25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

歴史認識?

2019年11月15日 | 社会・経済・政治
「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて (中公新書) 新書 大沼 保昭 (著) インタビュア 江川 紹子 の広告が載っていたのが記憶にあって、昨日TSUTAYA に行ったらその本があったので、さっそく買って読んでいる。

 そもそも「歴史認識」と言えば、ぼくであるなら、日本列島人の歴史は天皇家の歴史よりずっと長いよ、などと認識したり、今いる自分は延々と人類の誕生から途切れることなく生きてきたからこそ今ここにいるよ、と思うようなことが歴史認識だと思っていたら、あるほんのコマメな一部の人が歴史認識とは「日本と韓国」「日本と中国」との関係の中で1928年(張作霖爆殺事件)から1945年の敗戦に至るまでに起きたことに対する認識の違いが生ずることから「慰安婦問題」「南京虐殺問題」が取りざたされ、さらに戦後すぐの「東京裁判」、現在の「靖国問題」などを指して言うようになった。

 ぼくなんかはその時期には生きていなかったからいろいろな本を読んだり、人の話を聞いて判断するしかない。またその時代の渦中にいるときは人はわけがわかなくなるもので、それが馬鹿だった、愚かだったとは一般の大衆には言いたくないが、大衆とて、過ぎてみれば塗炭の苦しみを負ったのは大衆であり、大きな犠牲を払ったのも大衆であり、責任をとったのも大衆であったはずだ。なにせ310万人死んだのである。飢餓、病死、自殺・・・デスクの前でふんぞり返っていたのが内閣の大臣や軍部の幹部であったのは確かである。
 それでいろいろな本とは実にいろいろな本であるが、ぼくとしては半藤一利の「昭和史」と吉田裕の「日本軍兵士」、吉本隆明の「戦争論」を読んでおけばそれで判断はつくと思う。それに『「歴史認識」とは何かー対立の構図を越えて』を加えてもよい。「日本軍兵士」もこれも思いつきで言うのではなく、心情で述べるのではなく、調査、研究した上での著書であるからだ。

 ぼくは学校の歴史教科書を読んでも自虐史観だなどと思ったこともない。思うに日本には石油という資源はないのだから元々戦争などしてはいけない国なのだ。大日本帝国などと大言壮語がまかりとおる国ではないのだ。石油がなければ戦争はできないではないか。ないから他所へとりに行くのではないか。いわば戦争をやる資格がない、というよりも戦争する条件がない、と言ってもよい。そんなことはわかっているのに戦争をしたのだから、今に生きるぼくは「呆れる」のである。「人を殺しにいく」という心情にも呆れるのであるが。

 「しかたかった戦争」などあるはずはなく、しかたないのなら、グッと我慢してこらえばよかったのだし、リーダーというのはその判断をする人なのだ。

 ところでアメリカ。アメリカは中国を敵視し、責めるが、アメリカは悪いよ。イラク戦争を起こしてイラクやシリアをメチャクチャにした。空爆し、市民を殺し、イスラム国を生ませ、クルド人がやられる。中国は他所の国にそんな悪さをしていない。ロシアはする。アメリカは戦争大好き国家じゃないか。ずっと戦争をしている。戦争を終えたことがない。それでもって「えらそう」である。強いものの方が滅びるという人類の教訓を忘れている。これはぼくの歴史認識である。

教育がこころもとない

2019年11月14日 | 社会・経済・政治
日本が経済大国としてアメリカに続いて第二位になったのは1980年から1990年くらいのことだろうか。こうどけいざい成長があったのは日本が戦争で荒れ地となったからである。荒れ地からの再出発だから成長
当たり前で、しかもアメリカが応援してくれたのだから、一生懸命働けば右肩上がりに成長したのである。
 その成長している間にいくつかのことを徹底しておくべきだった。とくに教育については有識者の知識や先進国の教育思想などについて議論し、100年の計を立てるべきであった。

 教師が教師を虐める。生徒が生徒を虐める。教師本人の代わりに教育委員会や校長が謝る。社会人になって大学いける可能性がほとんどない。高校を卒業したら次は大学だと思いこんでいる。幼稚園受験から始まり、大学受験まで私立大学が跋扈し、行くにはある程度のお金がある家の子しか行けない。競争原理はよいものだと、経済の競争と同じように考えている。教師になりたいという人が年々減っている。学校がクラブ活動をやっていることが当たり前だと思っている。教師採用は相変わらず、新卒が主である。有名な大学を出たら自分はえらい、と勘違いしている人が多い。記憶力がよいことを頭が良い、と単純に思っている人が多い。

