南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆体重

2018-12-08 22:09:07 | 生活

 3612 日本に戻って、10日以上過ぎた。2回目のゴルフ。牧之原茶畑の中の相良ゴルフでした。山岳コースで、上り下り、右左に曲がっている癖のあるコース、OBが出やすいし、ロストボールになりやすい、めんどくさいコースだ。

 

それはさておき、久しぶりに会った南部化成のOB達、私より、皆さん、年下だが、それぞれに、のんびりと、リタイア生活を送っているようだ。

 

皆さんに、太田さん、少し痩せたねと、言われる。私自身の体重は、何十年も一定している。胃を切る前は75Kgくらいあって、社長っぱらになってきたねとよく言われた。ところが胃を切って、絶食し、その後2回の腸閉塞で、また、絶食し、15~20Kg減量になり、55Kgまで、激やせをした。げっそりで、末期がんをガンを患って、そう、長くこの世にいないという風体になってしまった。49歳の時だった。

 

食は少しずつ増やし、徐々に、徐々に体重を増やしていった。当時、外側から見ると、異常な事態と思われても仕方がない、社長を辞める宣言をしだしていた。会社に何かあったのか、先が長くないのではないか、などと、心配されて、うわさや情報を聞きつけて、会社に実際を探りに来た銀行や商社などがあったくらいだった。用宗の片隅でずっといることは性格的に合わない、何処か外国、東南アジアでせっかく持っている技術を伝えたいといことで説明をした。理解できない、と言われた。

 

それから、3年後、インドネシアへの赴任が決まり、下見の出かけたころには60kgまで回復していた。げっそり、という感じはなくなっていて、新しいガンも移転もないので、これなら、外国へ行っても大丈夫だと確信するようになった。それから、赴任迄約半年、一生懸命、努力して、食べ物を詰め込んだ。そして、赴任する時、54歳前、65Kgになっていた。170cm-110=60が標準とすれば、一応、理想的な体重になっていた。それ以来、23年、63Kg±3Kgで安定している。日本にいるときには、増える、インドネシアでは減るを言う傾向はある。今も8月にインドネシアに行ったときには66Kgあったが、日本に戻った先月末には63Kgになっていた。そして、先ほどゴルフ場の風呂場で測って、今、64Kgだ。

 

皆さんが痩せたねというが、体重的には痩せていない。ただし、何十年も私を見ている人にとって、何カ月ぶりかに見て、そう思うのは、顔が長くなって見えるようになったからではないかと思う。自分で見ても、昔はもっと丸かったと思う。顔の筋肉が皮膚を支えられなくなって、全体が垂れているからだと思う。目の両側は極端に下がっている。垂れ目と共に、細くなっているし、頬の下,あごの両側にかけて、皮膚の垂が目立つようになったからだと思う。

胃がないから、食料の燃費は悪いことは分っているが、それでも、体重の変動は殆どないし、太っても痩せてもいない、ただし、他人からは見えないが、上半身と下半身の比率は、普通の人と比べると、下半身に比率が高いと思う。要するに腰から下が太っていて、上は痩せているということもあって、痩せているねとみられるのだと思う。

 

とに角、体重管理はうまくいっている。

 

焼津インター前の通り、7時ころ

 

山茶花の大木の下。山岳コースの様子。

痩せ 安定 垂

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