今朝、近くをジョギングした時の風景を見ながら、ふとこんな話を思い出しました。
第二次世界大戦中、日本の首都が山を隔てた八女に遷都する構想があったことです。
八女に都が移ろうとした?
今から考えると、なんだか現実離れしていますが、当時は大まじめに検討されていたようです。
それで、この風景をみているうちに、もしも八女が首都になっていたら、この故郷の風景はきっとなくなっていたんじゃないかなと思いあたりました。きっと耳納山にはいくつものトンネルができたり、高層ビルが立ち並び、大勢の人が行き交う商業的な町か、あるいはベッドタウンとかになっていたのかもしれません。
実際にはその偉大な構想は潰え、広い空と青い耳納山が横たわり、今日もJR単線の脇に大きな楠が立っています。最近はここいらも少しずつ田んぼが住宅地になってきたので、十年後にこの楠の木があるのかどうかわかりませんが。
私はいろんな場所で、櫨の話をしながら故郷の風景のことを話しますが、人々の心の目が彷徨いながら探すのは故郷の田舎の風景です。
その風景は、皆、それぞれの宝物のように美しいもの。大切なものです。
田舎にいると当然のようにこの風景の美しさを享受していますが、実は非常に希なことだということに気づくと、それだけでささやかな幸福を感じることができます。
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