25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

言語の縦糸、横糸、編み目

2019年12月11日 | 文学 思想
昨日「木枯らしの手帖 ~ 一足早い遺言」 というブログを、真夜中の徒然に読んで、感じ入ってしまった。まず、視線があわただしくないこと、静かであること、目に映る範囲でしか書いていないこと、写真が上手であること、と考えていくうちに、言語というのは、沈黙も言葉なんだと、あるいは、行間も、字と字の間も沈黙の言葉なんだと実感的に思う。この筆者の文体は無意識にか沈黙感の多いものになっていて、読む側に「立ち止まり感と見つめる感」を与える。癒されると言ってもよい。
 この方は草木にも詳しいようだ。

 言語が芸術として成り立つのは、指示表出言語と自己表出言語が縦糸と横糸に織られた上で、ぼくが付け加えるならば沈黙の言語も同時に編み目のように作られているからだ。

 「今日は12月11日です」この言葉は一般に受け止め、特殊な事情がない限り、そのまま日付を表すだけのことである。ところが「3月11日です」というとニュアンスがかわり、日付に東日本大震災の様相が重なってくる。桑田佳祐のTSUNAMI」はあの震災の津波ではなく、侘しい想い、逆に言えば激しい想いを意味する比喩としての言葉であり、自己表出言語である。桑田佳祐が今この歌を封印しているのも、TSUNMAIという言葉が生々しく強烈過ぎるからだろう。逆に津波に襲われてないという状態で歌うのならば明確に侘しい想いの比喩歌として大成功していたのである。
 見つめ合うと素直にお喋りできない
 津波のような侘しさに
 I know 怯えてる hoo
めぐり逢えた瞬間から魔法が
 鏡のような夢の中で
 思い出はいつの日も雨
  (桑田佳祐「TSUNAMI より」

この歌は若い日々に自分を置いた作り話だと思う。自分の心にだけ集中した感情を表現している。あまり沈黙の言語がない。その部分を音楽が補っている。この歌を前川清が歌うとまた違ってくる。前川清はこころの襞まで歌い上げる。

 「木枯らしの手帖」さんの文に戻りたい。「柊木」の花も香りが微かに風が乗せてくるところから文は始まり、柊木は鰯を置き去りにして、いつのまにかアメリカに渡り、魔除けに植えられている、という話を伝え、そして最後の感想を述べている。
 この葉の刺は老木になるとしだいに減少し、ついには全くなくなる。
 こうなると魔除けにはならない
 どうしてそうなるのか不思議だが、人間と同じで歳を重ねると
 角がとれて丸くなるということなのか・・・

と綴っている。見つめてふと思う時間が漂っている。これは沈黙の言葉である、とぼくは思う。「木枯らしの手帖」さんには突然許可も申し入れずに文を引用させていただいた。いわば評論のようなものだと捉えていただき許しを乞いたい。言語の縦糸と横糸、その編み目について言いたかった。上手く書けてないなあ。


 


  

 

和歌の浦 片男波

2019年12月10日 | 映画
有吉佐和子の小説「香華」のラストシーンで、知り合いの旅館の女将さんが、二階の窓から外の海を見て、「和歌の浦の波は寄せる波はあっても返る波がないのよ・・・片男波っていうのよ」と言う。映画で、この波が見えるのを期待して見たのだったがその波は映されなくてがっかりした。和歌の浦に行って見てみたいものだ、とブログで書いたら、息子のお嫁さんのお父さんからメールがきて、

「カタヲナミ」の出所は、奈良初期の万葉歌人山部赤人の歌、「若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無(な)み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」(巻六919番)(訳:「和歌の浦に潮が満ちて干潟がなくなったので葦の生えた岸辺を指して鶴が鳴いて渡って行く」)から来ております。問題はこの歌の中の「潟を無み」の文法構造が、長い間(近世、たぶん明治時代まで)明らかにされなかったことにあります。人名や地名などの体言として理解されていたようです。だから和歌の浦に寄せる波になったり力士名(片男波)になったりしたのでしょう。しかし、正しくは、上の現代語訳からも分かるように、「***が・・・なので」と訳すべき副詞節であり、「をーみ構文」、または「み語法」と呼ばれています。万葉集には頻出します。だから和歌の浦へ行っても、片男波という波はありません。

と教えてくださった。ぼくらは義兄弟でもあるわけで、彼は兄貴だということになる。
 ぼくが干潟だったら波が寄せて水は吸い込まれていくのではないか、のような質問をさらにした。有吉佐和子はどこで寄せる波があり、返す波がないことをカタヲナミと知ったのだろうと思ったのだった。
 再度メールをいただいて、

