エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

戦場ヶ原にかかる虹

2011年08月14日 | ポエム
戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。



標高は約1,390mから1,400mである。



戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している



奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となっているのである。






        虹がかかるとき


      一面の原に虹がかかり
      山の彼方へと夢を結び
      希望を伝えた

      霧が立ち
      そこがキャンバスになった

      壮大で
      無辺のキャンバスは絹で張られている
      それは
      きみの肌の感触
      人差し指のよく磨かれた爪で
      きみの肌を滑らせるとき
      きみの
      かたちの良い喉が震えた

      虹はそこに収まり
      きみは夢と希望を胎内に収めこんだ

      虹は
      いつの間にか消え入りそうに淡く
      筋を描いた
      虹は
      きみであって
      ぼくの内部の奥深くに沈殿したのだった






「戦場ヶ原神戦譚」には、地名の由来となった伝説が記されている。
この湿原は、当時下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。



なお争いの原因は中禅寺湖を巡る領地争いで、この伝説で勝ったのは二荒神の孫で弓の名手であった小野猿丸を味方につけた二荒神(男体山)であったとされるのである。



戦場ヶ原にかかる虹は感動的でさえある。



男体山にかかる虹である。




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 荒野人

日光、中禅寺湖

2011年08月13日 | ドライブ
中禅寺湖は、栃木県日光市の日光国立公園内にある湖であって日本の湖沼では25番目の面積規模を持っている。



向こうに聳えるのは男体山である。



湖畔にはお洒落なカフェも多いのである。



ぼくは、ここでアイスコーヒーを頂いた。
湖の揺らぎを感じつつ、咽喉を冷たいコーヒーが流れ落ちていく感触が好きである。



街灯のランプも良いではないか。



この懸け橋を通り、散策路に入る。



朽ちかけた木のベンチも決して嫌いでは無い。
むしろ、趣きを感じるのはぼくだけだろうか?



光る湖は素敵である。

中禅寺湖は、2万年前に男体山の噴火でできた堰止湖(せきとめこ)である。
人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖である。





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 荒野人

華厳の滝の雄姿

2011年08月12日 | 旅行
華厳の滝は日光のシンボルである。



パワースポットである。
落下する水の変幻自在な有様に感動を覚える。

それが華厳の滝なのである。
「華厳の滝」は、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたのである。



ぼくが言った日、男体山は雲で顔を覆っていた。



この日、ぼくはケーブル・カーで明智平頂上に向かった。
ご神体である華厳の滝を上から見下ろすなど不遜であるけれど、綺麗に見えるのである。



その誘惑に負けたのである。
正面に中禅寺湖と滝が二筋見える。



これは華厳の滝である。



右下の一筋は白雲滝である。

明治36年(1903年)5月22日、まだ18歳だった一高生の藤村操がこの滝の近くにある樫の木を削り、「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して投身自殺した。
その後彼に影響を受けた自殺が相次いだため自殺の名所という評判が立ってしまった。

いま殆ど自殺は無いのである。


藤村 操の遺書の一部である。

   悠々たる哉天壤、
   遼々たる哉古今、
   五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
   ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
   萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
   我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
   既に巌頭に立つに及んで、
   胸中何等の不安あるなし。
   始めて知る、
   大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

人生曰く不可解!と口の端に上った遺書の文章である。



明智平の横には屏風岩が聳え立っている。
見晴らし最高である。





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 荒野人

金谷ホテルのレストラン

2011年08月11日 | グルメ
日光金谷ホテル(にっこうかなやホテル)は、栃木県日光市上鉢石町にあるホテルである。
実に古くてしかし、上質なサービスを連綿として提供しているのである。



神橋である。
日光にドライブに出かけ、神橋ほとりのレストランで中食をいただいた。

神橋は、山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに数えられているのである。



1873年(明治6年)6月開業で、現存する日本最古のリゾートクラシックホテルとして、登録有形文化財、近代化産業遺産に指定されているのであって古式ゆかしいホテルなのである。。

このホテルには、アインシュタイン博士(1922年)、ヘレン・ケラー(1937年)なども滞在したことがあるのだ。



これがカフェ・レストラン「匠」である。
1Fは、ベーカリーと売店、それにそば類の食べられる食堂となっている。



店内の雰囲気はなかなかによろしい。
よろしいけれど、空調は効いていない。
窓を開け放してあるので小虫が飛翔している。

それは目障りである。



地鶏のローストトマト味の一皿である。
鳥肉の噛みごたえは十分であり滋味のある肉汁が浸み出してくる。
美味しいのである。



カニクリーム・コロッケの一皿である。
カニの風味が残されている一品である。



パンのチェーン点を運営しているだけあって、風味のあるパンが出される。
いわゆる「ホテル・ブレッド」である。



値段もそこそこであって、ホテルの品位を守っている。



ランプもそれなりである。
いかにも日光らしい雰囲気だ。



壁は剥げ落ちそうだけれど、踏ん張っている。
レジに行くと、古い以前のレジスターが置いてあった。



もう一台。



考えてみると、このレジスターを使っていたのは、ほんの20数年前までである。
長足の進歩を感じさせる二機である。





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 荒野人

大谷石と大谷寺

2011年08月10日 | ドライブ
大谷石は建築素材としては加工しやすく、かつ美しい。
優れた素材である。



切りだされた大谷石である。
この大谷一帯の地下は、大谷石が切り出された結果、空洞となっている。



かつてはこうした地下空洞を公開していたのだけれど、4日に出かけたところ閉鎖されていた。
3.11地震の後遺症なのだろうか。

切りだされた空洞は音響効果に優れているのだそうである。
もう大分以前だったけれど、この空洞でコンサートが催された事があった。
聴いてみたいものである。

この大谷には、二つの見どころがある。



一つは「大谷寺」である。
山門である。



本堂である。
洞穴内に堂宇を配する日本屈指の洞窟寺院である。

本尊は、凝灰岩の岩壁に彫られた高さ4メートルの千手観音である。
この石仏は日本最古である。
磨崖仏の敬虔な印象は、大分県の国東半島の石仏にも負けないのである。



正に、この大谷磨崖仏は大分県臼杵市の臼杵磨崖仏と並んで学術的に非常に価値の高い石仏とされ、1926年(大正15年)2月24日に国の特別史跡に指定され、1961年(昭和36年)6月30日には「彫刻」として国の重要文化財に指定されているのである。



古色蒼然とした崖に、地蔵が置かれている。
「深い静謐」を感じるのである。



創りかけなのか、風化の現実なのか判然としない佇まいである。
あるいは、この二つの窓に経文が刻んであったのだろうか・・・。



大谷寺の裏庭には池がある。
そこに置かれた石仏は「半跏思惟像」である。



庫裏の丸窓の手前に置いてあった。



これは苔蒸した地蔵である。
長い時間、おそらく百年単位で刻印された時間を過ごしてきたのであろう。



無碍に素通りできないのである。





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 荒野人