南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆今は昔、徒然なる・・

2011-07-24 22:26:33 | 旅行

なぜかは知らないが子供の日(Hari anak)です。学校は学年変わりの休みだと思うが、今日は何か催しがあるのでしょう。道沿いの学校の付近は賑やかで渋滞の原因になっていた。テレビも子供の日特別番組をやっていた。

 

09:30西海岸のウミさんのワルン(ここはテント張りのミニレストランです)から出発、16:00頃チカランの家に戻った。この四日間で6時間以上の運転を4回した。昔と比べれば、ずいぶん楽になった。片道平均13時間掛っていた頃には、三連休で一日めて三日目は終日運転、二日目だけが現地で活動できた。例えば、午前中、朝早くヌサカンバンガンへ行って、昼ごろ東海岸へ戻って、そのまま、ジャングルの中へ入って18:00頃西海岸へ出てきた。そういうスケジュールだった。これはこれで、きつい行程だったが結構楽しんだ。往復の道は今と比べ物にならない。急上昇、急降下、急カーブ、上った先がどうなっているか最初は分からなくてかなり緊張した。慣れてくると、その先は真っ直ぐか、右か左のカーブしているか分かるようになりかなり余裕ができた。やっとのろのろ上っているトラックやバスを次々と追い越さなければ、後ろの車からクラクションで追い越せと催促されるので、前が見えないカーブでも一か八か、エイ、とばかり追い越したことは数え切れない。対向車が急に目の前に現れたことも数え切れない。しかし、同情者はどう思ったか知らないが、私としては、割合、余裕だった。数回、往復した後は、追い越しを掛けた車は、私の車の直前に対向車が来た時は殆ど止まって私の車が左へ入れるようにしてくれるし、対向車はブレーキを掛けて私が追い越すタイミングにスピードを落としてくれる。そういう、事が分かってからは、全く、安心して追い越しを掛ける。現在は、そのころに比べれば時間は半分以下、道は広くなっているし、曲がりくねりも少なくなっている。だから、緊張は全くしない。半分眠っている状態でも、どんどん追い越しをする。現在は、バンドゥンからタシクマラヤ県に入って暫く行ったところのウビ売りの店が道の両側に二三百メートル並んでいるその先から急下降になる。ちょっと平らになってまた、急下降する場所が一番の難所、帰りはそこが二段に急上昇になる。そこを過ぎると、タシクの町へ入る手前で、もう一度急下降急上昇がある。その他は全く、意識をしていない。回りの景色を見ながら、自然に走っている。棚田などの風景が魅力的に感じた時には車を道脇に止めて写真を撮る。先ほど追い越した車が取り過ぎて行く。その車たちを、その後、また追い越す。

昔、チカンペックからパジャジャランまで、最低四時間かかった。渋滞にはまったときには6時間以上掛った、そても、先ほどのタシク付近の山道より遥かにきつい道の連続だった。チカンペックからバンドゥンを通り過ぎるまで高速で繋がって、チカランからタシクマラヤのSELAMAT DATANGと書かれたゲートまで二時間掛らないくらいだ。

今朝出発する前に現地の若者たちがワルンに集まっていた。その時、たまたま、太田さん、何回、来ている?という話になって、1997年から通い始め、40回目くらいまでは数えた記憶があるが、その後は数えていない。おそらく、60回以上は来ているよ。ということにした。皆さん、納得でした。彼らの中の何人かは小学生の頃、恐がって、頭が痛いから、お腹が痛いから行かないと言っていたのを、ヌサカンバンガンへ無理やり連れて行った事がある、と話をする。ジャングルの中へも連れて行ったことがある、始めてラフレシアを見た、と、話をしてくれる。

 

米の収穫、タフスメダン

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