県内にある13世紀初め開山の時宗(一遍上人)の古刹をお参り。仏教伝播から約6世紀を経たあたりで…考えただけで気が遠くなる時間軸。
そこのお寺さんの寺門前の広場(下馬札)のあたりに 柵で囲われたそれほど大きくない石があった。(大岩の露頭部か?) その佇まいから察するに 相当意味深い石ではないか と推察。
時代は南北朝の頃の話で ややっこしい話をグッと短くすると 北朝に対し強硬な意見であった南朝の長慶(チョウケイ)天皇が 各地の協力を求めて潜幸していた。その際 由緒あるこの寺(林長山光林寺)にも立ち寄られ ここの石に腰を掛けて眼前の垂れ松(写真左手枠外)を愛でられた…残念ながら詠んだ歌は後々16世紀の戦(いくさ)で焼失…という伝説のある 甚だ畏れ多いスポットなのでした。
そうか 偉い人は…そのまんまで 絵になり 話になるもんだ。それに引き替え うだつの上がらぬ当方は 日がな一日机でウトウト…まぁそれも楽しからずや…と寒々しい夕暮れに ヒガミ一杯で負け惜しむのでした。
「山眠る如く机にもたれけり:高浜虚子」