「だれが神を造り、偶像を鋳たのか。何の役にも立たないものを。見よ、その人の仲間たちはみな恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて、ともに恥を見る。」(イザヤ44:10,11新改訳)
人間は今、生命を形作っている遺伝子を解析しつつある。それを読み解いたうえで自由に操作し、ゆくゆくは思い通りに人間を造るためであろう。つきつめていえば、人間を創造された神とおなじ立場に立って、人を造ろうとしていることになる。恐ろしいことを考えているものだ。それがまことの神に対する罪の極致であることに気がつかないのだから・・。▼しかし、いかなる人間を設計し、こしらえても「それを細工した者が人間にすぎない」という事実は変わらない。つまりイザヤ時代の人と現代人も、「偶像を作りだす本質は」まったく同じで、何の進歩もしていないことになる。エデンの園でエバは蛇に欺かれ、神の知恵を得たいと禁断の実を食した。それが二一世紀の今、実現しつつあるともいえよう。ただし、得たのは悪魔の知恵であって、神の知恵ではないのだが・・。▼このような道を歩み続けるなら、最後に神は人類に大きな恥辱を与え、恐怖で震えおののくようにされるであろう。つまり、自分で作り出した生命のため、取返しのつかない結果を刈り取ることになるのではないだろうか。その典型が核兵器であろう。
百数十年前、学者たちは光の持つふしぎな性質を研究し、それが発展していったとき、アインシュタインは自然界に隠されていた有名な法則、E=mC²を発見した。そこから核分裂が導かれ、作り出されたのが原子爆弾であった。▼私が学校で習ったのは、石炭の小さな塊一個に秘められた核エネルギーを解放すると、豪華客船一隻を日本からアメリカまで楽に動かせる。そのような夢の時代がもうすぐ来るという夢の青写真だった。それを聞いて胸をときめかせたものだ。しかし現実はどうか。動いているのは豪華客船ではなく、原子力潜水艦、原子力空母とそれに搭載されたミサイルである。▼人類の歴史は「夢のような未来」を約束する数々の発明、理論であったが、ことごとく破れ、うらぎられ、私たちは兵器や毒物、汚染、病気、廃棄物にかこまれ、明日の恐怖におびえている。たしかに便利である種の快適さは得たが、それをはるかにうわまわる悩みと不安が覆いかぶさって来たというのが真相ではないだろうか。▼結局のところ、この世界は人間が主人公ではなにをやっても解決はないのである。かえって逆の結果しか産み出せない、それが人類の「罪に支配された姿」にほかならないのである。永遠の神たるお方、創造者にすべてをお返しし、ひれ伏して出る、それをなす以外に解決はないと知るべきである。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。」(イザヤ44:6,7同)