25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

アウラ 国分拓

2018年12月21日 | テレビ
 ネアンデルタール人が絶滅したときに、最後の人が必ずやいた。NHKスペシャルで国分拓ディレクターを務めた「アウラ」を見た。ブラジルのアマゾンの奥地に文明と未接触の原住民は「イゾラド」と呼ばれる。多くの原住民集団が絶滅していった。ポルトガル人たちが入り込んできては病原菌を持ち込み、耐性のないイゾラドは絶滅していった。文明人と接すると病気になることを知ったブラジル政府は慎重にも慎重に接し、現在では保護区として従来からの生活を保障して原住民の保護に努めている。

 その昔、アマゾンに入り込んだのはキリスト教の布教者である。とくに福音派やイエズス会は半端じゃない。原始キリスト教の使徒さながらに、過酷な布教を行うのである。全部成功するわけではないが、聖職者の次にはだいたいが軍隊がやってきて、つぎにはガリンペイロ(金などを求めて開拓に入ってくるもの)が銃を持って入ってくる。

 そんなアマゾンの奥地で二人のイゾラドが発見されたのは確か1987年だった。この二人が話す言葉は他の原住民も理解できなかった。彼らは文明人に怯えた。その後、言語学者が三十年に渡って調査に入ったのだが、それでも言語の全容はわからず、どうして二人だけになってしまったのか、何が彼らの村に起こったのか、正確にはわからないが、ちょっとづつ単語の意味がわかってきて、その単語によって想像することが可能な段階に入ってきた。火、大きい、音、空・・・・・・。2015年、相棒のアウレが死んだ。片脚の不自由なアウラが今も生き残っている。言語学者がちょっとわかる程度で、他の職員はわからない。アウラは一方的に何かにつけてを話すがわからない。
 
 彼がいた集団があったはずだ。その集団には独特の言語があった。三十年前の二人はすっぽんぽんの裸であった。三十年後も文明に溶け込もうとしない。小さい頃弓矢を作る役割を与えられていたようで、まだ大型の動物を狩る技術は教えてもらっていなかったようだ。ある時、村で何事かが起こり、幼い二人は運良く災難を免れたのだろう。それから移動しつつアマゾンの恵みを受けて生き延びてきた。
 アウレが死にアウラもそれほど長く生きられないだろう。最後の一人である。

 アマゾンに入り込み、一攫千金を夢見る荒くれたち。荒くれが集まる村ができると、バーができる。女もやってくる。これはオレの土地だと、ここで金を採れば、3割与える。米と豆、道具も与えるものがでてくる。
 国分拓はガリンペイロをも取材した。「ノモレ」という本もだし、イゾラドを画像で追うばかりでなく、文にもしている。やはり「ヤノマミ」とともに暮らして取材する勇気には根性というものを感じる。彼はアマゾンの歴史と現在を先住民を軸に取材している稀有なディレクターである。
 

あほらしく興ざめするので

2018年12月21日 | テレビ
ホリエモン、千葉なんとか、あと一人何某がホンダのジェット機を共同購入したというニュースを見た。この購入者のコメントがいかにもあほらしい。「北海道でロッケットの仕事して、そこから沖縄でゴルフ」とか「ちょっと飲茶を台北まで食べにいくなんていいでしょ」とか言っていた。
 だめだコリャ。確かに空は陸よりも何十倍も空いている。百人買える人がいれば百人の人が買えばいい。ただそれだけだ。それがなんぼのものか。
 宇宙旅行をする、とゾゾタウンの何某も言っていたが、そういうお金があるなら、もっと有効な活用法があるとは思う。

 日本は基本的に借金生活で、借金のお金がまわってやり繰りしている国なのである。だから水道メンテナンスもできないのである。家で言えば銀行から金借りて、贅沢しているようなものだ。いずれ返済しなければならない時が来る。高橋洋一などは日本には国の資産がいっぱいあるから大丈夫なんだ、とかテレビで言い、司会者の東野何某などはその奇妙な論理につっこめないから、どうにもならない。そしたら国債発行をしないで、資産を売って予算たてればいいじゃないか。

