松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

蝋花(ろうばな)ができる瞬間

2014-10-24 08:47:38 | 櫨ものがたり
内子町での「櫨の魅力展」が無事に終わりました。
あとは来月の福岡市どいざきでの「櫨の魅力展」(11/18より)が待っています。

さて、画像は江戸時代(1800年代)に発刊された大蔵永常「農家益」に描かれた「晒し蝋場」の様子です。
手前に三人の男がいます。
一番右側の男はひしゃくを持って、なにやら大釜の中の液体をくみ上げ、竹の橋渡しにくみ上げています。
大釜の中の液体は櫨の実を搾った生蝋(しょうろう)です。

真ん中、やや左奥の男が水を汲んで桶に流しています。
手前の一番左側の男は、水が流れている桶の中でグルグルと棒をかき混ぜています。

これぞまさしく蝋花が生まれる瞬間なんです。

熱い生蝋を冷たい水の中に入れると、一瞬で凝固してしまいます。その様子を蝋花(ろうばな)と名付けられました。
その蝋花を画像奥の「蝋蓋(ろうぶた)」とよばれる四角の箱に入れて、天日で晒していくのです。

蝋花はウグイス色の生蝋を、太陽のもと、白くさせて白蝋にするための知恵だったのです。

現在の工程は江戸時代から少しだけ進んだものの、原理は同じです。

石鹸「蝋花」は、この白蝋から生まれました。

きびだんごプロジェクト「モチモチの泡立ちで、保湿力抜群!100%ハゼを使った最高級石鹸を作りたい!」実施中です


櫨の石鹸「蝋花」プロジェクト in きびだんご

2014-10-16 13:29:41 | 櫨ものがたり
ついに櫨の石鹸「蝋花(ろうばな)」のサンプルが完成しました。

構想から始めると3年以上。実際にプロジェクトに取りかかってから半年以上が経ちました。
できあがった石鹸のサンプルを見ていると、つくづく感無量です。

今回は小規模事業者持続化補助金に採択されたおかげで、小さなサンプルを作ることができました。
でも、まだ本格販売はこれからです。

そこで、本格販売するための商品作りの資金のために、クラウドファンディングなるものにチャレンジすることにしました。

昨日15日から、さっそくオープンしました。
タイトルはこれ!
「モチモチの泡立ちで、保湿力抜群!100%ハゼを使った最高級石鹸を作りたい!」
リンク先はこちらです。

ハゼって何?ってことから、私がこれまでやってきたことまで、イロイロとコンパクトにまとめました。
結構つくるの大変でしたが(^0^;)

やはりみなさんに櫨の良さを伝えたいという気持ちは、立ち上げた当初から変わりません。

ぜひリンク先での記事を読んでいただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>

櫨の石鹸プロジェクト その10 サンプル完成へ

2014-10-15 21:07:29 | 櫨ものがたり
熟成された石鹸がいよいよ機械から出てきました。

金太郎飴みたいな固まりがどんどんでてきました。これが櫨の石鹸です。

強い力で石鹸が攪拌されている様子です。


櫨蝋は粘り気が強く、機械にがっしりとくっついてしまうので、かなり扱いが大変だったそうです。
この巨大な機械が、櫨蝋を扱ったせいで壊れたらどうしようかと妙にドキドキしましたが、それはさすがにプロ。何回も石鹸を押し出しながら調整していきました。

次第に金太郎飴状態の表面がきれいに固まっていくのがわかりました。

断面図です。


良い色合いの石鹸になってます。

一方、石鹸に合うデザインと商品名をアレコレ考えて作ったのがコレです。



商品名は「蝋花(ろうばな)」
櫨蝋を晒す時、江戸時代は溶けた蝋を水の中にいれて細かくしますが、その時、水の中で白い花びらが舞うように溶けた蝋が固まっていく様子を「蝋花(ろうばな)」と言うのです。

