エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春霞

2015年04月10日 | ポエム
7日から、菜種梅雨に入った。
6日の入学式は良く晴れて、幸運に恵まれた。
恵まれたけれど、良く晴れていながら霞がかかったような一日であった。



春・・・一面に薄いベールがかかったように視野を覆う。
それが春霞である。

撮る桜は大地を白く染めていく。
春の風情である。



桜並木も少し寂しい。
寂しいけれど蕊が赤く降り始める。
蕊降る候である。







「春霞全き視野の爽やかさ」







花は散り、やがて仲春へと移ろう。



花散る並木を、老年の方々が歩いておられる。
ほのぼのとした空気が作られる。

ぼくも、一人に数えて頂けるはずだ!
空気が、爽やかなのは何故だろうか。
美しく齢を重ねるのは、難しい。


        荒 野人

ベニバナトキワマンサク

2015年04月09日 | ポエム
この花卉は、近ごろ街路樹として多用されている。
春先に、赤い花が着いて春らしさと大気の暖かさを演出してくれる。

陽射しを吸ってくれる様は、暖かいのだ。



マンサク自体は、山野で春を告げてくれる。
トキワマンサクは、近ごろ都会の路傍で春に入ったぞ!
と、告げている。

素敵な街路樹である。







「道行の隣の人の影長し」






昨日、この花卉の植えてある舗道を自転車で走った。
気分が良かった。

心まで、暖色で染め上げてくれるようで嬉しいのである。




        荒 野人

花の雨

2015年04月08日 | ポエム
菜種梅雨の一日、雨に濡れる花たちと触れあった。
雨滴の清楚さは、水のピュアである事が為せる業である。



これは、苺の花。
孫たちが家に来て、必ず収穫できるボリュームで栽培している。



食べられるために咲く花はやはり美しいのだ。



白い山吹の花。苺の横の植え込みである。
お隣さんの、庭である。



苺の横には、すみれが咲く。
孤島のように、いくつかの集団で咲く。
ヒメスミレと発する。







「艶然と見返る女花の雨」







上が春蘭。
下がハナカンザシである。

そぼ降る雨の、優しさが伝わってくるではないか。



シクラメン。



吉祥草の淡きピンク、である。



シンビジュームの蕾。

花が終わった。
これからは、一雨ごとに春が深まる。
一番上の孫は、高校二年生になる。
次は、ことし小学校入学。
三番目は今日、幼稚園へ入園。

生憎の雨であるけれど、あの子は慈雨と捉えて育っていくだろう。

三人の発熱体。
エネルギーに充ち溢れ、大きく飛躍してほしい。

季節の節目に・・・そう思うのだ。



       荒 野人

ムラサキケマン

2015年04月07日 | ポエム
春の紛らわしきピンクである。
だが、すっと経つ姿は極めて個性的である。



その名前は「ムラサキケマン」である。



例えば、ホトケノザの密集の中で立ち尽くす。
風を多めに受けて、そよぐ。

その姿も又、風情であるのだ。







「立ちつくすムラサキケマン風多め」







ムラサキケマンにこそ、そっと囁こうではないか。
「は・・・る・・・が、来たよ!」
とどめは「きみ・・・の、お・・・か・・・げ・・・だよ!」



ホトケノザにも、ヒメオドリコソウにも似た淡いピンクが、好もしいではないか。
間もなく、同じ色合いでレンゲが咲き始めるだろう。

レンゲの先駆けでもある。



       荒 野人

花筏・・・はないかだ

2015年04月06日 | ポエム
満開から花筏までの時間の流れは、チョーが付くほど早かった。
今年は、桜を楽しむ時間的余裕が無かったと云えるだろう。

従って、満開から散る桜と立て続けに紹介した。
その第三弾!
花筏・・・である。



花筏。
誠に美しいオマージュである。



桜が赤く蕊になって、やがてその蕊が降る。
「蕊降る」候でもある。



今年は、満開の翌日が花筏の見頃であった。







「花筏時の重さのためらわる」







これが東京の桜の見納めである。
今日は、二番目の孫の小学校への入学である。

入学式の校庭での集合写真の背景には、ほんのりと桜の花が残っていると嬉しい。
小学校の入学式には、桜は必須である。



二三日前、桜は花筏となった。
せめて、遅咲きの桜の一本でもあればな・・・と思う。

入学式に来てゆく洋服を,昨日見た。
人形の洋服のように可愛らしかった。



        荒 野人