 ここまで言ってしまったらこの文も、興ざめもいいところなので、話題を変えて、楽しいことを書きたい。まず「からすみ」、ボラの卵をなんどもなんども日光を見ては裏返し、丁寧につくりあげる。からすみを六本ほどもらった。これは嬉しかった。細君の弟からマグロを大量に送ってもらい、続いて「洋ナシ」「ぽんかん」「りんご」「干し柿」セットをいただいた。どれも去年美味しかったので、とても嬉しかった。ぼくは息子の奥さんの家に「殻付き牡蠣」を送った。早速返事があり、牡蠣は美味しかったと。それに「万葉私底本」が八年かかって完成したという知らせと、源氏物語も7巡目に入っているとのことだった。
 楽しみなのだろう。コツコツとそうやってやっている人もいる。
 ささやかに、イオンでの最近の出来事と言えば、「山崎ウィスキーと知多」がセットになって歳末のみ限定売り出しをしている。もうひとつは「響と知多」のセット。テイスターグラス付きである。この前のお盆の時期はイオン尾鷲店への割り当ては山崎2本、響き2本だった。今年はセット販売という手で来たのである。ところが驚くほど安い。ネットでは山崎は10年物でもプレミアがついて、現在8000円から9000円台である。響はそれよりも千円ほどネットでは安い。ところが「山崎+知多セット」は8800円。「響き+知多」は9800円。不思議な値段設定だが、イオンとの取引はそうなっているのだろう。いつも思うことだが、イオンは酒類が他店と比べて安い。知多も美味しいウィスキーである。年末、正月はからすみもあることだし、殻付き牡蠣でも買って、ウィスキーでも飲むかあ、と思っている。台北の飲茶より、こっちの方がずっと美味しい。

若者の凄さ

2018年12月19日 | テレビ
 バドミントン、卓球、フィギュア、驚嘆しながら観ている。同様に、「関ジャム」の番組では音楽やダンスなどのオリンピックとは違う部門での解析がすごくて、解析しながら見せるテクニックをみると、驚嘆どころではない。全く育ちの違う、豊かな時代の若者の凄さを感じる。
 フォーメーションダンスの魅力を「関ジャム」では見事に解説してくれていた。
 身体能力は昔の人間が普通にもっていた能力を取り戻しつつあるようにおもえるし、ある面では技が進化しているように思える。100メートル走、100メートル競泳も、まだ新記録がでるにだ。張本は卓球の選手だが、張本並の陸上選手や水泳選手が今にも出てきそうである。
 親子で頑張る選手が出て来て、失敗と成功のドラマは数多くあるのだろうが、失敗の方が多いことは容易に想像がつく。虐待とスレスレのところ若い選手の子ども時代はあるのだと思う。ぼくは子供をもったときにその道は選ばなかった。要するにのびのびと好きにさせたつもりである。

 強い選手がでてくると、テレビ局も動き出す。今や卓球番組ができ、バドミントンも長時間放送する。テニスの放送のしかたをみていると、局側の困惑がよくわかる。NHKはウィンブルドンにしか焦点をあてていないため、大坂なおみがUSオープンで優勝すると、あわてふためいている感じがある。錦織のテニスはWOWOW が放映権を取っている。ぼくはWOWOWに入っていないから観戦できない。

 アマチュア相撲は相撲選手権は放送する。剣道も日本選手権は放送する。ぼくなどはもっと相撲も剣道も、他の競技も、例えば、乗馬や自転車なども放映してほしいと思うのだが、その世界で天才が現れないと番組にはならない。つまらぬ噂番組やえらそうに批評する芸能人の大衆の代理みたいな顔をした男がえらそうなことばかりを言っている番組の方が優先される。カスみたいな番組がおもしろおかしく続くのはマスコミの大衆への追従であり、ヨイショである。
 まあ、兎も角も、バドミントンが世界のトップクラスに躍り出て、中国の卓球には勝てなかった日本の卓球が勝ち、テニスではウィンブルドン制覇も遠くないのである。これが虐待スレスレの若者たちの達成であり、達成すれば虐待とは違うことになり、褒めそやされ、ヒーローになるのである。若者たちはたくさんの様々な世界で、たとえそれが小さい世界であろうと、深化していくのだろうことは想像できる。
 そういう若者にむきになって対抗しようとするのは至極当然の人間の反応で、この反応を通りすぎる経験をもって、よくある「境地」というも達するのではあるまいか、と思う。
 