 テレビでイオンがスマートモールのモデルモールを作った。レジにならばなくてよい。現金のやりとりがんばくて済む。これで合計数分客は時間を節約できるという。物も言いようだ。実はスマートモール実験で人件費を20%節約できるのだ。これは客の為といいながら会社のための方が大きいのだ。たかが数分。これでレジの仕事が将来なくなることになる。つまり、ちょっと家計の手助けをするのにアルバイトをしようと思っている人の門戸は閉ざされる。
 AIによって閉ざされる仕事がワンサとある。そのワンサは日本が多いという。税理士、公認会計士は要らなくなる。司法書士も行政書士も要らない。弁護士も相当減ることだろうし、その事務職関係も不要になってくるだろう。日本の銀行員も現在リストラ中であるが、これがさらに進むことになる。銀行員のする仕事などない。お金の貸し借りなど機械でよくなる。あと10年、20年で大恐慌でもない限り現実化する。 このような未来に対して日本の教育は頼りがない。仕事を失った人が次の仕事につくときにそれに適応した能力をもっているか。それが問題である。

大学受験英語

2019年11月04日 | 社会・経済・政治
 文部科学省が英語の民間試験の登用を5年延期した。英語の苦手な日本列島人はまだまだ英語苦手が続くことになる。日本人は外国語がなかなかできない。世界でも最も難しいと思われる日本語を操るのだから、もうこれでええわい、と思っているのかもしれない。
 たぶん、この5年の延期がその後大きなものだったという日が来るとぼくは思っている。政府も、日本列島人の英語力、特にリスニングとスピーキング力を危惧して、重い腰を上げたのだった。それで民間試験を使うと宣言した。
 ぼくらは普通、2社か3社かの民間試験で、その中から選べばよいのだろうと思っていた。英検なら、新宮が会場で、尾鷲から1時間前20分ほどである。英検側も、尾鷲でも熊野でも高等学校があるところでは試験を受けられるようにすることだろう。英検以外にトッフルがあるが他に4社が名乗りをあげ、その民間会社に政治家がそれぞれ付いていると言う。これまで民間試験などしたこともなかったベネッセなど入っている。当然政治家もくっついている。なぜなら受験料は利権だからだ。6社もあれば受験生は何を選べばよいのかわからなくなる。受験料も、試験会場もてんでバラバラである。不公平感が増長された。このような具合で、萩生田大臣の失言が5年の延期となった。
 日本列島人は英語ができないとにっちもさっちもいかなくなる。英語圏の支配を受けずにおられるのならそれでもよい。英語を利用せずして、もはや日本は多くのことができない。今回Google の深いところを触ってみてそう思った。
 世界共通語になった英語を甘く考えてはいけない。仕事ができなくなってくる。
 人材派遣会社に棲みついた竹中平蔵のように、各民間試験会社に棲みつく政治家が出てくることで、日本はさらに遅れる。日本語もできないのに、英語とは、などと言っている悠長さはないのだ。言語など、2つや3つできるのが普通のことになりつつあるのだ。

キャッシュレス化

2019年11月03日 | 社会・経済・政治
 いつも行くコンビニで訊いた。
「キャッシュレスで払う人は10人に何人ぐらい?」
「ほとんどですよ」
「ほんとに?」
「やっぱ還元策は効果があるんだなあ」

消費税アップによる消費の落ち込みを防ぐのに政府がとった策だが、これには裏がある。小さな店屋がこれまで現金商売をしていて、その現金で仕入れしていたものが、キャッシュレスになると売り上げが振り込まれるのは1か月とか2か月先となる。運転資金が必要になるだろう。ない店は客に国からの還元ポイントをサービスできなくなる。また来年6月を過ぎると、キャッシュレスのpaypay とかカード会社は手数料を店からとり始める。消費者が買い物する度に、1.5% とか3%とか店側は払うのである。100億円払うと言って大勧誘しても結局6月になればpaypay側はなんにもしなくても、手数料が入ってくる。ぼくはこれは不労所得だと考えている。
 またこのキャッシュレス化は不公平というべきものを生み出す。例えばドコモで携帯電話を毎月使用するとポイントがDカードに還元される。このカードの発行は破産した人やブラックリストに載っている人には発行されない。ポイントは期限付きで、携帯の部品を買うときに使うとか、買い替え時に使えるのだが、そんなチャンスはめったになく、期限が来ると消えてしまう。だから多くの人はそのポイントカードで別の物を期限内に買うのである。ポイントカードを持てる人と持てない人がいるというわけだ。そういう差別化をしてまでキャッシュレス化が必要なのか。
 政府は何のためにキャッシュレス化を進めるのかきちんと国民に説明した方がよいと思う。
 セイムスというドラッグストアでも同じ質問をした。やはりキャッシュレスが増えているという。小さな店屋は来年6月以降どうするのだろう。
 サイトをもつぼくのジムショにさえ、電話セールスがきた。
「6月以降は手数料はどれだけとるの?」
「まだはっきり決まってないのですが、業界でも一番安くと思ってます」
 とわかい声の営業部マンは言う。
「最低ってどのくらい?」
「1.5%ぐらいですかね」
「ウチのサイトはgoogle play store のヒトがみるか、googl play store にいくためのもので、小売りしてませんので」
というと、すぐ若い営業マンは力なく電話を終えたのだった。
 キャッシュレス化で国はどうなり、社会はどうなるのか。ぼくらは知る必要がある。

