25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

知らないことはいけないこと?

2019年12月26日 | 文学 思想
「世界のニュースを日本人は何も知らない」(谷本真由美著 ワニブックスPLUS新書)の題に騙されて読んだ。思えば、「何も知らない」という馬鹿にした書き方に騙されたのである。
 さて、自分はどれほど世界のニュースを知らないのだろう。まずこれがそもそも付け入れられた弱みである。「扱う話題がぜんぜんちがう! 新聞・テレビではわからない世界の真実に迫る」と表紙に書いてある。

 この著者は著述家・元国連職員であり、1975年の神奈川県生まれである。
 読んでいくと「ああ、そうなん」「ほうそうなん」ということが書いてある。例えば、アフリカのメディアを中国が買っている」とか「本当はものすごく豊かなアフリカ」とか、「日本人が知らないトランプ大統領の意外な評価」とか、まあ、いろいろ書いてある。

 ロンドンはもはや白人が郊外へ行ってしまい移住1世、2世、3世というような外国から入ってきた人の方がが多くなった。というニュースには「ああ、そうか。アメリカももうすぐなるな、と思ったり、ロンドンのパブ、特に東ロンドンの昔ながらのパブは潰れていき、欧州大陸式の店やアメリカ式のバーが、進出。ビールがえらく高く、もう国民はあまりパブに行かないとか、「話の特集」のようなどうでもいいようなことを延々と書いている。加えて、この著者は説教するのである。「老いを恐れる必要はない」とか「成功に重要なのは共感力や感性」とか、「効率は創造性を殺す」などと後半はほぼこの著者の説教である。「世界のニュースはどうした?」と言いたくなる。

 実をいうと、この著者のいうニュースなどはぼくもだいたい知っていた。知らなくてもいいようなことなどまで知らなくてよい。

 普通に生きる人というのは世界のニュースにまでアンテナを伸ばしたりはしない。まずこの著者はそういう普通の人、いわば「大衆の原像」のようなことを知らなければならない。今日の仕事のこと、今日の心身の状態のこと、ちょっとした人とのいざこざからくる不快、美味しかった昼飯、休みたい、風呂に入りたい、あるいはあの人のことが気にかかってしかたがない、という風に生きている。そういうことが生活の基本なのだ。

 世界のニュースを日本人は何も知らない。著者は、よくそれで生きてるね、と言わんばかりだ。
 ぼくの場合は来年の今頃は入れ歯ででも「なまこ」「あわび」を食べたい。ギリシャとキプロス、トルコとリビアとの天然ガス問題など知るか、ということになる。

 さてさて、この本を読み終えたので、更科功の「残酷な進化論」を読む。更科という苗字は母方の苗字と同じだ。苗字由来ネットによると更科名の人は約1400人いるらしい。信濃、越後、北海道に分布している。

役立つ知識

2019年12月25日 | 日記
口を精一杯に開けて10秒。これを日に5セットすると、1か月もすれば、誤嚥が防げるようになるとテレビでドクターが言っていた。のどにある引っ張りたり、緩めたりする筋肉が鍛えられるらしい。気管支に物や飲み物や唾液が入ってしまうのは食道に入れるべきところを筋肉のせいで、気管支に蓋ができないのである。この筋肉を鍛えるのが口を思いきりいっぱいに開けて10秒数えるということだ。
 前々からこの筋肉をどう鍛えたらよいのかわからなかったので、「ためしてガッテン」は大いに役立った。
 「ためしてガッテン」ではそのほかにも「動脈マッサージ」や「腰痛を起こす脳にある「側座核」の機能研究とその成果も役立った。
 血圧高めの人は片手5本の指を別の指でクルクル揉み擦る。腕も片方の腕で揉み擦る。最後は鎖骨下動脈に指をあて、肩の上げ下げをする。これを毎日1回から2回。確実に血圧は下がる。
 ほとんどの人が腰椎にヘルニアをもっている。ヘルニアがあっても痛くない一人がもいれば痛い人もいる。側座核がなにかしらの理由で機能が十分に果たせていと痛みを抑えることができない。推理作家の夏樹静子が経験した腰痛もたぶんこれである。彼女はあらゆる治療も呪いも、先祖供養も行った。ストレスと自分に対する怒りが側座核を弱めたのだろう。最後にとうとうこのことを知る若い心療内科の医師と出会って、腰痛は治ったのだった。
 「ためしてガッテン」みたいな番組や「歴史ヒストリー」のような番組を見ていれば人間はどんどん物知りになり、成長していく行くよう思えるが、知識のつきぐあいと成長は別の事のようである。
 いつも思うことだが、NHKはよい番組をつくる。Eテレなどは作る側の熱情と知恵、と才能と努力を感じる。