 

頭が良いって

2018年12月17日 | テレビ
 「記憶力が良い」=「頭が良い」ではない。実はこういうことは普通に生きている人なら誰でも知っている。わかりきったことなのに、テレビクイズ番組だのワイドショーなどで、東大生や京大生は「頭が良い」と宣伝しているようなものだ。大学入試もペーパーで行うものだから、記憶力テストになってしまう。記憶力を駆使し、記憶力による知識で物事を考える方向への試験模索もやはり記憶力を元にしている。記憶力とその知識の組み合わせ思考ならAIで上等ではないか。記憶力が頭の良さ、だとするのはどうも気にいらない。
 それでは自分が思う頭のよい人とはどんな人か。すぐに浮かぶのは「雨ニモマケズ」の詩のような人である。
  ・・・・・・・・
  丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテオゴズ イツモシヅカニワラッテイル 
  一日ニ玄米四合と味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズ
  ヨクミキキシワカリ
  

 と全部紹介はしないが、「頭の良い人」とはこういう人なのだろうと想像する。学歴や肩書を名誉と思い、そんなプライドで生きている人を見ると気持ちも沈む。「私は頭がいいのよ」「オレは東大だぞ」と自分は言わなくてもテレビ局だの雑誌社だのが言ってくれる。このマスコミも困ったものだと思う。一体いつになったら、人間を表すのに、学歴を書くのが終わるのだろうか。サンデー毎日、週刊朝日が 高校別の大学進学ランキングを毎年行っている。いつ終わるのだろうか。「人」を表す規格が変わっていかなければならない。マスコミが共同幻想の多くを作っていることが自覚されなければならない。
 たぶん変わってくるのだと思う。次の産業革命はそんなものまでも巻き込んでいくことだろう。 
   

M1グランプリを見た

2018年12月04日 | テレビ
名古屋から帰ってきて録画してあったM1グランプをCMを飛ばしながら見た。
 「ジャルジャル」と「和牛」と「霜降り明星」の対決となり、それぞれが面白かった。ぼくは中でも「和牛」は機智に富み、面白く、安定感があったので、「和牛」が一位かなと思ったのだった。「ジャルジャルもその前にやったのも腹を抱える面白さでゲーム性を取り入れていて、決勝でも水準を保ったまま、面白かった。「霜降り明星」は体を動かすだけのもので、ぼくには面白さはなかったが審査員得点が一番高かった。新しい漫才ということなのだろう。確かに意味なく、なにがなんだかわからず、声がでかく、ああ、こんな芸もあるんだと思わせる。その意味では「あり得る芸」の「和牛」は安定しすぎであったのかもしれない。審査員七人の内、三人が「和牛」に、四人が「霜降り明星」に入れていた。

 好かんのは漫才で有名になると漫才芸をやめ、司会者になり、芸をやめてしまう者が多いことだ。上沼恵美子は司会を新しい芸にしているからまだいい。爆笑問題やらダウンタウンの松本やらは芸も見せないのに芸人面している。それはビートたけしも同様である。みっともない。だったら司会業に転向し、それを極めてまいります、と宣言してくれた方がよい。したがって松本人志にM1の審査をする資格はない。
 その点では「阪神巨人」「中川家」などは現役漫才師として芸道を歩んでいる。M1に出る芸人らも必死である。だから当然審査する側も必死でやらなければならないのだ。
 
