松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

卑弥呼の火祭り その5

2008-01-31 18:57:14 | 復活奮闘日記
「卑弥呼の火祭り」イベントに関連して、矢部川の治水の話の余談があります。

柳川藩の土木の天才田尻親子のおかげで
割を食ったのが久留米藩でした。
堅固な堤防や水の流れを変えるハネのおかげで、
水の勢いは対岸の久留米藩に向かってしまい、
元禄十年(1697)の大洪水では、久留米藩側の
柳瀬、矢原村(八女市)の堤防が決壊し、
周辺の下流域が大損害を受けたのです。
当時の矢原組の大庄屋が責任をとらされて解任となり、
後任は福島組の松延宗兵衛となりました。

ん?松延?どっかで聞いたような…。

調べてみたら、この松延宗兵衛の四代目が甚左衛門なのです。
そう!八女の祭り「明かりとちゃっぽんぽん」で登場した
「八女福島の燈籠祭り」の始まりに深く関わった人でした。

甚左衛門は、人形浄瑠璃が大好きで
一念発起して大阪に出奔し
「人形浄瑠璃」の脚本作家になっちゃった人です。
大庄屋が大阪で脚本家っすよ?
そこまでするっつーのがなんとも。
かなり当時はキテる人だったんでしょう。

数年後、甚左衛門は無事に帰り、
故郷八女福島の人々に本格的な人形浄瑠璃を伝えます。
そして人々は動くからくり人形に熱狂したわけですが…。

考えてみたら、柳川藩が矢部川の治水をしなければ、
あれほど久留米藩が損害を受けなかったかもしれないし、
そうなると大庄屋は松延氏に交代することもなく、
ひょっとしたら甚左衛門も大阪に行かなかったかもしれません。
そうすると八女福島の人形燈籠も
生まれなかったかもしれないわけで、
歴史に「もし」は禁句だと言いますが、
人々の行いの繋がりによって
歴史は紡がれていくのだなぁと思います。