超スッキリした

2019年12月24日 | 日記
 58年前、9歳か10歳の頃、前の歯一本の乳歯が抜け落ちず、その乳歯一本について両親も敏感ではなく、永久歯が生えてきているというのに放っておいたら永久歯が乳歯に邪魔されて、行き場がなく、まっすぐではなく、乳歯を避けるように生えてきた。これには歯医者さんも困ってしまい、抜いてしまうのもまだ子供だからどうかとも思ったのだろう。なんとか格好をつけてくれたもののこれが人生で一番の鬼となった。

 大人になってからでもいっそのこと前歯4本を抜いて入れ歯にするという方法もあったのに、「抜く」という気持ち悪さに、できるだけ歯医者さんは避ける、意気地なさが身についてしまった。
 寄る年波には勝てず、歯周病も出てきた。なんとか歯肉を強める歯ブラシと歯磨きで頑張っているが、なんとも深いで「鬼の歯」も含めて、前歯4本、抜いてもらうことにした。
 その覚悟を決めて今日歯医者さんに行った。ぼくは60年も気にしてきたのに、歯医者さんは、ぼくの言うことに「うん、うん」と合図地を打ち、代替案もないらしく、ぼくの希望とおり、歯肉に麻酔を打って、ゴリゴリと歯を抜いた。全く痛くない。
 前歯4本がなくなったと思うとスッキリした。このスッキリ感は60年のこころの羞恥、苦痛、重荷なども吹き飛ばしてくれた。
 なんだ、こんなものか、と次には「もっと早くやっておけばよかった」という若干の後悔の念も湧いた。しかし断然、ようやくこの日が来たか、と感慨深いものがある。

 今はまだ口の中に血止めの綿が入っている。1時間で取り除いてもよい、というので、あと15分でさらに具体的にスッキリする。正月は前歯がないので、子供や孫には照れ臭いが、マスクでもしておればよかろう。
 歯医者さんには、「なまことあわびが食えるようにしてくれ」と言ってある。

 日中韓首脳会議、とくに日韓首脳会議があるとテレビは報じているが、日韓問題よりもぼくには「歯」のことに今日は思いが集中するだろう。人ひとりの細かいこと、小っちゃいことが人には国際問題よりも重要なのである。あと5分で血止め綿が取れる。

 
 
 

倫理

2019年12月23日 | 社会・経済・政治
 かんぽの鈴木副社長の言動を見ていると、人間というのはえらくなればなるほど悪くなるのではないか、と思ってしまう。天下って、総務省の先輩後輩の関係を利用する。えらそうで、潔さもない。いつも悪いことをする人間ではないと思うが、呆れたことをする人だ。どのようにこういう人間になってしまうのか。
 人間は危機に陥ったとき、あるいはとっさの想定外のことに直面したときに、その人間の核心がみえるときがある。突然にある有名女性議員が歩いたところ、週刊誌記者に「不倫をしているのではないか」と直撃された。その狼狽ぶりはその後のどんな言動もダメにした。必死になって再選されたものの、あの狼狽ぶりの映像は彼女の今後に事あるたびにでてくることだろう。
 ぼくらは、その正義ぶる記者も含めて不倫をやってしまうかもわからない存在であるし、政治家に人間の模範たれ、と思っているわけではない。週刊誌であれ、テレビであれ、不倫を報道したがるのは、その種のネタが好きな国民がいること以上に、有名で人気者でもある人間が危機に陥ったときの様に強く興味を引かれるように思える。
 話が逸れてしまった、かんぽの鈴木副社長は営業の最先端などに立って陣頭指揮などしていなかったろう。えらそうにしていただけだと推測する。間違っていたら謝る。
 近代社会に入ってからは戦争の規模が拡大し、国民が戦争に出掛ける、あるいは国民に人を殺させるというようになった。幹部は部屋にいる、という具合だ。記憶力だけがよい学歴人間は部屋の方にいたがる。
 筆記テストでは合格と落第の境界線がある。人間にはそういうテストはないから、天下りを禁止するとか、罰則を設けるしかなく、あとは学校時代の教育しかない。
 選挙後援会の資金引き継ぎをさせて、臆面もなく世襲してわがことの力のようにいる政治家も、倫理的にダメだとぼくは思っている。