 万葉集に、「浜辺に立って、海上から白々とよせ来る波が、足元に寄るとそこで行き所なく消えていく」という意味の歌(巻七1151)も確かにありますが、有吉佐和子のこの小説での会話では、ただ「片男波」という漢字の「片」にひかされて、寄せても返らない「片方向」の波というニュアンス(実際は返るが)で言われていると思いますが。

 干潟に水がなくなるのは、引き潮によって水が沖へ引いていくのであって、干潟に吸い込まれるということではないでしょう。

 とのこと。こういうやりとりに楽しさを感じる。しかし実際に海を眺めながら言う女将の言葉と「そう、カタヲナミ・・・」とつられたようにあいずちをうつ言葉はこれまで歩んできた人生を感じさせ、これからも寄せるように歩いていく主人公の姿にカタヲナミ=片男波で被せるのは見事だというしかないと思う。「笑っていいとも」でけたたましく出てきた有吉佐和子を思い出す。タモリが片男波をどこで知ったのか、何を意味するのか聞いてくれればよかったのに。



香華

2019年12月09日 | 映画
 3年ほど前に有吉佐和子の小説を結構読んで、中でも言葉の掛け合い、人間関係で痛快に面白かったのは「芝桜」と続編の「木瓜の花」である。「木瓜の花」は突出して面白い。おや、TSUTAYAのレンタルショップに「香華」という映画DVDがあるのを見つけた。「木瓜の花」を読んだあとに「香華」を読んだのだった。すさまじく勝手な母親で夫が死んでから娘を実家に置きっぱなしで、村の庄屋の息子と再婚する。この結婚生活にも飽いて、夫に東京に出て行こうとけしかけ、功を奏して、東京暮らしが始まるのである。小説の主人公は死んだ元夫との子で実家に置かれぱなしになった娘の須永朋子である。新しい夫にわがままばかり言い、夫は稼ぎもなく、実家からも援助をもらえず、結局、朋子を芸者屋に売り、朋子の母親もついでに公娼として売られることになる。この母親はついぞ反省をしたことがない。娘に悪いことをしたなどと思ってはいない。裁縫だけは上手であるが、兎に角銀座みたいなところが好きで万事楽しくやりたいという女である。

 そんなストーリーを思い出し、最後の小説のシーンを強烈に覚えていた。和歌の浦の友達の旅館から海の方を眺めて、「この和歌の浦の波は寄せる波はあっても返す波はない片男波・・・というのよ」(原文は覚えていない)人生もそうだ。寄せる波だけであり、返す波がない。親鸞はそうではないという。人生には往きと還りがあるという。そのことはともかく、これを映像で見てみようと思った。監督は木下恵介。音楽は木下忠司。前編と後編の2枚組である。3時間半。大正、昭和の建物、町並み、風景が現れる。ぼくが13歳になるくらいまでのぼくの知らない風景である。懐かしいような、珍しいような質感がある。

 母親役が音羽信子。娘の朋子役が岡田茉莉子、戦犯で絞首刑になる軍人は加藤剛。朋子の実家で下働きしていた少年が大人になったのが三木のり平。朋子の父が死に葬式をやっている最中に日露戦争勝利の報が届く。明治38年から映画は始まる。物語は昭和38、9年までである。朋子と知り合いの旅館の女将と片男波を見ているところで終わりである。

 ああ、そうだった。軍人を好きになって結婚を約束するが、男の親に反対された。その理由は母親が娼婦だったからだった。これは香華の中だったか。「紀の川」と「芝桜」や「木瓜の花」とこんがらがってきて、映画で再度確認するということになった。有吉佐和子の小説は「会話のやりとり」が面白い。ああ言えばこう言う。神経を逆なでするようなことを言えば次の日にはケロッと忘れている。木瓜の花の主人公の腐れ縁の女は「芝桜を咲かせる」のも、「木瓜の花の盆栽を育てる」のも才があった。香華のわがまま気ままで男好きな母親も「生地模様を見立て、それを縫って着物を作る」という才があった。憎たらしい女性とだけ描かれているわけではなかった。有吉佐和子はきっとけたたましい作家だったのではないか。そんなことも思った。