櫨の石鹸はこうした晒し蝋(白蝋)を100%使っているので、この美しい名前をつけることにしました。

数日後、完成した石鹸の配布用サンプルです。





櫨の石鹸プロジェクト その9 香り選び

2014-10-12 01:03:38 | 櫨ものがたり
画像は櫨蝋100%の石鹸素地です。
ここに辿りつくまで半年以上かかりました。一歩一歩進んでいます。

9月某日。櫨の石鹸の香り選びをしました。

こんなにたくさんの香りから選びます。


櫨蝋の匂いをうまくカバーできる精油を北尾さんがセレクトして最終的に三種類の香りパターンを作りました。

林社長の指導により、香りを入れた後にビニール袋を使って練り込みます。


数日置いた後、手を洗ってみました。


かなり泡立ちが良い上に、泡切れもすぱっととれていきます。



三種類の香りパターンの石鹸です。

今回は、香りは甘さと爽快感のある大人の香りを選びました。

アルプスラベンダー、ゼラニウム、イランイラン、パチョリ。
全て天然由来の精油です。

さあ、これでいよいよ石鹸ができます。

私は同時並行でラベルのデザインをし始めました。

櫨の石鹸プロジェクト その8 石鹸マイスター

2014-09-15 09:19:54 | 櫨ものがたり
9月初旬、いよいよ最初のかけらをもとに、まるは油脂で櫨の石鹸の次なる試作が始まりました。

画像はまるは油脂で20年の経験がある石鹸マイスターが櫨蝋に水酸化ナトリウムを加えて、湯煎しながら鹸化反応をおこしているところです。

鹸化反応が落ち着いてきた頃、林社長と北尾さんが鍋をのぞき込んでいます。

この画像を見る限り、普通の石鹸の作り方なので、誰が作ってもなんの変哲もないように見えますが、実はここに至るまでが大変だったそうです。

石鹸マイスターに聞いてみました。
私「櫨蝋だけで鹸化させていくって、やはり大変だったんですか。」
石鹸マイスター「他の油脂と同じようなやり方でしていると、すぐにガチガチに固まってしまって。」

他の油だったらこうとか、そんな固定観念を頭からいったん全部外す必要があったと言います。

私「そんなに櫨蝋って他の油脂と違ってたんですか?」
マイスター「はい。全然違いましたね。」

20年の経験があっても、櫨蝋は予想外のシロモノだったそうです。
その櫨蝋の性格を見つけ出すまでが手探り状態でした。

戦中戦後に作られては消えていった悪質な石鹸は、こうした櫨の性格が理解されないままに作られていたからではないかと思われます。

私「見つけ出すための、何かヒントとかはあったんですか?」
マイスター「ずっと前に他の、ちょっと変わったある油脂で作った時の、自分の経験が1つだけ手がかりになりました。」

考えてみると、油脂の種類は動物性・植物性、世界中にいろんな油脂があるので、数えると軽く60を超えます。最近では手に入りにくい鯨油でも少量だけ実験として石鹸を作られたそうです。

林社長は言いました。
「いろんな石鹸を作ったからといって、それがすぐに利益には結びつかない。でもいつも似たような素材で作っていても、そこから進歩しない。外から依頼されたモノは、それが変わったものであればあるほど、次の石鹸に生かすことができるし、なにより勉強になるからね。」

石鹸マイスターは液体の様子を見ながら、しばらく攪拌した後、手袋を外して鍋の石鹸溶液を舐めました。

私がびっくりして息をのむと、林社長が味で石鹸の状態がわかるんだよ、と説明。

水酸化ナトリウムは劇物ですが、鹸化反応によって物質が変わります。その途中の状態をちょっとだけ舐めて確かめるのだそうです。

石鹸づくりの経験が浅いと、鹸化が終わってないままに舐めてしまうため、舌がビリビリと悲鳴をあげるそうで、その苦い経験を繰り返しながら成長していくのだとか。

マイスター「んん。まだもう少しかかりますね。」

時間をかけて鹸化させ、あとは熟成です。熟成が終わって乾燥させた後、この石鹸の匂いに合う特別な香りをつけます。

私「良い石鹸ができそうですか?」
マイスター「まだわかりません。皆目見当がつかない。」

そ、そりゃそうでした。

櫨の石鹸づくりはまだまだ一歩踏み出したばかりなのです。

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ただいま試作石鹸が熟成中なので、この石鹸プロジェクトの話もいったん小休止です。
今後の進展はどうなるでしょうね?

