25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

思考停止 ひとりで祈れ!

2019年06月17日 | 文学 思想
ブログは「生きた証」でもあるので、思っていること、考えていること、日常の中で起こったことなど、すべてというわけにはいかないができるだけ、残しておきたいと考えている。
 かねてから考えていることで「仏教」に対する人々の接し方や理解、信仰の仕方に、ぼくは不思議でしようがない思いをもってきた。寺のお坊さんがお経を唱えるが、これの意味が分からない。意味がわからないのに、なんだか、神妙になって正座している。理由もわからないのに、これがやり方だと暗黙の了解のように数珠をもって、焼香をし、礼をする。

 そもそも意味がわからないのに、どうして仏教が国民的宗教となったのか。意味がわからない庶民に鎌倉新興仏教、例えば親鸞聖人は「波阿弥陀仏」と一生に一回心の中で言えたらいいんだ、というところまで言ってしまったところから、あるいは日蓮大聖人が浄土宗を批判し、「南無妙法蓮華経」による立正安国論を唱えたとき、庶民は仏教の一端でも見たのかもしれない。仏教は一歩庶民に近づいたのかもしれなかった。

 今、2019年の現在、各宗派のお経の意味をどれほどの人が知り、思考停止状態となって慣習を続け、人がするからそれをしなくてはならない、という「共同幻想」は日本だけでなく、世界の至るところで、その「脳の機能」を発揮している。人類はこの問題(知らぬ間に真似をする、感染してしまうという脳の問題)を解決していないのだ。

 宗教の厳粛性の雰囲気はわかるのである。天理教であっても、毎日の太鼓の音と始まるお勤めの雰囲気。人々が大きななにものかに祈りを捧げる姿も、その日、心がその祈りで安らぐことも、生きているだけの苦労も癒されるのはわかるのである。金光教とて。すべての仏教とて。しかし意味がわかっているのかとぼくはあえて問いたいのである。でないと宗教は右向けと言えば右、となってしまうではないか。教祖なり、集団のリーダーのいうことが正しいことだとなりかねない。それが宗教である。

 「今までやってきたことだから」「仏様を足蹴にするようなことは言わない方がよい」「先祖を大事にせんとバチがあたる」「地獄には行きたくない。極楽に行きたい」
 ぼくには全くわからないのである。
 親鸞の「教行信証」もインタビューの「歎異抄」も、いくつかの書簡も読んだ。読むと、親鸞は墓も否定し、寺を作る意思もなく、まして浄土真宗を開く意思などはなかった。宗教を解体したはずの親鸞が後世に一大仏教派閥となっている。ぼくには不思議なことだらけである。

 葬式仏教は終焉を迎えつつあるような気がする。戒名に位階があり、位階によって値段も違うというアホらしさ。意味のわからないお経を唱えてもらって、ハイ、お金。何がありがたいものか、とぼくは心底で思っている。だから宗教について「ひとりで祈れ!」というある知人の言葉が的を射ていた。

 シーア派のイラン(ペルシャ)。スンニ派のアラブ諸国。同じ神をもつユダヤ教のイスラエル。キリスト教プロテスタントの福音派。ホルムズ海峡が封鎖されれば、米中問題さなかの中国はイランにつき、ロシアもイランにつく。アメリカ、アラブ諸国、イスラエルはイランを攻める。そうなると経済は大パニック。北朝鮮まで動きかねない。第三次世界大戦になりかねない。
 こんなこともみな「共同幻想」。思考停止で「なんとなく昔からやってきたことに、考えに過剰な価値を見出すマジックにかかっているのだ。





 

死ぬと

2019年06月16日 | 文学 思想
 知り合いの人が亡くなったので、葬式に行った。
 こういうときに思う。
 ぼくが死んだときはお坊さんも呼ばず、お経も、位牌も要らず、墓に入ることも不要だと子供たちに言ってある。ぼくが生きた証はパソコンにファイル化してある。SDにでもコピーして子供、孫に残しておこうと思っている。子供たちは東京で暮らしている。うちの墓は尾鷲の寺の裏にあるが、それはもうそのままにしておくしかない。
 死ぬことは自分は経験できないわけで、近親の人にすべてを任せるしかない。せめて、自分の考えを言っておこうと思って、去年だったか、息子に言った。
 若返りの薬や老化抑制の酵素、iPS細胞の進展、ゲノム編集などと現在の医学、科学の様子を見ていると、うまくいけば95歳くらいまで生きることになるかもしれない。母親だって、あと2か月で94歳になる。元気な95歳というには十分あり得る話だ。