それにしても、
片や泥と汗にまみれて土木工事を完遂した山門の人々。
片や大阪風の華やかな人形浄瑠璃にわいた八女の人々。

なんだか矢部川を挟んで、ずいぶん毛色の違った文化が
育まれたようで、興味深いところではあります。

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ぎょうざだけとは限らない

2008-01-30 17:54:39 | ニュース
「卑弥呼の火祭り」もいよいよあと二週間を切りましたが、今回はこのニュース。

中国製冷凍ギョーザで腹痛・吐き気 農薬混入か 千葉(朝日新聞) - goo ニュース

今回はたまたまぎょうざでしたが、私たちが食べているあらゆる食材に
中国産が入ってる可能性があります。

中日新聞記事 中食・外食産業
ここから引用-----------

 東京・新宿の商店街のはずれ。古いビルの一階に、配達専門の弁当店があった。大手スーパーの水産物担当だったAさん(50)が、十七年前に「脱サラ」して始めた店だ。配達ケースを荷台に取り付けたバイクが三台、入り口に止まっていた。
 細長い調理場の壁沿いに、流し台、ガスコンロ、揚げ物場、炊飯器のスペースが並ぶ。中央に二列の作業台。午前九時だというのに、昼の弁当づくりの作業は既に佳境に入っていた。
 弁当箱にダイコンやインゲンの煮物、カツ、卵焼き、かまぼこ、ヒジキ、漬物などが手際よく詰められていく。棚の上には、シイタケやニンジン、コンニャクの煮物、塩ジャケ、ホタテ、カジキなどが入った食品保存容器。
 この日は、六百円の弁当八十個の予約が入っていたため、調理スタッフ三人が朝六時から七時台に出勤して、調理を始めた。届ける時間が昼どきに集中するため、前もっておかずを詰め、配達直前にご飯を盛る。作業中にも「B撮影スタジオから千円を十三個」「C社から七百八十円を五個」と次々に注文が入り、新しい弁当箱が作業台に並んでいく。
 食材のコストを抑えつつ、作業効率も考えながら、おかずの品数をそろえなければならない。そのために「どうしても冷凍物の比率が高くなる」とAさんは話す。
 野菜ではインゲン、ホウレンソウ、カットニンジン、ミックスベジタブルなどほとんどは中国産だ。エビのブロックはタイ産。冷凍庫から出してすぐに揚げられるチキンカツも中国もの。一方、ダイコンやヒジキなど煮物、サラダ、茶わん蒸しなどは自前で作る。米も国産のコシヒカリだ。
 「安くておいしくなければ、お客さんは離れてしまう。でも、食材費を売り上げの30%以内に抑えないと採算が合わない。その中で、手間をかければおいしいもの、コストが大幅に安くなるものは自前で作る。味が変わらないものは、でき合いのメーカー物を使う」
 一九九三年の「平成コメ凶作」の時は、米の質にこだわりすぎて業績が悪化した。九六年夏の「O157騒動」でも食中毒への恐怖感から、売り上げが激減した。
 このところの「中国不信」が、宅配弁当の敬遠につながることを、Aさんは恐れる。弁当には、食材の原産地表示は義務づけられていないが、配達先で「中国野菜を使っているの?」と尋ねられることが増えたという。
 「聞かれれば説明するが、メーカーが検査して安全性を確かめているのだから、うちのような零細業者は信じて使うしかない。『中国食材抜き』なんて考えられない」
 Aさんは近所の業務用食品スーパーを利用する。冷凍食品など加工品中心の品ぞろえだが、通常のスーパーと同様に少量の買い物をする女性客も多い。冷凍物のコーナーを眺めると、やはり「中国原産」が主役だった。
 カットされたオクラが五百グラム九十八円の“特価”。「解凍してごまあえするだけで一品できるね」。たまに使うというロールキャベツは十個入り三百九十円。付け合わせ用にカットされたニンジン(五百グラム、二百九円)、皮をむいたサトイモ(五百グラム、百四十九円)、焼き鳥のもも串(くし)(五十本、千百九十円)など「安くて調理の手間が省ける食材」が並ぶ。
 市場調査会社「富士経済」(本社・東京)の調査では、業務用食品スーパーの二〇〇六年度の市場規模は三千六百八十億円。過去三年で倍増した。流通業界が頭打ちの中で、数少ない「勝ち組」だ。手間のかかる生鮮品を扱わないことで人件費を抑え、中国などに工場を設けて安価な加工食品を開発するスタイルが目立つ。中小の飲食店、弁当店では、仕入れ先を卸業者から業務用スーパーへ移行する動きが目立つ。安さにひかれ一般客も増えている。
 「手間とコストの優先」は、中食・外食産業だけでなく、現代人の食生活全体に広がっているようだ。

----------引用ここまで
これに関連して、面白いモノを見つけました。
美味しんぼ・毒餃子編です。
----------------------


-----------------------

手間とコスト。どうやったら解決できるのか。
でも、今の中国産全盛の時代、これだけははっきり言えると思います。
「安さ」だけを優先していると、こういう事はまた起こるってことです。

中国が安心・安全なものを作る日が来るとは、私にはどうしても思えません。

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卑弥呼の火祭り その4

2008-01-29 19:40:32 | 復活奮闘日記
矢部川の氾濫話に続き、治水のことを書きたいと思います。

矢部川の治水と言えば、田尻惣助・惣馬親子なくして
語ることはできないでしょう。

元禄八年(1695)、柳川藩では普請奉行の田尻惣助に命じて
北田村(立花町北山)の曲松から山下にかけて
千三百間(2300m)の土居(堤防)を強化することにしました。

目の上のタンコブのような久留米藩から
抗議するスキを与えられないよう、
工事は短期間にしろとの厳命です。
惣助は北田村の農民を総動員して、昼夜の突貫工事を行います。
あまりにも苦しく激しい労働だったので、
今でも語り草になって残っているのだとか。
これが現在「千間土居公園」と呼ばれる憩いの森(上画像)です。

当時はまだ楠は植えていませんでしたが、
宝永六年(1709)、惣助の次男である惣馬が父親の後を継ぎ
普請奉行に就任し、より堤防を強化するために楠や竹を植えたり、
ハネ(水の勢いを和らげ、流れを変える堤防の形)を築きました。

現在、北山千間土居から船小屋まで続く川沿いに
大きな楠が生えているのは、惣馬によるものだそうです。
この堤防によって培われた土木技術を生かし
蒲池山ため池修理や黒崎開きの干拓地修築工事が行われました。



田尻惣助・惣馬親子は、まさに筑後の土木業界の大スター。
鍋島藩の成富兵庫助、肥後藩の堀平左衛門と共に、
九州土木の三傑とまで称されています。

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卑弥呼の火祭り その3

2008-01-28 19:34:38 | 復活奮闘日記
矢部川は、その水源を筑後、肥後、豊後の三国に発し
上妻、下妻(現在の八女郡、八女、筑後市)を流れ
旧山門郡から有明海に注いでいます。
その全長は約33km。
ま、あんまり大きな川ではありません。
上画像のように、川幅も狭いし、川底も深くはありません。
いたって穏やかな川に見えます。

