東和ペイント事件)、2の「不当な動機・目的」がある場合には、言うまでもないが、3の「業務上の必要性」については、転勤自体通常どこでも行われていることを反映してか、労働者の適性配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化などの企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、その必要性があるとすべきであるとされている。言い換えると「余人をもっっては容易に替え難し」といった高度の必要性ではなく、一般にいわれている適性配置等や例えば「風通しを良くする」など通常の必要性があればOKであるとされている。
さて、問題は3の「労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」であるが、従来は、単身赴任というような単なる家庭の事情だけでは著しい不利益とはならないとされ、病気の家族を介護・看護できなくなるといった事情が加わらなければ認めないといったことがある。例えば、東亜ペイント事件では、神戸の営業所に勤務していた労働者に名古屋営業所の転勤を命じたところこれを拒否したので、懲戒解雇したものであるが、労働者の転勤の拒否は、72歳の母親と保育士の妻と2歳の子供を抱えていたので、名古屋への転勤は単身赴任を余儀なくされるとの理由からであった。これについて、最高裁判決は、通常甘受すべき程度のものと判断した。(最判昭61.7.14) 一方、北海道コカコーラボトリング事件では、帯広から札幌工場への転勤で、躁うつ病疑い及び精神発達障害の長女・次女や体調不良の両親がおり、一家で札幌に転勤は困難であり、この労働者が単身赴任すれば妻に過重な負担がかかり、この労働者以外にも異動対象候補者がいたことから、当転勤命令は通常甘受すべき程度を超える不利益を負わせるものと判断した。(札幌地決平成9.7.23)
また、ケンウッド事件でも、共働きで、夫と3歳の子の送迎を分担していた妻に対し、目黒区から八王子事務所への異動命令が出たが、従わなかったので、最終的にこの労働者を懲戒解雇したものである。その拒絶理由として、今まで妻の勤務先までの通勤時間は約50分、夫の通勤時間は約40分であったところ、妻の異動先への通勤時間は約1時間45分となり、子の保育園への送迎に支障が生じるというものであった。この判決では、この「通勤時間」の労働者の負う不利益は必ずしも小さくはないとしたが「通常甘受すべき程度を著しく超える」とまではいえないとした。(最3小判平成12年1月28日)
ところが、育児介護休業法が平成13年に改正され、「その就業場所の変更によりその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となるときは、その状況に配慮しなければならない」(育介法26条)といった条文が追加された。条文に注意してほしいのは、「努めなければならない」という単なる努力義務ではなく、「配慮しなければならない」とされている点である。この条文追加後の対応として、明治図書出版事件では、この「配慮」について、配置変更をしないといった配置の「結果」そのものや労働者の介護の負担を軽減するための積極的な措置を講ずることを事業者に求めるものではないとしながらも、育児の負担がどの程度のものなのか、この回避策はどのようなものがあるかを、真摯に対応することを求めているものであり、すでに出た配置命令を労働者に押し付けるような態度を一貫して取るような場合は、その配置命令が権利の濫用として無効となるとした。(東京地判平成14.12.27)すなわち、子の養育について、配慮しないからといって直ちに違法となるものではないが、配置命令の権利濫用の判断に影響を与えるものと解されている。
また、ネフレ日本事件は、介護の場合であるが、先ほどの育児介護休業法26条を援用して、介護を必要とする家族を抱える労働者への姫路工場から霞が浦工場への転勤について、「通常甘受すべき程度を超える不利益」を与えるもので、無効であるとしたものである。(大阪高判平成18.4.14)、
また、日本レストランシステム事件では、大阪から東京への転勤命令で、勤務地限定の合意(関西地区)が成立していたと判断し、仮にそうではないとしても、配置転換につき十分な説明がなされていない(手続き上の不備)として、配置転換命令の濫用であるとしている。(大阪高判平成17.1.25)これは、労働契約法4条の規定の「労働契約の内容につき労働者の理解を深める努力を求めた」ものにも関連するものといえる。
さらに、「労働契約は、労働者・使用者双方が、仕事と生活の調和にも配慮しつつ労働契約を締結・変更すべきとする」労働契約法3条3項も、その文言の抽象性から法的拘束力は持ちえないと解すべきであるが、育児介護の責任に限定しないすべての労働者のワークライフバランスへの配慮を規定している。「本件配置命令は、住宅の移転を伴う配置転換を命じるものであるところ、このような配置転換命令は、使用者が配慮すべき仕事と家庭の調和に対する影響が一般的大きなものであるから、その存否の認定判断は慎重にされるべきものである」(仲田コーティング事件・京都地判平成23年9月5日)と述べています。
