7月18日 (17日深夜) 八坂神社神幸祭
八坂神社は、スサノウノ命を主祭神とし、その妻櫛稲田姫命と8人の王子の3柱を祀っている。その3柱を祭の間中、神輿に御魂を移し奉る。
神輿洗いで清めた神輿に、御魂を移すと八坂神社の本殿に神様はいない事になる。この日各氏子町を清めて回った3基の神輿は御旅所に24日の還幸祭まで留まる。この一連の神事を神幸祭という。
スサノウノミコトとは、すべての神の母親イザナミノミコトの4人の子の末っ子で天照の弟とされる。荒ぶる神と言われ高天原で暴れ天照の「天の岩戸の神隠れ」の原因となった。一方、出雲の国では八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する英雄となり、そこで見つけた絶世の美人である櫛稲田姫を妻にする。その時の、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
と、読んだ歌が日本の和歌の最初と言われる。
スサノウは、仏教では牛頭天王となり、奥さんは頗梨采女(ハリサイジョ)、そして8人の子がいる。祇園祭で配る粽に「蘇民将来の子孫也」と必ず書いてあるのは、以下の伝説による。
「その昔、牛頭天王が嫁探しの旅に出た時に、ある村で一夜の宿を請うた所、兄の古単将来は断り、弟の蘇民将来は喜んで応じてくれた。その帰路古単の一族は皆殺しにされ、蘇民の眷属一同は将来にわたり栄えたという。従って庶民はみんな「蘇民将来の子孫」ですと言って幸せを願った。また一説には、古単の妻は蘇民将来の娘だった為に助命されたので、「私も蘇民将来の子孫(娘)」ですとしたともされる。」
このように3基の神輿の「渡御」こそが祭の本質であって、山鉾巡行はあくまでも町衆の風流なのである。本来は祟りをなす怖いはずの、しかも最強の「荒ぶる神様」にあえて、疫病の退散を願う事にしたのだ。その神様に祟らないようにご機嫌を取ろうとしてあらゆる風流を企画した庶民感覚を理解しないと祇園祭の華やかさを理解できない。
今日から還幸祭まで、寺町の御旅所には「無言参り」の花街の人で賑わう。家から御旅所まで一言もしゃべらずお参りし、無言で帰ると願いが叶う。