ところが!
一旦大雨が降ると、とたんに水位が急上昇するそうです。

江戸時代の記録によると、またたく間に川の水が両岸に溢れてしまい
沿岸の田畑は土砂に埋もれ、川床が替わってしまったとのことです。

つまり、一方では昨日まで自分が耕していた田んぼに川が流れ、
もう一方では、急に土地が広くなっちゃった、みたいな。
田んぼは農民にとっての生命線。
雨が降るたびに収穫が台無しになったり
土地が消えたりすることが、いかに大変なことか。

しかも、この矢部川は久留米藩と柳川藩の境になっているため
両藩ともに治水では非常に苦労をしており、
天災とはいえ、河を挟んで憎しみあうこともしばしば。
沿岸の農民の争いも絶えなかったということです。

非常に面白いことに、
今回のイベント「卑弥呼の火祭り」の実行委員会は、
川の両岸である筑後市とみやま市が参加しています。
実行委員会の会長がみやま市長で、副会長が筑後市長。

昔のライバルだった二つの藩、いや今は市ですけど
その二つの自治体が手を結んだというのは
過去に横たわる歴史を考えると、
大変意義深いものがあるでしょう。

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卑弥呼の火祭り その2

2008-01-27 23:04:19 | 復活奮闘日記
以前のエントリでお伝えしたように、
当委員会が出店するイベント「卑弥呼の火祭り」について
書いていきたいと思います。

イベントの会場は船小屋。
矢部川の中州にある「中ノ島公園」で行われます。
さっそく下見に行ってみると、
ただいま本川と平行に走る
「せせらぎ水路」工事の真っ最中でした。
上画像の通り、看板を見ると
子供が中に入って遊べるような底の浅い水路ができるようです。
天気の穏やかな日には家族連れが来て、
川の水と触れあいながら憩いのひとときを過ごせそうです。

しかし。

よく見るとずいぶん大規模な工事みたいで、
いくら少子化とはいっても、わざわざ家族の絆のために
こんな小さな水路が必要なのか?
そんな疑問をぶつけてみると
大雨の時には、本筋の川の水を分散させて
氾濫を防ぐ役目があるのだそうです。

そういえば田主丸町を通る筑後川も、
昔から幾度となく氾濫し、川の形を変えてきました。
この矢部川もまた、流れている川幅の狭さに比べて、
堤防までの距離がやたらと広いことから、
きっと周辺の人々は洪水に悩まされてきたのだろうと思われます。

私は中ノ島公園全体を覆っている、
大きな楠の林が目にとまりました。

この大楠林、明らかに同じくらいの巨木が多く
きちんと集団で生えていることから、
自然に生えたモノではないことがわかります。
ではなぜこんなにたくさんの楠が植えてあるのか?

矢部川と楠。
今回のイベント「卑弥呼の火祭り」のコンセプトにも
深く関わっているようです。
私は、この二つの関わりが非常に気になって、
少し調べてみることにしました。

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初射会

2008-01-26 23:02:33 | 和弓と櫨
今日は初射会。
どんなことをするかというと、とにかくガンガン弓を引きまくる日って事だったみたいです。
最初に矢渡しがありました。
全員の見守る中で、T先生は二回とも見事に中りました。



続いて中学生から礼射が始まります。けっこう中っていました。


有段者の方々による射は見応えがあります。


その後は立射で何回も引いていきました。
ちなみに私は矢を取り落とすんじゃないかとヒヤヒヤしてましたが、
なんとか落とさずに引くことができ、1回だけ中ってほっとしました。

最後に花札の絵柄をつけた直径15cmの小さい的を当てる競技です。
普段の的は直径36cmですから、異常に小さく見えます。



が、それだけに当てるってのは一つの勲章のようなもの。
みんな闘志むきだしに何回も挑戦します。
もちろん私も5回ほど挑戦しました。全然あたんなかったですけど。



射抜かれた花的の数々。見事に射抜いた中学生たちも、いい思い出になったことでしょう。
私は、来年こそがんばるとするか!