 若い人たちがどのジャンルの世界においても旧世代を乗り越えるようにして出てくる。楽しみである。

呑気にいる中でのテレビ世界

2018年12月03日 | テレビ
 車に乗る時はこの頃サザンオールスターズの最初のアルバム「熱い胸さわぎ」を聞き、何度かかけて次に「テン ナンバーズカラット」「タイニーバブルズ」「ステレオ太陽族」と聞いてゆく。ステレオ太陽族のころになると桑田佳祐の発声法が変わってきて、最初の頃の喉でうたい、しゃがれた声のしゃがれがなくなってくる。歌の演技力は天性のものなのか、日本人やら外国人やらわからず、1960年代のものやら、1970年、80年代、はたまた2018年かもしれないと思うほどに曲の古さがない。「綺麗」が出たころに息子が産まれた。娘は乳児のころから弟のたんじょうまで、どっぷりとサザンの音楽を聴かされたと思う。
 ぼくはどちらかというと、テンポの早い曲が好きで、チャチャチャやマンボ、レゲエなどのラテンリズム調が好きでハチャメチャに歌える爽快感がある。

 とこんなことを書いていたらフランスの大規模デモ、暴動のニュースが入ってきた。同じ構図が日本にもある。地方は車がないとやっていけない。交通機関はタクシーやバス会社のように既得権益者がいて、シロタクも相乗りもままならず、免許証返上ムードも高齢者を脅かす。
 日本人はおとなしい。株主、輸出業者、土建業者優遇の政策は効果を出しているように見えるが、地方についてはほぼ無策である。地方創生大臣は名前だけだ。何もしないで任期が終わる。そうしているあいだにさらに衰退していく。

 日本の十年後や二十年後はどうなっているか。
 次のニュースはメキシコで足止めされているホンジュラスの収容所が伝染病のため閉鎖され、路上生活を余儀なくされているというものだった。加えて数千人が姿を消し、暴徒化するのではないかとニュースは報じていた。

 世界はてんでばらばらになっているようで、イギリスはEUを離脱難航し、EUのリーダーであるドイツのメルヘル首相は党首を辞任し、EU存続派のフランスのマクロン大統領は金持優遇で不人気である。ロシアはEUとアメリカから経済制裁をされている。中国とアメリカは貿易戦争で見通しがつかない。

 戦後73年が煮詰まってきた感がある。豊かであることは借金ができることだともいわんばかりの日本。保護主義に傾くアメリカ。難民で困惑するヨーロッパ。

 こんなニュースを目にしながらサザンのことを考え、これから名古屋まで孫たちを送り、夜はきっと「千年の愉楽」を三度目再読しているだろう。



雲田はるこ

2018年12月02日 | テレビ
月刊誌「ユリイカ」が12月号で「雲田はるこ」を特集していた。雲田はるこへのインタビューも対談も読者や評論家の感想もある。
 デビュー2年して描いた「昭和元禄 落語心中」で数々の賞をとったらしいから、それはネットで検索すればわかる。
 漫画家である。
 漫画をめったに読まなくなったぼくはNHKでの実写化された金曜日夜10時からの「昭和元禄 落語心中」で原作者の名前を知ったのである。ドラマをみていて、なぜかこれは原作は漫画だと思ったのだった。なぜなもだろう。セリフまわし、セリフの選択がマンガマンガしていた。短いキレのよいセリフのせいだろう。漫画家の優れたストーリー創作能力を感じたのだろう。
 現在流行している音楽シーンも漫画シーンもぼくはほとんど知らない。落語というものをほとんど知らなかったぼくは落語のイロハや奥行きをこのドラマで知ったのだった。雲田はる子は若い時期に(今も十分若いと思うが)オタクを卒業してニュージーランドにワーキングホリデー制度を使っていく経験をもつ。海外に行ったものが必ずと言っていいほど気がつくことは自分はいかに、自分のくらしている、帰らなければならない母国の文化や歴史を説明できないことだ。「落語心中」も海外滞在体験がなければ生まれなかったろうと思われる。そしてそういう若者からぼくらは教わる。

 ぼくは「昭和元禄 落語心中」を先にドラマで観たものだから、有楽亭八雲は岡田将生のはまり役者だと思ったのだが、漫画ではどうなっているのだろうと興味を持つ。助六の山崎育三郎もよかったし、八雲を死ぬほど好きなみよ吉を演じた大政絢は妖艶ですごかった。助六とみよ吉のあいだに生まれる小夏を成海璃子には役柄が重すぎたのかも、「ひよっこ」で警察官を演じていた流星涼も大熱演だと拍手したいほどに、いろいろな感想をもつ。
 落語をプレイヤーで聴いてみたいものだと思わせる。このドラマも12月には終わるのだろう。
 