アベノミクス

2019年12月22日 | 社会・経済・政治
 消費者は名目賃金が上がっていることも、実質賃金が下がっていることも知っているのに、名目賃金があがっているからアベノミクスはいいんだ、と主張してやまない安部首相は奇妙である。
 株価が20000円を越えているからアベノミクスは間違っていない、という安倍首相。なぜ株価があがっているかと言えば33兆円を日銀が投資しているからだ。
 雇用が増えているからアベノミクスはいいんだ、と言っても非正規社員が多くなっているからである。
 橋下徹や三浦瑠璃が安倍政権を支持するのがわからない。普通だったら、誤魔化しの政権を批判してもいいははずなのに、野党はよいことばかり言っているのが気に入らないように見える。自称「腹黒派」(自分で自分のことをそう呼んでいる)の橋下はいずれ、安倍政権も終わり、いつの日か、自民党と組む方が政権に入りやすく、野党でいるよりもできることが多いと腹では思っているのかもしれない。
 安倍や麻生、その他自民党議員には賃金が200万円以下で暮らす人たちにとっての消費税や物価のアップからくる心情はわからないだろう。

 土建業をやっていて、経理をある女性にまかせていた。その女性はこっそりと会社のお金を着服し始めた。その金額が億を越えてもわからなかった。社長は経理の結果でさえ見ないのである。その女性社員の羽振りがすこぶるよいことからようやく発覚した。発覚しても悠然として鯉の品評会にだす社長は、使い込みの金額などはした金だという風である。要するに自民党はこういう人たちに支えられている。
 どうやら層が明確になってきたのがこの30年のような気もする。共産党員が大金もちとは言わないが、公務員が多いため、それなりの安定性と収入を得ているように見える。労働組合の連合も、非正規社員や年収200万円以下、四人に一人が貧しいといわれるこの人たちの実際はわからないことだろう。
 忖たくと斟酌、公私混同の安倍昭恵。こんな政権や官僚に現在および未来をまかせることなど、ぼくには理解できない。代わる政権が出てきて切磋琢磨しないと、まさに日本は先進国から脱落する。すでにそうなっていると思うが。
 

夢古道の湯

2019年12月21日 | 日記
尾鷲に「夢古道の湯」 という銭湯があって、海洋深層水を風呂の湯使っていると壁の貼り紙に書いてある。海洋深層水を取る装置が故障して深層水を取水できなかった時期があった。本当にここの湯は深層水のカルマグ水なのだろうか。
 ぼくでは謎解きはできないため、今はすっかり水道水だと思って風呂に入っている。
 カルマグ水を使っているかどうかはぼくにはどうでもよい。それよりもここの湯はぬるいのである。ミストサウナもある。なにかしらここもぬるいのである。
 それで時たま見回ってくるスタッフの男性に、ここの湯は何度に設定しているのか、と訊くと、「はて?」みたいな顔をして、「わからない」という。帰りがけ受け付けで聞いてみた。あのミストサウナは何度位に設定してるのか、ときくと、なんとまああきれた答えが返ってきた。「あたし、サウナは得手悪いもんで」とエヘラと笑って言う。おまえの好き嫌いなど聞いとらんわい、と言いたくなってくるが、あどけないアホさに自ら気づかず、多分上司に聞いてみることもしないだろうよ、と思う。客の入りを見ていると、あと何年もつことやらと来るたびに思うが、ミストサウナは癌の補助療法としても注目されていて、体内が42度、43度にあると熱ショックたんぱく質がでて、細胞変異を修復するのだという。
 因みにぼくの知識だと海洋深層水のカルマグ水は皮膚美容にとってもよいんである。カルシウムとマグネシウムが2:1がよいと資生堂の研究所が発表している。「夢古道の湯」のスタッフはこういうことすら知らない、
漫然と仕事をしている。この施設に市も絡むのであれば、これは市及び市会議員が鈍感だと言うしかない。
 仕事というのは掘り下げることに楽しみもあるというものだ。自分が関わる「湯」に客はどれほど喜び、不満をもっているか、どのように「湯」を伝えるか。どう広告するか、仕事はこれに尽きる。風呂でいくら物を売ろうとしても「湯」の温度にさえ鈍感な社長、役員、スタッフならば明日はない。

