地域縁尽倶楽部 なになに寫眞帳

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街角風景~写真

2024-06-04 16:38:29 | 日記








 昔から自分はただ面白がって撮る写真小僧であった。人混みなどでも迷惑と知りながら様々撮影してきた。ところが 記憶曖昧ながら2000年を過ぎたあたりから個人情報なんとかという文字が飛び交う頃からと思うがなんとなく人物にカメラを向けることがなくなった。(記念写真は別です)
 当然 なんだか自分の写真の出来は 下手な写真がもっと下手になり 理屈抜きで?面白さ(躍動感)が消えた。自分の写真には人物が入っていない!と気がつくことに 結構ズレがあったような気がする。
 後々 一片の才能もないのか…といい大人がすっかりしょげることになるのだった。ただ 個人情報保護法というものが成立しても それ自体には関心もなく 相変わらず人物の入らない写真を撮り続けていた。
 昨日のTVで たまたま 詩人の谷川俊太郎氏の昔の映像が出ていた。まぁ自分は絶対 あの天才の云うことを理解するには いたらないのだけれど‥「フェルメールの絵画には時間の流れを感じるのだけど 写真にはないでしょ(意訳)」という“お言葉”に えツ? そういうことですか? 言われてみれば確かに!‥ウン「時間」だったのか と腑に落ちたのであった。
 そういう訳で‥最近の安いTVでも画像が鮮明なので 多分違法性はないだろうという独断により ちょっと撮影してみた??
 差し出がましいけれど説明を加えると 今話題の大の里関の右肩奥向こう 眼鏡にマスクの人物の すべて見逃すまい という全力集中のまなざしに感動(?)して撮ったTV画面の一枚‥なのである。今回一葉だけ 場違いながら‥差替えします。無論「時間」は無理難題で 問題外なのだが‥。
(ニュースでの戦場映像などで 人物の顔にボカシが入る場合があるが 局によって違いがある‥のも違和感があり疑問‥など細かいことは頭痛の素と‥人物の入る写真は 時間の無駄!と思い込んだ節がある。無論ボカシの入った写真は写真にあらずの意識。‥今回も老人の長話! <(_ _)>)

   「世の憂さのまとふ衣を更へにけり:富安風生」
コメント (2)
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