超短縮と縮小

2019年11月01日 | 社会・経済・政治
池の水が出なくなったので、今日業者さんに取水地まで検分に行ってもらった。その報告は無惨なものだった。台風で石がまくれこんできて、バルブは破壊、ホースも流され、取水のパイプも壊れ、修復するには大きな石をどかさなければならない。3軒の家でこれを維持していたのだが、今はウチだけになって、うーん、と考えてしまう。
「大工事やんな」
 と鉄工所の業者さんは絵を描いて説明してくれた。
「ここ、ここ、ここ、これこの石・・・」とスマホでも実際の写真を見せてくれる。
「ちょっと考えさせてください」
 
 これは宿題のようなもの。日をおいて考えることにした。なんだかだとあるものだ。

 さて、これは面白く、興味深いことなので、報告しておきたい。ぼくは語学プレイヤーアプリを開発した。そしてそれが承認された。
 次にぼくは145か国で配布されるものの、日本語がわかない人には理解できないかもしれない。そこで、グーグルでは翻訳サービスを行っている。世界中のほとんどの言語を翻訳してくれるわけである。これはAIではない。人間による翻訳である。翻訳AIになるとまだまだである。人間による翻訳は一文字0.07ドルである。
 例えば、英語、中国語の繫体字(台湾、香港など)、韓国語、フランス語、ヴェトナム語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語の8つの言語翻訳を依頼すると、2日以内でできて、合計 227ドルだとすぐに出てくる。こちらが支配しているのは日本語だけで、グーグルはその他の言語の支配権を持っているということだ。

 現在、アップルとマイクロソフトがOSを支配している。スマートフォンとタブレットはグーグルグループのAndroid、アップルの iOS が支配している。中国もグーグルを使っていたが、使用できなくなっている。中国には多くの人口があるから独自のフォームを作るのだろう。すると世界は三つ巴となる。
 それにしても タイトルと説明を翻訳してくれて8言語で227ドルというのは安いと思う。きっとAIがやったあと人間がチェックして人間らしい言葉にしているように思う。世界に展開していくためにはこの道を歩まなくてはならない。
 日本の教材関係のアプリはこれを目指していない。みな日本の中のみのアプリである。アプリに教材をくっつけているからそうなってしまうのだ。
 ぼくのは教材を外してある。各国にある教材を音声で取り込んでそれを使うという方法である。

 22年前にはこういうことはできなかった。ITの分野では超短縮化されてグローバルとなっている。ところがこの22年で、財産のあり方が相当変化している。日本の地方ではバブル崩壊以降、地震騒ぎ以降、不動産価格が減り続けている。資産としては10分の1。ある場所では100分の1のところもある。「もらってくれ」というケースもある。資産価値が極端に減ったのである。ところが知的財産権はある価値が決まれば、これは安定している。作詞や作曲にはどれほどの著作権が入ってくることだろう。こういうものをもつ人もいるのだ。

 22年間の中を生きてきたはずなのに、何かの折に振り返って客観視してみないと推移はわかりにくい。なんとなく世の中というのは変化しているのである。渦中にいるとわからない、というのはそうなのかもしれない。木を見て森を見ず、というのもそうなのだろう。
 すると過去のある時期、渦中にいたときの人々の取った言説や行動を非難できるだろうか、と問いに向き合うことになる。はて。
  
  