腹立たしい

2019年12月20日 | 社会・経済・政治
 今日はいつものように4時半に目が覚め、トイレにいった。またすぐに寝入って、起きたのが7時半。また酒を抜いた。熟睡度がちがうとまた感じた。9時前にシホンケーキとカスタードクリームが一緒になったよう菓子を食べた。その20分後くらいに、柿を食べた。夜中に目覚めたのはそのせいだろうか、と疑った。まさか、そんなことまでにもバタフライエフェクトがあるのだろうか、
 今夜もようすをみようと思う。3日の断酒ができるはずだが。
 いわき市で暮らす義弟からこの時期にいつもいただいている「バチ」「マグロ」「ヤナギカレイ」「メヒカリ」が届いた。尾鷲からはいつも「からすみ」を送る。尾鷲は今年はボラが不漁で、からすみを他所から買って作るという案配である。昔北川の河口あたりでボラの群れが泳いでいたが、この数年見なくなった。これも気候変動のせいなのだろう。
 いなくなる魚があれば新しく登場する魚があってもいいはずなのに、出て来ない。昔、アイノバリという魚もよく釣れたがめっきり姿を消した。バリ島で島民が釣っているのを見て驚いた。アイノバリであった。
 尾鷲港の岸壁からは昔はよくアジやサバが釣れたが近頃は回遊してこなくなった。投げればキスやコチが釣れた。ぼくはキスとコチはこの5年ほど釣っていない。天婦羅にするなら断然「ハゼ」なのでハゼ釣りはしている。
 正月は娘の婿も夏と同様に来るというので、初釣りにカサゴとハタを狙う。かれもでっかい企業の部長職をしているが、たいへんなことだろう。仕事の合間の休みは貴重だから、釣れてほしいものだ。
 釣りを予定するその浜では今年クエが釣れたので、活きアジでもひっかけて竿を置いて置こうか、などと余計な欲が出てくる。その欲が出ると本命が釣れないことはよくわかっているつもりだ。婿どのも、数匹でも釣れればストレスも吹き飛ぶことだろう。この婿どのの世代はよく働く。多くはブッラクだが、今ようやく働き方改革派やらで、ブラックに厳しくなってきた。
 年金が70歳からだなんて、人が苦労して、お金もかけて健康寿命を伸ばしてきたのに、それがちゃっかりと政府に利用されて年金が引き延ばされる。これもどこか変だ。ぼくなどはオリンピックなどやるお金があれば違うところに使ってほしいと思っているので、定年70歳は腹立たしい。

酒と睡眠

2019年12月19日 | 日記
 東紀州は冬温かく、夏は涼しい。昨日は気温が20度もあり、tシャツで買いものをしている男の人も見かけた。
 今日は4度ほど下がるというが、平年11月並であるそうな。金魚槽の水温気温と連動しているから、金魚たちの餌の食い方や動きで冷たさもわかる。メダカはづっかり冬籠もりをしているようである。姿を見せない。
 朝起きると実にすっきりとし、熟睡感を味わった。
 アルコール飲料を飲み始めてからついぞ休肝したことがなかった。風邪をひいても飲んでしまうのだから、もうアル中だろうと思うが、NHKの朝ドラの主人公の父親のようではない。それとぼくの場合、やけ酒とか恨み酒というのがない。
 このところ熟睡も、3時間とか5時間で終わり、あとは浅い眠りで、夢をみることが多かった。
 昨日は「湘南のドライカレー」を食べ、柿とマスカットを食べて、ドライカレーなど食べるのがひさしぶりで、合わせる酒は何を飲めばよいのかわからないまま、食事、果物と終わってしまった。「相棒」を見て、上にあがりぽっかり空いた1998年から2010年くらいまでの見ていないテレビドラマをDVDで毎日見ているので、「傷だらけのラブソング」の第八話を見て、いよいよドラマが収束に向かう感じがして、そのまま眠ったのだった。37年ぶりくらいの酒抜きである。トイレには夜中にいかず、7時間熟睡したのだった。細君から指摘された。「酒を飲まなかったからよ」
 ほうこんなに違うものか。一昨日は忘年会で日本酒4合弱とその後、ビール中瓶1本程度を飲んだ。翌日は少々調子が悪かった。酒を飲まなかったのはそれもあったのだろう。
 この熟睡を知ったら、睡眠の質と至極の酒とのバランスをとらにゃならん、と思ったのだった。