 ぼくとして、健康に気を使っていることは、自分が持つ酵素の数は限られているから、それを使い果たすときが死だと思っているにで、できるだけ、食べる物で酵素を取り、自分の酵素は使わないようにするよう心がけている。神経質にやっているわけではない。旬のものを食べればよいのである。先日、大根おろしの汁を豚肉につけて袋に30分入れておいたあと、料理をしたら、豚肉はなんとも柔らかい肉となっていたのを見て、ジアスターゼ酵素の力を目の当たりにした。
 秋刀魚を食べるとき、だし巻き卵を食べるとき、大根おろしを使う。料理の歴史には蓄積された経験的な勘がある。迷信は科学によって排除される。それが頼もしいと思う。拝んだり、祈ったりが正統だとは思えない。
 思えばぼくは仏教も神道も信じず、形骸化した正月や盆の行事や祭り、付き合い上の宗教的儀礼に怒ることもなく、慣習としてやっているだけで、我が身となれば、ぼくは自分の思想をだす。それしかない。
 
 

2005年の光高校爆弾投げ込み事件

2019年06月10日 | 文学 思想
 2005年に以下の文をブログで書いた。今日校正しているところで出くわしたのだ。ぼくはすっかり忘れている。あれから14年。事態は年齢層を広げている。8050問題である。
 うすら寒い発表を金融庁が先立ってした。厚生労働省が言いたいことを金融庁が先取りして言ってくれたということだろうか。人生100年安心と年金制度を作ったのではなかったか。年金は800兆円すでに足りないというではないか。老後を生きるのに2000万円貯めろ、と言う。グリーンピアだなんだと不要なものを多く作っておいて、失敗し、今は株を購入している年金機構。この責任はだれがとってくれるのか。自民党だろう。
 こうなることはわかっていた。ぼくがわかるくらいだから専門家はもっとわかっていた。
 この財政ではやれることはなくなってくる。ITは三周遅れ。実質賃金は減り続ける。それで経済政策はうまく言っているとのたまう。ばかな。


光高校爆弾投げ込み事件・2005年06月13日(月)

「いじめられていた」という高校三年生の男子生徒が釘を入れ込んだ手製爆弾を恨み返しに教室に投げ込んだ。いじめられる側が自殺をするというケースは報じられたことがあるがこのような報復手段に出るのは初めてのニュースではないかと思う。やっと「いじめ」もこういう時期がきたのか、と思い、これからいじめる側も命がけだな、と思った。
 インタビューに答えるのは相変わらず校長先生で、担任は逃げている。校長にわかるはずがない。校長の顔には「ひどいことをしてくれたもんだ、ちくしょうめが 」と書いてある。事件の核心に迫る力がないのだ。
 いじめられたら、命かけてやり返す、という迫力があれば、いじめからは脱出できるのである。それがなかなかできないので自殺してしまう。また不登校にもなる。
 いじめの現場を知っていて何知らぬ顔をしていた人も今度の事件でドキッとしたに違いない。関係のない生徒をも巻き込んだにちがいないが、やった生徒は反省などしていないと思う。むしろ「よくやったよオレ」と清々しているのではないか。
 結局親も助けてくれなかったのである。担任や校長はテレビでみればわかる。だれも助けてくれなかったのだ。自分がやるしかないではないか。
 ニュースリポーターがこれまた馬鹿な誘導質問を同級生などにする。すると馬鹿な同級生は「キレやすかった」だの「普段無口で、怒ると訳がわからなくなる」だの悪口のように言う。犯罪とわかるととたんに口が軽くなる。
 だれだって怒ると訳がわからなくなるのだ。キレやすいのはゴマンといるのだ。自分だってそうじゃないか、言いたくなる。
 リポーターなどは「悪人」だな、といつも思う。被害者側にも、少年側にも立つコメントがあってもいい。やったら、やりかえされることもあるんだということを。よくよく注意していじめの側に入ることにならないように。人はいじめる側に立たなければよいのである。
         


