7月8日 高台寺 七夕茶会 7日~8日
昨日来、集中豪雨の為、京都の多くの定例行事が中止となっている。昨日から、七夕関係の行事が多くの寺や神社で始まっているのだが・・・。
高台寺は「お茶会」も含めて中止した。
東山の高台寺山のほとりにある「高台院寿聖禅寺(高台寺)」は、ご存知家康が、好敵手秀吉の未亡人ねねの為に提供した禅寺である。元は康徳寺というねねの母親の菩提寺を拡張しようとしたが、手狭であった為いち早く家康が援助したという。筆者は、後家好みの家康が、ねねと関係を迫ったと思っている。苦労を重ねたとは言え子供を産まなかったねねは、晩年までその美貌を保ったと伝えられる。お霊屋に奉られるねね像を見ると、色白の艶っぽいねねの面影が十分感じられる。一方、60歳前後の家康は天下統一の仕上げに向かっていよいよ気力充実の「ちょい悪おやじ」であったのだ。妄想してしまう。
確かに、ねねとの良好な関係は、関ケ原から幕府開闢までの策略に役だった。秀吉の子飼いの有力武将の、加藤清正・福島正則・山内一豊など豊臣家への忠誠心をどのように家康のもとに向かわせるか。ねねの求心力と石田三成への憎しみをうまく利用したのだった。(筆者は三成のような官吏が好きだ。)先ほどの康徳寺、徳川家康の中の二文字を使っている。「 国家安寧 君臣豊楽 」方広寺の梵鐘問題では批判の的にしたのに、これは良いのか?家康もしたたかだ!!
結果は皆さまご存知の通り家康の天下に・・・。その後、家康はしばしば高台寺を訪ねて、ねねと昔語りしたらしい。大人の関係はさて置き、心の通じあった家康とねねが高台寺の茶室で京中を眺められるこの場所で楽しんだとすればうらやましい限りだ。
七夕まつりは、来年へ楽しみを置いておこう・・・・。
心配は明日の鞍馬貴船神社の「水まつり」だ。雨乞いの祭りなので、この災害で「雨乞い」は、良いのか??