 和歌の浦へ行って「片男波」を見てみたいと思うが本当に返ることのない波はあるのだろうか。

COP25

2019年12月08日 | 社会・経済・政治
 現在スペインで国連会議COP25が開催中である。北京やニューデリーl、ロンドンなぢに大気汚染の再現施設で大気を実感することもできる。
現在、近年の気温の上昇は実感的に感じる。紀州の海の魚も変化している。脂のあるアジ、サバ、イワシがいなくなり、サンマにいたってはそもそも獲れなくなった。
 あと気温が平均的に一度上がれば、海水温も上昇し、北極圏の風の変化も気持ちが悪い。バタフライエフェクトも北極圏内全体の変化となると、蝶々どころではない。巨大な台風、カラカラの干魃、局所的大豪雨がさらに大きなものになると予想されている。尾鷲も近年は台風の道から外れるようになった。今年は東京方面に台風が上陸したものだから、余計に気候変動を思ったのだった。
 この気候変動に敏感に感じているのはヨーロッパの先進国の若者である。若者と言っても十代である。もちろん20代もいる。中国、インドを代表する戦後の後発国は排気ガスを出しまくる。日本もヨーロッパも出しまくった時期があった。鼻毛がドンドン伸びたのはぼくが東京にでた時だった。光化学スモッグの測定計まで渋谷駅前広場設置されていた。中国やインドに排気ガスを出すな、と言っても、あんたたちも出してきたではないか、とやり返されたら物は言いにくくなる。問題はもうそんな論争の次元ではないのだ。日本の高校生やヨーロッパの高校生たちもどんな論争とは違うところにあって、地球の生き死に、われわれ人間の暮らしの崩壊が迫っていることを訴えているのだ。アメリカ、オーストラリアの森林火事はなんだ。
 中国も、インドも公害をなくしていく方向には向かうだろう。だから電気自動車開発に力を入れている。
 それでも一度の上昇を止められるとは思えない。Co2を吸収する森林とCo2を出す量は1:2くらいで出す量の方が圧倒的に多い。
 Cop25。どう宣言するのか。そして各国は何をするのか。
原発賛成するものたちに逆手に取られぬよう、この愚かさにも注意、注意。
 
 

掘り下げる

2019年12月07日 | 文学 思想
 どれほどの人が「生き甲斐」を持って生きていることだろう。人間の多くは嘘つきだから、上手言いだから、「生き甲斐をもって生きていそうな人」をテレビで紹介されても、鼻白むだけだ。
 モーツアルトは生き甲斐を持っていたか、ゴッホは絵を描くことに生き甲斐を感じていたか。宮沢賢治はどうだったか。
 仕事で生き甲斐をもつ。いや「もてる」人をバカにしているのではない。本当のところむしろそういう人を尊敬している。
 多くの人は学生時代が終わると、どこかに落ちていくしかない。リクルートスーツを着て就職に頑張ろうと、今、明日の暮らしの安心感を得たいと思い、都合よくその仕事が自分なりにやれそうだ、思うくらいのものだろう。
 生きるということは「わけもわからず前に進んでいくこと」である。その途中で、人と出逢い、道が岐れ、また進むようなものである。その途中には苦い思いも、ちょっとした楽しさや、ガンとくる悲哀も伴いながら時間を重ねていくのである。人生は単調ではある。今日も、明日も、大まかには同じようなことを繰り返し、喜怒哀楽が一本の道に散らばっているようなものだ。

 今日、本屋で、「世界のニュースを日本人は何も知らない」(谷本真由美 ワニブックス新書)を見つけたので買った。こういうのは「縁を買う」というのだろう。新聞やテレビではわからない世界の真実に迫る、と表紙に書いてある。その本の著者の略歴を見、「はじめに」を読む。1975年生まれの女性である。「日本はぬるま湯のゆでガエルです、じわりじわりと熱されていき、やがて熱湯になったころには跳躍する力を失っているでしょう。たくさんの選択肢を失い、膨大な損失に苦しめられることになるのは目に見えています。(中略)世界のニュースにしっかりと目を向けて一人ひとりが意識を変えていくことを願ってやみません。」
 へえ、よく言うなあ。ああ、この女性はこのように読者を啓蒙しようとすることが生き甲斐なのだろうか。決してそうではないだろう。関わってしまった場所から関わってしまった事柄を深く掘り下げてみたのだろう。まだ最終の底までは到達していないはずだ。明日から読んでみようと思っている。

どうなっている?

2019年12月06日 | 社会・経済・政治
 聞くところによると、アフガニスタンで医療や用水路造成で干魃による被害をなくし、砂漠を緑化していった中村哲医師は何らかの理由で狙われて殺されたらしい。用水路ができた付近の土地は20倍にもはね上がったという。緑化された土地の奪い合いが始まったらしい。どこまで本当かわからないが、もしも土地争いに巻き込まれたのなら、ホモサピエンスの愚かな部分をさらけ出す愚行による被害である。当然中村医師はよかれと思って活動している。彼の考えと牽引する力で干魃になりにくい土地ができていく。その地域の人々とってもいいことだ。飢えから救われ、新しい発想に技術を得て、更にアフガニスタンの人々は用水路を造り、開墾をしてゆけばいい。中村医師がどうして絶対的に殺されなければならないのか。その動機を知りたい。どうなっている?