やりきれない事件は続く

2019年06月03日 | 文学 思想
元農水省事務次官の息子殺害は、証拠はないが、学童の列に切り刺し込んだ岩崎隆一の殺傷事件からの感染があったようにぼくは思う。
 この元事務次官は息子の自慢であった。ところが母親を「愚母」と呼ぶほど嫌っていた。愚母らしき育て方をしたのかもしれないが、母親だけが責められるのでは片手落ちだ。子に社会性を教えるのは主として父親である。基本的に母親は「慈愛」の象徴である。父親は「社会性」の象徴である。父親は子育ての肝腎なところを妻にまかせ、妻は肝腎な慈愛を偏狭な世界観を強要したのかもしれない。

 西洋風に、ヘンゼルとグレーテル風に言うならば、この夫婦は息子を外に放り出すのがよかった。社会という場所にいると、公園でも道端でもどこでもいいのだが、「妄想」は発生しないものである。宮沢賢治風に言えば、この夫婦は息子を残して出ていくこともできた。そしてコンサルタントにお願いすればよかった。

 日本的な言い方をすれば、一家無理心中を図りたいほどのことだったのだろう。「運動会の音がうるさい」と言い始めたとき父親の脳裡には学童に突っ込む我が子を想像してしまったのではないか。

 子供に自室を与えない方がいいというのは、家の中の自室では何を考えても、思ってもよく、裸になろうが、裸でサンマを焼こうが構わないのである。どんな妄想も自由である。しかも妄想ばかりが浮かんでくるようになる。「漫画を読んでいる自分が浮かぶ」も妄想である。「ラーメンが浮かぶ」も妄想である。居間にいると人がいるので妄想は浮かびにくい。玄関に座っていればもっと浮かびにくい。
 この元事務次官夫婦が間違えたのは、「個室」への理解のなさと、「個室」から出さなかったことである。
 これもなんだかやりきれない事件である。 

親と子の永遠の問題

2019年05月31日 | 文学 思想
人間は親の良し悪しにかかわらず、生まれたというそのことだけで、倫理を有する存在となる。そしてそれは責任となる。こう考えるのは例えば岩崎隆一のような殺人犯の親は彼を捨てた。母親と父親の関係はどうだったのだろう、母親はどんな人柄で、息子をどう育てたのだろう。おそらくは母のお腹にいた胎児の頃から乳児期まで母親の心や体の調子はどうだったのだろう。その時期夫は妻にどう接したのだろう。このあたりのことが犯行の根源的なものだと思うが、それでは、そんな母や父を作った親はどうなのだ、そのまた親はどうなのだ、とこの問いは際限がない。

 要するに、この世に生まれ出た子が背負う倫理というべきものをキーワードとして導入するしかない。ただ親の子育て失敗責任は99%はあるのではないかと思うが、それを突き詰めることができない、ということに人間の手が届かないところがある。

 脳のブローカー言語野には、カメラのようにひいて映すところとアップで映すところがあり、アップの像に母親の笑顔が大きく映っていたら、物事をひいてとらえ、客観性を持ち得るように脳が育っていたら、と思うと、なんともやるせない。しかし、これは少年の殺傷事件ではない。岩崎隆一は51歳である。親を克服する、脳を正常に戻すようなチャンスはあったはずである。ブロカー言語野に大きなラーメンが浮かび、食べたいと思っても、ぼくらはときによっては我慢もできるし、ラーメンをアップの像からひくこともできる。

 戦争以外の人殺しでは最悪の人殺しである。このような事件で社会生活を営む人間は怯んではいけない。怯んで神経質になると、それを利用しにかかるものも出てくるし、神経質のシッペ返しもくる。岩崎はそのようなことまで考えていないが、また監視社会は一歩進み、警察国家へと一歩近づく。権力に抗えなくなる国家はよい国家とは言えないのだ。

ダメだ、これは!