櫨蝋で一番良い石鹸を目指すプロジェクト、今後もどうぞお楽しみに!

櫨の石鹸プロジェクト
その1 櫨蝋の使い道 はこちら。
その2 石鹸と零戦 はこちら。
その3 酔狂な試み? はこちら
その4 汚名返上へ はこちら
その5 最初のかけら はこちら
その6 匂いを香りに はこちら
その7 「炭鉱」に込められた香り はこちら

櫨の石鹸プロジェクト その7 「炭鉱」に込められた香り

2014-09-15 07:28:40 | 櫨ものがたり
2013年10月、福岡産業デザインアワードの会場に北尾菜保子さんはいました。

炭鉱施設をまちづくりに生かす取組を続けている福岡県大牟田市の「大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ」が、地元の風景をイメージした「香りのサシェ(匂い袋)」を会場で展示していました。

北尾さんは先祖の実家が大牟田にあるそうで、同ファンクラブの立ち上げから関わってきた副理事長です。

「香りのサシェ」は北尾さんのプロデュースでした。

サシェは三種類。ペパーミントで爽やかな「有明海」、ラベンダーで花の名所をイメージした「三池山」。そして、私が入手したのは白檀を使って落ち着いた大人の香りに仕上げられた「炭鉱」です。

香りはよく記憶に刻みつけられると言います。
幼い時の母の匂い。路地裏の匂い。学校の理科室の匂い…。

私はふと、「炭鉱」と名付けられたサシェに、香り成分が取れるまで何十年もかかる白檀を使ったのは、なぜだろうと疑問を持ちました。ペパーミントとラベンダーは割と一般にも馴染みがある香りですが、わざわざ貴重な白檀をセレクトしているのは何かワケがありそうな気がしました。

三池炭鉱は福岡県大牟田市、熊本県荒尾市にまたがる日本最大の産出量を誇った炭鉱です。かつては20万人が働き、1997年廃坑となってから今では合計6万人の人々が去りました。

地下深く網目状に、遠く海の底まで続く坑道。激しい炭鉱労働、400人を超える死者を出した大爆発。労働争議。

近代化する日本を支えたまち、それが大牟田・荒尾のまちなのです。

私も随分昔、前職で炭鉱・鉱害の仕事に少し関わったことがあり、研修見学で炭鉱に入ったことがあります。

炭鉱の少し奥に入っただけで、どんどん蒸し暑くなってくる坑道の空気の匂いや、支える杭、白いカビ群など、それはもう何もかも圧倒され、息苦しくなるほど強い印象を持ちました。

大牟田・荒尾は炭鉱のまちです。廃墟となった社宅、さび付いた巨大な機械が、がらんとした道路から遠くに見えるものの、今ではそれらの施設はほとんど崩壊しつつあるとニュースで知りました。

北尾さんのプロデュースした「炭鉱」には、そうした人々の失われた時間と場所の記憶を、歴史を重ねてきた白檀の香りによって蘇らそうとしているのではないかと思い到った時、私は北尾さんの故郷に込める思いの強さを感じました。

入手して一年たった今でも、サシェは部屋に置いてますが、十分香りを楽しむことができます。

北尾さんは、最初は他の一般的なアロマセラピストと同様に、自身の肌のアレルギートラブルが原因でアロマケアに目覚めたそうですが、そこから先の探求の道のりは大変なものがあります。詳しくはこちら。

櫨の石鹸に一番ふさわしい香りをつけるための、強力な助っ人が見つかりました。

その8 石鹸マイスターにつづく


櫨の石鹸プロジェクト
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その6はこちら

櫨の石鹸プロジェクト その6 臭いを香りに

2014-09-14 08:55:56 | 櫨ものがたり
櫨蝋を天日干しにして白蝋にしているところです。(荒木製蝋(合)敷地内)

櫨の実を搾っただけの生蝋を砕いて、こうして広げます。しばらく干してると白くなってきますが、日光に当たってない下側の部分は変化しないので、時々ひっくり返す必要があります。