30年の変化

2019年12月18日 | 社会・経済・政治
この30年ほどの間で大変化したことがいくつかある。
 どのあたりから書こうか。
 まず、資産。土地の値は都市の必要とされるところ以外はすべて価値が下がり、取引さえも成立しないような状況に加え、空き家が増えに増えている。尾鷲でも人が死ぬとそこが空き家になるため、中の荷物処理、掃除のアルバイトが忙しい。尾鷲市は毎月人口が20人から30人の間で減っている。他所へ働きに出るのと、老人の死だ。せっかく買った資産がゼロになっている状況が今の日本、特に地方である。つまり30年で多くの個人の経済力は衰退したのである。

 次に政治家。世襲議員の数が多すぎる。親の事務所のお金まで引き継いで、親の名の下で選挙をする。代表が安倍晋三であり、小泉進次郎である。全く公平性を欠いている。よくまあ、日本列島人はこれを許すものだ。だから改革ができない。

 次に先進国との差である。先進国に簡単には旅行でいけなくなってきた。物価が高すぎるのである。日本の100円ショップ維持はたいへんなものである。

 資格を必要とする職業の内、数字、データ、過去の資料、申請手続き、などを扱う資格、つまりは弁護士、公認会計士、税理士、司法書士や行政書士、その他あらゆる分野の事務作業は相当縮小されるだろうということがAIなどの発達によってリアル感を増してきた。ぼくの知りあいの弁護士の子供は弁護士にはならない、とはなから見限っている。弁護士業はテレビのようにカッコいいものでもない。半分は手続き業であり、半分は」判例を調べる作業だ。おおよそ80%はAIがやってくれるだろう。客側もいちいち弁護士に訊かなくても検索で上等だろう。昔の電話交換手や国鉄の切符切りのような職はなくなっていったようにかなりのホワイト系の仕事が縮小される。逆に清掃運搬の人などは貴重で、エステのような癒し系、体を使っての指導などは重宝されていく。

 銀行のM&A、銀行員のリストラ、銀行ITシステムの構築の遅れが「みずほ銀行」以外で目立つ。銀行のカウンターにいる女子スタッフはアルバイトばかりである。そして銀行の融資の有り方は30年前と変わっていない。相変わらず中学生でもできる「担保確認」「保証人確認」であり、一度失敗した人はブラックリスト入りで貸さないという臆病さである。改革できずリストラに走るだけである。この世界も安穏としておれなくなった。

 30年変わらないこともある。みんなで貧乏になるのなら怖くないというような日本人の右に倣え脳。変わらぬデフレマインド。増え続ける借金。JRの運賃の高さ。

何か変だ

2019年12月17日 | 社会・経済・政治
 日本が経済成長ができず、他の先進国に遅れをとり、どうにもならない状態であることはみな感じとっていることだろう。
 株価は日銀による買いささえでもっている。そんななかで馬鹿馬鹿しいにもほどがある話題のニュースをテレビは紹介していた。それはコンビニなどでスマホをとりださなくても、かばんやポケットにあるスマホを感知して決済するのだそうな。馬鹿馬鹿しいにもほどがある、現金を払うかスマホを取り出せばいいではないか。
 こんなことに面倒がる意識を想定するNTTドコモがよくわからない。いずれ店に入り、商品を籠に入れるだけで、決済されていく未来への途上の技術なのだろうが、要らない。
 こんなことに資本を使うなら、携帯代金を安くしてほしい。
 なにか変だ。










ブログのことなど

2019年12月16日 | 文学 思想
 田山花袋の「一兵卒」が今日の「よもやま会」での事前に読んでおく小説だったので、ぼくはスマホのアプリ「青空文庫」で読んだ。はて、感想というべきことを述べよと言われれば、「なんと下手な文であるか。明治時代ではこれくらいでも教科書に私小説の作家として田山花袋は出てくる。なんだこれは」という感じだ。
 今日はこの本を読んでよもやま話をするので、まずはこの本を選んだ人になぜ選んだのかは聞いてみたい。そしてもちろん他の人の感想も。