2019年05月30日 | 文学 思想
 「暴言」というなら云え!と帯にある本が目にとまり、題を見ると、「日本アホバカ勘違い列伝」とあって、著者は北岡俊明という昭和18年生まれの「日本ディベート研究会会長である。肩書はそうなっている。
「勘違い人間」とは、
1、生まれながらの特権・利権をもった世襲人間
2、能力がないのに有名になり図に乗っている人間
3、能力がないのに、自分を偉いと錯覚し、価値観を押しつける人間
4、国民の血税をすすっている人間
5、勘違いしている組織やテレビ局の人間
 
 と裏表紙に書いてある。
 「なるほど、その通りじゃないかと、その本を買い、読んでみた。すると、プロローグの中で、このような文がある。
 戦後平和主義の惰眠をむさぼっている是枝(万引き家族の監督)には、一兵隊としての小津安二郎や山中貞雄の気持など永久に分からないだろう。当時のすべての日本人は、祖国を守るために銃をとったのである。是枝よ、安っぽい戦後平和主義を振りかざすな。」

この文 「すべての日本人」と書いたのを見た時点でこの著者は終わりである。こういうこともわからず文を書くのか、と思うとあまりにも情けない。著者はもっとデータをとるべきで、安易に「すべて日本人」などという言葉を使うべきでない。その言葉を見るだけで信用できなくなる。
 結局、この著者は軽い男なのである。話にならない。だめだ、これは。それだけだった。
 

個人主義

2019年05月22日 | 文学 思想
2002年の4月1日に「個人主義」という題で、ホームページの日記欄に書いている。現在1999年からのものを再読、推敲、校正中なので、「アッ」と思うものがある。これが自分が「アッ」と思った文である。


2002年4月1日
個人主義

 人間は絶えず二人以上でいることが本質的で、自然のあり方だとしたら、近代以降重んじられてきた個人主義の考え方を点検する必要がある。 バリの女性が赤ちゃんを産む。母親は個人ではなく二人以上と存在しているからエゴが希薄である。いつも近くに誰かがいるから用事があればちょっと世話を頼める。だから、女ひとりとしてのエゴ(というか思い)と赤ちゃんの世話をするということは互いに逆方向に分裂しないで赤ちゃんを育てることができる。

 赤ちゃんが乳をほしいと泣く。私は今テレビドラマの一番のクライマックスを見ている。こういう分裂である。
 この分裂の極限が虐待である。バリならこれはまずあり得ない。いつでも人が近くにいるからだ。

 バリには個人という尊重されるべき概念が希薄であるのと同様に「他人」という概念も希薄に思える。時々、自分と他人を混同している場面もある。
 人からの恨みや嫉妬はとても気にするが、他人を他人と思うのではなく、自分と同様に人がそこにいる。植物や動物がそこにいるように人がそこにいる。そしてその中でも「人」が一番厄介な存在であることは知っている。おそらくこういう感じである。

 一人でいる時間がほとんどないバリ人は日本で一人アパートで暮らすということがいかに恐ろしいことか知っている。一人でいることが自由きままになれる、邪魔はされない、何を考えてもよい、規制がない、と思わない。不自然だと思う前に恐怖なのである。

 日本でもこのような段階があったのだと思うが、個人の尊厳が教科書で唱えられ、経済の発展とと共に、人間関係のあり方が変わってしまった。今は病的な人間関係の社会となっている。「病的」というのは「エゴ」が丸出しにされて、それが保護される形で基本としてあり、そこから人間関係を求めていくという関係のありかたである。 隣近所の人との関係は避けながらネットでのグループに入るとか、自分の趣味をより満足させるために趣味の会に入るとか。意識して自分の都合のよい人間関係を求める、という風である。

 すべて「わがままきまま」の裏返しの「寂しさ」とか「孤独」から「他人」を求めるという風になっている。

 別段に、バリ社会を絶賛したいのでもない。恐らく息苦しい場面も多いに違いない。
 コンピャンが日本に来た時、「バリと日本、どっちがいい? 」と馬鹿な質問をした。コンピャンは「いつも周りに人がいて助け合えるバリのほうがいい」と言った。

 個人が自由な意思で振舞えるそのおいしさをコンピャンは知らないのだろう。
あるいはこれは相当な毒だと気づいているのだろうか。

 日本社会は90%が中流階級意識をもった人々で構成されている。この90%が自分たちは正常だと思えば正常であろうが、どこか別の場所から見ればみんなわがままな神経症であ
り、人間関係は「不安恐怖症」に陥っているように見える。

 個人の自由をはっきりと意識化し、その問題点を認識し、そして自分の足で立ち、しかも他人という個人を尊重して個人主義は成り立つのかもしれないが、そんなものは幻かも知れない。