この作業は二ヶ月間続き、かなり手間をかけて作られていきます。

ビニールハウスの中に入ると、むせそうになる程、白蝋独特の匂いがします。

白蝋の匂いは慣れるとなんでもないのですが、いろんな人に白蝋の匂いを嗅いでもらったら、9割が「臭い」と言われました。

櫨の石鹸は白蝋がメインで作るので、この白蝋の匂いをどうするかによって石鹸全体の印象が変わってくるでしょう。

私は香りについてちょっと調べてみました。すると面白いことがわかりました。

動物のフンの匂いの主成分である「インドール」は100%不快なフン臭。しかし0.001%アルコール溶液に希釈すると、香りにコクを与えてジャスミン、クチナシの独特の香りになるという不思議。

女性にとって最も魅力的な香水だとされているシャネルの香水にも、もちろん入っています。フンの臭いが。

良い香りというものは、いやな臭いを含まないとできないとは面白いものですね。

となると、白蝋の臭いは良い香りにつながる可能性があるわけです。

白蝋の臭いを理解した上で、良い香りを引き出してくれる人、セレクトして配合してくれる専門家が必要です。

アロマセラピストは女性起業家に多い職業ですが、本当にアロマに詳しい専門家となると、数はかなり限られてきます。

これから作る新しい櫨の石鹸のために、幾多のアロマセラピストから選ばないといけません。

そう思うと、自然に私の頭に浮かび上がってきた方がいます。

炭鉱の町にルーツを持つアロママイスター・北尾菜保子さんです。
http://www.nahokos.info


その7につづく

櫨の石鹸プロジェクト
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櫨の石鹸プロジェクト その5 最初のかけら

2014-09-13 09:16:22 | 櫨ものがたり
櫨蝋を天日で干して不純物を取り除き精製加工したものを、白蝋といいます。

昔はみやま市、柳川市には多くの白蝋製造者がいて、敷地にズラリと白蝋を干している風景があったそうです。付近を通りかかると、真っ白な白蝋が日の光に当たってキラキラと眩しいくらいやった、そう言われる方もいます。

今はそんな風景はありません。白蝋はわずかな敷地の中で天日干しをされています。

その白蝋をまるは油脂化学(株)の林社長に渡して一ヶ月ほどが経ちました。

その時点では補助金のことは頭になく、櫨の石鹸を目指して少しずつ試作をお願いしていこうという心づもりでした。

ある日、「できたよ、矢野さん」と言われて持ってこられたのが、小さな石鹸のかけら(画像)でした。

一目見ただけで、以前作っていた石鹸に近い物ができてることに驚きました。

「これ…、櫨蝋…だけですよね?」
「うん。櫨蝋100%。現場で苦労したみたいだよ。」

小さな石鹸のかけら。

ここに行き着くまでに何度失敗したことか。
何度やってもガチガチに固まって石鹸になってくれなかったそうです。

普通の企業だったら、たいして発注もしてくれなさそうな相手の商品のために、時間をかけて実験を続けるなんて、コストの問題からあきらめるところです。

そこが、まるは油脂化学が他の企業と違うところでした。

「ウチはどんなモノでも石鹸を作ってきた。あきらめない。」

まるは油脂化学は創業80年。
数え切れないくらい様々な材料を使って石鹸に仕上げてきました。その長い経験が、櫨蝋を石鹸にする道を導き出したのだと思います。

櫨蝋を100%使った石鹸も、必ずできると断言していました。

最初の試作でできあがった、小さな石鹸のかけら。

私も、まるは油脂化学の林社長も、これならできる!と確信しました。

しかし、まだ石鹸に仕上げるには、もう一つ問題がありました。

香りです。

その6につづく

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櫨の石鹸プロジェクト その4 汚名返上へ

2014-09-12 09:19:22 | 櫨ものがたり
どんなものでも石鹸を作る。チャレンジする。

そのポリシーを持つ石鹸会社が、まるは油脂化学(株)です。

まるは油脂化学(株)は1932年(昭和7年)創業。久留米市で天然素材にこだわった無添加石鹸の製造を行っており、久留米で生み出される良品といえば、ここの石鹸をあげる人も数多くいます。