ここで、考えるべきは「通常甘受すべき程度」とはどれほどかであるが、企業においては、長期労働契約において解雇が制限されているという事情の下で、転勤をはじめとする配置転換が容易に求められてきたという経緯があることに注意しなければならない。企業は適性配置等の比較的容易な必要性があれば辞令一つで動かせたのは、解雇が困難であるということと裏表の関係にあったということである。そして、この背景には、夫が働き妻が家庭を守る(その反対もある)という昔ながらの家庭を標準としたものであった「通常の家族」というものが、労働者の労働の再生機能として働いていたからである。しかしながら、今は、夫婦共働きを含む家族の価値観の多様化のなかで、こういった家族像は変わってきているのではないだろうか。企業において、解雇制限がある中で配置転換についても従来よりも強い制限が課せられるとすれば、厳しいものがある。企業に責任を負わせるだけではなく、政府が進めている多様な働き方や長期労働時間の制限の動きは、この配置転換の考え方と併せて、この労働者の「労働の回復機能」を有する「家庭」という役割像の見直しから考える必要があるのではなかろうか。であるとするならば、配置転換についても、家庭の役割の位置づけを再度確認した上で、国の法律面や財政・税制面での支援援助が必要と思われる。そういった中で、現実の社会のありかたや社会意識の変化に伴って、司法の「通常甘受すべき程度」の考え方も変わっていくものと思われる。
なお、水町著労働法では、コラムの記事で、単身赴任は通常甘受すべきものであるとするこれまでの日本の法状況は、欧米先進国に比べてノーマルでないとする。例えば、フランスでは、労働の場所は労働者個人の同意なく変更できない労働契約の要素であるとしている。
参考 労働法第6版 水町勇一郎著 有斐閣
最新重要判例200労働法第4版 大内伸哉著
労働法実務講義第3版 大内伸哉著 日本法令 弘文堂
労働法 林弘子著 法律文化社
労働法解体新書 角田邦茂・山田省三著 法律文化社
<*1>同一企業内で職種や勤務場所を変更することを「配置転換」といい、そのうち、転居を伴うものを転勤と呼んでいる。すなわち、転勤は大きくは配置転換の中の一つであり、ひっくるめて配置転換権としてもいいところであるが、転勤は家庭の事情等から不都合を生じる場合が多いので、ここでは転勤命令権としている。
転勤について、<*1>使用者の転勤命令権として認められるためには、契約のよる制約と権利濫用による制約をクリアーすれば、有効なものとされる。一番目の契約の制限であるが、転勤命令権が労働協約や従業規則の定め等によって労働契約上根拠づけられていることが必要である。2番目の権利濫用法理であるが、転勤については、1、命令の業務上の必要性がない 2、不当な動機・目的 3、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益 がある場合が権利濫用とされ(東和ペイント事件)、2の「不当な動機・目的」がある場合には、言うまでもないが、3の「業務上の必要性」については、転勤自体通常どこでも行われていることを反映してか、労働者の適性配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化などの企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、その必要性があるとすべきであるとされている。言い換えると「余人をもっっては容易に替え難し」といった高度の必要性ではなく、一般にいわれている適性配置等や例えば「風通しを良くする」など通常の必要性があればOKであるとされている。
さて、問題は3の「労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」であるが、従来は、単身赴任というような単なる家庭の事情だけでは著しい不利益とはならないとされ、病気の家族を介護・看護できなくなるといった事情が加わらなければ認めないといったことがある。例えば、東亜ペイント事件では、神戸の営業所に勤務していた労働者に名古屋営業所の転勤を命じたところこれを拒否したので、懲戒解雇したものであるが、労働者の転勤の拒否は、72歳の母親と保育士の妻と2歳の子供を抱えていたので、名古屋への転勤は単身赴任を余儀なくされるとの理由からであった。これについて、最高裁判決は、通常甘受すべき程度のものと判断した。(最判昭61.7.14) 一方、北海道コカコーラボトリング事件では、帯広から札幌工場への転勤で、躁うつ病疑い及び精神発達障害の長女・次女や体調不良の両親がおり、一家で札幌に転勤は困難であり、この労働者が単身赴任すれば妻に過重な負担がかかり、この労働者以外にも異動対象候補者がいたことから、当転勤命令は通常甘受すべき程度を超える不利益を負わせるものと判断した。(札幌地決平成9.7.23)
また、ケンウッド事件でも、共働きで、夫と3歳の子の送迎を分担していた妻に対し、目黒区から八王子事務所への異動命令が出たが、従わなかったので、最終的にこの労働者を懲戒解雇したものである。その拒絶理由として、今まで妻の勤務先までの通勤時間は約50分、夫の通勤時間は約40分であったところ、妻の異動先への通勤時間は約1時間45分となり、子の保育園への送迎に支障が生じるというものであった。この判決では、この「通勤時間」の労働者の負う不利益は必ずしも小さくはないとしたが「通常甘受すべき程度を著しく超える」とまではいえないとした。(最3小判平成12年1月28日)