 戦後高度経済成長が始まってきた頃から貸本漫画、月刊誌漫画、週刊誌漫画と興隆し、現在の単行本漫画、アニメ、テレビドラマや映画の原作にまで進展している。サブカルチャアとしてとらえられていたものが純文学だの大衆文学だのもなぎ倒しているような感がある。この前NHKのドラマで「落語心中」を岡田将生が演じていたが、あのドラマは相当よくできていて、原作は漫画であった。漫画家もよく調べている。ストーリーの展開も見事である。
 明治の頃はサブカルチャアと呼べるものは落語くらいしかなかったのかもしれない。芸術創作活動は美術であり、音楽であり、俳句や短歌、小説であった。演劇も加えていいのかもしれない。小説も言文一致運動があり、ようやく人々が読めるものになった。この面では田山花袋の貢献もあるのだろう。
 今やサブカルチャアという言葉は死語である。メインカルチャアとなっている。音楽、美術、映像、演劇、ミュージカル、エンターテイメント小説・・・。
 そして文を書いて見せる、動画・写真映像を見せる、イラストを描いて見せるツールが広がって、多くの人がブログで文を書き、撮った写真や動画を見せる。子供へのアンケートでは将来つきたい職業の1位が「You Tuber」である。

 人間が考えることのほとんどのことは古代までにやってしまっている。人間は科学の先の先を進めていくだろうが、それは知識であって、おおよそ普通の生活で起こってくることで考えることはもう古代に言い尽くされている。聖書あり、論語あり、経典ありである。もちろん親鸞、ルソー、モンテスキュー、ヘーゲル、マルクス、エンゲルス、カント、ニーチェ、ハイデッガー、サルトル、小林秀雄、吉本隆明、と言っていくこともできるが、おおよそのことは言い尽くされている。ぼくらは過去の人が考えたことを参考にして思考していくだけで、それが人間の歴史の積み重ねということなのだろう。

 ブログの登場でなんと人は「自己表出」をしたいものかと驚く。「ひとりごと」さんのブログを読むと、ガンガン勢いが増していってどれだけ読んでも終わらない、けど書く、という熱情である。

 みんな田山花袋よりは文はうまくなっていると言いたかったのだが、何かもうひとつ言えてないなあ。
 ブログはこれで終わってもいいのである。自分が編集長なのだから。

バドミントン

2019年12月15日 | スポーツ
 どのようなトレーニングをしているのか。日本のバドミントン桃田賢斗とインドネシアのギンティンとのシングルス決勝戦を観ていて、二人とも体が大きく崩されることがない。足は小刻みに動いている。重心が崩れないから余分なふらつきがないのだと思う。無駄な動きがない。やはりインナーマッスルが発達しているのだろう。
 運動神経的な才がある上で、必要な筋肉の鍛練努力、試合のかけひきの思考力を兼ね備えているのだろう。両者ともジャンプ力、背骨のバネが素晴らしい。
 インドネシアのバリ島では普段人々はゆっくりと歩く。どんな風にしたら、胸を張り、それほどゆっくりと歩けるのか、ぼくは驚いたことがある。日本での都会なら日本人は3倍くらいの速さで歩く。バリの人がキビキビと走ったり、体を動かすのを見たことがない。だからバドミントンでギンティンの動きを見ていると、目を見張ってしまう。
 インドネシア人の歩き方は素晴らしい。女性も頭の上に供え物を乗せて歩いている。小さい頃から村で踊りの練習をする。ほぼ重心移動の練習である。
 だから女性がマッサージをしても重心使い方ができるので、力の伝え方がうまく、強い力を届けられる。
 桃田とギンティンの勝負は大接戦である、ふたりとも反応力が速い。フットワークがよい。
 日本のバドミントンはインドネシアに追いつき、世界のトップクラスである。韓国から監督を招聘して以降強くなった。バドミントンをし始めた小学生や中学生が多くなったという。さもありなん。

at home,dad を見た

2019年12月14日 | テレビ
 テレビドラマ「まだ結婚できない男」が終わった。またもや結論が曖昧なままだった。十年以上前に前編「結婚できない男」があった。阿部寛演じる主人公はクラシック音楽を聴くのが趣味で高価そうなオーディオを持っている。部屋内で指揮棒まで振る始末である。彼は建築士であり、建築デザイナーである。その腕は確かで、自分の建築事務所をもっている。撫で肩、猫背でトボトボ歩く。ところが女性と会えば、皮肉を言い、回りのものは怒ったり、冷や冷やしたりする。全くのコメディーである。
 2002年に出たDVDに「at home,dad」というやはりコメディーホームドラマを見つけた。「結婚できない男」と脚本も音楽も、画面の色合いも同じである。きっとこのドラマが当たり、阿部寛をどうやって演出するか、このドラマ制作チームは掴んだのだと思う。