21年はすぐ、しかし十分な成長をする期間

2019年12月05日 | 日記
岡田さんが「キャサリーン ヘップパーンやで。エルミー これは絶対採用やな」
ぼくもその時面接に同席していたのだと思うがその時のことは覚えていない。岡田さんはしっかり覚えていそうだから今度聞いてみよう。エルミーは南アフリカからやってきた。親はダチョウを飼育する農場を経営していた。エルミーの夫となったサイモンはイギリスからやってきた。斜陽の国イギリスからやってきたのだが、サッチャー政権となり、若者にフラットや家を持て、と奨励政策をした。サイモンはそれに乗ってフラットを買い、そこで家賃をもらい、自分は日本に稼ぎに来た。たぶんローンを組んでいたと思う。借家人が何かの事情ででていくと、次の人を見つけるのにちょっとイライラして不動産会社に電話しているのを見たことがある。サイモン、エルミー、パトリシア、ブルースなどなど会社の寮で共同生活をしていた。
 彼らは十分に尾鷲を楽しんだと思う。もう4月になると魚飛び溪の川で泳いでいたから白人というのはどんな体温を持っているのか、不思議だった。4月の川の水は冷たくてしかたがない。
 尾鷲の人たちも白人には珍しいこともあってか、白人には弱いのか、兎に角過剰に親切でもあった。
 彼女、彼らの仕事は「英語を教えること」「英語の録音」などであった。

 当時の日本は円高で、アメリカ人でさえも働きに来ていたから円は魅力だったのだと思う。

 エルミーが帰ってしまってからサイモンは元気がなくなった。サイモンが片思いしていたのだ。サイモンが助手をするセミナーの帰り、温泉に行ったとき、彼の落胆さを見かねて、「おい、サイモン、南アフリカに行って来いよ。はっきり告白して、結婚の約束でも取り付けて来いよ。休んでもいいから」と励ました。サイモンの行動は速かった。すぐにチケットの手配をして翌週には南アフリカに飛んで行った。そして明るい顔をして帰ってきた。翌年二人は結婚し、しばらくしてからまた「働かせてくれないか」とやってきた。尾鷲に空きはなかったので、名古屋でだったらいいよ、と言って、二人はOKしたので、二人は名古屋で働いた。当時南アフリカはアパルトヘイトが廃止されて、マンデラ大統領が登場した時期だった。まだまだ南アフリカの経済は弱く、円とは比較にならないレートだった。二人で一年稼げば、サイモンが南アフリカで事業をするにも大いに役立ったことだろう。
 エルミーはその後三人の子を産み、育て。サイモンの不動産事業は成功した。

 先日、サイモンから家族一家の写真が2枚送ってきた。長女も21歳になった。それが女優以上に美しい。長男、次男もいい高校生そうである。確かエルミーは出自はオランダだった。サイモンはイギリス。なんとまぶしいくらいの家族を作っている。3月末に5人が来るので楽しみにしている。もうじき子供たちもみな大人になる。


キャンセル

2019年12月04日 | 社会・経済・政治
Ko さんと会えなかったのが残念だった。以前にも書いたが彼は元台湾代表のラガーマンだった。台湾との公式な国交断ってから、彼は台日交流協会作りに協力し、幹事の役割を担った。パスポート発行から、日本との経済交流、親善交流などの窓口を行ってきた。

 今回は早稲田対明治のラグビー試合を観戦にきた。また森元首相とのツーショット写真と仲間で撮った写真を送ってきた。彼はラインを使って音声でメッセージが来たり、写真の添付もこまめである。オリンピック大会組織委員会の会長でもある森元首相とは単にラグビー繋がりだろうと思える。気さくな付き合いだろう。
 赤坂見附付近に3泊して、東京の夜景にも満喫したのだろう。そんな写真もあった。ぼくは友人らを紹介し、翌日は日中、紅葉でもKoさんと見に行っこうかと思っていたのだった。
 ぼくの突然の血尿でキャンセルするとはぼくも情けないものだ。

 台湾は今後ますます事態が難しくなることだろう。中国政府は一国二制度を上手くやり、参考にすればよいのに、ほぼ脅しの形で、学生を制圧した。香港はいつか独立宣言ができるだろうか。
 一方で14億人の食糧を確保しなければならない中国政府は台湾国民党を迎え入れ、政治体制を変えて、共和党と民主党のような二大政党にならないものなのか。中国の台頭は凄まじいものがあるが、なんともマスコミを通じてイメージが悪い。政治のことなど日々考えることもなく、それは前衛エリートに任せ、彼らがよい政治をしてくれたら文句ないのかもしれない。賄賂、忖度、政治のことを考えないですむ国などないのかもしれない。つまり善のみで大衆を引っ張る前衛エリートというのはありえないのかもしれない。一党独裁があやういのはそういうことだ。
 台湾もまた総統選挙が近づいている。Koさんはこれからの10年、20年をどう描くもだろう。そんなこと聞いてみたかった。本当に残念だった。
 

