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不慣れな家事にてんてこ舞いが続いており 未だにコツが掴
めない。ワタクシにはその能力のひとかけらも無いのか?‥。
よって今のところ気持ち的には「家事は重労働なり」と云う
表現が 少し強めながら 正直な感想なのである。
苦難要素を抽出?すると‥
①やっとの食事をしながら‥明日のメニューを考えると云う苦しみ。
②やっとの食事をしながら‥明日のゴミ出しは何?の興ざめ感。
③やっとの食事をしながら‥休憩のタイミングと量は?の検討。
従って‥楽しいはずのお食事タイムも さっぱり なのである。
確かに「休憩」の取り方は じっくり考えると タイミング
が難しい。また 休憩し過ぎて老人特有の廃用症候群への入門
となっても地獄便に乗るようで その量も難しい。しかし体力
の回復にも時間はかかる。集中活動時間20分に対し安全考慮で
10分休憩?‥が妥当か?などと余計な試行錯誤にも無駄なエネルギー
を使ってしまうのであった。
赤とんぼが 柔らかな秋の陽射しを浴びながら休憩していた。
そうか これで行こう。スコップに足を掛けながら ちょっと
息が整うまで完全マイペースで休憩‥というヒントを貰った。
「秋深き隣は何をする人ぞ:芭蕉」
「家事は重労働なり」---、です。1つのことを終えてから次のことではなくて、殆どの作業を同時進行です。
馴れによって、殆どの女性たちが身に付けてきたものです。ですから、気負わずにと願います。
まずは、廃棄が出ないように食事を作られること。完璧を求めて動かれることが無いように。自然に、作業順を覚えられますし、手抜きも大いに結構かと思います。
これは修練を経てこその 含蓄あるご意見を聴き
ゆっくりズボラで参ります。ハイ
(小生自体が廃棄対象か?‥単なるひがみです。)
それにつけても‥ゴミ分別の複雑さ なんとか
ならんもんでしょうか?‥と思ってました。
無風で完璧な秋晴れの日が一日あって その日は
赤とんぼの群れが空を覆うほど(大袈裟?)
飛び交いました。初めての体験でしたが 写真は
すべて失敗しました。自然体を保ち 平常心で過
ごすのは なかなか修行不足では難しいです。