 それにしてもサブカルチャーと呼ばれた漫画。漫画家才能は軽く小説家を越えているように思えてならない。文化波及手段としても翻訳が易しい。日本文化の中心を占めてくるような勢いであり、それを支える読者がいる。「ユリイカ」が素早く特集を組んで、おっ、さすがだ、と新聞広告で思っていたら、息子の嫁さんが持ってきてくれた。 

貴景勝と貴乃花

2018年11月23日 | テレビ
背は高くないが、横幅と厚みがあって、まるで鞠のようである。相撲の取り口は速く、慎重に見て、突き、様子を見る。いけるとなったらそのままいくし、行けないとなったら、間を置いて突くのを止める。止めたと思ったらまた突き、相手がこらえて、棒立ちになったところから前かがみになったところをすかさず、身体を躱して手で相手の肩を押し込む。
新しい相撲である。
 貴景勝のことである。正直、このくらいの体で、組み相撲はやらない突き一本の取り口では横綱にはなれないと思っていた。しかし背の低さが下から突き上げる武器となり、丸い体はボールのような速さを持つとさらにそれも武器となっている。
 高安の相撲の取り口と貴景勝のそれとでは圧倒的に貴景勝の相撲がずば抜けている。考えを改めなければならなくなったようだ。阿武咲の取り口とも違う。彼には用心深さが足りない。隙ができてしまう。よく似たタイプの体なのでつい同じように思ってしまうが、貴景勝は一枚上手である。

 貴乃花はこの弟子を育て、万が一にでも優勝したならば、駆けつけ、祝意を述べたいところだろう。しかし千賀ノ浦親方にお渡ししたのである。陰からおめでとうを言うしかあるまい。

 どうやら大相撲はオリンピック後辺り、白鵬と鶴竜、稀勢の里の引退あたりで大きな転機を迎えるような気がする。まずは怪我対策である。それと力士の大型化対策である。
 相撲が面白いのは小錦のようなものばかりでは興ざめもよいところで、妙義龍あたりの体型と体重、慎重がよいように思う。それでも妙義龍は怪我で十両まで陥落し、現在前頭で復帰している。彼の体でも膝への負担はあるのだろう。
 相撲は足の親指、足首、膝への負担が大きいようだ。次に股関節、腰、肘となるのだろう。

 貴景勝の相撲は組まない相撲で前に進むのと一瞬に引き倒しの相撲であるから怪我はしにくそうである。悲壮感もなく、一番一番に集中している姿が見える。肚も座っているように見える。あと三日。
 三日で崩れてしまうことだってあり得る。確か貴乃花は小結で優勝したのではなかったか。親方であれば経験から物が言えることもあるだろうに、と思う。

 それにしても「日馬富士暴行事件」。貴ノ岩がやられ、貴乃花もやられ、土俵上では日馬富士、稀勢の里戦で稀勢の里に大怪我をさせた。もうこの事件が終わりなら、相撲協会もひどいもんだ。かたや引退断髪式まで許可してお金を稼いでいる。とまた思い出して胸くそ悪くなって、「貴景勝頑張れ!」とテレビの前で応援している。柔和な千賀ノ浦親方もさぞかし嬉しく、忙しいことになるのだろう。



割に合わない貴乃花

2018年09月13日 | テレビ
 大相撲を毎日4時からしっかり観ている。稀勢の里はひやひやもので、それだけで場所は盛り上がる。御嶽海は快進撃で、鶴竜、白鵬は強い。白鵬の反応のよさは群を抜いている。栃ノ心には故障で稽古ができなかったあせりのようなものがあるようだ。怪我をしないのも実力のうちだと思う。膝の断裂で休場していた宇良は三段目にまで落ちて今場所ようやく復帰している。今日のところで1勝1敗である。遠藤も膝と足首で停滞していたが、この二三場所は調子がよいと思ったら、またどこか悪そうである。

