松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

和ろうそくを灯す時 その3

2009-05-21 22:04:38 | 和ろうそくを灯す時
人はどんな時に和ろうそくを灯すのだろう?
和ろうそくを知ってから、時折その事を考えてきました。

前回の記事で、ろうそく電灯があるのなら、和ろうそくの出番は?という問いかけで終わってしまいましたが、続きを書きたいと思います。

正徳芯和ろうそくを初めて販売したのが2007年9月。八女の祭りの時です。それ以来、様々な催事やイベントで商品を並べては、お客様と言葉を交わしてきました。その中で一番多い意見がこれ。

「和ろうそくは高いもんね。」

これですよ、これ。ともかく値段が高いから買おうという気がしない。観光地で和ろうそく職人の実演を見て、たまたま気が向いたというか、気が違ったというか、買う気がなかったのについ買ってしまった場合、家に帰った後、もったいなくて灯せません。何年も箪笥の肥やしになって、ついには忘れ去られて、肝心の仏事のチャンスが訪れても、結局灯さないパターンです。

かえって食べ物みたいに消費期限があれば、期限前にあわてて灯すかもしれませんが、和ろうそくに消費期限はありません。先日、大正時代の和ろうそくを灯したという方が言われました。

「ちゃんと普通に燃えたよ。きれいやった。」

最新鋭の電化製品は目まぐるしく葬り去られていくのに、ほぼ半永久的に使えてしまう和ろうそく。喜ばしいことなのかどうか複雑な気持ちになりました。

あわてて使う必要がないって状況では、人はますます和ろうそくを灯さないではありませんか。

人はどういう時に、和ろうそくを灯す行動をするのだろう?

和ろうそくに関わって以来、命題のようにのしかかるこのテーマが私の頭から離れません。

この答えがわかれば、人は和ろうそくを灯し、原料である櫨蝋が増産され、櫨の実の収穫が増え、櫨の木が植えられるはず。そうすると各地に櫨の風景が蘇ることは決して不可能な夢ではありません。

もちろん耳納山にも。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ


和ろうそくを灯す時 その2

2009-05-18 22:09:27 | 和ろうそくを灯す時
ある人から、こう言われたことがありました。
「停電の時ぐらいしか、ローソクやら使う時はなかもんな。」

電気の代用として和ろうそくを使う?

あまりにもったいなさすぎ。非常時に使うローソクなんてパラフィンローソクで十分です。明かりがあればいいってだけなんですから。しかしそもそも大抵は懐中電灯がありますから、パラフィンローソクすら出番がないかもしれません。

ともかく単なる「明かり」としての需要は、明治の文明開化で西洋から電灯がやってきて日本に広まった時点で終わったのではないかと思います。

ところで、最近ではローソクの形をした仏壇用の電灯がありますね。大抵の葬儀場ではこのローソク電灯が活躍していますが、最近はお寺や各家庭でも活躍しているようです。火事を心配しなくていいから、安全で安心な明かりというわけです。

まるでバランみたいなもんです。

もともと蘭の葉でできてたから「バラン」と呼んだそうですが、今ではほぼ100%ビニール製。わざわざ蘭の葉を買う人はいないでしょう。

もし亡くなられた方のために明かりを灯す時、ローソク電灯を使うのなら、和ろうそくの出番はありません。スイッチ一つで万事オーライです。

それじゃ、いったいいつ和ろうそくの出番はあるのでしょう?

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

和ろうそくを灯す時 その1

2009-05-14 23:39:44 | 和ろうそくを灯す時
人間は合理的に生きようとするが、決して合理的には生きられない。

これは現在、私が思っていることです。

人間は合理的に黒と白の二者択一で人生を生きていくことはできません。目の前に厳然とした事実が横たわっているのに、どうしても認めたくない時があります。

その最たるものが「死」です。自分の死じゃなくて、身近な愛するものの死。

人との永遠の別れをスムーズに納得して前に進める人っているんでしょうか。もちろん、納得するしないにせよ、この世に残された人は、愛する者の死を、なんとか無理矢理自分をなだめて納得させ、思い込ませて、結局は前に進んでいくしかありません。

昔から、人間は身近な者の死に直面した時、どうやって自分をなだめてきたんでしょうか?どうやって死を受け入れてきたのでしょう?

イラク北部にあるシャニダール洞窟の中に、約6万年前と推定されているネアンデルタール人の骨が発見された時、その周辺には洞窟には見つかるはずのない花粉がありました。それは死者を弔うために花を死体の周りに添えたと解釈され、発見されている歴史上初めての葬儀跡だと言われています。

花を供える。香を焚く。お経を唱える。そして明かりを灯す。こうした行為は故人のためだけではなく、残された者が人の死をいかに心の中で受け止めて自分を納得させるか、それを助けてくれる儀式でもあります。昔から、人々はこうした儀式を行いながら死を受け入れてきました。

その儀式の一部である櫨蝋の手がけ和ろうそくは、蝋だれすることもなく美しく揺らめきながら燃えていきます。力強い炎は、まるでこの世とあの世をつなぐ明かりのようです。

身近な人が亡くなった時は、故人のために、そして残された者のために、ぜひ和ろうそくを灯してほしい。

和ろうそくのことを知ってから、私はそう強く思うようになりました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