冬は突然やってくる‥ので 準備は重要である。準備は昨年の反省にたち 徐々にと思うが それがなかなかである。例えば‥時に寒い日があり 下ズボンをさがすが‥出てこない。ま 新しいのがあってもイイやとお店へ出向き買い込む。が 後で出てきた古い物は‥もったいない?(本音はめんどくさい)のでそのままにする。その調子で10年も過ごせば下ズボンだけで行き場のないくらい大山盛りの量となる‥のは当然である。
20日には一気に初霜 初氷 初冠雪(岩手山)と寒い日がきた。新鮮な“今”を記録しておきたかったのに‥案の定 冬支度でいつも通りあたふたするのであった。日毎に温かかったり寒かったりで ネタ用写真を差し替えているうちに 結果いつもと同じ写真風景で‥ようやく 今月末ギリギリのアップとなってしまった。
どうしたんだろう?と思ったら 週二回の通院が予想外に時間を費やすのである。ネタは結構湧いてメモるのだが 適期の写真が間に合わない。(隣で誰も見ないヨ~の声は‥記録の意味を理解できないヤツで無視!)日中の散歩で変化に気付き 写真するという楽しみを 体の老化が削ぎ落す。鍛錬充分にしても それぞれに応じて老化はある。その意味を真直ぐ理解して冬支度したいが間に合うかどうか 行き当たりばったり一発勝負にかけるしかない のである。(10月はようやくの3回目のブログアップ)
「露寒や死ねと囁く夜の汐:鈴木真砂女」
この時期 毎年こんな気候だったかな?‥と繰返し去年も思った気がする。自分の都合の良い日は常に曇り‥である。グッと冷え込む日もあり いわゆる衣替えの探し物で毎度日が暮れる‥のである。
こちらは(自分は)小さい石油ストーブが欠かせなくなった。(今時はエアコンでしょうか)本格衣替えの前は 小さな部屋を暖かくすれば夏服でも鬼に金棒!‥である。ひとり寒い空の下 今日は今日は何を撮ろうか?と‥思案中なり。【cf.写真一】
夏の洪水で街の河川の一面草で覆われていた高水敷がボロボロである。【cf.写真二】この絵柄は能登を連想し さらに復元力の情けない話になりそうで 選挙時期の折柄 命題としては相応しくないぁ とボーっと立ってみるだけ‥。
時々青空に恵まれるが なんだか段々街がつぶれていくような 表現不可能な圧迫を受けている感じがする。【cf.写真三】‥のは自分だけ?‥不記載と裏金の違いを聞くとシラケそうなのは なぜ?(知らなくても生きて行けるし‥とかになりそ)
この寒いのに(朝は確実5℃以下)お家の花壇の花々?は‥がんばっている。そろそろ御山に雪が降りそうな時候である。早くも晩秋模様‥時間があっと云う間に過ぎる。まだ間に合うコトがあるかもしれないかな?(‥そか無いか‥そだね)【cf.写真四】
「考えて一尺飛べり鴉の子:石塚友二」
紙芝居の絵を一枚捲るように あっと云う間に秋の風情となってしまった。まったくこちらの感覚が錆着いたのか‥一瞬の変化。
一日のルーチンワークで増えたことがある。年齢的にはリハビリと同じことかもしれない。座骨神経痛で通院し投薬を続けているが イマイチなのでいわゆる健康本を数冊読んでみて スキを見せたらアカン!ということに気がついたのである。薬を処方してもらい これで少し先が見えそう…と安心。がスキであった。少し安定したら運動し筋力回復に精を出す…ことを忘れている。
と…浅はかながら 朝晩のゆるゆるストレッチ(7種構成)を加えたのである。したがって 朝起きるとラジオ体操にストレッチをゆるゆるやって 血圧・体重・体温の測定と体調を記録しそして食事と かなりヘトヘトになるくらい忙しい…のである。夕方も同様で さらにゆるゆるお風呂も加え これが日毎「お仕事」の現在。ゆるい割りに完璧にこなさなければならない日々の修練としている。