オリンピックは要らない

2019年10月31日 | 社会・経済・政治
 石原慎太郎元都知事、それを引き継いだ猪瀬直樹。オリンピックの誘致など
まるで日本自体の状況を知らないようなことをよくもしたものだと思う。
 ぼくなどは初めから反対であった。国も都もそんなお金があるのなら、「教育」や「研究」にお金を出した方がよいと思う。今朝の情報番組で「日本は先進国ではない」というテーマで玉川村徹が経済学者にインタビューしていた。
 AIにおいては日本は後進国だ、とソフトバンクの孫正義が言っていた。
1人あたり賃金も、生産力もバブル期以降落ち続けている。
 彼らのいう先進国ではない、というのはあくまでも、経済データによるものだった。
 ぼくが「日本は先進国ではない」というのは意識のことを言う。選挙のときに露呈する。親戚選挙、頼まれ選挙が横行する。また2世、3世議員を親と同じ地盤から、同じ事務所資金で立候補することをゆるし、そのことが当然かんおように振る舞っている政治家。こんな国が先進国などとどうして言えるだろうか。

 さて、オリンピック。小池都知事も困ったことだろう。彼女が誘致したわけではない。引き継いだのだ。そしてマラソンと競歩の札幌市開催のIOC発表。マラソンと競歩の選手の命が大事ならトライアスロンや馬術はどうなる? そもそも開催時期を間違えたのはIOCと猪瀬とその「おもてなし」応援団ではないか。
 卓袱台をひっくり返すのがよいと思う。ナショナリズムを煽るようなスポーツの祭典などなかってもよい。
 



 

災害に遭えば

2019年10月29日 | 社会・経済・政治
ブログの整理・校正をまだやっている。まだまだである。やっと2010年が終わった。今日から2011年である。2011年と言えば、東日本大震災」である。細君の両親は家ごと津波にのみこまれた。細君の弟は家の前で待っている両親を目にしたとき、津波が来た。彼は車ごと流されたのだった。ところが運よく車の後部ガラスが水圧でか割れ、脱出したのだった。
もう8年以上前になるのか。
  日本列島は阪神淡路大震災あたりからおかしくなってきた。人類による営みのせいなのか、地球の自然ななりゆきなのか、地震、津波、台風、大雨、竜巻が多くなったのはだれでも実感することだろう。

 これはぼくの意見である。
 自然災害で家が壊れたら、すぐに家を建て、必要最低限の暮らしの道具を政府は(われわれの税金は)すぐに用意すればよい。高い堤防など作る必要はない。そんなお金があったら、すぐに家を建て替えてあげることだ。津波がまた来るからと思う人は希望するところに建ててあげ、元のところに住みたいと言えば、そこに建ててあげればよい。一番肝心なことは命であって、逃げることができればいいのだ。家を政府が建てることにすれば、政府が潰れることなどないのだ。お金がまわっているだけのことである。

 こういう被害には徹底して国民の税金投入が必要である。ぼくはいつも災害が起こるたびにそう思う。無駄なものではない。税金による投資であり、税金は循環してやがて国に戻るのである。

 今後、台風が3つ4つ同時に来ることも考えられる。北から高気圧が台風を刺激して台風の長雨を誘うことにもなる可能性がある。
 明日はわが身となるかもしれない。

 尾鷲ではまた雨が降っている。東京も連続した雨の日は新記録だという。夏になれば灼熱となる。秋は瞬く間に過ぎて冬となる。冬に台風が発生するかもしれない。



せちがらい世になっていることは確かだ

2019年10月28日 | 社会・経済・政治
昔は単純でおおらかだったもの・ことがだんだんと複雑化してくる。これはあらゆる生活の場所で言えることである。
 今回アプリの登録で難儀し、今日解決の方向に向かうはずである。アプリは便利で、明快なのに、それを世に出そうとすると複雑な回路をたどらなければならない。なぜ、そのような回路が必要になったか、と言えば、悪いことをする人がいるからであり、子供への性的なこ、暴力的なことやら心配する人が多くなったからであり、要は神経質にならざるを得ない社会状況になっているからである。

 学校教育についても、昔は子供を学校に文句も言わず預けて、任せていたものだが、いじめがあるとか、モンスターペアレントがいるとか、母原病であるとか、これも複雑である。もちろん家庭での躾、教育は大事なことである。しかし学校にある時間預けた以上、学校の先生のことをあれこれ言ったり、いちゃもんをつけたりするという状況も深刻な問題である。教師志望が極端に減っている。ブラック職場とも言われている。教育は国の一大事である。教師になろうとするものが少ないとは。

 一人が電車のホームに落ちたら大事件となり、一人がエレベーターに挟まれたら大事件となって報道される。すると、ホームに壁がつけられる。

 尾鷲の近く海のそばにある広い公園がある。そこではバーベキュー禁止と札がある。シアトルにも同じような湖のそばにある公園があったが、そこはバーベキューOKである。
 どうして日本では禁止、アメリカでは可能となるのだろう。