 それにしても北の富士の解説は大胆で面白く、舞の海の解説は小さく、遠慮がちで、寺尾の解説は舞の海をからかう、反論する場面もあって、やはり解説は横綱経験者がするべきものなのか、と思うが、その壁を打ち破るような親方が一人いる。名前は忘れた。たぶん一回ぐらいは向こう正面の解説で出てくるときがあると思う。この人の場合、相撲の取り口を理論的に語るので納得がいく。自分が横綱になれなくても、いかに相撲を観戦するか、そのことに焦点を当てていれば北の富士の後を継げるはずである。

 ぼくは舞の海の解説があまり好きではない。相撲をよく知っていそうで案外知らない。大乃国もいけない。霧島、琴欧洲にいたってが聞いてられない。貴乃花もどうようである。解説には解説のプロ的な領分があってたとえ横綱経験者でなくともできるはずだ。

 蒸し返すようで恐縮だが、相撲協会は日馬富士の暴行事件を知っていながら日馬富士を出場させた罪は大きい。なのに貴乃花だけがマスコミにモミクチャにされた。マスコミはいつも貴乃花にははそうである。彼の頑なな態度に協会側は貴乃花を守るべきであり、まっさきに日馬富士を出場させたことを謝り、酒の席に同伴していたものへの訓告なり戒告を申し渡すべきだったのに、頭の悪い彼らはしなかった。マスコミもその点を突こうともしなかった。割に合わないのは貴乃花である。
 怪我のことも含めて大相撲のあり方を見直すべきところに来ているのかもしれない。

甲子園 白山高校

2018年08月11日 | テレビ
 三重県の白山高校が今日の第四試合だったので、早めに幾つかの用事を済ませて、テレビ観戦に臨んだ。さぞかし白山町の人達はわくわくしていることだろう。ブラスバンド部に応援がきてくれるという。甲子園に応援いってほしいと涙をこぼして毎日各戸を訪問して、ついにバス50台を用意することができたようだ。
 十年前は部員が5人だったそうである。十年で甲子園にいけるまでの力をつけたのには何か特異なことがあるのだろう。監督の指導力かもしれない。たまたま優秀な生徒が入部してきたのかもしれない。他に何かあるのかもしれない。
 町としては嬉しいびっくりだろう。みんなで応援す興奮も人生の中で経験することができる。暑いと言ってられない。
 テレビでは白山の雲出川やコシヒカリの米を紹介していた。応援団結成にかけずり回っていご老人もいるのだろう。相手は愛工大名電という、いわば野球の名門であり、ブラスバンドでは世界の名門であるらしい。何を名門というのかわからないが、アナウンサーはそう言う。
 相手が何であれ、勝つと嬉しく、負けると、残念ということになる。さて、これから、これから。

 

七味唐辛子

2018年07月21日 | テレビ
 BSジャパンで大人のドラマ「ラストチャンス」が始まった。 突然の銀行合併で古いに掛けられ、クレジット会社に異動させられる。印鑑をおすだけの仕事にうんざりしているが女房が転職うることに賛成をする。
 面白かったもは、転職するかどうか迷っているときに、路上の占い師(ミッキーカーチス)に手相をみてもらう気分になる。三千円。占い師は「人生って七味唐辛子だよ。恨み、つらみ、ねたみ、嫉み、嫌み、ひがみ、やっかみ だよ。いろいろあるだろうよ。七味唐辛子のかけすぎとかさ。それであんたはいい塩梅の七味をみつけると、人生は深い味になるんだよ」(文はセリフそのままではなく、思い起こして書いた)
 ドラマはまさにキャラの立った人物が現れ、主人公は昔融資をして助けたファンド会社の年下の社長から、飲食チェーンを展開し、上場もしている会社の再建を頼まれる。七味唐辛子のスパイスがどこかしこにも暗示めいてドラマ全体を面白くさせている。社会派ドラマもミッキーカーチスの辭だけで、エンターテイメント性を醸しだしている。金曜日の夜9時が楽しみになった。
 仲村トウルという俳優は以前「家を売ります」で北川景子演じる不動産営業ウーマンの上司を演じ軽妙な課長さん役をしていた。もっと昔は殺し屋みたいな役もやっていた、上手だか下手だかわからない感じの俳優という印象だった。
 昨日のドラマをみて、このひとの演技はこの人でないできないものなのだとわかった。
 都はるみ節、八代亜紀節、前川清節、桑田佳祐節、中島みゆき節があるようにだ。

