まさかこの歳になって、駅頭や街頭で選挙のための応援演説をするとは考えてもみませんでした。
事の起こりは昨年末、地元清瀬市で30年来の友人、同世代の布施哲也さんが亡くなったことから始まります。布施さんとは、私が数人で開始した清瀬・教育ってなんだろう会で知り合い、その会が中心となって彼を清瀬市議会に議員として送り出しました。議員としては4期、市長選挙にも出馬し、惜しくも次点になったこともありました。この間、ワーキングプア問題に取り組んだり、反原発自治体議員・市民連盟の共同代表として活躍しました。護憲・反原発の闘う市議ということばが似合う人でした。地域では、今に至る清瀬・憲法九条を守る会立ち上げ、その代表でもありました。7冊の著書をもつ市議というのは珍しい存在です。
我が家で開かれた彼を偲ぶ会で、彼のやり残したこと、意思をどう継いでいくかということが話し合われました。彼は病に倒れなければ、再度市議選に挑戦するつもりでした。年をまたいで話し合いが継続されたのですが、結論的にはお連れ合いの布施由女さんが選挙に立つことになったのです。私は反対しました。さまざま思い巡らしても、勝算がなかなか見つからないのです。選挙の専門家は一人もいないし、由女さんはけっして若くはありません。でも彼女の意思は固いし、みんなもやろうと言うのです。
私が選挙応援を決意したのは、あまりにお粗末な清瀬市議会の現状があるからでした。原発再稼働反対、道徳の教科化反対、特定秘密保護法案反対、などに関する陳情や請願を否決されたり、従軍慰安婦問題では国の強制力が働かなかったかのような決議をあげたりする事実はブログでも取り上げてきました。(〔13〕〔14〕〔15〕〔24〕参照)そこに1人でも革新派、リベラル派が入ることで変わるはずです。(20人定員で23人立候補)
選挙素人集団の取り組みが2月ぐらいから始まりました。でもあまりに遅いのではないでしょうか。他の候補は1年もかけて着々と準備しているのです。しかも我々夫婦はこの後3週間の海外旅行を計画していました。でも凄いものです。我々がアメリカを周遊しているとき、しょっちゅう選挙準備活動のメールが入るのです。集団として、どんどん「成長」しているのが手に取るようにわかりました。
由女さんは、無所属市民派、どこの政治団体にも所属しない市民運動家でした。まさにお金もない、組織もない選挙戦に突入したのです。
我々ができることはなにか。由女さんの考えをとにかく知ってもらうことでした。そこで、A3版、裏表の「ゆめ通信」を作り、新聞折り込みやポスティングで、とにかく多くの市民に読んでもらうことに努めたのです。選挙戦が始まる前になんと3号、そして号外も出しました。これには手応えを感じました。質量ともに他の立候補予定者のチラシを明らかに凌駕するものでした。
選挙は4月19日(日)告示、26日(日)投票です。なりふり構わず選挙応援をしました。駅前や街中でマイクを握りました。初めての体験でした。
そして最高の結果が出ました。当選でした。当選の場合は最下位しかないと思っていましたが、そのとおりになりました。保守系1人の引退者の代わりに革新系の由女さんが入ったのです。清瀬市議会からしばらくは目が離せませんよ。
反省会では、もう次の「闘い」について話し合われたのでした。
事の起こりは昨年末、地元清瀬市で30年来の友人、同世代の布施哲也さんが亡くなったことから始まります。布施さんとは、私が数人で開始した清瀬・教育ってなんだろう会で知り合い、その会が中心となって彼を清瀬市議会に議員として送り出しました。議員としては4期、市長選挙にも出馬し、惜しくも次点になったこともありました。この間、ワーキングプア問題に取り組んだり、反原発自治体議員・市民連盟の共同代表として活躍しました。護憲・反原発の闘う市議ということばが似合う人でした。地域では、今に至る清瀬・憲法九条を守る会立ち上げ、その代表でもありました。7冊の著書をもつ市議というのは珍しい存在です。
我が家で開かれた彼を偲ぶ会で、彼のやり残したこと、意思をどう継いでいくかということが話し合われました。彼は病に倒れなければ、再度市議選に挑戦するつもりでした。年をまたいで話し合いが継続されたのですが、結論的にはお連れ合いの布施由女さんが選挙に立つことになったのです。私は反対しました。さまざま思い巡らしても、勝算がなかなか見つからないのです。選挙の専門家は一人もいないし、由女さんはけっして若くはありません。でも彼女の意思は固いし、みんなもやろうと言うのです。
私が選挙応援を決意したのは、あまりにお粗末な清瀬市議会の現状があるからでした。原発再稼働反対、道徳の教科化反対、特定秘密保護法案反対、などに関する陳情や請願を否決されたり、従軍慰安婦問題では国の強制力が働かなかったかのような決議をあげたりする事実はブログでも取り上げてきました。(〔13〕〔14〕〔15〕〔24〕参照)そこに1人でも革新派、リベラル派が入ることで変わるはずです。(20人定員で23人立候補)
選挙素人集団の取り組みが2月ぐらいから始まりました。でもあまりに遅いのではないでしょうか。他の候補は1年もかけて着々と準備しているのです。しかも我々夫婦はこの後3週間の海外旅行を計画していました。でも凄いものです。我々がアメリカを周遊しているとき、しょっちゅう選挙準備活動のメールが入るのです。集団として、どんどん「成長」しているのが手に取るようにわかりました。
由女さんは、無所属市民派、どこの政治団体にも所属しない市民運動家でした。まさにお金もない、組織もない選挙戦に突入したのです。
我々ができることはなにか。由女さんの考えをとにかく知ってもらうことでした。そこで、A3版、裏表の「ゆめ通信」を作り、新聞折り込みやポスティングで、とにかく多くの市民に読んでもらうことに努めたのです。選挙戦が始まる前になんと3号、そして号外も出しました。これには手応えを感じました。質量ともに他の立候補予定者のチラシを明らかに凌駕するものでした。
選挙は4月19日(日)告示、26日(日)投票です。なりふり構わず選挙応援をしました。駅前や街中でマイクを握りました。初めての体験でした。
そして最高の結果が出ました。当選でした。当選の場合は最下位しかないと思っていましたが、そのとおりになりました。保守系1人の引退者の代わりに革新系の由女さんが入ったのです。清瀬市議会からしばらくは目が離せませんよ。
反省会では、もう次の「闘い」について話し合われたのでした。