衰退

2019年12月03日 | 社会・経済・政治
20年を振り返ってみると、個人的な事情の流れは脇に置き、日本は縮小したのだなあ、と思う。身近なところで言えば、都会の絶好地を除いて、土地の価値が極度に減少した。資産だと思って買った土地はその価値を無くし、姉の夫のお姉さんなどは土地の管理がたいへんで隣に5万円でひきとってもらった、という。ゼロ円でもよかったのだと言う。隣の人が、ゼロ円ではあまりにも、ということで5万円になったらしい。最近、不動産取引に立ち会う場面があって、尾鷲の商店街にある家の持ち主も台風のたびに心配して、売ることに決めた。放っておいたら、200万円か300万円かけて取り壊さなければならない日がくる。
 取り壊し代を払ってまでも売る人もいる。多くの地方の町では土地価格が下がり、家はお荷物になる、という状況である。

 小浜逸郎のブログで氏は「貧困化した日本」というタイトルでブログを書いている。データ資料もそろえている。このブログを読めば、だいたい日常的に感じているこの20年の変化がわかる。一方自民党の片山さつきもテレビ討論番組でデータを出してくるのだが、経済はよくなっているの一点張りで、都合のよいデータをグラフにして宝物のように出してくる。データというのは都合のよいように変えることもできるトリックがあることもぼくは知っている。片山さつきのデータはぼくの実感に合わないが、小浜氏のデータ、および解説は実感を伴う。

 日本の生産人口は減っているから「一億総輝き社会」と言って、女性、高齢者への労働を促す。それで一人当たりの生産性が上がればいいが、上がらない。日本は減りゆく人口社会の中で、一人当たりの生産性を上げていかなければならない。このことに注力する意見をテレビなどで聞いたことがない。

 自民党政治とは一度既得権益を得たら動かない政治を行って票を獲得する政党である。また数と質をコントロールする政治である。タクシーの台数や医者の数、弁護士の数まで決めるのである。普通、数までもコントロー-ルする必要はない。数をコントロールするとこれ以上増やさないというような団体が出てくる。
 これに現在の自民党は「忖度政治」を黙認する党となっている。

 貧困化するとなぜ悪いか。教育の質が下がる。モラルが荒れてくる。アポ電強盗のようなものだ。さらに自民党政策だと貧困が固定化する。流動化することがなくなる。弱者が這い上がれる。強者が弱者に換わり、その弱者はまた捲土重来が許されることが必要であるが、自民党の既得権益保護が主たる方針の党であるから、いつまでたっても新陳代謝はしない。ダメな産業、零細、中小企業には退場してもらうか転業してもらえばいいのに、補助金で保護して塩漬けにする。

 野党はひとつになって明確な対抗軸をわかりやすい言葉で言えなくてはならない。共産党は名称を変えた方がよいと思う。すでに彼らの主張は共産主義ではない。共産社会はまだ時代の先にくるものだ。この社会の衰退を野党もチマチマ仲違いしてないで、大同につくべきだ。

 ぼくは感覚的に小渕総理あたりから日本はおかしくなってきたな、と思っている。そして決定打となったのは小泉純一郎ではなかったかと思っている。その頃は小泉大フィーバーであった。派遣社員制度が始まろうとしていたのに、国民は呑気に小泉に熱狂していた時代があった。



 

病気

2019年12月02日 | 日記
くたびれきってしまった。以前、チンチン出して先から内視鏡を入れるのを想像するだけで恥ずかしく、こういう場面がやってこないことを願っていた。内視鏡で検査するのは最後の最後だろうともネットで検索もして追っていた。昨夜は寝つきも悪く、熟睡もままならず、朝9時に病院に向かって。すでに10人ほどの客がいる。
 問診票に記入をして静かに順番を待っていた。その間に、血をとり、尿を取った。
 名前を呼ばれて、いよいよ診察室に入ると、な、な、なんと女医さんではないか。後ろに4人の看護師がいる。参ったなあ、女性かよ。「排尿するとき、痛みもないんですね。このような場合、癌を疑います」
 ぼくはあわてて、「ですからCTを撮るんでしょ」。女医は「CTではわからないこともあるんですよ。膀胱鏡で診た方が早いですよ」「ええっ! ここから入れるんですか?」 若い女医は胸を張って「大丈夫です。私、もう何千とやってきてますので」。岡田さんが逃げてきたら、と言ったのを思いだしたが、逃げられる雰囲気でもなく、若い女医から「今日すましちゃいましょう」などと励まされる。結局観念して、また待合室で待った。検査室に呼ばれて、入ると、検査用の衣類に身につけ、下半身は脱いで、入ってください、と言う。
「ベッドのこちらを頭にして仰向けになってください。ベッドの高さを調節します」チンチンは冬で縮こまっている。「失礼シマス。アルコールで消毒シマス」と手際よく済ませるとすでに女医さんもいて、間髪入れず、スルスルと尿道へ。画面には早くも膀胱の光景が見えてくる。ひとつひとつ説明してくれる。こちらが左側の尿管からくるところです。血は出ていないようです」「腫瘍はどうですか」「腫瘍もなさそうです。ただ前立腺がやや肥大してます。これがそうです」 10分もかからず恥ずかしい時間は終わり、また診察室へ行き、「とりあえず、尿路と膀胱、前立腺には癌はありません。あとは尿管、腎臓です。腎臓の数値がちょっと悪いようです。
これはCTを撮って診ます。今日やっちゃいましょう」女医は張り切って言っていう。「やっちゃいましょう」とぼくもすっかり気を取り直して、血液造影剤を入れて、CTを撮ってもらった。胸から骨盤までである。この泌尿器科医は腎臓までを診るのが担当である。左肋間が痛いのは、CTデータがかかりつけのクリニックに送られて、かかりつけの医師が診ることになる。

