
世の中まだ決して落ち着いた訳ではなく 下り坂でブレーキに足をかけたままで足
が吊りそうな 少~し微妙な力加減の状態が続きます。
昨年と同じ場所に 同じようにツツジが咲いてくれている。そう云えばもう一年過
ぎたと云うことか?と自問。試しにブログを手繰ると 確かに今頃(6/17)にアップ
している。今回も相変わらずには見えたのだが 一年後にこれほど諦観に満ちた心境
に陥る予想は まったく無かった。
同じ花を見ても こちらの感じ方が 若干鈍いほうに変化しているような?気分で
ある。時間の流れも ようやく本を一ページだけめくったような感じで 外からの大
量過ぎる情報に ただただ翻弄し自分は立ち止まったままの 不思議な気分である。
いまさら なのだが 詩人相田みつを先生の「ただ」という詩の中の・・ただ咲い
て ただ散ってゆくからいい・・の一節が頭にポッと浮かんできた。それはそれでい
いのだが 主語は?え~となんだっけ?人間だったような~忘れかけている中途半端
をすっきりさせようと 文集本体を確認するため 躍起になって這うように家中を探
し回るという・・そういう忙しさの初夏なのであった。(駄文ご容赦)
「死ぬものは死にゆくつつじ燃えてをり:臼田亜浪」