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15年変わらなかったゴミ

2008-01-25 23:32:31 | ニュース
手紙:風船で飛ばして15年…カレイが届ける?
引用---------

「おてがみをひろったかたは、おへんじをください」。千葉県銚子市の銚子漁港で水揚げされたカレイの背中に、川崎市の市立宮崎小(菊池俊光校長)が93年に創立120周年を祝って上げた風船と手紙がついていた。15年を経て約100キロ東の太平洋の海底から回収された手紙。書いた本人の川崎市宮前区、早稲田大2年、白髭(しらひげ)奈津実さん(21)は「こんなすてきな話があるなんて」と喜んだ。

 手紙と風船が付いていたのは、犬吠埼(銚子市)の南東約40キロ沖で操業した底引き網漁船「第8大徳丸」(65トン)が24日に水揚げしたカレイ。船主の君野喜好さん(52)が3.6トン分の魚を仕分けている際中に、1匹(体長約50センチ)の背中に四つ折りの紙がべったりと張り付いているのを見付けた。広げたところ「わたしは1ねんせいです。いま、わたしのがっこうは百二十さいです」と、黒いたどたどしい字で書かれた文章が見えたという。

 銚子市漁協が宮崎小に問い合わせたところ、93年11月27日の創立120周年記念式典で白髭さんが風船で飛ばした手紙とわかった。白髭さんは当時1年生。全校生徒で風船を上げ、「花の種も付けたような記憶がある」という。「風船が青空に小さくなっていく光景を今でも覚えている。ごみと間違えられず、ちゃんと読んでいただいて、すごい縁を感じる」と話した。

 手紙の紙質は耐久性のある油紙。油性ペンで書いたため、長期間海水につかっても読めたらしい。どこに落ち、どんな海流に乗って銚子沖にたどりついたのかは分からない。

 漁場は水深1000メートル付近といい、君野さんらベテラン漁師たちも「15年たってカレイの背中に張り付いて現れるとは」と不思議そうに話した。【新沼章、笈田直樹】


-------------引用終了

この一見ほのぼのとしたニュースを見て、かなり釈然としないものを感じました。
15年間紙が分解しないで、そのままの形を保っていたんですよ?
しかもカレイにくっついちゃって。
どーしようもないゴミじゃないっすか。
こんなゴミ撒き行事のおかげで、
風船のクズと油紙が張り付かれちゃったカレイもいい迷惑です。
このニュースが教えてくれた教訓は一つ。
「海にゴミは捨てるな。」ってこと。

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今日の弓は

2008-01-24 23:53:46 | 和弓と櫨
今日は弓の稽古。
巻き藁では、矢どころが揃うようになりましたが
的前で引くと、ごらんの通り。バラバラです。
でも最後に中ったので、その後ずっと気分が良くなりました。単純なもんです。

毎回同じように引いているつもりでも、どういうわけか矢は毎回違う所へ行きます。
姿勢を注意されなくなったなぁと思っていたら
今日は注意されました。
知らず知らずのうちに、姿勢が崩れてきてしまうようです。
だから弓は必ず見てもらわなくてはいけないってわけなんですね。

稽古が終わって中学生の射を見学(看取り)させてもらいました。
以前弓を始める前に見た時よりも、
手の動きや位置、姿勢など、細かい所に目がとまるようになり、
ここ3ヶ月、稽古してきたおかげかなと思いました。

26日は中学生と一般参加の初射会ということで、私も道着袴で参加します。
大勢の中で弓を引くのは緊張しますが、楽しみでもあるので
私もすっかり弓にハマってきたもんだと、つくづく…。

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季刊誌「手の間」

2008-01-23 23:15:01 | 復活奮闘日記
今日は「正徳芯和ろうそく」に関連して
福岡市にある季刊誌「手の間」の編集者Sさんとお会いしました。
「手の間」とは「手間」。
地道な職人仕事をしている方に焦点を当て、丁寧に紹介している雑誌です。

雑誌の編集者なら、一度はこんな素敵な雑誌を作ってみたいな、
と思わせるような内容の濃さと美しさ。
職人たちによる仕事に対する真摯な思いがストレートに伝わってきます。

しかし、カラーページに美しい写真。広告掲載の少なさ。
私は以前、雑誌の編集もしていたので、
この雑誌が、いかに贅沢な雑誌か、
いかに継続して発行することの難しい雑誌かが身にしみてわかります。

Sさんも含め、スタッフは皆、他の仕事をやってでも、
この雑誌作りのために精魂傾けているのだとか。
「手の間」は職人を取材しているだけあって、
職人魂がしっかりと雑誌にも込められているんだなぁと思いました。

ただいま三月に予定されている次号発刊の準備に追われているそうで、
発売が楽しみになってきました。

雑誌は三号が勝負と言われています。(三号目で廃刊が多いため)
しかし、この「手の間」はもう四号目が夏に出ていますから、
三号目のジンクスは打ち破ってます。
地元の貴重な雑誌として、ぜひがんばって発行を続けていってほしいです。