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 この年の10月12日にバリ島爆弾テロ事件が起こった。直接的にぼくらは被害を浴びた。1999年から日記を読んでいると、爆弾テロというよりもインドネシア内のイスラム原理派が何かしかけるかもしれないという雰囲気があった。ニューヨーク同時多発テロに呼応しているのは間違いのないことだ。
 同じホモサピエンスの中に「いつまでも戦争を止められない一群、二群の人々がいる」。
 「強いものは滅んでいく」という自然史の流れをよくよく考えることだ。

 


村上春樹のお父さん

2019年05月12日 | 文学 思想
 78キロになってきたので、いささか驚いてダイエットを始めた。酒、食事の制限である。こもときに丁度、脊柱管狭窄症のような症状が出て、脚が突っ張り、痛くて前に進めなかった。同時に風邪をひいた。咳で肋骨を傷めた。三重苦であったが、脊柱管狭窄の方は屈伸で床に手をつけるようにするがなかなかつかないので、細君に腰を押してもらったら、手が床につくようになって、それ一発で治ってしまった。ときどき、椅子に座って腰をグイグイ曲げるときに両足首の踝のところを親指と小指で挟みんで、グイグイと圧をかけるのである。岡田さんは立ってやるようにいったのだが、自分でする場合、踝まで手が届かないので、座ってやってみたというわけだ。100回ぐらいグイグイとやる。狭窄したところが拡張するようで気持ちがよい。
 今日、また掃除草刈りとしたが、以前のように元に戻っている。
 肋骨ももう痛みがなくなり、風邪も抜けて行った。
 食欲がなかったから食事の制限もできたのだが、体調がよくなってくると、酒の量も増える。
体重は今日で74、4キロまで減っている。70キロを切るのがとりあえずの目標である。
 不思議なものだ、イヤなことはまとめてやってきた。ひとつひとつ対処していたら、一つずつ、抜けて行った。

 昨日「文藝春秋」を買った。村上春樹が自分の父親について書いた開手記を掲載されていたからだった。父と疎遠となり、20年も会わない関係だったという。父子の関係にかねてから好奇心があったので、昨晩、一気に読んだ。村上春樹のお父さんは三度召集された。ほとんど兵士が死んだような師団にいた。馬を運ぶ役割だったらしい。ひどい時代の青春だった。ぼくには崇高な精神を持ち得た当時の日本人などと、とても八木秀次(麗澤大学教授)のようには言えない。
 チフス、マラリア、餓死で死に、食糧も武器も不足で、戦略もない戦争に行かされたのである。戦争だけはやってはいけない。戦争の扉さえ作ってはいけないと思う。
 ところで、なぜ、村上春樹のお父さんは記録として、あるいは当時を振り返るエッセイとして青春時代の見、聞き、感じ、考えたことをメモにしておかなかったのだろう。歴史をつなぐとはそういうことである。なぜなのだろう。
 

日本語で考える人

2019年05月08日 | 文学 思想
 日本語で考え、日本語で話す人が日本列島人である。方言というのはそのグラデーションだと思う。
 日本人のこころとは? 日本人の本質とは? とよく新書判にありそうな題であるが、僕らの意識を規定するのはぼくらの言語である、ぼくのなかには、おくも、俺も私も、自分も存在するし、あなた、おまえ、君、貴様も存在する。いたって複雑である。
 ぼくは尾鷲の寺町の路地で生まれ、路地のこどもたちと遊び、やがてあるいて五分ほどのところにある尾鷲幼稚園に行った。父は若い頃沖縄へ徴用された。ぼくが中学を卒業する時分まで遠洋マグロ船に乗っていた。母は夫のいない間は暇そうで、夏休みや冬休みとなると
清洲や稲沢、大阪の河内長野に長い間出かけていた。ぼくには三歳上の努力する成績のよい姉がいた。
 父や母の周辺のことを書き出せば自分の核の部分が大きくなってしまいそうなので、自分の住まいと家族だけにおさめておく。いわば両親の遺伝子をのぞけばぼくの原形は寺町、路地、留守がちな父および無口な性格、自由そうな母の性格、成績のよい姉からぼくは構成されるように思う。

 だからいくつの日本人論があっても、所詮、日本語、しかもその亜流である尾鷲弁、寺町となり、ぼくの場合、農耕にも届かねば、天皇にも、武士にも届かない。
 今のぼくがここに存在するということは親がおり、その親にまたそれぞれの親がおり、それぞれの親にまたそれぞれの親がいる、というふうに遡っていけばどこまでも遡っていけるのである。

