25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

若者の凄さ

2019年06月29日 | テレビ
 関ジャムで「いまの若者のフォーメーションダンス」をみた。すごかった。10年ほど前にも若者のダンスを見たことがあるが、体の使い方が一段と進歩していて、びっくりした。
 翌日、つまり昨日、「アカペラのコンテスト」があった。高校生たちも決勝に残った。このコンテストに約600グループが参加した。これもすごかった。
 その夜、同時時間帯で、陸上100メートル競争があった。
 カール・ルイスが王者の頃、日本人が10秒を切ることは考えられなかった。それが期待できるようになった。
 卓球、バドミントンで凄いものがある。

 これはどういうことなのだろうか。バドミントンでは韓国の優秀な指導者を招聘した。卓球も中国人指導者招いている。さらに卓球の場合、親が小さなときから教えこんだ。
 ダンスやアカペラの上達にはyou-tubeやLINEなどの影響があるだろう。アメリカやイギリスのプロの技術から学ぶ。いつでも比較ができ、検討ができる。
 
 いつだって「今の若者は・・・」と言って年配の者が愚痴る言葉はエジプト文明の時代からあった。いつだって若者はすごい。いつだって若者は死に近いところでエネルギーを爆発させる。死へのエネルギーもすごいが、生へのエネルギーもすごい

 その若者を食い物にしている政治はひどい。票で勘定する政治はひどいことだ。

失敗は人生の味

2019年06月28日 | テレビ
女優の高畑淳子が朝ドラの「なつぞら」で、よい演技をしている。おばあさん役である。一人孫が東京に出て菓子作りの修行をしているが、その孫が「演劇」をやりたい、と覚悟を決めるのである。その親役をしている安田顕が「しっかりやれ、努力しろ。だめだと思ったら帯広に帰ってこい、お前の生まれた場所だ。恥ずかしがらずに帰ってこい」というと、高畑は「失敗も人生の味だ」と言って笑って励ます。とても感激するシーンだった。「失敗も人生の味だ」というのも生きているから言えることで、多くの人を見、様々経験を踏んできたから言える言葉である。高畑淳子くらいの歳になって言えるのだろう。説得力があり、唸らせる。

 「苦い失敗」。1997年。すでに22年経っている。この失敗へのリベンジ執念の種火を切らさずにぼくはやってきた。ぼくの最盛期からIT技術、環境が大きく進展している。思えば20年はたかったか、と思う。
 ソニーのようなCDプレイヤーに拘束されることもない。フォーマットにきつく縛られることもない。アプリをつくれば、プレイヤーはスマホになり、タブレットになる。アプリは簡単に売ることができる。つまりマーケットが開かれている。
 ぼくはだれも知らないマーケットをつくるために、主要国にある出版社を巡り、アメリカや香港、北京、スイス、台湾など展示会にでて、普及に努めたことがあるが大きな動きにはならなかった。発想としては間違っていなかった。それでも22年の間ではその世界も進歩しているだろうと思っていた。ところが語学プレイヤーはここが限界かとあきらめたような中途半端kのまま止まっていた。

 これは失敗話でないが、ようやく小学5年生から英語が教科書化される。外国人教師も相変わらず来ている。外国人教師と言っても、ただ英語が話せ、読み書きできるだけで、日本列島人にどう教えるかは自国でも日本ででも習っていない。
 ぼくは英語圏人を派遣する事業部門もやっていたのでよくわかる。日本の子供に英語を分からせることは本当は至難の技なのである。
 英語圏の講師がどうやって英語を教えたらよいのか、そのスクリプトを本にして、英語圏人に持たせたことがある。22年経ったのちでも小学校に未だにない。日本の英語教育界は当時、大修館を中心とした権威主義がはびこっていたのをおぼえている。日本列島人の英語力のなさは大学の教師から中学の教師、大学入試センターも含めてじつに進歩を見せていないのだ。これにはぼくは呆れている。
 進む分野、停滞のままの分野、これもいろいろなのだ。