まるは油脂の創業当時、石油も物資もない頃に、なんと櫨蝋で石鹸が作られて市場に出回っていたそうです。

第二次世界大戦は石油争奪戦とも言われています。皆が石油に目を向ける中、時代から置いてけぼりになった櫨蝋。天災にも戦争にもほとんど影響受けない樹木は、当時はまだ多くの木が残っていて、ふさふさとした実をつけていました。

私は元製蝋業の方から、油脂不足の中で、櫨に目をつけて石鹸を作り始める人が数多くいたと聞いたことがあります。

しかし、なぜそのまま櫨の石鹸が作り続けられなかったのかはわかりませんでした。

どうして櫨の石鹸は作られなくなったのか。

まるは油脂化学(株)の林社長に聞くと、
「あの頃は、素人が勝手に知識もないのに石鹸を作ってたんだよ。櫨蝋はたまたま手っ取り早く使える油脂だったからね。」

当時、櫨蝋で作った石鹸は鹸化もまともにできていないドロドロとした悪質な石鹸ばかりだったそうです。

「ウチの会社は、そんな質の悪い櫨蝋石鹸を止めさせようと、他の材料でがんばって作ってきた会社なんだよ。」

悪い櫨蝋石鹸。

ただでさえカブれることで憎まれっ子の櫨が、石鹸となっても憎まれて歴史の渦に消えていたとは。

「あの頃は、みんなが櫨蝋というものをわかってなかった。きちんと櫨蝋を理解して作れば、良い石鹸ができるかもしれない。」

まるは油脂は創業以来、ありとあらゆる油脂で石鹸づくりをしてきました。

そしてそのポリシーは、
「どんなものでも石鹸をつくる。チャレンジする」です。

悪い櫨蝋石鹸をやっつけようと戦った石鹸会社が、80年の時を経て、今度は櫨蝋で一番良い石鹸を目指すことに同意してくれました。

今こそ、櫨が罵られてきた汚名を返上する時です。

「80年前にできなかったことにチャレンジする。原点に戻れるね。」

林社長は私が渡した試作用の櫨蝋を鼻に近づけて、匂いをかぎました。
「うん。油脂のいい香りがする。」

櫨蝋ときちんと向き合ってくれる社長が、そこにいました。

その5につづく

櫨の石鹸プロジェクト
その1はこちら。
その2はこちら。
その3はこちら

櫨の石鹸プロジェクト その3 酔狂な試み?

2014-09-11 05:57:29 | 櫨ものがたり
目的は、一番良い石鹸を作ること。
私はぼんやりとした夢から具体的な計画に向けて、最初の段階から見直すことにしました。

