エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

デジブック 『車山高原の風』

2011年08月17日 | ドライブ
台風がきて気候が不順だったせいもあるけれど、ここのところ涼しい夜が多かった。
だがしかし、二晩ほどは寝苦しいのである。



車山高原の風が懐かしいのだ。




デジブック 『車山高原の風』







俗世間から隔絶した空気が揺れると、涼しさが演出される。
まさに、高原である。





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 荒野人

キツネノカミソリ

2011年08月17日 | 
キツネノカミソリ(狐の剃刀、学名:Lycoris sanguinea)はヒガンバナ科の多年生草本球根植物である。
テレビで咲き始めた!との報道があったので出かけてみたのである。
埼玉県新座市・市営墓園の斜面である。



この花は、明るい林床や林縁などに自生する。
早春のまだ他の草が生えていないうちに、狭長の葉を球根から直接出して球根を太らせ、多くの草が生い茂る夏頃には一旦葉を落とすのである。



盆(8月なかば)前後になると花茎を 30〜50cm ほど伸ばし、先端で枝分かれした先にいくつかの花を咲かせる。雌雄同花で花弁は橙色が 6枚。



本種には、結実するものと、しないものがある。
葉の形、花と葉を別々に出すところ、および有毒植物である点などではヒガンバナと共通するが、花の形、および葉と花を出す時季は異なる。



学名はこうである。
「キツネノカミソリ(Lycoris sanguinea var. sanguinea)」

「オオキツネノカミソリ(Lycoris sanguinea var. kiushiana (Makino) T. Koyama)」
キツネノカミソリより花が大きく花弁が 9cm 程になり、長く突き出るおしべが特徴。
本州の関東以南と九州に分布する。

似た花でムジナノ・・・がある。
「ムジナノカミソリ(Lycoris sanguinea var. koreana (Nakai) T. Koyama)」



ムジナノカミソリは花がやや小型で紅紫色。
日本国内では九州に分布していたが、宮崎県日南市の自生地が消失、他でも確認されておらず、栽培個体以外が絶滅した状態である野生絶滅 (EW) とされている。



この花は、水はけのよい斜面に自生する。



ヒガンバナ系であり、姿形はヒガンバナそのままである。



思いがけず目の保養をさせていただいた。
自然の営みに感謝である。



花弁の形でカミソリだというけれど・・・そうであろうか?



そんなことはどうでも良い。
実にシャープに咲いてくれる花である。




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 荒野人

デジブック 『碌山美術館』

2011年08月16日 | 日記
安曇野を舞台にして臼井吉見は、小説「安曇野」を世に問うた。
新宿中村屋と安曇野の地で繰り広げられた悲恋の恋である。

相馬愛蔵と黒光、それに萩原守衛・・・。
重厚な小説である。



碌山美術館の本館である。



中庭である。



デジブック 『碌山美術館』







筋骨隆々とした労働者である。



萩原守衛(碌山)の傑作「女」である。
モデルは相馬黒光であるとされている。



「デスペア」である。
萩原と黒光の内面的葛藤を刻み込んでいる。

この作品は、涙なくして観られない。
迫ってくるのである。





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 荒野人

再び碌山美術館

2011年08月16日 | 旅行
萩原守衛(号・碌山)の代表作は何と言っても「女」である。
ぼくは「文覚」とか「労働者」「抗夫」あるいは「デスペア」などの作品も大好きである。

碌山の作品には血が通っている。
その生き生きとした作品にのめり込んでしまうのである。



いま碌山美術館では9月4日まで、この展示会が行われている。
じっくり観るのには最適である。



第二展示棟である。
もちろん、700円の入館料金に特別展示への入場料も含まれている。



これは第一展示館である。
高村光太郎など、親交のあった作家の作品が展示されている。



高村の「手」はここに展示されているのである。
緊張に満ちた作品である。
この張り詰めたような緊張が好きである。

さて碌山美術館に戻ろう。



碌山美術館の横にはJR大糸線が走っている。
穂高駅が下車駅である。
美術館へは、穂高駅から7分の距離である。



駐車場から道一つ隔てた入口である。
かつては無かった広い駐車場である。



ぼくが訪ねたのは平日だったからであるけれど、隙すきの駐車場であった。



すだれで熱さを凌いでいる。
倉庫のようであった。



これは「デスペア(嘆く女)」である。

荻原守衛の制作した《文覚》《デスペア》《女》は、恋の三部作とも言われている。
心でしか結ばれない相馬黒光(こっこう)への、恋幕の苦悩のなかで《デスペア》は生まれたのである。

「女」は、黒光がモデルだとも言われているのである。
女の内面を抉るように表現したデスペアもまた、黒光がモデルであろうか。

とまれ、郷土の先輩であり碌山のパトロンでもある相馬愛蔵の妻・黒光を恋してしまった萩原碌山の苦悩が生んだ傑作である。



空は鮮やかであった。

文覚(もんがく、保延5年(1139年) - 建仁3年7月21日(1203年8月29日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧である。
所謂、北面の武士であったのである。



守衛の言葉を二つ紹介しよう。

「すべてのものを超えて自己を重んぜよ」
「精神の自由は人生最高の問題」

悲恋に生きた荻原碌山らしい、含蓄のある言葉である。
ぼくは新宿に行き、チャンスがあれば「中村屋」でカリーライスを食べるのが楽しい。

新宿・中村屋は相馬愛蔵と黒光が創業したのである。
萩原碌山、相馬黒光、愛蔵が交流したサロンでもあった。





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 荒野人

龍頭の滝

2011年08月15日 | 旅行
湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかるのが龍頭の滝である。



双頭の龍である。
見学した前日、豪雨があったからであろうか流れは凄まじかった。



長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下るのである。
「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ、二手の流れを髭に見立てたとも、あるいは中央の岩を頭部に見立てたとも言われるのである。



滝は下流側正面の観瀑台から眺めるのがよいと言われるけれど、東側面には散策路があって急流状になっている滝を側面から見ることもできるのである。

見る角度を変えるのは楽しいものである。



かつては上流部の一部を龍雲滝(りゅううんたき)と呼び分け、滝下流部と区別していた時期もあったという[4]。



これは滝の上流である。



こんなに細い流れであるのに、滝口では水量も豊かに轟々と落ちている。
滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先で中禅寺湖に流入しているのである。



滝口にある売店である。
龍頭の滝・・・見事な滝である。



案内板には秋の紅葉が見事であると記載されている。
その通りである。




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 荒野人