刑事フォイルから

2019年06月04日 | テレビ
 NHKがイギリスのテレビドラマである「刑事フォイル」をやっている。前々回は「エルサレム」というタイトルだった。第二次世界大戦後のイギリスは疲弊しきっている。特にドイツから空襲を受けたロンドンでは売るものも、食べる物にも事欠くあり様で、戦勝国であっても、ひどいものだ。ソビエトが東欧に影響力を増していく。イギリスにもソビエトの活動員やスピアや、テロ組織も入ってくる。戦後になってもなおユダヤ人排斥まで起こってくる。ユダヤ人にはシオニズム運動があり、放浪の民から自国を持ちたいと願うようになる。

 イギリスは一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の二重外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。このことには他の説もあり、他の解釈もあるが、ぼくは1973年にイギリスにいたとき、ほとんど無知であった。
 ぼくが入った語学学校にユダヤ人の大学生がアルバイトで講師としてやってきた。彼女はキャシーと言った。ぼくらはめちゃくちゃ気が合い、毎日が楽しみでしかたがなかった。彼女から「映画の見方を教えるわ」と言って、「2001年宇宙の旅」を見に行ったり、「007シリーズ」を見に行った。映画が佳境に入ったり、いいところがあると、ギュウと手を握ってくるのだった。1970年とか71年は日本では深刻な映画が多いように思えた。ぼくは娯楽映画は娯楽映画として十分楽しめばいいんだ、と思ったものだった。
 キャシーと舗道を歩きながら話しても、公園のベンチやカフェで話してもぼくは現在や未来、人間のこころのことしか話さず、キャシーの背景や家のことや、ユダヤ人であることなどについて話題にもしなかった。1973年と言えば、戦争が終わってからまだ28年である。フォイルの時代のすぐ近くである。反ユダヤ主義がドイツナチスと戦ったイギリスにもあった。なんとバカだったんだろう。僕の関心は自己にしか向かわず、キャシーに恋をしてもやはり自己にしか向かっていなかったように思う。
 先日、キャシーの住所が古いメモ帳から出てきたので、グーグルマップで検索してみた。キャシーが住んでいるのかどうかわからないが、家は昔のままにあった。キャシーの両親たち、キャシー当人はどのようにおもって戦後を生きてきたか、今だったら聞ける好奇心も、聞かない配慮もあると思う。その辺の機微はわかると思う。その住所あてに手紙を書いてみようかと思った。が止めた。
 イギリスはスエズ運河利権とイラクの石油に必死だったようだ。
 ぼくはイギリスの歴史より、母国日本の歴史をあまりにも知らないことを痛感していた。よくもキャシーは付き合ってくれたものだ。とてもつまらなかったのではないか。彼女はガルシ・マルケスの「百年の孤独」を読めと、持ってきて、ぼくは挑戦したのだが、とても系譜をたどっていくところですでに挫折していた。
 ユダヤの民の歴史は旧約聖書の神話にまでつながっていくほどに長い。キャシーがユダヤ教徒だったのか、強い信仰心があったのか、それもわからない。
 懐かしさではキャシーに会いたい。それでどうするというのだ。

 今のイギリスは覇権を捨て、より小さくなって、EUからも脱退しようとしている。トランプに来るなとデモも起こっている。イスラエルとイランの戦争が心配だ。


酒癖の悪い初老の刃物男

2019年06月02日 | テレビ
  酔っぱらって刃物を持ち、外にでた初老の男が包丁を落とし、道に倒れていた。通報があり、二十代の巡査部長と巡査が駆けつけた。初老男は気がつき、刃物を持って立ち上がった。
初老男に警察官2人が「刃物を置け」と興奮して言っている。説得というのではない。興奮しきった口調である。警察官はすでに威嚇射撃を一発している。それでも酔っぱらい男はフラフラしているが刃物を捨てない。警察官との距離は10メートルである。警察官は拳銃構えて必死で静止するよう、言っている。初老の刃物男はそれも聞かず、ヨロヨロと前に進み、距離を縮めようとした。その時、二人の警察官はそれぞれの拳銃を発泡した。一発が腹に当たり、酔っぱらい男は死んだ。警察は適当な対処だったと二人の警官を擁護するとともに、警察への批判から逃れた。