ところが、育児介護休業法が平成13年に改正され、「その就業場所の変更によりその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となるときは、その状況に配慮しなければならない」(育介法26条)といった条文が追加された。条文に注意してほしいのは、「努めなければならない」という単なる努力義務ではなく、「配慮しなければならない」とされている点である。この条文追加後の対応として、明治図書出版事件では、この「配慮」について、配置変更をしないといった配置の「結果」そのものや労働者の介護の負担を軽減するための積極的な措置を講ずることを事業者に求めるものではないとしながらも、育児の負担がどの程度のものなのか、この回避策はどのようなものがあるかを、真摯に対応することを求めているものであり、すでに出た配置命令を労働者に押し付けるような態度を一貫して取るような場合は、その配置命令が権利の濫用として無効となるとした。(東京地判平成14.12.27)すなわち、子の養育について、配慮しないからといって直ちに違法となるものではないが、配置命令の権利濫用の判断に影響を与えるものと解されている。
また、ネフレ日本事件は、介護の場合であるが、先ほどの育児介護休業法26条を援用して、介護を必要とする家族を抱える労働者への姫路工場から霞が浦工場への転勤について、「通常甘受すべき程度を超える不利益」を与えるもので、無効であるとしたものである。(大阪高判平成18.4.14)、
また、日本レストランシステム事件では、大阪から東京への転勤命令で、勤務地限定の合意(関西地区)が成立していたと判断し、仮にそうではないとしても、配置転換につき十分な説明がなされていない(手続き上の不備)として、配置転換命令の濫用であるとしている。(大阪高判平成17.1.25)これは、労働契約法4条の規定の「労働契約の内容につき労働者の理解を深める努力を求めた」ものにも関連するものといえる。
さらに、「労働契約は、労働者・使用者双方が、仕事と生活の調和にも配慮しつつ労働契約を締結・変更すべきとする」労働契約法3条3項も、その文言の抽象性から法的拘束力は持ちえないと解すべきであるが、育児介護の責任に限定しないすべての労働者のワークライフバランスへの配慮を規定している。「本件配置命令は、住宅の移転を伴う配置転換を命じるものであるところ、このような配置転換命令は、使用者が配慮すべき仕事と家庭の調和に対する影響が一般的大きなものであるから、その存否の認定判断は慎重にされるべきものである」(仲田コーティング事件・京都地判平成23年9月5日)と述べています。
ここで、考えるべきは「通常甘受すべき程度」とはどれほどかであるが、企業においては、長期労働契約において解雇が制限されているという事情の下で、転勤をはじめとする配置転換が容易に求められてきたという経緯があることに注意しなければならない。企業は適性配置等の比較的容易な必要性があれば辞令一つで動かせたのは、解雇が困難であるということと裏表の関係にあったということである。そして、この背景には、夫が働き妻が家庭を守る(その反対もある)という昔ながらの家庭を標準としたものであった「通常の家族」というものが、労働者の労働の再生機能として働いていたからである。しかしながら、今は、夫婦共働きを含む家族の価値観の多様化のなかで、こういった家族像は変わってきているのではないだろうか。企業において、解雇制限がある中で配置転換についても従来よりも強い制限が課せられるとすれば、厳しいものがある。企業に責任を負わせるだけではなく、政府が進めている多様な働き方や長期労働時間の制限の動きは、この配置転換の考え方と併せて、この労働者の「労働の回復機能」を有する「家庭」という役割像の見直しから考える必要があるのではなかろうか。であるとするならば、配置転換についても、家庭の役割の位置づけを再度確認した上で、国の法律面や財政・税制面での支援援助が必要と思われる。そういった中で、現実の社会のありかたや社会意識の変化に伴って、司法の「通常甘受すべき程度」の考え方も変わっていくものと思われる。
なお、水町著労働法では、コラムの記事で、単身赴任は通常甘受すべきものであるとするこれまでの日本の法状況は、欧米先進国に比べてノーマルでないとする。例えば、フランスでは、労働の場所は労働者個人の同意なく変更できない労働契約の要素であるとしている。
参考 労働法第6版 水町勇一郎著 有斐閣
最新重要判例200労働法第4版 大内伸哉著
労働法実務講義第3版 大内伸哉著 日本法令 弘文堂
労働法 林弘子著 法律文化社
労働法解体新書 角田邦茂・山田省三著 法律文化社
<*1>同一企業内で職種や勤務場所を変更することを「配置転換」といい、そのうち、転居を伴うものを転勤と呼んでいる。すなわち、転勤は大きくは配置転換の中の一つであり、ひっくるめて配置転換権としてもいいところであるが、転勤は家庭の事情等から不都合を生じる場合が多いので、ここでは転勤命令権としている。