 ちょっと腎臓が心配である。数値がよくない。それでも来週の月曜日にはわかる。肋間が痛いのもわかることだろう。大人しく待っていればよい。
 女医さんが「最近、何か重労働しました?」 と訊いたので、こんなことが重労働なのかわからないが、40キロのジャリを4往復ほど片道20メートルくらいですが、運び、また次の日も運びました」
「前立腺がやや肥大していると前立腺同士が擦れ合うときがあって血がでるときがあるんです。重い物を持ったり、力仕事したときですね」「そうなんですか」

 というようなことで、恥ずかしさもどこかにすっ飛んでしまい、今日の第一関門は終えた。来週が第二関門である。最後は左肋間周辺。

 それにしてもこの前の「朝まで生テレビ」の討論でこの20年ですっかり先進国中で貧困化したこと、その原因などが話題となり、「日本はこれからどうなるの」「どうするの」と言っている。言っている人たちは健康である。かたや、自分の体のことに気を遣わざるを得ず、今日の日本、明日の日本のことなど考えることができない時空というか、環境がある。そこにどうしても入らざるを得ない。
 病気は社会生活を送れなくする。
 ぼくも早く脱して、今日の日本、明日の日本を考えよう、などと思うのだ。

啓蟄まで

2019年12月01日 | 日記
 12月4日が尾鷲総合病院の内科とCT撮影の予約日だったが、肋間周辺、奥の痛みが続き、赤ワイン色の尿も不気味に続くため、日曜日の今日、救急外来にいくことにした。進行性の急性腎炎だったら一刻を争うとネットで検索すると書いてある。今検査結果を待っているところである。明日からの予定はキャンセルした。みなと久し振りの再会なのに、これはもうしかたがないと判断した。今度はぼくが台湾にいくことになろう。
 はて、これから冬がくるか。養生が必要なものだったら、春になって動きだそうか。啓蟄っていうのだったか。その頃になれば動き始めればいいのではないかと思いはじめた。

「細菌性ではないようです。どこかに炎症があります、数値が10バイオ高くんsっています。こういうばい下から順番に診察していきますので、朝、泌尿器科に行ってください」「下からというと?」「尿路、膀胱、尿管、腎盂、腎臓の順ですね」「ってことは、チンチンから尿管、膀胱まで内視鏡をいれるんですか。エー」「また心配することを言ってしまいましたね」

参った。肋間が痛いのが関係しているのか、別物なのか、わからない。それは4日のCT検査を待つのだろう。
 自分ではどうにもできない病気をしたとき、素直にしたがっていくしかない。
 スーパーマーケットで同級生の女性と会った。そばに旦那さんもいた。「元気?」というと、「私は元気やけどな、この人があかんわい」
「どしたん?」と訊くと、「腎臓に水泡ができてな、水が溜まるんさ。痛うて、3回気を失ったで」「痛うて、気を失う?」「ああ、今入院中でな、許可もろて出させてもろてな」
へえ、いろいろあるもんだなあ。
 当分、これの解決だ。啓蟄まで。 





絶不調

2019年11月29日 | 日記
 身体が絶不調である。胸が痛み、みぞおちが痛み、左肋間のどこか咳きをすれば痛い。昨日夕方から茶色い尿が出始めた。茶色の尿. 古い血が混ざったような尿。夜もでた。寝る前に水をしっかり飲んで寝たら、夜中に尿意で目覚めた。尿は普通の尿だった。朝起きてトイレいくと、また茶色だった。昼頃にはワイン色のように見えてきた。茶色の尿で検索すると、「横紋筋融解(おうもんきんゆうかい)横紋筋といわれる筋肉細胞が何らかの原因で一部分が死んでしまい、血液中に流れることで起こります。手足に力が入らない、手足がしびれる、こわばる、筋肉痛、全身がだるいなどの症状があらわれ、重度の場合は腎臓の機能が悪くなることがあります」とある。
 2日から東京に行き、人と会う予定だ。1人は台湾から来る。もう1人は中国に多くの人脈をもつ友人。もう一人は3日に小田原で会う。ホームページなどを作ってくれ、いろいとなパソコン操作の情報をくれる友人である。
 キャンセルして病院行くか、3日が終わって、4日に病院いくか。丁度4日はCT撮影で予約もとってある。悩ましいことだ。