 一部始終のビデオかどうかわからないが、ぼくがみた限りでは警察官に殺さずともよい冷静な対処のしかたがあったように思う。警棒をもっていただろうから、なぜ、警棒で立ち向かわないのか。コテを打てば終わりではないか。逮捕術も学んできただろうに、あの及び腰は何だ、と言いたくなる。刃物を落とせばよいだけのことを拳銃で向かう。
 こういった始末のつけかたが安易に許されるようなら、気持ちが悪い。警察にはむかえば、バン、とは。

 これをマスコミがどう報じるか注目したが、ぼくが見た限り、このやり方にコメントしたり、批判することはなかった。

 日本には剣道という武道がある。警察官は習うはずである。武道は攻撃にも使えるが、守るために使うために学ぶのだろう。殺すためではない。酒癖の悪い初老の男も運が悪かったというしかない。警察もこの事件は重視し、このようなことが起こらないよう対策を練るべきである。僕が息子だったら、必ず告訴する。 

いいようのない事件

2019年05月27日 | テレビ
 なんともいいようがない凄惨な事件が起こった。4、50代の犯人(まだ詳しいことはわかっていない)両手に刃物を持ち、バスに乗り込もうとする小学生に襲いかかった。
 この前は交通事故で保育士さんや園児が被害にあった。こういう子供が狙われる事件が起きると社会が神経質になる。社会が分断されていくようないやな予感もする。富裕層は安全な地域を形成し、壁を設ける。そんな町つくりもあり得そうだと心配する。

 ぼくも東京に7歳の孫2人と4歳の子が家を離れて学校・幼稚園に通っているので、他人事でもないような気がするが、どうにもならんしなあ、と思うだけである。

 だいたいこの種の事件が起こると、まずテレビは中継で実況を紹介する。警察や救急車の動きなどを映し、事件の表層部分を報じる。次いで目撃者などを探しだし、同時に現場で何が起こったのか詳しく報じ始める。ついには犯人を割り出してくる。写真も出してくる。犯人はどんな人物で、日常はどんな風だったか、人に聞いたりして、報じる。
 だいたいそんなところでテレビニュースは終わる。それを引き継ぐのは雑誌である。雑誌では犯人の背景や家族、性格、人物がより詳しく描かれる。そして週刊誌報道が終わると、月刊誌の番が来る。より詳細な取材がおこなわれ、書き手の意見や興味の先もわかってくる。詳しい生い立ちも当然わかる。しかしながらここまでである。
 今日、明日はこの事件でもちきりとなる。
 

栃ノ心応援

2019年05月25日 | テレビ
 大相撲のこと、今場所、物言いをつけるべきところをつけない取り組みがあり、首を傾げた。また審判部長のトンチンカンな説明に力士も視聴者も困惑したことがあった。手をちゃんとつけない力士も多く、見てみぬふりをしている。貴景勝のようなに両手をきちんとつけてから立ち会わせるべきだと考える。
 それにしても昨日の栃ノ心は可哀想だった。涙ながらをこぼしたことも、ジョージア語で喚いたことにも同情する。仮に朝乃山が優勝したとしてもすっきりしないことだろう。
 一番の原因は何か。それは審判部長の説明不足にある。ビデオでは踵が着いていないように見えるのに、どうして踵がついたと判断したのか、をわかるように説明するべきだ。俵の上には砂が散らばっているものである。放駒親方の言う砂が舞ったのは俵の砂が落ちたのではないか。ビデオよりもその現場の前にいる審判員の意見を聞いた、とネットニュースなどでは書いている。取り直しをさせるという判断もあったはずだ。
 映像判断か、言葉の判断か。
 栃ノ心には「あんな相撲はとるな」「前へ出て攻めよ」というしかない。あと1勝だぞ、栃ノ心。怪我から這い上がってきたときの根性みせろ。固くなるな。廻しを掴め。
 