 おそらく日本ではマナーが悪いのだ。ゴミを置いていく。それが腐る。公園を手入れする人が公園所有者に文句を言う。禁止にしてしまえば早い。公園を気持ちよく使ってもらうにはどうしたらよいのか考えない。バーベキューをさせようではないか。そのためには来る人にどういうお願いをすればいいのか、と「させる方向」で考えない。
 アメリカでは自主的に片づけ、荒らさず、問題はないのだ。おそらくシアトルの公園でもマナーの悪い者はいたに違いない。単純だったのが一時複雑化し、また単純化したのだ。それは簡単なことで、マナーの問題はこころの問題だからだ。バーベキューは戸外でする方が楽しいからだ。

 貸別荘をやっているせいで、この頃の若い人、若い家族の遊び方が変わってきていることに気づかされた。ホテルや旅館、民宿では自由にならない。みなで集まる場所もない。自分たちで、食材を用意して、みなでワイワイとする。二家族、三家族の間にで交流を図る。卒業旅行も贅沢をしにいくのではない。みんなと集まり、みんなとワイワイしたいのである。20年前にはこのような遊びのスタイルはなかった。
 その客の中には2年ほど前はマナーの悪い人たちもいた。ところが事前に説明し、名簿と同意書を書いてもらうようになってから、マナーの悪いグループはほとんどいなくなった。現在はすこぶる単純化されて、快適に使ってもらっている。

 このブログを書いている途中、google から連絡が来た。アプリがアップされたようだ。素直に嬉しい。よくやった。
 

家などもつな

2019年10月24日 | 社会・経済・政治
19号の台風は庭の剪定した小枝や枯草、取り除くのを気づかなかった太い枝も石垣を越えて道路に流れたらしい。雨が続くので、道路ぼ両側に溜まったゴミの片一方を片付けて、また雨だったので、続きは晴れになってからすることにした。今日は昼から雨が降っていなければそれらを3ケ所くらいにまとめておこうと思っている。
 ツケは回ってくるというものだ。庭がすっきりしたかと思えば、それは道路に移動しただけのことだった。

 昨日、姉がやってきて、姉の義理の姉が海野に700万円で100坪の土地を買って、保持していた。雑草は年に2回刈ってもらい、固定資産税を払っていた。結局経費がかかるので、隣りの人に一坪1000円で買ってもらえないか、と頼み込んだ。無料でやるというのは贈与にあたるそうなのだ。計7万円。
 「土地とか家ってもう要らんなあ。修理代をとっとかんなんし、最後には壊す費用も必要やし。固定資産税は価値もないのに下がらんしなあ」

 高度経済成長期には価値ある財産のように思っていた。
 知人が商店街にある店舗つき住宅70坪を買った。40万円。台風のたびに来なければならないことについに手放すことを決めたのだ。一件、そういうことがあると当たりの相場はそうなってしまう。
 地方の真の財産は10分の1にも、100分の1にも減っているのだ。

 戦後に建てた家などはよほどの材質、造りでない限り、100年ももつことはないだろう。自分が建てた家は自分が壊して人生を終える、というようになってきた。「家なんか買うもんじゃないよ。借りるもんだよ」という時代になっている。

 行政はこのような傾向も捉えた町つくりを考えなければならないだろう。

 ぼくの自宅などは「南海トラフが起きるぞ」と宣伝されまくり、ひどい値下がりである。港付近は空き家だらけになってきた。これも縮小現象のひとつである。

 

シェアオフィス

2019年10月23日 | 社会・経済・政治
ついに我がアプリは「公開待ち」、つまり「審査」とまでなった。google console の様相が今日は一変していて、これまでの複雑ないろいろな手続きの項目も消えていた。「公開待ち」とあるだけだった。145か国で同時配信される。ホームページも出来上がった。語学に関心のない方はカラオケのための歌を覚えるにも役立つと思う。

 ただ、これまで Google は中国でも使えていたのが、米中貿易摩擦で使えなくなっている。とんだとばっちりである。技術は国境を越えていくのに、政治がこうやって摩擦を起こす。

 さて、尾鷲に「ナカミチ」という安売りの店がある。あくまでも噂であるが、「バッタ商品」もあれば「韓国から買い付ける商品」もあるそうだ。娘らが来ると、驚き喜び、必ず「ナカミチ」に行く。乾電池単三、単四 三菱10個で170円。スリッパが必要となったので、買う。一足100円。ぼくは 長靴が欲しかったので買う。990円。細君も女性用の長靴。350円。ライオンの台所用洗剤 57円。
 この店は重宝である。尾鷲の100円ショップも大きいので品ぞろえもよく重宝する。