 薬剤師さんに「ちょっと太るといといろなもがでてきましたね」と言われたことを思いだした。そうそう、血圧が上がった。熟睡時間が少なくなった。突然、筋肉が動かなくなったこともある。自分としては70キロくらいでしょうがないかと思っているが、本当は60キロくらいがよい。20代の頃は54キロとか55キロだった。体は当然軽かった。

 不気味なことが起こるものだ。しかたない。たぶん自業自得というやつだろう。これから救急で行ってみるか。明日にするか、まだ迷っている。



男優

2019年11月28日 | 映画
 男で格好いい俳優がいる。中でもぼくが好ましいと思っているのは、瑛太、小栗旬、反町隆史、向井理である。中井貴一や阿部寛、渡辺謙は雛壇に置いておく。先の四人ともこれからが勝負なのだろう。よいドラマ、よい役に当たってもらいたい。なかなか今の日本の映画ではよい作品があまりないから、心配する。「復讐するは我にあり」で緒形拳は殺人鬼を演じた。この映画は実際の事件があり佐木隆三が裁判に出掛け、調書を見てルポルタージュとして書いたものが原作である。ミヤコ蝶々が異常なあまやかしかたをする母親役で、三国連太郎が確かクリスチャンで、厳格な男親だった。だが本当の父親の姿はクリスチャンとはほど遠いものだった。そんな親の息子で殺人鬼になってしまった榎津という男を演じた。すさまじかった。中井貴一と阿部寛は「柘榴坂の仇討ち」で追う者と追われる者。確かな俳優魂を見せてくれた。
 俳優は若い時期はさっさと過ぎて行き、これからが本番だ。
 でんでんという俳優は「復讐するは我にあり」を見て、こんなを役やってみたいと思ったのだそうだ。その念が通じたのだろうか、彼に「冷たい熱帯魚」での殺人鬼役が回ってきた。これは全くのはまり役で内臓を取り出し腸でぐちょぐちょになった風呂場でのシーンなどはおぞましかった。園子温監督だった。ぼくはこの時にピエール滝とかリリーフランキーという俳優の隠れた一面を監督が引き出したのはさすがだと思った。人間には薄気味悪いところがあるものだ。リリーフランキーなどは「Covers」で冗談を混ぜて軽妙に司会をする芸能界で生きるオッサンである。それがガラリと変わる。でんでんはその年の映画賞を総なめにした。助演男優賞である。
 丹波哲郎は映画「砂の器」の刑事役がはまっていた。

 現在の俳優は映画にだけ出ていればよい状況ではない。それは高倉健で終わったのだ。十年経って、二十年経って、彼らにどんな役が回ってくるだろうか。

 この前、友人らと食事して、「見出す人、引き出す人」の話題に少しなった。ぼくは今バッハの「無伴奏チェロ組曲」(2種あるので、まとめてそう呼んでおく)を毎夜聴いているのだが、このバッハを見出したのはメンデルスゾーンである。バッハの死後のことである。伊藤若冲を現在の若冲ブームにしたのはアメリカの石油会社の社長のは当たり前息子ジョー・プライスさんである。車を買おうと思ってお金をもって歩いていたときに骨董屋さんお店先に飾ってあった、と言っていた。日本人より先に見出したのである。

 引き出す人、見出す人というのはとても重要である。今、反町隆史は「相棒」で修業している。瑛太や小栗旬、向井理もそれぞれに何かをやっているのだろう。何者かに引き出されて才能がいかんなく発揮されてほしい。


井上陽水の歌詞

2019年11月28日 | 音楽 ポップス
 昨日の井上陽水の歌詞について論議する番組「Love Songs」だったと思うが、興味深かった。ぼくがイギリスから帰った1973年には井上陽水のアルバムが大ヒットしていた。ぼくはキャロルキングを聴いていて、クラシックなどにも手を出していた頃だった。あの字余りのような歌詞が気にいらず、陽水の歌はずっと避けてきたのだった。ところが「陽水トリビュート」が十年ほど前に出て、いろいろな歌手が歌っているのを聞いて、井上陽水って、いい歌を作っているんだと思ったのだった。

 そしてぼくは鈍感なのだろうか。歌詞は面白かったが、思い付きのコラージュみたいなもんだろう、と思っていた。ところが昨日4人の男女、作家やシンガーソングライターは真剣に歌詞について論じていた。