大相撲 審判部

2019年05月24日 | テレビ
 なんだ。大相撲。審判部は総入れ替えだ。阿武松審判部長の説明のトンチンカンさはこの前みたが、今日も説明のないコメントだった。普通ビデオを見ている視聴者に納得のいく説明がほしい。栃ノ心の踵は着いてなかった。栃ノ心が勝っていたら極めて妥当な14日めの鶴竜対栃ノ心という好取り組みとなる。不服申し立てができないのか。ああ、がっくり。

「なつぞら」から

2019年04月15日 | テレビ
 朝ドラは今十勝が舞台なので、地図を覗いてみた。なるほど、十勝平野に帯広や舞台の乳牛の畜舎があるのだろう。広い平野である。昭和30年になっていた。主人公のなつは馬に乗って学校に
行った。朝、赤ちゃんを産む牛の様子が気になっていた。やがて逆子であることがわかり、牛の陣痛に合わせて引っ張り出すことにした。引っ張りだせたが赤ちゃん牛は仮死状態だとなつは判断した。鼻から駅伝をすいとり、下肢の前脚のひとつをもって引き、横に倒しを繰り返した。すると赤ちゃん牛は目をあけ、やがて立ち始めた。それで学校にいくのが遅くなり、馬でいくことになったのだ。学校では夏目漱石の「三四郎」について先生が授業をしていた。安藤サクラの夫である柄本佑である。この先生が歯切れよくよい。なつは子牛を助けたことで、それを自慢したかった。しの自慢話をその先生が引き出してくれた。
「まんぷく」が終わって「なつぞら」が始まったが今日(月曜日)のが一番良かったと思う。広々とした風景、馬に乗るなつ。アップの牛の表情、学校の先生、なつの判断と実行力にこれからの展開への力強さを見せた。

 草刈正雄演じる泰樹が、戦争してしまって親をなくし、なつのような子を作ってしまったのには大人も責任がある、というようなことを短い言葉で伝えたシーンが以前あった。それと関連して、フランスとドイツの合作映画「婚約者の女」の中で、第一次世界大戦のあと、ドイツ人の親たちが息子たちをなくしたには俺たちの責任だ、と同じ境遇の中間たちに言う場面があった。この映画は白黒映画で途中場面場面でカラーに変わる。自分の婚約者がフランスで戦い、フランスの男に塹壕で撃たれ殺される。婚約者の男の家族は嘆き悲しむが殺したフランス人の男が婚約者の墓に花を手向けにくる。

 NHK ではイギリスのテレビドラマ「刑事フォイル」が始まった。今回のシリーズは第二次世界大戦が終わった直後から始まった。ぼくらが知らないことばかりで、たとえば前回はイギリスに残り、帰国を待つアメリカ軍内の白人と黒人への差別がテーマとなっていた。白人兵士たちがレストランやバーなどを黒人と分離してほしいというわけだ。そんおり、黒人へいしがイギリス女性を愛してぢまい、子供もできる。二人はアメリカにいく予定だったが、女が殺される。また同時に頻繁に窃盗事件が起こる。彼は犯人扱いまでされたが、窃盗の犯人はノルマンディー上陸作戦のときに腕を失った白人の男とその妻だった。そすて女性を殺したもは兵士たちの白人上官だった。そのハクジンたちにもいろいろな事情があった。

