「卑弥呼の火祭り」イベントに関連して、矢部川の治水の話の余談があります。
柳川藩の土木の天才田尻親子のおかげで
割を食ったのが久留米藩でした。
堅固な堤防や水の流れを変えるハネのおかげで、
水の勢いは対岸の久留米藩に向かってしまい、
元禄十年(1697)の大洪水では、久留米藩側の
柳瀬、矢原村(八女市)の堤防が決壊し、
周辺の下流域が大損害を受けたのです。
当時の矢原組の大庄屋が責任をとらされて解任となり、
後任は福島組の松延宗兵衛となりました。
ん?松延?どっかで聞いたような…。
調べてみたら、この松延宗兵衛の四代目が甚左衛門なのです。
そう!八女の祭り「明かりとちゃっぽんぽん」で登場した
「八女福島の燈籠祭り」の始まりに深く関わった人でした。
甚左衛門は、人形浄瑠璃が大好きで
一念発起して大阪に出奔し
「人形浄瑠璃」の脚本作家になっちゃった人です。
大庄屋が大阪で脚本家っすよ?
そこまでするっつーのがなんとも。
かなり当時はキテる人だったんでしょう。
数年後、甚左衛門は無事に帰り、
故郷八女福島の人々に本格的な人形浄瑠璃を伝えます。
そして人々は動くからくり人形に熱狂したわけですが…。
考えてみたら、柳川藩が矢部川の治水をしなければ、
あれほど久留米藩が損害を受けなかったかもしれないし、
そうなると大庄屋は松延氏に交代することもなく、
ひょっとしたら甚左衛門も大阪に行かなかったかもしれません。
そうすると八女福島の人形燈籠も
生まれなかったかもしれないわけで、
歴史に「もし」は禁句だと言いますが、
人々の行いの繋がりによって
歴史は紡がれていくのだなぁと思います。
それにしても、
片や泥と汗にまみれて土木工事を完遂した山門の人々。
片や大阪風の華やかな人形浄瑠璃にわいた八女の人々。
なんだか矢部川を挟んで、ずいぶん毛色の違った文化が
育まれたようで、興味深いところではあります。
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柳川藩の土木の天才田尻親子のおかげで
割を食ったのが久留米藩でした。
堅固な堤防や水の流れを変えるハネのおかげで、
水の勢いは対岸の久留米藩に向かってしまい、
元禄十年(1697)の大洪水では、久留米藩側の
柳瀬、矢原村(八女市)の堤防が決壊し、
周辺の下流域が大損害を受けたのです。
当時の矢原組の大庄屋が責任をとらされて解任となり、
後任は福島組の松延宗兵衛となりました。
ん?松延?どっかで聞いたような…。
調べてみたら、この松延宗兵衛の四代目が甚左衛門なのです。
そう!八女の祭り「明かりとちゃっぽんぽん」で登場した
「八女福島の燈籠祭り」の始まりに深く関わった人でした。
甚左衛門は、人形浄瑠璃が大好きで
一念発起して大阪に出奔し
「人形浄瑠璃」の脚本作家になっちゃった人です。
大庄屋が大阪で脚本家っすよ?
そこまでするっつーのがなんとも。
かなり当時はキテる人だったんでしょう。
数年後、甚左衛門は無事に帰り、
故郷八女福島の人々に本格的な人形浄瑠璃を伝えます。
そして人々は動くからくり人形に熱狂したわけですが…。
考えてみたら、柳川藩が矢部川の治水をしなければ、
あれほど久留米藩が損害を受けなかったかもしれないし、
そうなると大庄屋は松延氏に交代することもなく、
ひょっとしたら甚左衛門も大阪に行かなかったかもしれません。
そうすると八女福島の人形燈籠も
生まれなかったかもしれないわけで、
歴史に「もし」は禁句だと言いますが、
人々の行いの繋がりによって
歴史は紡がれていくのだなぁと思います。
それにしても、
片や泥と汗にまみれて土木工事を完遂した山門の人々。
片や大阪風の華やかな人形浄瑠璃にわいた八女の人々。
なんだか矢部川を挟んで、ずいぶん毛色の違った文化が
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