大きな盆地に 雲で蓋をされたような日が長く続いた。夏だ‥ではなく‥秋だ‥でもなく‥今年ぁ なんと云う秋だ!‥である。
何度も吐露して恐縮ながら‥悲しいかな写真が撮れない‥のである。(独白:先が塞がったので一人旅にでもでるかな)‥(同じ屋根の下に住む同世代らしい人曰く:才能が問題だろう↑ ここでダメならどこでもダメじゃね↑?)‥金が無ぇから止めようっと‥の堂々巡り。
そもそも 世の中全般が落ち着きがない。そっち方面に気を取られ なかなか集中が出来ない!のも 遅延原因の一つである。
なんだこれ!と思う事象や人物(興奮が収まらず長文になりそうなので あえて事例紹介は割愛)が 多分閉鎖的な日本人のホントの姿が グローバルにさらされて出て来て 収拾がつかない様相か。しかも死人も出たりで まったく信じられないのである‥。
スカッとした山々に逢うことも出来ず イライラする程度では とても健康的に思ってしまうのは カン違いにしても 極めて平和的ではある。
当り前ながら 人の声と云うものが 遠く離れると見えず 聞こえないことで‥時に大きな悲劇になることを いまさらに知るのであった。
「天高うして野の人語きこえざる:佐野青陽人」
今頃になってようやく夜になると どことなく秋の気配がしてきた。蒸し暑い日々も9月の中旬も過ぎでは 気持ち春夏秋冬が懐かしく思えてしまうくらい すっかりメリハリのない人生となった気がする。
ともなって 本原稿も大幅に遅れた??。(見え見えの言い訳なのだが‥。)
TVの気象予報士は「秋めく」のは10月に入ってからかな?‥と大胆な予想をしていたが 広報が関東を軸とすれば妥当な見方とも思う。なにせ当地の目下の予想最高気温が30℃超え の日々なのである。(実態は たいがい外れるが‥)
また なかなかカッと晴れる日がない。なぜか分らないので あーでもない こーでもないと仮説を立てては‥挫折の日々。
でも‥断片的な情報ながら やはり異変っぽい事象はある。英国の異常低温現象やチェコやルーマニアの豪雨などの現在情報は 仮説への裏付けとなるかと?まんざらでもなく 一人にんまりなのである。
天気にこだわるのは‥単純な理由で 遠くの山々の風景が見えないとカメラを持ち出す気が湧かない‥のである。結局のところ怠惰なのである。悪いことに歳をとるごとに 怠惰になっていく感じがする。 これだけは何とかして振り払う気構えでいるが 世の中の波長とは同期しそうで マイペースを守ろうとすると かなりのエネルギーと時間を要する。
たとえば 世にご提案の意見で 年金給付は80歳から‥?という公人の提案が出てきている。ご意見の本人評価は置いといて(評価に値しない) この主旨に賛同する老人を含めた多数の層があるとの報道を見聞きすると もう興奮が冷めなくて さらに熱くなるのである。
まったく おおずれの秋の気配は 異常そのもので 気象庁の予報は そのことも織り込み済みかと疑ってしまう。
「砂の如き雲流れゆく朝の雲:正岡子規」
雨の状況を視たいと思ってから 約3週間たってしまった。時々晴れたときもあり チョットお出かけの誘惑にも駆られたがすっかり安定した‥という感じでもなく へそ曲り台風も来て かなり自重した結果家周辺ばかりと通院だけの ほぼ蟄居の生活であった。
自ずとTV観賞?と人の噂への干渉?の日々‥という不健康な日々になるのであった。が‥珍しくテレビではNHK「鶴瓶の家族に乾杯」番組で盛岡ロケの放映があり 結構モチベーションがあがった。昔とは大違いで今は一億?総スマホの時代である。ちょっと自宅軒先が映っただけでも 一瞬で画像は駆け巡る‥大袈裟に云えばそんな時代で‥ビデオも取って 気分は上々なのである。(後編は 来週月曜日16日20:00から の放映の録画もセットしたし‥安心状態。)
街に 雨の日はなくなったが日中はまだ暑い。遠く岩手山には 常に雲が掛かって 街中の川の濁りは取れず 湿度は高く 毎年こんな夏では 草や虫たちも調子がおかしくなってしまうでは?と 若干恐怖感に襲われるが 一億総音痴化を誘導する右端政治家には さらに気持ち悪りい未来しかみえず 子供たちをお任せできないな と思うのであった。ひとり老体にムチ(無知?かも)打つ日が近いのではなかろうか?(バックヤード:大丈夫!その頃は此の世にいません の声)
従って? 断絶した世の中の現場を常に見て(写真にして)おかねばならない との思いから“偵察”‥としたのである。油断大敵なのである。
集中しない日が続き 机の上は7月からまったく変動がない。物の上にさらに積み重ねるので置くところなくなったからである。
今年の長く暑い夏は 怠惰に拍車をかけた。再来週あたりはもう秋彼岸である。暑さ寒さも彼岸まで に期待しよう。
「まだ何も置かぬ9月の机なり:坂巻純子」