 金融業界は日銀の緩和策で最大の危機にさらされている。大規模なリストラが今後も続いていく。当然のごとく合併もある。
 生々しいリアルな世界はぼくの知らないところで進行しているのだろう。定年になるまで大変だ。しかし、これからの世は政府の無策のおかげで、定年過ぎてからも大変だ。
 そのうち破裂することは見えているのだから、人生でっかい谷がくるぞ、と言っておきたい。

ネアンデルタール人

2018年05月14日 | テレビ
 NHKスペシャル「人類誕生」では書物での研究成果をぼくらが目にするのは研究成果よりずいぶんと後になる。ところが映像になると、先端の情報がわかる。
 アフリカを離れた十数種いた人類の祖先はやがて、ネアンデルタール人と、ホモサピエンスに分かれた。ネアンデルタール人の中には目が青いものもいた。筋力たくましく、ホモサピエンスよりも脳は10%大きかった。彼らは強かったから絶滅した。バッファローにも力で挑んでいくのである。だから死ぬのも早かった。一方サピエンスは弱かった。弱かったからこそ、テコの原理を利用した槍のようなものも作り、接近しなくても獲物を捕らえるようになった。大きな動物ではなく、ウサギのような小動物、いろいろな種類の食べ物を食べた。ネアンデルタール人は強かったから、せいぜい集団を作っても20人までだが、サピエンスは100人、1000人という集団を作った。原始宗教が誕生した。集団は他集団と同じ原始宗教を共有するものと合体してさらに集団が大きくなる。ネアンデルタール人の女の中においてはサピエンスと交わるものもいた。
 アフリカ赤道から下の民族にはネアンデルタール人の遺伝子はないが、ぼくら日本人も2%ー3%の遺伝子をもっていることもわかっている。
 
 ぼくがいるということは先祖を遡ることができるわけで、それは命知らずを繋いできたということである。無事に次の代を残すまでは生きたということである。男のネアンデルタール人は絶滅し、女はサピエンスに遺伝子を残した。

 この前、アメリカロッキー山脈での冒険競争にでる男や女はどうして白人が多いのか。またなぜこんな過酷な競争に参加するのか、と不思議に思った。それが昨夜の番組でわかるような気がした。もしかしたら白人の遺伝子にはにネアンデルタール人の遺伝子がわれわれ黄色人種より多いのではないか。アメリカのアクション映画をみていても筋骨隆々白人がでてくる。あれはいかにもネアンデルタール人だ、と思ってしまう。
 ネイビーシールズでも彼らは強く、たくましい。
 
 次回7月の第3回目「人類誕生」は日本列島である。どこから人々は移り住んできたかの謎が最新の研究で公開される。楽しみである。

びっくりもん

2018年05月09日 | テレビ
 発行日が新聞広告で知らされると、曜喫茶店で「週刊文春」「週刊新潮」に目を通す。「週刊ポスト」「週刊現代」にも目を通す。
 昔は漫画雑誌もみていたが、これが今はなくなった。各雑誌、平均して年に2度ほど貴重な情報が載っているときがある。以前は週刊現代の巻頭写真が素晴らしかったが今はもうない。これら4つの雑誌はますます高齢化しているように見える。熟年期や老年期の性にやけにこだわって記事にするのは熟年以上の人が多く読むのだろう。

 週刊誌は山口達也の行状のひどさを書くが、新潮は「ジャニーズ事務所の無責任ぶり」をなじり、文春は山口に番組をもたせていた「NHK」をたたく。
 どうでもいいようなことだが、目通し、少々疲れると窓から見える空は真っ青で、青葉も光っている。
 とかく人間の行うことは想定外のことが多い。庭にどうやったら木炭の小さな破片を撒き散らして客が帰るのか、ぼくは理解できないし、一晩でキッチンペーパー1本を使いきってしまうのも想定外である。下履きの片方がどんなに探しても見つからないのも不思議である。
 新潟で起こった小学2年生の女児が窒息死させられ、遺体を線路に捨てさるというのも、考えられないことだ。犯行現場近くで、犯人は昨日も眠ったのだろうか。熟睡したのだろうか。そもそも眠ったのだろうか。