手の間のサイトはこちらです。

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みどりの里 四季苑

2008-01-22 22:00:23 | 美しい風景
今日は植木苗木で有名な地元田主丸町にある植木・花木の販売をしている四季苑を紹介します。
実はオーナーは私の同級生なのです。

田主丸では、江戸時代から植木生産に携わってきた農家が多いのですが、
この四季苑のルーツも遡ってみると、どうやらかなり古くて、
地理的に見ても、ひょっとしたら松山櫨を発見した竹下武兵衛周直と縁があるんじゃないかと
私はにらんでいますが、そのへんは定かじゃありません。

今は田主丸に、松山櫨どころか、櫨を本格的に栽培している植木農家はありません。
(私がムリヤリ接ぎ木を頼んでいる大崎農園は別として)
植木は常に最先端の流行を追っているのです。

数年前はコニファー系が大流行していました。
今でも植木畑を見ると、コニファーが植えられているのをよく見かけます。
しかし現在、一番の流行は雑木だそうです。
こういうシマトネリコとか。



風が吹くとサラサラ音がして、お庭が山の自然な雰囲気になりますね。

「櫨を植える気、ない?松山櫨とかさぁ。」と私がオーナーに聞くと
「そうねぇ、でも最近植木業も厳しいしねぇ。
 ああ、今の私はオーストラリアにでも移住したい気分。」
「(げっ!)もう、何言ってんの!そんな白人マンセーの国なんて。
 そもそも田主丸のこの地域は松山櫨が昔植えられていて…(以下略)」
こんな調子で、時折訪れてはクダを巻いている私です。

四季苑の広い敷地内には、週替わりでいろんな植木苗木が展示されており、
210号線沿いなので、ドライブがてらに立ち寄りやすいところです。
最近できたばかりの四季苑ホームページは、こちらです。

四季苑の場所をちず丸で見る。

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お香の天年堂

2008-01-21 20:40:38 | 復活奮闘日記
先日、「正徳芯和ろうそく」に興味を持った方から問い合わせがありました。
その方は久留米市にある香舗「天年堂」のIさん。
お香の専門店が久留米にあったとは露知らず、どんなトコだろう~?と思いつつ
行ってきました。お香の店へ!

店内に入ると、いい香りが漂っています。
お話を聞くと、天年堂は初代久留米藩主有馬豊氏の入城に伴ってやってきた
丹波商人に端を発するのだとか。
こんなに歴史のあるお香の店が久留米に会ったなんて感激しました。

店内の商品を拝見させていただくと、一万円以上もする高価で優雅な香りから
1000円ぐらいの手頃な価格の香りまで、たくさんの種類のお香が並べられています。
上の画像は1050円の季節のお香で、ラッピングがとってもステキ。

Iさんによる手書きの「かけ香」630円なんかは、お部屋に飾って元気をもらいたい一品です。



白檀や沈香という香木のチップを炊いて香りを楽しむこともできました。



お香の香りやIさんの優しいおしゃべりを聞いていると、
すっかりいい気分になった私です。
お香はリラクゼーションに効果があるといいますが、
確かに、このお香をかいでいると
もしイライラしていても落ち着いてくるような気がします。

仏壇でなぜ、必ずお香をあげるのか、
今までよく考えたこともありませんでしたが、
このお店に入って、はっきりわかりました。

お経を上げながら、心を静めるためだったんですよ!絶対!
お経の声や、和ろうそくの揺らめきと共に、香りが人々の心を静めることで、
自然に親しかった故人に思いを馳せることができるのではないでしょうか。

お線香や和ろうそくって、古くさいようでいて、
現代でも通用する最先端のアロマだったんですね。

…というわけで、正徳芯和ろうそくを置かせていただいています。
ぜひ立ち寄って、お香でリラックスしてみてください。

天年堂のHPサイト「手作り工房香木堂」


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キャラメルパウンドケーキ

2008-01-20 19:54:06 | 美味しい食事
今日はシトシトと雨が降って寒い日でした。
こういう日は甘いもんに限る!