 「at home,dad」では「雨上がり決死隊」の宮迫博之がとっても重要な役で出ていた。彼は主夫をやっている。彼の妻(中島知子)はイベント会社を起業し、働いている。その二人が住む家の隣に阿部寛演じるCMディレクター家族がローンで家を買って引っ越してくる。するとまもなく、彼は子会社に移籍させられ、その子会社が勤務する前に倒産することになり、彼はリストラされるのである。で、妻(篠原涼子)が仕事に出ることになり、彼は就職先を探しながら主夫をするのである。彼は主夫を小馬鹿にしている。男は外に出て仕事をし、女は家事、育児をづつmkのだと考えている。主夫の生活が始まった。お隣さんがいないと上手く主夫ができない。ゴミだし、娘を幼稚園に連れていくこと、掃除、洗濯、買い物、料理、することがいっぱいあり、その仕事にも効率よく節約しながら、ご近所さんともうまく付き合いしていく方法を宮迫博之から学んでいくのである。
 洗濯物の干し方も、買い物の仕方も、観ているぼくもいちいち「なるほど」と唸ってしまう。可笑しくて、面白くて、すっかりはまってしまった。

 宮迫博之はたいした役者だと思った。主夫で甘んじている自分は時々忸怩たる思いをするときがある。そういう演技も上手かった。
 いつのまにか日本は女性も外に出て働いて生活レベルの維持をしなければならない社会になった。この主人公家族が現実にいたとしたら、まだ家のローンを払っているはずだ。

 このドラマの時から18年。空き家が増えに増え、不動産価値は下がり、実質賃金が上らないという状態が今もなお続いている。篠原涼子は大きく歳の違う人を夫にし、中島知子はその行動が週刊誌などに騒がれ、もうテレビに出なくなった。宮迫博之は過去に吉本興業に黙って反社会的な者達のパーティーに出席したことが騒がれて、現在謹慎中である。阿部寛は「柘榴坂の仇討ち」で中井貴一とともに渋い暗殺者を演じた。人の人生はいろいろだ。宮迫博之には早く復帰し、またドラマなどで活躍してもらいたい。もう、「雨上がり決死隊」はいいと思う。役者一本でいくのに、よいチャンスかもしれない。
 

共同幻想のこと

2019年12月13日 | 文学 思想
 ぼくが尊敬してやまない吉本隆明は「戦後思想の巨人」と呼ばれていた。借り物ではない「自前の思想」だとよく言っていた。大学生の頃から彼の著作を読み始めて、ずっと書物が刊行されるたびに楽しみに読んだ。ぼくが学生の頃、「試行」という雑誌を発行していたので、それも読んでいた。その雑誌の中で岡山の永瀬清子という詩人を知った。このブログのタイトルは永瀬さんの詩から取った。
 吉本隆明は死ぬ直前まで発言をした。伊豆の海でおそらく急に体が冷えたのだろう、水泳中に溺れた。救助され一命はとりとめ、また仕事に復帰した。テレビ番組「進め!電波少年」で突撃取材を受け、タライに顔を突っ込んで溺れる真似をしたとか、週刊誌で読んだことがあるが、ぼくはその番組を見ていなかった。そんなこともありながら、徐々に吉本隆明の身体は故障が多くなってきた。文体も変わってきた。十四歳の子供にもわかるような文をこころがけるようになったと思う。若いころの吉本隆明の文は難解だった。

 今、振り返って彼が書いた著作からぼくが日々考えるうえで典拠としているものは「共同幻想論」と「言語にとって美とは何か」である。特に「共同幻想論」は個人幻想、対幻想、共同幻想という観念の領域を「古事記」と「遠野物語」から考察していったのだった。共同幻想と個人幻想は相反してしまう。例えばバスケットボールのクラブに入っていて、土曜日も日曜日も練習があるとする。すると個人としては優勝するためにやろう、と自分に言い聞かせて土・日の練習に取り組む。別の者は日曜日に見たいものがあるから休んでしまえ、と考え、休んでしまう。共同幻想は「クラブ活動での優勝」である。個人幻想は個人の自由な幻想である。
 この個人幻想を重視して休む生徒が共同幻想を重視して休まないとなれば、そしてそれがクラブ員全員がそうなれば、共同幻想と個人幻想が重なり、クラブは強くなる。