 リバーサイドホテルの歌詞には重複した同じ意味をした箇所がある。たぶんわざとそうしている。

 部屋のドアは金属メタル
 に浮かんだプールでひと泳ぎ
 川沿いリバーサイド

 チェックインなら寝顔を見せるだけ

  これは意味不明である。女の作家は「死んでいるのではないか」「川は三途の川で生の側と死の側の境にプールがあるのではないか」と言う。へえ、そんなもんかね。つまりこれは心中の歌だということになる。ぼくはチェックインの時に、バスで疲れたような顔して、男がカウンターでサインするときに眠そうな顔をしてそばにいたという程度の理解だったが、おお、「心中」と読むか、人それぞれだなあ、と思ったのだった。ぼくは熱心に陽水を追いかけてきていない。が昨日のいくつかの初期の作品を読んでいると、コラージュというのは当てはまっていないと感じた。歌詞に一貫して言いたいことがあり、それが一行の歌詞の前後と意味としても繋がっていた。どうやらつながってこず、切り貼りのコラージュのように思えたのは中期以降の作品なのかもしれない。ぼくはテレビで歌う気持ちの悪い妖怪っぽい歌い方の陽水とセットで印象に残っている。

 「帰れない二人」は一体どこに帰るのか、どうなるのか。「もう星は帰ろうとしている 帰れない二人を残して」 ぼくは単純にとても互いに好きあっていて、いつまで経って離れたくなくて、帰れない恋人どうし」という風に読むが、これも心中好きの女性作家はみちゆきの歌ととる。へえーーーーー。深読みすぎじゃないか。

 こんなとき作家が実はこうなんですよ、と言ってくれればいいが、決して言わない。それが有名作家の醍醐味である。テレビ好きな井上陽水はニタニタしながら歌詞論議を聴いていたことだろう。

 松任谷由実もやってほしいし、中島みゆきもやってほしいものだ。 
 
 

対幻想とブッシュ元大統領

2019年11月27日 | 映画
 いくつか思ったことがあり、それが何だったか思いだした2つある。
 大阪の12才の女児が栃木の小山市で見つかったことで、SNSの危なさが取り沙汰されている。若い容疑者は「悪いことはしていない」と言っているようだ。このおとこは15才の少女も軟禁していた。
 15才の少女の場合はどんなのだったかしらないが、12歳の少女の場合は逃げたのだから、自分の迂闊さに今頃は気を留めていることだろう。マスコミ情報番組は歯切れが悪いので、代わりに言っておくと、親が悪いのである。スマホの扱い方などは家庭での教育であり、躾である。
 親から逃げたい子供は多い。引きこもりも同じである。
 「イエスの方舟」騒動のとき、千石イエスを悪者にして、「娘を返せ」と叫んでいた親がいたが、「悪いのはあんたらじゃないの」と思ってニュースを見ていたものだ。結局、イエスの方舟信者たちは今も元気に宗教的生活を重んじて生活の糧を得るのに働きながら共同生活をしているようだ。
 現代の「対幻想」の実態をよく表している。一対一関係の観念の領域のことだ。自分対母親、自分対父親、自分対姉とか兄、あるいは妹や弟。自分対教師。自分対クラスの1人1人。
 この関係幻想がSNSを呼び込むとも言えるし、ヒビが入った対幻想にSNSが入り込んでくるとも言える。対幻想の崩壊の例は女児虐待死であり、崩壊までの中間にあるのが引きこもりやいじめである。恐らく母との関係が歪んだ幻想を作っている。その母に影響するのは男の存在であり、経済社会環境の存在である。母と子供の物語は一方的な子の訴えにたいして全面的に受け止めることのできる母と、それができない事情のある母がいる。程度の差こそあれ、母ならば、だれもが心当たりあることである。

 次に思いだしたことは、ブッシュ元大統領である。「朝まで生テレビ」でイラク戦争前に「イラク手をだしたらいけない。シーアの国だ。それなのにスンニ派が政権党である。国は混沌とする。族長もいる」。
 上はイランであり、隣がシリア、下がサウジアラビアである。イスラエルも横にある。この国に戦争をしかけるな、と当事の出演者の半分が言っていた。日本の小泉純一郎総理大臣は真っ先に応援のメッセージを送った。
 そらみたことか。今のイラクはどうなっている? どれほどの人が死んだ?
どれほどの一般人が死に、家は壊され、ついにはISを生んで、娘らが誘拐された。いまは混乱の極みである。ブッシュというアホな大統領を持ち、チェイニー副大統領という先の読めない指導者をもったアメリカ。石油利権を求めるハゲ鷹。小泉純一郎もぼくは愚かだったと思う。数人の判断でイラクを攻めた。今の中東はその結果であり、今のアメリカもひいてはブッシュの結果である。たったひとりの人間である。
 このことも記しておこう。当事、先を見てイラク戦争に反対したのがフランスとドイツ、それにイスラエルだった。