(ストレッチの足踏みなどでは 数をかぞえる際は 声を出し眼を開け 1からではなく100から数える‥結構集中力必要なり)
加えて趣味のTV観戦?もあって 大谷選手の出場試合と錦木関の取り組みは(出来るだけ)見逃さない。理由は 燃える情熱の再確認?である。
これで 気に喰わない政治家が近々TVへ映らなくなれば もっとスッキリするのである。だいたい災害現場にピカピカの革靴でくるとは何事か!と思う程に 日本は一大事なのである。
「秋の雲みづひきぐさにとほきかな:久保田万太郎」
大きな盆地に 雲で蓋をされたような日が長く続いた。夏だ‥ではなく‥秋だ‥でもなく‥今年ぁ なんと云う秋だ!‥である。
何度も吐露して恐縮ながら‥悲しいかな写真が撮れない‥のである。(独白:先が塞がったので一人旅にでもでるかな)‥(同じ屋根の下に住む同世代らしい人曰く:才能が問題だろう↑ ここでダメならどこでもダメじゃね↑?)‥金が無ぇから止めようっと‥の堂々巡り。
そもそも 世の中全般が落ち着きがない。そっち方面に気を取られ なかなか集中が出来ない!のも 遅延原因の一つである。
なんだこれ!と思う事象や人物(興奮が収まらず長文になりそうなので あえて事例紹介は割愛)が 多分閉鎖的な日本人のホントの姿が グローバルにさらされて出て来て 収拾がつかない様相か。しかも死人も出たりで まったく信じられないのである‥。
スカッとした山々に逢うことも出来ず イライラする程度では とても健康的に思ってしまうのは カン違いにしても 極めて平和的ではある。
当り前ながら 人の声と云うものが 遠く離れると見えず 聞こえないことで‥時に大きな悲劇になることを いまさらに知るのであった。
「天高うして野の人語きこえざる:佐野青陽人」
今頃になってようやく夜になると どことなく秋の気配がしてきた。蒸し暑い日々も9月の中旬も過ぎでは 気持ち春夏秋冬が懐かしく思えてしまうくらい すっかりメリハリのない人生となった気がする。
ともなって 本原稿も大幅に遅れた??。(見え見えの言い訳なのだが‥。)
TVの気象予報士は「秋めく」のは10月に入ってからかな?‥と大胆な予想をしていたが 広報が関東を軸とすれば妥当な見方とも思う。なにせ当地の目下の予想最高気温が30℃超え の日々なのである。(実態は たいがい外れるが‥)
また なかなかカッと晴れる日がない。なぜか分らないので あーでもない こーでもないと仮説を立てては‥挫折の日々。
でも‥断片的な情報ながら やはり異変っぽい事象はある。英国の異常低温現象やチェコやルーマニアの豪雨などの現在情報は 仮説への裏付けとなるかと?まんざらでもなく 一人にんまりなのである。
天気にこだわるのは‥単純な理由で 遠くの山々の風景が見えないとカメラを持ち出す気が湧かない‥のである。結局のところ怠惰なのである。悪いことに歳をとるごとに 怠惰になっていく感じがする。 これだけは何とかして振り払う気構えでいるが 世の中の波長とは同期しそうで マイペースを守ろうとすると かなりのエネルギーと時間を要する。
たとえば 世にご提案の意見で 年金給付は80歳から‥?という公人の提案が出てきている。ご意見の本人評価は置いといて(評価に値しない) この主旨に賛同する老人を含めた多数の層があるとの報道を見聞きすると もう興奮が冷めなくて さらに熱くなるのである。
まったく おおずれの秋の気配は 異常そのもので 気象庁の予報は そのことも織り込み済みかと疑ってしまう。
「砂の如き雲流れゆく朝の雲:正岡子規」