 中国の大陸には様々な人種が集まっていた。長く日本列島には縄文人が暮らしていた。紀元前1000年以降くらいから、朝鮮半島を経由して弥生人が入ってきた。縄文人と弥生人がいつのまにか交じりあって現在の日本列島人になったのかと思いきや、朝鮮半島からの流入は延々と続き、縄文人と交わらないケースもあった。200年頃の話である。
 朝鮮半島からくる人々もバイカル湖ルート、モンゴルルート、東南アジアルートがあり、縄文時代のように海路で列島に到達した人も続いたことだろう。
 このころの歴史の中にもぼくの祖先たちは必ず、子を産むまでは生きていたはずで、ぼくがここに存在するのが証拠となる。 
 いずれかの時期、ぼくの先祖はどんなルートをたどって、どんな人と一緒になってということが遺伝子解析でわかるようになるかもしれない。
 しかしながら日本人の本質などと考えてみると、血統から辿ってもしかたなく(どこかで異人種、異民族と交わっているのであるから)、日本語で物事を考える人としかいいようがなくなる。

何があろうと

2019年05月06日 | 文学 思想
1999年の最初のブログを校正している。すでに二十年前のことだ。こまめに「ぼくのバリ日記」として書いている。文を読めば読めばだいたい思いだす。
 バリ島だけが日本から遠く離れるために、自己慰安ができる場所でもあった。縁あって、自分の意志で1999年からバリ島を仕事場に選んだ。歴史でいうところのアジア的段階が色濃く残り、村落共同体は強固の存在し、警察さえも手がだあせないほどの村の法と政府による近代法が二重にあり、村落共同体の遵法精神の方が高いのではないかと思えるほど、村落は強かった。欧米の文明がちょっとづつ入ってきていた。ぼくが初めてバリ島に家族と一緒に行ったのは一九八九年だったと思うが、そのころにバリ島にはテレビはほとんどなかった。旅行会社の車はあったが、個人用の乗用車はほとんど見なかった。
 政府のバリ島近代化策はリゾート策であった。空港を整備し、サヌール、ヌサドゥアにホテルを誘致し、それにバリ島の絵画や舞踊、音楽、マリンスポーツが合体した。台風の来ないこの島は年中観光客が来れる。いつのまにか世界でも有名なリゾート地となった。
 まだ当時の人々は西洋医学よりもバリアンという呪術師を頼みにしていた。
2016年まで二ヶ月一度バリ島に通った。それまでの日々のキオクハ薄まっていくばかりだが、このようなブログが残っていると、ありありと思い出すことができる。文に書いたことなどわずかなだんぺんであるが、ぼくのこころの指向性がよくわかる。2つの爆弾テロ事件がまたぼくの人生を分断したと当時は思ったが、この楽天性と自信が変わらない限り運命も変わることはあるまいと今は考えている。
 

天皇

2019年04月26日 | 文学 思想
 平成の天皇-皇后が伊勢神宮を参拝したとき、そのスケジュールに合わせるように
国内各地から多くの人が来た。まだ中年くらいの女性やややその人よりも若いと思える女性はテレビ局のインタービューがあると興奮して泣いて手を振っていた。天皇という象徴の共同幻想は多くの人々動員し、渦のなかに巻き込んでいた。おそらく天皇・皇后は国内最大のスターなのだろう。

 平成天皇は即位してから「たいへん」よくやったと思う。
 天皇は権威と神秘性をもっておればよいという八木秀次のような考え方もあるし、天皇を日本の元首にしようと訴える「日本会議」の意見もある。ぼくなどは平成天皇は自分の天皇としての在り方を模索し、災害があれば駆けつけ、寄り添い、目線を同じ高さにして一般庶民と向き合った。これは皇室の生き延びかたの模索であったように思う。
 例えば次の天皇が即位して、辞めたい、と言い始め、弟秋篠宮も、悠仁様も辞退し、愛子様も辞退したら、皇室をやめ、普通の国民として暮らしたいということだから、それはそれで結構なことだと思う。これを阻む論理はぼくにはない。
 イギリスの王室のようになりたいと言えばそれはそれで結構なことだと思う。要するに皇室のあり方は皇室で決めるのがよい。男子系統でいくなら秋篠宮は即位を辞退し、悠仁様が即位して令和の次の時代は平成、令和以上の期間が続くかもしれない。
 新天皇の皇后はなにかに抵抗しているよう見える。雅子皇后にとっても愛子様天皇にしたくないのではないか。
 やはり時代がすすむと、これまでのようにいかなくなる。錦の御旗や天皇の争奪戦も日本国民は克服したのではないか。