診断士の先生からの質問は続きました。
「石鹸のメーカーはどこにするの?」

難題です。

以前、小ロットで製作してくれる石鹸メーカーをいくつか紹介されて、あたってみたことがありますが、「櫨蝋」という素材が大問題になりました。

市場には様々な石鹸が出回っています。一般的には、お茶石鹸とか、柿渋石鹸とか、シルク石鹸とか、石鹸なんて簡単にいろいろできるじゃん、と思われるかもしれません。

しかし、それらの石鹸は、ベースの石鹸素地に何らかのお茶とか柿渋エキスなど、目的別にエキスを混ぜることで、石鹸のパターンを変えているに過ぎません。

ベースの石鹸素地には、パーム油、オリーブ油、椿油、牛脂…といろんな油脂が使われているのが一般的です。

ところが、櫨蝋という油脂を使った石鹸素地は、ほとんど作られていない…というか、皆無なのです。

櫨蝋の石鹸を作るということは、石鹸素地を変えることであり、石鹸づくりの根本を変えるということ。

それがどんなに難しいか。

大企業であれば簡単に自社で実験研究を重ねてできるかもしれませんが、
私の場合、石鹸作りはメーカーにお願いするしかありません。

私はいくつか小ロットでも作ってくれそうなところをあたりました。
しかし、わかったことは、櫨蝋主役の石鹸素地は通常の作り方では全くできないということでした。

櫨蝋と他の油をうまく配合して作ると、かなり良い石鹸ができますが、その石鹸では一般的な石鹸との差は大して変わりなく、櫨蝋は脇役になってしまいます。

櫨蝋が脇役でも、結果的に良い石鹸ができればいいじゃないかと言われる方がいるかもしれません。

しかし、私は良い石鹸ではなく、一番良い石鹸を作りたいのです。

以前販売していた石鹸がまさにそれ。

その石鹸は一般的な石鹸と明らかに違っていました。あの使い心地の良さは最高でした。特に泡立てネットで泡立てた時のモチモチ感はたまらなく気持ちよくて、他の石鹸では全然物足りないのです。だからこそ、手作りの形の悪い雑貨石鹸でしたが、ファンがついていたのです。

以前使って頂いていた櫨の石鹸のファンが満足できる石鹸を作りたい。

それは櫨蝋を主役にした石鹸です。

その思いは強まることはあっても、なくなることはありません。

以前の石鹸のレシピがわかればたやすいことでしょうが、レシピは石鹸の命。作った人の魂が入っています。

自分が新たに作る石鹸レシピは、自分で見つけ出さねばなりません。

そんなわけで、新しい素材「櫨蝋」で新しい石鹸を作ることは、ある意味、酔狂な試みともいえるし、冒険ともいえます。

そんな冒険に乗っかってくれるところ、そうそうあるわけもないのです。

ただ一社を除いては。

それが、まるは油脂化学(株)さんでした。
http://www.nanairo.co.jp

その4につづく

その1はこちら。
その2はこちら。


櫨の石鹸プロジェクト その2 石鹸と零戦

2014-09-10 06:49:03 | 櫨ものがたり
その日、私の補助金申請書を見た中小企業診断士の先生から聞かれました。

「この書類だと、石鹸の内容は全て石鹸メーカーのおまかせになってるね。」

「はぁ。私は櫨蝋をいっぱい使ってくれさえすれば、内容とか香りとかはメーカーにおまかせしようと思ってます。私はそのあたり、あんまり詳しくないし。」

先生は少し間をおいて、おもむろに口を開きました。
「私は最近、零戦の話を読んだんだよ。」

一瞬、私は面くらいました。
なんで石鹸の話してるのに、零戦の話?

先生は続けました。
「零戦はね、軍が要求書というものを出して作ったものなんだよ。それまでメーカーが作ったものをそのまま使ってたんだ。」

それを聞いて、なんだかガツンと殴られたような気がしました。

当時、他国の戦闘機よりも格段に優れていた零戦。初期の米英の戦闘機と優勢に戦い、米国戦闘機に「ゼロとドッグファイトを行なうな」という指示があったのは有名です。

それは使い手である軍の要求通りに作って何度も改良を重ねたから良いものができたのです。

私の脳裏に、すごい迫力で画面を横切っていく零戦の勇姿の映像が浮かんできました。「永遠の0」です。

もしメーカーにおまかせしてたら、零戦は日本海軍の主力戦闘機としてあんなにも活躍できたでしょうか。

いくら良い材料を良いメーカーで作ったからといって、あいまいな指示だったら、テキトーな商品しかできないに決まっています。

私は自分がいかに考えなしに行動していたかと思うと、とても恥ずかしくなりました。

その3に続く。

その1はこちら

櫨の石鹸プロジェクト その1 櫨蝋の使い道

2014-09-08 23:16:41 | 櫨ものがたり
櫨蝋の使い道は?といえば、和ろうそくが一番先にイメージされます。
しかし、割合から言えば、図のように和ろうそくは13%しかありません。

櫨蝋は櫨の実を搾ったままの「生蝋(しょうろう・きろう)」と精製加工した「白蝋(はくろう)」と大きく二種類に分けられ、未精製の「生蝋」は和ろうそくの原料となり、それ以外は全て「白蝋」になります。