 人間のやらなければならないことは、戦争をしないことだ。飢饉があれば助け合うことだ。この二つができればいいと思う。

毎度、大相撲

2019年03月23日 | テレビ
 大相撲も終盤戦となって今日と明日で終わりである。貴景勝は今日逸ノ城に勝てば大関が見えてくるし、同時に白鵬が勝てば白鵬の優勝が決まる。明日を面白くするかは貴景勝次第である。
 今場所の逸ノ城は簡単には後退せず、タイミングよく相手を押しつぶすように両手で押し倒す。すると相手は腹這いになって負ける。
 昔「笑っていいとも」で古武術家の甲野善紀がやってみせた技と逸ノ城の技が似ていると思った。自身を衝立のようにし、呼吸を吐いて両腕に力を伝える技である。上から押し倒すときの逸ノ城の足は30度ほど外に開いていなければならない。
「笑っていいとも」では何人か試みていたが一番勘がよく、理屈でもわかったのがタモリだった。両足をくっつけるのではないが右足に対し垂直に左足で立って、右腕で下に押せば信じられないくらいの力がでる。逸ノ城のはその両足版である。組技がない貴景勝はこの技を食らう恐れがある。両手を使わせず、よい角度で胸上あたりに速く頭から突き上げるしか方法はないだろう。
 白鵬はサッとマワシをとってしまうので、逸ノ城には勝つ可能性が高い。
 今場所、上手いなあと思った力士は嘉風であった。一度脳震盪を起こしたような一番があったが、多くは後退することなく、足が前に出て手捌きが上手い。もう一人注目したのは明生であった。昨日は久々に体のキレもよい琴奬菊に圧勝した。立ち合いの踏み込みがいいのだろう。
 ところで時津風部屋はどうしたのだろう。正代、豊山、豊ノ島の成績が悪過ぎる。北の富士解説者も言っていた。稽古内容を見直さないと、と。
 毎日楽しみに見ている。明月院秀政=千代大龍、あと一勝であるぞ
。頑張れ。



安藤サクラの穏やかさとぼくのイライラ

2019年03月22日 | テレビ
 朝ドラの「まんぷく」を見終わったあとですぐに画面は「朝イチ」に切り替わり、安藤サクラがアップで出てきた。そうか、今日は金曜日だ、インタビューの日だ。ということで、安藤サクラへのインタビューを見ることにした。「羽鳥のモーニングバード」はイチローを特集していた。「まんぷく」も最後のヌードルを水平に入れ込むアイディアがひらめくところまできている。つまり開発の最終段階である。安藤サクラ役の福子は夫を仕事上でも何かってときに支え、子供や母親のわがままを寛容に包み込んでいく主人公である。パーラー白薔薇の夫婦も面白く、桐谷健太もおもしろい。松坂慶子はどうやら最後まで無事死なずに文句を言いながら終わりそうである。
 ぼくも現在「開発」をやっているので、このドラマを見るたびに「よし頑張ろう」と思う。

 話は違うが、日清食品の出している「麺NIPPON]シリーズの「八王子ラーメン」が美味すぎる。尾鷲には売ってないので、アマゾンでまとめ買いをした。以前八王子で食べたことがあって美味かったので、インスタントではどうかと思い、買ってみた。これが美味い。このシリーズに「札幌」「尾道」「京都」「博多」「横浜家系」そして「八王子」がある。これは全部試してみないと、と楽しみにしている。これはこの7食だけで「ラーメン屋」が開けるのではないか。シアトルの3万人の日本人は食べにくるはずだ、とも思い、プロのラーメン屋さんもぼやぼやしておれない研究の激しさを見る思いだ。これほどまでにインスタントラーメンは発展した。しばらく安藤サクラの賢い語りを聞いてから、事務所に行った。

パソコンが故障して買い替えることになってからイライラした日がこれで二日目。今日はブログができるようにしようと、やってみた。まずログイン。IDとパスワードを入れてみた。すると違う、と出てくる。問い合わせができるので、それでやってみたら、「渋谷貸し会議室」というブログが出てくる。これは閲覧はできなくてビジネスのブログなので禁止なのだそうだ。思いだすことはできないが、このタイトルでブログを作ってみたことがあったのかもしれない。それを削除し、またなんだかだとやり始めたら偶然のごとく、現在のブログのIDとパスワードを保存したページが出てきて、無事にこうやってブログが書けるようになった。
 この頃、ブログをスマートフォンで書くことが多い。するとスマートフォンだと面倒で結局文章が短くなる。
 パソコンだとキーボードがあるので早く快適である。スマホは指やペンの動きの速さと画面キーボードの反応の速度が違うことが多い。
 旧壊れたパソコンの中身のデータを取り出してくれることになっている。まだ電話が来ないから、まだなのだろう。 ということでもうこれ以上することはないので、終えようと思う。
 砂漠に保水層をというアイデアはすでに出来上がり、中国か、どこか砂漠の国で実験するだけである。実験はそちらの国々の人でやってくれと言いたいが、僕の信用もないし。考えているところである。