 最近びっくりしたのは、ロッキー山脈でアドベンチャーレースに参加した人達である。ポイントが設定され、700キロの山中を歩き、または走り、水は地形を読んで自己調達し、等高線のあるだけの地図で道を探しながら進む。間違った道を選んでしまうことも当然ある。一日目は一睡もせず、二日やっと2時間半の睡眠をとり、自転車で走り、また歩き、ゴムボートで川を走り、また自転車ではしる。最後は歩いてゴールである。
 途中熱中症になるものも、足指を傷めてしまうもの、低血糖に陥るものがでる。
 このレースには日本人グループも出ていたが、ほとんどが白人である。白人はなぜこれほどまでにチャレンジするのか、そんなことを考えさせられた。黒人はいないのである。
 特にスウェーデンなどの北欧出場者が多い。役割を背負いながらも、互いが助け合わなければならない。歩けなくなったものの荷物を負うこともある。歩行速度が遅くなったものをロープで繋いで引っ張り歩くこともある。ナビゲーターの役割の者の間違いに気づくこともある。その責任を責めることもせず、挽回策を提案する。
 これは何なんだろう。こういうことをしてまでの冒険心はぼくには考えられないことであった。っsらに驚くのはそのレースをカメラに収めたカメラマンである。どのようにして撮ったのだろう。びっくりもんであった。

卓球、おもしろい

2018年05月05日 | テレビ
 卓球世界選手権がおもしろく、テレビではBSジャパンが放送していた。日本対韓国北朝鮮合同チームとの準決勝は息つまるような戦いだった。伊藤が勝ち、石川が接戦の末に勝って、さあいよいよ、というときに中継が終わったしまった。「ヘッドハンター」という新番組ドラマを外せなかったのだろう。ガックリときた。地上波は相変わらずスポーツニュースは野球が主である。
 日本の卓球女性チームはかつてないほど強く、男性チームも14歳の張本が先鋒を務める、水谷との二枚看板に、丹羽など強い選手がいる。つまりかつてないひどのチームを日本は作ったのである。
 それをNHKはなぜ放送しないのか、理解できない。
 野球とサッカーばかりがスポーツじゃないよ、と言いたい。
 視聴者が増え、要求が増えれば放送するのだろうが、視聴率を無視できるのもNHKではないか。
 一度くらいは卓球の技をひとつひとつわかりやすく図で説明してほしい。
ミマパンチ、チキータ、下回転、上回転、ドライブ、スマッシュ、その他多彩な球種がある。テレビの解説者はどれも見ていてわかるようだが、こっちはほとんどのことがわからず、勝った、負けただけでハラハラしている。昨日の北朝鮮の石川と対戦したキム-ソンイ選手はカットマンであり、突然襲いかかることもできる粘り強かった。
 石川はリオオリンピックでこの選手に負けている。リオ以後、苦手としていたカットマンにはものともしない強さになっている。
 張本、伊藤、平野という若い選手はフロントから下がることなく攻撃的卓球をする速さと強さがある。新しい卓球のスタイルに年上の選手たちみ刺激されるようだ。
 今夜は日本対中国の決勝戦。途中で中継をやめることはないだろう。相当な接戦になるのではなうか。とても楽しみだ。

日馬富士を出場させたこと

2018年03月28日 | テレビ
 テレビコメンテーターも新聞でも言わないから、ぼくは言っておきたい。
 一連の貴乃花親方の言動に年寄たちも怒ったとか、日馬富士の暴行事件以降、最下級の年寄まで降格したことが話題になっているが、
 肝心要のことは、暴力追放をかねてから掲げていた協会が暴行事件を警察からにしろ日馬富士が暴行したことを知っていて、それでも場所に出場させたことだ。
 これは全く矛盾している。結果は貴乃花と貴の岩が一番損をした格好だ。これは不思議でしかたがない。協会はこのことをどう考えているのだろう、