つまり割合からいえば、実質的な櫨蝋の主役は「白蝋」です。

白蝋はその多くが海外に輸出され、貴重な天然油脂として医薬品や化粧品、工業用品の原材料になっています。ほとんど表舞台に立つことはなく、その特性が知られることもないのが現状です。

この白蝋を活かして櫨の魅力を伝えることができれば…。

そんな思いで私は櫨蝋のワックスを販売していますが、昨年まで雑貨石鹸も販売していました。ところが大変好評だったにも関わらず、残念ながら製造元である個人の都合により製造中止になってしまいました。

すでにリピーターになっていただいた方達からの声を聞くたびに、なんとかしなくちゃと心が揺れてきましたが、先立つものがないと商品開発はできません。

今までは、すでにあるものを受け継いだり、ちょっと工夫を凝らすことで商品にしてきましたが、石鹸となると話は違います。

石鹸のきちんとしたものを作ろうとすると、最低でも1,000個のロットが目の前に立ちはだかってくるからです。

もし売れなかったら、たくさんの在庫を抱えるハメになります。

しばらくの間、お金の算段もないのに夢のように考えが行きつ戻りつしていると、たまたま補助事業の公募を知りました。

「小規模事業持続化補助金」上限50万円です。

もしこの事業に採択されたら櫨蝋の化粧石鹸を作る夢が現実化されます。

迷う必要なく、さっそく商工会議所のセミナーを受けて書類作りに取りかかりました。

採択されるかどうかはわかりませんが、書類を作ることは夢を現実的な計画にする作業ともいえます。

石鹸を望むお客さんからの声を心の励みに、私はせっせと作った書類を診断士の先生に見せました。

しかし、先生は怪訝そうな顔で私に質問してきました。

その2に続く

山太郎蟹と櫨とイノベーション その2

2014-08-13 11:51:34 | 櫨ものがたり
櫨栽培のはじまりで一番早いとされている記録は、永禄年間(1558~1570)、薩摩藩の彌寝重永(ねじめ・しげなが)が中国から苗を取り寄せて栽培を始めたものです(彌寝家伝承)。

それに続いて天正19年(1591)、博多の豪商・神屋宗湛が製蝋目的で櫨の種子を支那大陸の南方から取り寄せて唐津に植えたり、福岡藩で広めていたというもの。

他にも3説ほどありますが、うち二つは薩摩藩です。

それから150年ぐらい後の時代になる享保15年(1730)。

久留米藩竹野郡亀王村では、27歳の庄屋・竹下武兵衛が、櫨の苗木作りを始めました。

その頃、久留米藩ではまだ櫨をまともに育てている人はいませんでした。

櫨自体はじわじわと各地に広まっていたようですが、なんせ種から一本の樹木が育って実をつけるには数年かかります。育ててみたものの、あまり良くない実だったり、枯れたりと、栽培は全て手探り状態の時代です。

どうやったら良い櫨ができるのか。

その決め手は接ぎ木です。良い櫨を接げば良い実がなるからです。

しかし接ぎ木は、元となる優秀な木の枝が必要です。

当時、最も優秀な櫨のある場所は、薩摩藩です。いちはやく櫨の栽培を始めていたからです。

もちろん薩摩藩は櫨の持ち出しを厳しく禁止していました。

しかし、相次ぐ天災や享保の大飢饉(享保17年・1732)を経験した人々の櫨への熱意は、薩摩藩の厳しい管制を上回っていたのです。

福岡藩那珂川郡山田村では若き庄屋・高橋善蔵が薩摩藩からおにぎりの中に櫨の種を入れ、必死の思いで持ち帰りました。没後に建てられた善蔵の墓はおにぎりの形をしています。

武兵衛にしても、少しでも良い櫨を得るため熱心に研究したと「農人錦の嚢」に書かれています。

そして同じ藩内にいる好奇心旺盛な笠九郎兵衛もまた、そんな貴重な櫨に興味がないわけがありません。

寛保2年(1742)、九郎兵衛は近くの御井郡国分村鞍打に櫨を植えました。

その出来事は久留米藩の豪商・石原家の「石原家記」に記されていることから、石原家が櫨の植栽に関わっていたことも窺われます。

記録はないものの、当時39才の武兵衛と52才の九郎兵衛は交流があり、九郎兵衛が鞍打の畑で雁爪を使って耕して植えた櫨苗は、武兵衛が仕立てた苗であるという可能性が高いと思います。

