松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

「松山櫨便り」を置いています

2007-04-16 19:04:59 | 松山櫨とは
電車もJRも通ってないのに、「駅」とは紛らわしいんですが、
いわゆる「道の駅」って感じのトイレ付き休憩所が出来ました。

内山緑地へ登っていく道と、久留米側から山苞の道が始まる所です。
そこにチラシ置き場を見つけたので、
さっそく「松山櫨便り」を置かせていただくことにしました。

先日のオープンガーデンの時に、何枚か置いていましたが、
今日立ち寄ってみると、ほとんどなくなっています。
少しは興味を持たれた方がいらっしゃったって事ですね。
やった!
気をよくした私は、再び何枚か加えておくことにしました。


「松山櫨便り」は現在第6号まで発行しています。
内容は当ブログをまとめたもので、
ブログよりかなり進行が遅れていますが、
インターネットをしない方にも
見てもらおうと思って作っています。

もし田主丸に立ち寄られた際は、
この「山苞の駅」、JR田主丸駅、そよ風ホール、
福岡県緑化センターなどのチラシ置き場に
置いていますので、ぜひご自由に取ってください。

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田主丸町で発見された松山櫨

2007-01-31 16:45:17 | 松山櫨とは
たまたま私が久留米藩における櫨について調べていたところ、
地元田主丸町で発見された「松山櫨」という品種に出会いました。
「松山櫨」とは、田主丸町(当時竹野郡)亀王村の大庄屋であった
竹下周直武兵衛が発見した櫨の品種です。
この品種は、同時代の農学者大蔵永常の大著「農家益」において、
7種の銘柄のうち「松山種を最上とする」と賞された程の逸品で、
他の品種の数倍の値で取引され、筑後全域に広まりました。
「松山櫨」の「松山」とは現在の田主丸町森部地域を指す
場所の名前だと考えられています。

真っ赤に染まっていた耳納山

2007-01-30 21:45:11 | 松山櫨とは
福岡県久留米市で「櫨(はぜ)」といえば、
まず久留米市山本町の櫨並木が思い出されます。
この櫨並木は、江戸時代、有馬藩の保護・奨励により、
筑後全域で多くの櫨(はぜ)が植えられた名残です。
もちろん久留米市田主丸町もまた例外ではなく、昭和三十年代頃まで、
秋になると耳納山が櫨の紅葉で真っ赤に染まっており、それは美しかったそうです。
残念ながら、時代の変遷と共に次第に櫨の木は切り倒されていき、
今では耳納山で櫨の木を見かけることは、ほとんどなくなってしまいました。