 

貴乃花解説者

2019年03月12日 | テレビ
  下肢のこわばりと痛みがとれてきた。まだ本調子ではないが普通に歩くことができている。ちょっと力んだり、階段をかけ上ったりすることはできそうもない。たぶん、これからそういうことはできないのだろう。別に階段を走らなくても、道を急ぎ足で歩かなくてもいいのだから、年相応にやれ、ということなのだろう。
 座って養生していたので、大相撲を楽しみに観ている。

 貴景勝、阿武咲が快調である。豪栄道も今場所は強そうである。白鵬も調子がよさそうだ。このまま貴景勝が突進していくような勢いである。まん丸の玉がぶつかってきたら、さすがに横綱でも受け止められないのではないかと思う。これほどに分厚く丸い力士はいない。豊ノ島より丸っこく、ぶつかりの角度、膝の曲がりも、崩れない。
 このくらいの背丈と突き押しだけでは横綱は無理ではないかと思っていたが、こういう横綱も可能性があるのではないか、と思いつつある。
 残念なのは栃ノ心だ。カド番、怪我が治っていない。右上手が取れない。
 ところで痛快でダンディーな解説者の北の富士が年老いてきた。失礼ながら解説ミスもあり、記憶力もあやしくなってきた。心臓の手術もした。横綱経験者の貴乃花も以前時々解説をしていた。貴乃花も一回、二回と解説してもらいたいものだ。辛口の解説文をしていたと記憶している。NHKが相撲協会と貴乃花の間をとって、仲直りさせようとしているというネットニュースが流れてきた。
 そうなれば楽しみではある。貴乃花ほどマスコミにいじられる人はいない。驚くほど、小さい頃から騒がれ、マスコミの格好の餌になった。しかし稽古に精進し、強い横綱になった。マスコミが騒ぐ分、応援者も増えたように思う。
 まさに貴乃花は、オシャレもして解説者の椅子に座って、厳しい解説をしてほしい。どうなるのだろう。


国際人 大坂なおみ

2019年01月27日 | テレビ
 いよいよ愛嬌のある玉鷲に優勝おチャンスが来た。貴景勝が一敗差で追っている。遠藤は惜しくも4敗してしまったため、優勝争いから脱落した。日馬富士の暴行事件があったときに、彼はモンゴル勢と一緒に酒を飲んだり、コミュ二ティーぽくすることも避けてきた力士だと知った。おもしろいのは一つ上の姉が東大の大学院にいて姉を頼りに日本にきたのだった。モンゴルではホテルマンになりたくて、その種の大学に行っていたらしい。身体が大きいので、相撲取りに興味が湧いた。姉と両国にいくと、鶴竜と出会い、旭鷲山の連絡先を教えてもらったのだそうだ。15年、休場なく励んだ。
 ぼくらから見て、玉鷲が強い力士だと思ったのはまだ2年ほど前のことだ。強烈なのど輪、しかも30歳を過ぎていた。
 ホテルマンを諦めた玉鷲一朗はクッキーを作ったり、小物を作るのが趣味だそうな。こういうことを聞くと、ますます優勝してもらいたいと思う。

 大坂なおみが全豪オープンで優勝した。嬉しいことであるが、ぼくの場合は彼女が日本人だからなのではない。日本人として世界一は初めての快挙だ、と興奮するアナウンサーの幼稚さにも苦々しく思う。讃えたいのは彼女を優勝に導いたコーチチームであり、大坂本人である。日本を鼓舞してもしかたない。日本人として・・・、とか日本で・・・とテレビでアナウンサーやコメンテーターが言ってもいいが、ぼくは違和感を感じる。彼女は国際人である。生まれ、育ち、テニス人生も国際人であり、チームも国際人のチームである。まさにグランドスラム2連勝で100億円プレイヤーの誕生である。ゲームも相当面白かった。筋肉質のようにも見えないが柔らかい瞬発力のある筋肉を持っているのだろう。