その後、武兵衛は櫨苗栽培の改良を繰り返すうちに、近くの耳納山で「松山櫨」という突然変異で生まれた優秀な品種を発見し、接ぎ木によって九州に苗を広めていきます。

竹下武兵衛による松山櫨と笠九郎兵衛の雁爪は、後に革新的影響を及ぼした農業のイノベーションだったのです。

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山太郎蟹と櫨とイノベーション その1

2014-08-12 07:10:51 | 櫨ものがたり
江戸時代。

久留米藩御井郡国分村に笠九郎兵衛(りゅう・くろべえ)という農民がいました。

いつもアレコレと独創的な事を思いつく九郎兵衛は19歳。農作業でもいろんな工夫をこらしながら作物を育てている、一風変わった青年でした。

夏の間、九郎兵衛が考えていたのは畑にはびこる草のことです。もっと効率よく草取りできたらいいのに…。

夕方、農作業を終えて家に着いた九郎兵衛、ふわ~~んと蟹味噌の香りが漂っています。

「おっ。今日は山太郎蟹か。秋やなぁ。」と笑みがこぼれます。



山太郎蟹とは、近くの筑後川で獲れるモクズガニのこと。
山太郎蟹を使った風味豊かな蟹汁と蟹飯は筑後地域では秋の訪れを告げる郷土料理です。

「うまい、うまい。」と言って九郎兵衛は蟹汁をすすりました。

そして山太郎蟹の蟹の足を食べようと手に取った時、頭に閃くものがありました。

「これやん!」

山太郎蟹の蟹の爪のようなもので土を掘ったら、硬い土でも掘りおこしもできるし、草の根も深く取れるんじゃないか。

蟹の爪が一本、いや三本か四本ぐらいあれば…。

宝永6年(1709)、九郎兵衛は山太郎蟹からヒントを得て(※)、「蟹爪」→「雁爪」という鍬を発明しました。

雁爪は、千歯こき、千石とおしと並ぶ近世の日本の代表的農具です。

笠九郎兵衛とは、自分が発明した雁爪を使って、高良川沿岸の浦河原の数町歩を自力で開墾したり、長や四国まで出かけていって甘藷(さつまいも)や製糖法を学んで筑後にもたらした篤農家だったのです。

その2に続く

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上記の話は史実をもとにした創作です。念のため。

※文献では九郎兵衛がヒントとしたのは山太郎蟹ではなく、サワガニだった可能性も。

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接ぎ木のこと 聖書から

2014-08-11 12:03:18 | 櫨ものがたり
櫨の木から蝋を絞れる実を採取するには、必ずといっていい程「接ぎ木」が必要です。

そこで、ふと、いつごろから接ぎ木の歴史は始まるんだろう?と思い、少し検索している途中で、聖書の一節を見つけたので紹介します。

「ローマ人への手紙11章17~18節」
11:17
もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

11:18
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

もちろんこれらの文章は比喩で、非常に深い意味があります。

解釈について興味のある方はこちらのサイト(http://www.berith.com/shuhou/roma/099-20010715.shtml)をどうぞ。

接ぎ木それ自体に目を向けると、聖書の昔から、すでに樹木のクローン技術が確立していたことに驚きますね。

さて、地元の植木農家のKさんから接ぎ木のコツを聞きました。

その1 まず、しっかりした台木を使うのが基本。

その2 だがあまりにも丈夫だと台木の枝が伸びてしまうから、台木の根を切って一時的に弱らせる。水も与えない。←(^_^;)

その3 台木が弱ったところで、接ぎ木する。

その4 二つの違う木が重なり、お互いに助け合おうと協力すると、接ぎ木は成功し、豊かな実をつける。

櫨だけでなく、ほとんどの果樹は接ぎ木によって成り立っています。豊かな実がつくのは、丈夫な台木に支えられているからです。

私はここでもう一度、聖書の一節を思い出します。

「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」

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