 

東大出の俳人

2019年04月15日 | 文学 思想
 尾崎放哉が小豆島の西光寺南郷庵に身を寄せ、そこで暮らすようになり、死ぬまで、一年もないがその期間を吉村昭は小説にしている。「海も暮れきる」である。「よもやま話の会」での課題図書なので、ぼくが、あらすじ、著者紹介などの簡単に書きまとめ、印刷してみなさんに渡す。
 この小説は3度読むことになる。
 尾崎放哉は島の人々には嫌われていたらしい。吉村昭の取材中の感想である。名主のような内山一二という俳句雑誌の同人を主宰者である井泉水に紹介され、一二が西光寺の住職宥玄から「庵」が空くことを知り、この「よくできる俳人」で「酒癖の悪い俳人」「お金のない俳人」の世話をする。その世話は宥玄も背負うことになるが、島での評判にやきもきもしたことだろう。
 「東大出」「一流会社出」がはなもちならない態度をとらせることがあるが、ほぼ晩年の半年は俳句仲間にお金を無心する手紙を書く日々であった。ちっとも面白くない男に描かれている。
 時折出てくる俳句は自由律で、それがぶっとぶほど面白い。おそらく「咳をしても一人」と句を詠んだが、このぶっとび感が一二や宥玄、俳句仲間に一目も置かれた原因なのだろう。彼は俳句仲間からの援助で生き延び

 南郷庵で息をひきとることができた。しかも島の漁師の奥さんがまったくの善意で介護をしてくれた。肺結核が腸にも転移し、咽喉にも移った。ひどいありさまで悶死のようだった。
 今、尾崎放哉の人生を知らず句だけを読めば、若い子には大ウケするように思える。
 
 すばらしい乳房だ 蚊がいる

 墓のうらをまわる

 明日みなで話し合うのを楽しみにしている。
 


ニュースの性質

2019年03月14日 | 文学 思想
 テレビニュースというのは大方「悪いニュース」「不幸な出来事」「目を惹く事件」を報道しやすい。よい、心温まるニュースよりも「少女2人が自殺した」とか「ピエール瀧がコカインで逮捕された」とかであり、電波を使って「後藤真希が不倫していた」とか、そんなネガティブで暗いニュースばかり見ていたら心もどうにかなってしまうかもしれないから、「良いニュース」というのは報道されにくいけど、そっちの方が多いと心に刻んでおくべきだ。世界は確実に良くなっている。ネガティブなことを知りたい、興味をもってしまう本能がぼくらにはあるのかもしれないが、その本能はコントロールできると思う。
 映画やテレビでも「いい人」より「悪人」の方が魅力的なことがある。悪人のほうが見ている側の溜飲を下げさせるのによい対象であり、それが現実的に生き生きしていなければならないからだろう。だからぼくらは「悪人」の方に存在感を感じてしまう。もちろん善人も、正義の味方もいいが、物語を進めていくうえで、不幸な事故や病気、暴力、窃盗、強盗、殺人などが出てくる。虐める生徒、虐められる生徒も出てくる。脳が感染してしまうから、これにもコントロールする能力を備えなければならない。

 世間というものは時に鬱陶しいものだが、別に世間が悪さをしにくるわけではないので、たいていの噂話や悪口は知らないで済むわけで、だいたいが平穏の中でわれわれは暮らしていると言ってよい。ちょっとした楽しみとやらなければならないことと、ちょっと不運なことと、ちょっと退屈、と言う物が織り交ざって暮らしは進んでいくのである。死ぬことなんて体験できない。おおよそ「死」が存在するのは自分ではなくて近親者などの第三者の近しい人に存在するのだ。

 

どのくらい耐えられるか

2019年03月06日 | 文学 思想
安全な水が飲めて、自転車、バイク、車に乗り、家の中にはテレビやエアコン、冷蔵庫などの電化製品がある。
 生活を維持するのに、電気代、ガス代、水道代、ガソリン代、あとは故障したり買い替えたりする原価償却代(つまり買い替えるためのストック代)、そして食物代が必要である。これに家賃かまたはローンか、すでにローンも終わった家なら修理費やら改装費やらをストックする。スマホ料金も今では必須である。
 するといくらになるかというのは済むところの不動産価格と関係してくる。