久しぶりにストロベリー・フィールズのケーキを紹介します。
今回はキャラメルパウンドケーキ1200円。
パウンドケーキにキャラメルがからめてあって、
切るとマーブル模様が出てきて、ほんのりとキャラメルの香りがしてウマ~。
私は特に端っこが風味があって大好きです。
このパウンドケーキは午後の紅茶と一緒にいただきたいですね。

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卑弥呼の火祭り

2008-01-19 21:27:59 | 復活奮闘日記
今度の2月9日(土)と10日(日)に、矢部川沿いにある
船小屋中ノ島公園の大楠の森で「卑弥呼の火祭り」が行われます。

卑弥呼といえば、思いあたるといえば、有名な邪馬台国の所在地論争がありますね。
そう!みやま市は九州説の候補地なのです。

もともと九州の地名には、まさに邪馬台国ではなかったのかと思わせるものが
数多く残っていましたが、平成の市町村合併により古くから伝わる地名が消えてしまいました。

そうしたことから、地元の歴史や文化への関心を掘り起こすために、
地元のNPO法人芸術の森デザイン会議が企画し、
みやま市と筑後市がタッグを組んで実行委員会が作られたということです。

会場には筑後の真竹でできた長さ百五十メートルの白い竜のオブジェが製作されます。
竜の頭には、酒樽で飾られた舞台が設けられ、矢部川地域の市町村に伝わる伝統芸能と
流行のステージパフォーマンスが予定されています。
その竜の胴体の中が展示販売用のテントになるそうです。

んで、我が松山櫨復活委員会にも出店のお誘いがありました。
耳納山とはちょっと離れてるけど、矢部川沿いで盛んに栽培されていた櫨つながりですし
楽しそうなので参加することにしました。
当日は正徳芯和ろうそくを販売する予定です。

このイベント、いろいろと奥が深いようなので、これから少しずつ
紹介していこうと思います。

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博多の森の弓道場

2008-01-18 23:40:40 | 和弓と櫨
今日は博多の森の弓道場へ行ってきました。
いつもの弓道場と違って、博多の森はすごく広くて近的は10人立ち、
遠的の練習場もあります。
板張りの床はピカピカしているのに、滑らないというスグレモノで、
足踏みもしやすくて踏ん張りもきく感じです。
道場内には、例によってバレエのレッスン場みたいに
所々に大きな鏡が据えられていました。

広々とした道場内で、心静かに弓を引けるのは楽しいもんです。
画像は教士七段のN先生。
新人の私から見れば、殿上人みたいな存在です。
着物にたすきがけを生で見ましたが、キレイですね。
美しい射の見本のために少し写真を撮らせていただきました。

ちなみにここは道着袴でないと入れません。
つい最近買ったばかりの私は、着慣れない袴をアタフタとはいて
どうにか参加することにしました。

身長のデカイ私がドカドカと袴で歩き回っていると
見慣れない新顔だったせいか、興味津々で
「アンタ、何段?」と聞かれましたが、
「いや、あの、こないだまでゴム弓してて、まだ始めたばっかりで。」と答えると
「フーン。」と
急に興味をなくされたみたいでした。

新人はみんなからチェックしてもらうために大前じゃと言われ、
心の中で「ええ~っ!一番に引くのかよ」と思いつつ、しょうがないので
フラフラと道場に入ります。
やはり違う道場は立ち位置がわからないので、
キョロキョロ不穏な動作をしながら、後ろとか的を盗み見て立ち位置を合わせます。
(こういう挙動不審な動作は目立つらしい。)

えーい、引いてしまえと言わんばかりに、とにかく発射。中りませんでした。
その後も何回も的前に立ちましたが、一回も中りませんでした。やれやれ。
一応写真を撮ってもらいました。



ここでちょっとハプニングが。
私の矢が何かに当たって、矢尻と筈が同時に分解して矢がひっくり返ってしまいました。
飛んでいった矢尻はすぐに見つかりましたが、白くて小さな筈がなかなか見つかりません。
小雨が降る中、広い芝生を歩き回ってオロオロしながら筈を探す私。

そのとき、先だっての教士七段のN先生が
「ほら、もうちょっとこっち、あそこに行ってたよ、あそこ。あるでしょ。」と指示してくれたのです。
小さな小さな筈が、ちゃんとそこに落ちてました。
ひぇ~。恐ろしやN先生の視力と記憶力。
私もN先生のように精進したいと思います。

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お多福うどん

2008-01-17 21:05:02 | 美味しい食事
今日は筑前町の弓道場の近くにある、うどん屋さんの「お多福」の紹介です。
画像はてんぷらうどんセット800円。
量が大事!とばかりに、天ぷらのボリュームがあって食べ応え十分でした。
普通のうどん屋さんと同様に、庶民的なお店なので気軽に入ることができます。