 この店は周辺にいくつか店を持っている。つまり頑張っているのである。頑張っているのがよくわかる。値段の決め方が冴えていると思う。スタッフもおおらかである。「これ今度の金曜日には半額になりますよ」と言ってくれる。「100円違ったらねえ」とか言って、売り手側が買い手側目線である。靴も売っている。靴と言えば、尾鷲で結局残ったのはイオンの靴コーナーだけである。

 尾鷲はあと十年もつのだろうか、とふと思う。「ナカミチ」や「ダイソー100円ショップ」が続いてくれればと願う。まず心配するのは総合病院が維持できるかである。スーパーもこれだけの数は要らなくなるはずだ。毎月20人から30人、人口が減っていくのだから、十年で2400人から3600人程度減っている。料理店も、飲み屋さんも減少していけば寂しい町になる。
 シェアオフィスでもできればぼくも入りたいと思っている。この発想はぼくは前々から主張していて、ここにはデザインができる人やイラストが描ける人、プログラミングができる人、ホームページなどがつくれる人、なんでも何かをしたい人が集まってくればよい。今の時代、客は尾鷲の人だけではない。全国、世界にまで可能である。
 地場産業振興ばかり言っている議会であり、行政だ。それでは新しい産業や仕事は生まれない。
 シェアオフィス。誰か賃貸で提供する人はいないものか。
し 

5Gって

2019年10月22日 | 社会・経済・政治
 「5G とは何か」という新書を読んでいる。最初に4人の日常生活や仕事、遊びが5G時代にはどうなっているのかを想定したところから始まる。
 例えば、ある女の子はライブにいくことになって、スマホでライブ会場の駐車場にまだ駐車できるスペースがあるかチェックする。あったので、車で行こうと思い、カーシェアリングをスマホで確認し、自分の車保険も徐々に安くなっていることも嬉しい。こういう情報もそのときにわかる。駐車場に着くと、車を自動運転に切り替える。「車庫入れ」は自動運転にまかせたほうがよい。
 ライブの会場ではそのライブを撮っているカメラの映像がスマホに映り、正面アップでも、横顔アップでも、間近にいかなくてもスマホで見える。
 ライブが終わって、興奮冷めやらぬので、友達と夕食を共にすることになり、車で出向く。お酒を飲んでしまった。友達は飲まなかったので、車は友達が使えるようにした。自分は電車で帰った、という話である。
 別のは工場勤務の会社員。もうひとりは71歳の初老の男性。

 5Gとはこんな想定しかできないほど間抜けたものなのか。大容量超高速低遅延。映画は数秒でダウンロード。多チャンネルの利用はIot(物と物とのインターネット)を可能にするらしい。5Gのスマホも大容量、超高速と言っても、ゲームをするものにはいいかもしれないが、必要あるか? 遠隔医療なんかでは必要があるのかもしれない。自動運転なんか必要ある? せいぜい路線バス、空港内トレイン、工場内くらいじゃないのか、と思う。

 5G導入でまた多くの家電や車も変わるのだろう。それを買い替える動機が強くある?
 専門家に言わせれば便利になることはまだいろいろあるのだろう。でもねえ、と言いたくなる。1ギガのものをダウンロードするのに、仮に20分かかったものが2分になったとしてどれだけの経済効果があるのかぼくにはわからない。

 ぼくは5Gを否定しているのではない。この書き手がこのくらいの想定しかできないのなら5Gも普及するのはまだまだのことだろうと思うのだ。
 しかし5Gを強力に推し進めているファーエイを抱える中国のアメリカや韓国がこの5Gの覇権争いをしている。
 You Tube のようなものはさらに進化できる。テレビ局以外のネットテレビ局は発展するチャンスが生まれる。家の中の家電や設備は「声」ひとつで制御できるようになる。外からでもビデオを撮り忘れができるようになる。
 それがどうした? 人類の進歩に役立つというのか。

 こんなことを夢想する。ミサイルや核ミサイルに、ちょっとした目に見えないくらいのチップを善意のミサイル管理者が張り付けてしまえば、ミサイルは発射できなくなるとか、打ち上げても戻ってしまうとか、そんなものができないか、と思うが、5Gとは関係なくきっとできるに違いない。

 今ぼくは開発を終えたアプリを世界の145か国に販売の開始をしようと悪銭苦闘している。これはスマートフォンの登場までは考えられなかったことだ。おそらくは十年前はもっとシンプルだったのだろう。誰かが悪さをしたり、教育上よろしくないものが出てきたり、アプリ内に詐欺的な巧妙な仕組みがあったり、それでgoogle Play にアップしていくのも複雑怪奇になってしまったのだろう。毎日ひとつずつ、でやっている。本当に毎日ひとつをなんとか解決すると次でまたつまってしまう。こういうのはAIでやってくれるのだろうk。🙇
 これは5Gとは関係がないのだろうか。