 このことを国家に置き換えてみると、国家は共同幻想である。しかも権力という幻想を持ち、そこには実力部隊である警察がいる。ひとつ例に出す。尖閣列島を中国が取りに来たらどうするか。威勢のいい人は共同幻想と個人幻想を重ねて全面に出して、中国のを蹴散らせ、となる。尖閣なんて中国にあげたってどうってことないよ、と思っている人がいたとする。そういう意見をテレビ局は取り上げてはくれないだろう。テレビ局は大事件のように扱う。つまり国が侵略されたかのように報道することだろう。テレビは魔物なのである。今日幻想にも引っ張るときは引っ張る。個人幻想の題材も提供する。

 国家という強い共同幻想は幾分力を弱めていると思うが、島国である日本はユーラシア大陸ほどに、アメリカ大陸ほどに人種、民族の融合が多いとは思えない。するとまた「ナショナリズム」の強風が吹いてくるということになる。威勢のよい派は国家存亡の危機だと煽るだろう。きれいごと派はとにかく話し合いだ、と主張するだろう。共同幻想には風通しのよい穴を二つほど開けておけばよい。領土については歴史の時間をどこまで過去にもどすかで解釈が変わる。中国側は中国の都合に合わせて中国のもの、日本側は日本のものだったのだから日本のものと主張するだろう。
 この強力な共同幻想(自衛隊員の個人幻想の犠牲やこんなことで戦争するのは馬鹿らしいと各人が思う個人幻想を犠牲にしてまでの共同幻想という意味で)に対して「共同統治」という共同幻想でやりあっていくしかないことになる。

 天皇の継承のことでも、共同幻想と個人幻想が相反することも多々あるかもしれないのに、一致して重なってしまうとひどいことが起こる。これは戦前に日本列島人が経験したはずだ。
 この問題は解かれねばならない。意識にも上らなければならない。教室でも論議されなければならない。

 吉本隆明は人間のもつ共同幻想の成り立ちを考察することから次の世代にさらに深い論議を示唆したに違いない。2012年3月16日逝去。

植物らの強さよ

2019年12月12日 | 日記
 このところ穏やかで寒くもない晴天の日が続いている。池の取水装置がこの夏の台風で壊れてしまった。3者で取水していたのが、ウチだけになったので、修理の大工事はしないことにした。その代わりに大きな鉢植えを池のゾーンごとに置くことにした。

 谷からの水が流れ落ちる音はなくなった。来年はカエルも住処がなくなる。イモリもどうするのだろう。橋の右側のゾーンには水の代わりにこの時期のシクラメンを、左側のゾーンには鮮やかな黄色のパンジーを大きな鉢に植えた。草花はなく樹木の花が季節ごとに咲いていたが、この12月は山茶花や欅の赤色の葉くらいのものであったが、シクラメンの白や紫や赤の色とパンジーの黄色が目に映り、庭にリボンがついたみたいに目を惹くようになった。

 バリ島でこしらえたクッションカバーがあったので新しいものに替えることにでぃた。居間は少し華やかになった。

 山桃の木とこぶしの木が電線よりも高くなってしまっている。中部電力に報告しておこう。梅の木も枝を伸ばし過ぎている。桜もこぶしほどの高さになっているがその場所は電線に架かることはない。剪定をしたいと思うが、馬力が出てこない。脚立を車に積まなければならない。面倒だと思ってしまう。毎日小刻みにちょっとずつすればいいことはわかっている。

 四月までは草刈りをしなくてもいいだろう。とにかく脚立を運ぶだけ運んでおくか。客の合間を見てちょっとずつ切るか。何もしなかったらすぐに植物に家が
埋まってしまう。植物らの強さよ。あきれるほど強い。
 住処の方の庭に藤棚を、と思って藤を本植えたら
それが伸びて伸びて、あっちこっちに伸びてすごいので、糸で括って伸びる方向性を一応決めておいた。言うことをきくのかどうかわからないが、そうでもしないと隣の空き地に生える雑木にまで絡もうとする。たいへんな勢いだ。若いのだ。あと1年半もすれば藤棚になるのではないか、とひそかに楽しみにしている。
 日本の樹木の花は儚い。咲いてすぐに散ってしまう。

 娘婿殿が正月休みに前の浜で魚を釣りたいということなので、竿とリール、それに仕掛けを用意しておかないと。細君は「初心者用でいいんだからね。タイはいいから、ガシやハタでいいんだからね」と言う。
ムムム、チダイでも狙おうと思っていた。