「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実ように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。」(ホセア9:10新改訳)
神はエジプトで奴隷となっていたイスラエルをご自身の宝として選ばれた。たしかに彼らの先祖、たとえば族長ヤコブの息子であるヨセフのように、敬虔で主をおそれる信仰を継承していれば、そうなっていたろう。だが彼らの信仰はうわべだけ、出エジプトしてエジプトから脱出したものの、その生き方は偶像文明にどっぷりつかったままであった。▼シナイ山で主と契約を結んだものの、本質は何ら変わっておらず、それが暴露されたのが、荒野でモアブ人に誘惑されたバアル・ペオルの事件であった(民数記二五章)。冒頭の聖句はそのことへの言及である。何度もいうように、人はイエスの十字架を信じ、新しい御霊のご性質を与えられないかぎり、罪から自由になることはできない。ホセア書のメッセージもそれが結論である。▼あらためて使徒パウロの叫びを聞こう。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。」(ローマ12:2同)