いじめる教師

2019年10月21日 | 社会・経済・政治
 実に嘆かわしい。小学教師が同僚の教師に嫌がらせ、いじめを行う。常態化していたのを校長以下他の教師も止めることもない。
 いじめられる方もいじめられる方でなにもできない。死ぬ気になって恐ろしさを見せつけてあげればよいのだ。空手でも習いに行け。
 いじめも幼稚なものである。大の大人が小学生でもしないようなことをする。

 この国のいい加減さを感じる出来事である。

 これはぼくの持論であるが、1)教師採用は新卒の人ではなく、社会経験をした人を採用する。2)中学生くらいだと一番相性が合うのは65歳くらいからじゃないかと思うので、そういう年齢的相性も考慮する。3)これは決定打であるが、教育改革は下(小学校や中学校)からではなく、上から改革するのがよい。具体的に言えば、大学教師の私立、公立を問わない転勤制度の確立である。これをすれば大学名格差がなくなり、受験競争も姿を変えることだろう。

 アジアの国々はちょっと経済が発展してくると、子供を受験勉強に押し込む傾向がある。これは新興アジアの良くない点だ。日本では戦後1970年あたりから小学生や中学生の受験が激しくなったが、そのような小中時代を送った者からノーベル賞は出てこないだろうし、出てきてほしくもない。やはり小中時代は遊ばないと。
 遊びにも、「与えられた遊び」と「作り出す遊び」がある。ゲームは前者である
。与えられたゲームからなにも産み出すものは  
ない。無駄を産み出すだけだ。

 いじめたほうの教師も育ちが悪いのだろう。自分の社会的立場というものも考えることができないのだから。
 
 教育はますます大事と思う。2020年以降5Gの社会が到来すると、テクノロジーについていける人、行けない人、社会に貢献する人、無駄な人が鮮明に峻別されてくるだろう。自分で考えてテクノロジーを利用する。自分で考えて判別する。必要なこと、必要でないこと。自分で考えて一票を投じること。

 教育で失敗するとやがて社会も失敗する。その教育を背負う教師が腐っていたらどうにもならない。そんな教師は少ないと思うが、現場を知らないだけに薄ら気味が悪い。政府は受験制度を変えようと音頭をとらない。沈みゆく日本は子供をも巻き込んで沈んでゆく。実に嘆かわしい。




共通、共有

2019年10月19日 | 社会・経済・政治
 結局、グーグルが解説していることの内容が判断できないので、一か月かかっても、毎日ひとつ解決する、という気持ちになった。若い頃には考えられなかった態度である。
 性格とは「物の考え方の傾向で」ある。するとぼくの性格はややせっかちからのんびりの方に変わったことになる。
というわけで、ひとつひとつグーグルの相談担当の方に、うんざりされない程度
を考えて、指導を受けながらやっていこうと思う。

 昨晩は「朝まで生テレビ」があった。録画しておいたので今日の午前中に見た。若い政治家と三人のコメンテーターである。三人はそれぞれの職業を持っている。それをいちいち書けないので、政治家以外の出席者をそう呼ばせてもらう。
 自民党、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、日本維新の会の若手政治家が出席している。 
 テーマはいろいろだが、格差問題、エネルギー問題、地方政治問題、少子高齢化問題などである。
 話を聞いていて、どうやら各人は党派を越えてあるところで共通している。それは格差はよろしくない。弱者への政治。男性の育児参加。地方政治の腐敗と衰退。それらへの問題意識、解決策は共通している。
 しかしながら、かれらも議員年数が経ってゆくと、変わってくるのだろうか。共通の問題意識はもっているけど、何を先にするべきかという優先順位がちがってくるのだろう。経済産業省の経済支援策にも議員全員が疑問を持っていた。日本で発明されたリチウム電池がなぜ韓国や中国は安く、日本は5倍も高いのか。経済産業省の失策であることを認めている。
 地方、尾鷲市もそうだが、積極的な次世代産業策を講じない。コンパクト、スマートシティつくりができない。ただ人口が減っていき、財政難となり、無策のままに過ぎる。そういう政治家を選んだのも市民であり、被害を受けるのも市民であるが、その時は責任者である政治家はもうこの世にはいないだろう。尾鷲市はここ十年、無策であった。
 
 どんな人も集まって論議を尽くすということが日本にはないことも指摘されていた。党派を越えていく論理が必要だろう。そして必ず政党が流動化していく時代がくる。




 