 家賃を除外すれば、電気代2万円。水道2千円、ガス3千円、ガソリン 6千円、買い替えのストックは車もあるから3万円。電話料金(スマホ代も含む)1万円。食物は加工されたものも買うことを含めて、3万円。服や靴も買うからこの費用に月に1万円としておこう。合計で11万1千円になる。

 ここまでが現在の日本人の平均的な暮らしの絶対費用だと思う。この費用を下げなくてはならなくなるとテレビが故障して買い替えができないとか、エアコンが使えないとかとなってくる。

 そしてヨーロッパや北米諸国の生活水準とは日本はそれほどの差はないように思われる。中国もその仲間入りし、ロシア、インド、東南アジア諸国も続こうとしている。

 この生活水準を守るため夫婦共働きを余儀なくされる。子供の教育もだんだん上がってくる。働けるうちに子供に高度な教育を受けさせたい。すると大学生活をさせる貯蓄や余裕ある収入が必要となる。30代、40代は子育ての山場である。とにかくお金がかかる。

 経済的先進国とはおおむねこのような水準であろう。すると疑問が出てくる。債務の多い先進国、つまり借金が多く、返すお金が大きい国々は先進国と言えるのだろうか。無理して借金をして、経済を維持しているのである。会社で考えれば借金ができないから縮小するしかないだろう。国の場合、国民の貯金が担保のようなものだから、スーパーインフレを起こしてしまえば、国民の貯金は限りなく紙くずとなり、政府の借金はゼロに近づく。ここまでくると、パニックどころではない。荒れ狂う社会となるだろう。
 
 ぼく自身はどの程度までの生活に耐えられるか、立ち直りのおもしろいチャンスがあるか、いろうろと考える。キョロキョロとカエルのように見る。


 

分断という思い込み

2019年03月05日 | 文学 思想
 「分断という思い込み」。あの人達とこの人達、アメリカ側と中国側、西洋諸国とアジア諸国。あの宗教、この宗教、あの政党、この政党。反日、反韓、ぼくらはいつも物事を分断して考えている。この話も「MINDFULLNESS」の話である。
 ぼくは以前から吉本隆明が作った造語である「共同幻想」に拘っている。観念の領域には「個人幻想」「対幻想」そして「共同幻想」がある、というのだ。そして「個人幻想」と「共同幻想」は時に逆立する、相反することもあるという。ぴったり密着するときもある。
 連合赤軍のリンチ事件が明らかになったとき世は騒然となった。社会をよりよくしようと思って立ち上がったにちがいない青年たちは、追いつめられてしまうことで、森恒夫や永田洋子らの幹部によって、仲間が仲間を殺すということまでしてしまった。まさに、共に訓練するグループ、共に思想を同じくするグループ、そして共に逃げるグループという「共同幻想」をもつ彼らである。
 しかし、その共同生活の中でも個人は個人であり、マニキュアをしたいものもいるだろう。それが気に入らないものもいるだろう。この時に、個人は「共同幻想」を使い「個人幻想」を「共同幻想の下」に置こうとする。
 宗教も出発点は人々の救いであり、心の平安である。それがキリスト教の歴史を見ればわかるように「殺す集団」となる。最近では「オウム真理教」がそうであった。共同幻想と個人幻想の一致度が高いほど強固な組織が出来上がる。

 三人以上のグループ、集団、組織はよくよくこの点を考えなければならない。個人幻想が強力な磁石をもつ組織に吸い込まれると悲劇が起こるということだ。だから組織は常に「出口」を用意しておかなければならない。出口を制度的に言えば、労働基準監督署であり、失業保険ということだろうが、それは経済会社にまつわる制度である。宗教はどのようにすればよいのか。学校のクラブはどうすればよいのか。出入り自由で決して強制されることのない緩い集団にするしかない。そして意見が自由に言えなければならない。この程度のことならだれでもわかることである。それでもオウム事件は起こった。たぶんそれだけでは集団を作るには不足なのだ。個人幻想と共同幻想が一体化しない、させない方法。人類はその開発が必要なのだ。そのひとつに「思い込み」から開放させる方法があるのかもしれない、と思ったのだった。