「日本を亡ぼす岩盤規制」を読み終えて「サピエンス異変」の方が進まない。翻訳ものというには読みにくいものだ。今度は昼版は「日本が売られる」(堤 未果)を読む。

NHKさまさまである

2019年01月22日 | テレビ
 曽根の民泊の家の鍵の取り替え、襖、障子の歪みによるつまりの修理をシルバーセンターに頼んだ。
それは朝のことだったので、昼からはビデオにとっておいた大阪なおみの試合と途中大相撲、その後録画で錦織の試合合計8時間以上が画面を見ていた。ポキッと折れそうな大坂なおみの精神はやや落ち着いているようだった。錦織はまさに死闘だった。5ゲームをフルに闘い、さらに10ポイントのファイナル。それも最後の最後で勝った。もう次の試合ができないのではないかと思わせるほどだった。次はジョコビッチである。大坂なおみは次の次がセリーヌ・ウィリアムズだろう。

 NHKさまさまである。よくぞ全豪オープンをやってくれた。しかも錦織、大坂のセットである。どちらの選手もこの先が読めない。それでそのことはさておき、相撲のことはこの先、まだ読める点がある。
 貴景勝は白鵬を破ることはあり得る。玉鷲のつっぱり、のど輪も今場所の白鵬ならいけるかもしれない。豪栄道も負け数が多いがあり得る。高安とてありえる。ただ白鵬は横の動きにも十分対応する。この身体能力に対抗するには、一気にどんなチャンスも封じてぶちかますしかないように思う。
 今日はテニスが休みで、卓球は終わったから、相撲に集中できる。世代交代が起こりつつあるが、が、白鵬だけは厚い、高い壁である。

 朝ドラは「失敗してやりなおせる姿」を描いている。いよいよ「インスタントラーメン」に取り組むのだろう。銀行のいやらしさを世間の人は知る。ああゆうもんだよ、と言いたい。そして、日本の金融制度は失敗した人を二度と認めないが、失敗が成功の元になっていることもまた事実であり、萬平がそれを示すのである。これも痛快である。失敗者がまた這い上がれるシステムを政府が考えるべき時期にきている。日本の停滞はこういう硬直した金融制度にもある。
 

 
  

スポーツの裾野

2019年01月20日 | テレビ
 福原愛らが盛り上げてきた日本の卓球。ダブルスでペアを組んでいる伊藤美誠と早田ひなが個人戦準決勝で闘う。14歳の木原美悠。15歳の張本。十代の活躍がめざましい。
 全豪オープンテニスをNHKが総合で昼間放送するのも、錦織と大坂なおみの活躍があってのことだろう。
 昔は限られていたスポーツの種類は増えた。校庭で円を描いて相撲をとるか、ドッジボールや橋合戦をするか、放課後は野球をするしかなかった昭和の30年代にはバレーボール、卓球、軟式テニス、水泳、柔道、陸上は中学に入ってからあったが、まだバスケットボールや硬式テニスやサッカーはなかった。現在は都会ではありとあらゆるスポーツを習おうと思えば習える。
 相撲に力士候補がなかなか集まらないのもわかる。スポーツの裾野が広がり、運動神経のよい者には様々なスポーツが用意されている。「おまえ背が高くて、体格がいいなあ」ということであれば、ラグビーも、柔道もある。背が高ければ、バレー、バスケットボール、テニスなどがある。太っているだけで相撲がとれるわけでもない。