脅迫

2019年10月08日 | 社会・経済・政治
川上未映子という作家について少し解説しなければならないので、ネットでいろいろ検索して彼女のことを調べている。彼女には公式のサイトもある。大阪の高校を卒業し、弟を大学に行かせるために、自分は大学進学をやめ、働く。やがてバンドを結成して活動するが、売れない。バンドからの影響のせいか、詩を書くようになった。詩が認められ、続いて小説を書き、芥川賞を受賞した。

 彼女のメッセージを読んでいると、脅迫を受けていることがわかる。多くの人がいる前に出ることを警察から自重してほしいと頼まれるらしい。万が一テロにでもなったら、と彼女も思い、同意している。彼女くらいなら自分は死んでもよい、とくらいは思っていそうだが、自分ではない人が自分のせいで死んでしまうというのは許されることではない、ということなのだろう。

 ぼくは川上未映子の小説は男ではとてもわからないことを書いていて、不思議な感じがするのだが、明治期に樋口一葉という作家が出てきて、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などで、明治期の女性を吉原の近くにあった家で描いた。森鴎外からの評価は高かったが24歳、肺結核で死んだ。

 川上未映子と重ねるわけではないが、川上未映子は樋口一葉から影響を受けている。

 ぼくはとくに川上未映子を読んでいこうとは今思っていないので、話を「愛知トリエンナーレ」の話に移す。愛知県の大村知事をぼくはみなおした。自民党には逆らわない知事だと思っていた。萩生田大臣の狭量さには「やっぱりな」という感想だった。とにかく三日間でも警備体制などをきちんとやってテロ脅迫に最後は屈しなかった。政府はテロ脅迫に屈した。
 日本は5.15事件、2.26事件で文化人がすっかり萎縮黙してしまった。テロを受けることは恐ろしいことだ。
 現在の日本は忖度政治になっていて、独裁的な要素を多くもった国家になっている。香港で発せられたのと同様の緊急事態法は日本も持っている。
 経済が落ち込めば政権が代わるという法則が日本にはあるから、まだましではある。日本の政権は消費者の掌で動いているということがわからないらしい。至極当然の浄化作用をもっている。香港には強大な共産党国家が網を敷いている。
  

物はほとんどは持っている

2019年10月03日 | 社会・経済・政治
日本語版と英語版の2種を切り替えできるホームページを作っている。驚いたことに、Google の翻訳ソフトにGrammary ソフトも使えば安心感ある英語の説明ができあがる。
 まず、自分が説明したい文を日本語で打つと、英語に変わる。それを読むと、フムフムとなり、よくできているなあ、と感心する。英語の方に手を加える。完成に近づけるためだ。エキサイト翻訳を使うとまるで無茶苦茶な英語が出てくるがGoogle は相当正確である。またgoogle に感心する。

 今日の新聞広告に朝日新聞が創刊140年で、豪華賞品があたるキャンペーンのお知らせがあった。1400名に当たるそうである。豪華賞品の中に74言語対応のAI通訳機「ポケトーク」というのがあった。なんだか触って使ってみたくなった。尾鷲のエディオンかケーズ電機にあるかもしれない、と思い、見に出かけた。ケーズは休みでエディオンにはなかった。ポケトークあたりでどれほどの言語を理解するものか。
 ぼくは台湾語はできないから、Koさんと話すときに、ポケトークがあればより会話もスムースになることだろう。難しい話を翻訳してもらうつもりもない。いわゆる「指示表出」のみになることだろう。AIが「自己表出」言語まで理解できるようになるには、あるいはAIが自分の言葉で「自己表出」言語と「指示表出」言語を織りあわせた言葉を発するとは考えられない。

 エディオンには多種多用途な電器製品やデジタル、IT製品がならんでいる。ぼくはづでにスマホ、タブレット、パソコン、プリンター、テレビ、掃除機、洗濯機、冷蔵庫、ドライヤー、布団乾燥機、オーディオ、電子レンジ、ガスレンジ、オーブン、エアコン、炬燵、扇風機、炊飯器、電器ポットはすでに持っている。細君はカメラを見ている。撮るとすぐ現像された写真が上からでてくるカメラなのだ。これはいいわ、と興味津々である。だが、店の迂闊なことには本体の値段が見当たらず、付属品の値段ばかり貼ってある。「店員に訊くかい?」と言うと、「いい」という。店員を呼ぶとうっとうしいことになるかもしれない。勧められたり、断ったり、考えたり。

 もう必要な物などない。それぞれが壊れるまで使い、そうなれば買い換えるだけである。人口も減っていることだし、消費力がアップするはずもない、と思う。