 白鵬の身体能力はずば抜けている。この身体能力も才能に勝る力士が見当たらない。日本では身体能力の優れたものは他の人気スポーツに吸い寄せられいき、たまたま相撲と縁があったものが相撲界に入るという感じである。一方モンゴルでは円い土俵はないが、いかに倒すかという練習を子供の頃からやっている。人気スポーツなのだ。だから身体能力のある者が集まるのだ。
 貴景勝や阿武咲もスピードがあり、自分の体型を考えての取り口をしているが、組めばどうしようもない。相撲界は人材の少なさで苦しんでいるように見える。

 話は違うが、逸ノ城は自分の体が太過ぎて、それで体が動けないという矛盾に陥っている。惜しくも幕内に空きがなく、十両にとどまった照強は身長が165センチで太っているわけでもないがよく動き、上手な相撲をとっている。

 連日卓球、テニス、相撲と見ていると、ドラマをみる気がせず、朝ドラだけを観ている。とりとめのない話である。
 
 

玉川徹のそもそも総研

2019年01月17日 | テレビ
 日本は取り残されていくのではないか、という問題提起を「モー二ングバード」で玉川徹コメンテーターが取材していた。取材していたというよりも元ゴールドマン サックスで働いていて、日本に三十年ほど住んでいるアメリカ人(アトキンス)にインタビューしていた。そのインタビュー内容を紹介したというわけである。

 このような番組を作る切っ掛けとなったのはカルロス・ゴーン氏の拘留事件があったからで、報酬をめぐる金額がテレビや新聞で取り沙汰されたからである。官民ファンドを作ろうとしたが、経済産業省はあきらめてしまった。役員の報酬が一億円というのは高すぎるという批判めいた意見があったからで、経産省が及び腰になると理事候補だった人達は辞めてしまった。バブルの頃は日本に駐在することは出世コースであったが、今は左遷コースだと思われている。優秀な経営者は日本に行きたがらない、という。アメリカ、EU,中国。世界はこのみっつで回っていて、日本は入っていない。中心から外れている、とアトキンスは嘆く。玉川徹はどう思っているのか訊きたいものだが、アトキンスの意見に同調しているようなところがあった。いつもははっきりと物を言うコメンテーターであるし、痛快なことも多いが、今日は歯切れが悪かったし、考えが纏まっていなかった。

 そもそも日本は世界の中心にいなければならないのか。新しいアイデアを出すにも日本は時間がかかるというし、なにかと障壁があり進んでいかない。経営者は人当たりがよく運よく出世した人が経営者となり、会社のこれまでを守る傾向にあるという。このあたりは賛成するが、ぼくにはどうしても報酬のことが気になる。
 一年で10億円の報酬をもらう人がいたとして税引き後6億円が実収入としよう。そのうちの3億円でも新規雇用すれば年収500万円の人を60人雇える。あるいは給料を増やすこともできるし、残業を減らすこともできる。一年で3億円もあっても使い切れるものでもないだろう。毎日、高級な酒や高級な食材を食べても、糖尿病になるくらいでいいこともない。高い服を買ってもしれたものだ。こうなると「欲望」というものを考えざるを得ない。
 経済成長とよく言われるが、それは絶対使命のように言うのも可笑しい。成長のために企業が借金するのは資本投下でもあるが、政府が借金して、社会にお金を回すのもよくよく気をつけてやらなければ国民の財産を奪ってしまうことになる。 

 経営者からしてみれば、野球選手やサッカー選手と同じで、経営で活躍すれば高い報酬は当然だろう、とまあさしずめこういう論理なのだろうか。

 8人の「富が地球の人口の半分の富と同じだ」などと言う実際がある。玉川徹の同調はそのグローバル化の結論を支持しているように見える。
 ぼくは欲望の資本主義の時代は終わりに向かいつつあるように思っている。大富豪もいい加減にしなければならない。自由というものにも節度が要る。弱者には手を差しのべる。社員も経営者も仕事は役割であり、1人が百人分に相当するような報酬などというのはよいことはないのである。
 玉川徹にこういう視点がないとも思えないが、話がゴッチャになってすでに遅れた日本経済の原因のようなことを述べたにすぎないのだった。ぼくはそれがどうした、と問い直したい。