- 十字架にかかりたる救い主を見よや こは汝(な)がおかしたる罪のため
- 死よりよみがえりたるいのちの主知らずや 罪に死せる人よ、いま仰げ(あおげ)
- イエスは 罪のため苦しめる者をば あわれみて救わんと 招(まね)きたもう
- 罪より救われて、限りなきいのちを望む者は、今すがれ
「エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。」(ホセア14:8新改訳)
ホセアは神から姦淫の女性を娶(めと)るよう命じられ、つらい半生を送った。ちょうどそのように、神は愛してやまないエフライムから裏切られ、まるで煮え湯を飲まされたごとく痛み、怒り、ついにはアッシリヤ侵略軍を来たらせ、「子を奪われた雌熊」(13:8)となってかき裂き、食い尽くした。▼しかしそれは、神がいかにヨセフの子どもたちを愛しておられるか、その裏返しでもある。愛は大水も消すことはできず、大洪水も溺らせることはできない。歴史の終りに、イスラエル12部族はかならずイエス・キリストのもとに集められ、世界中から帰還するであろう。ホセアが初めから言っているとおりだ。「ユダとイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々(直訳は国という単数形)から上って来る。」(ホセア1:11同)◆「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ」との呼びかけは、新約聖書では全世界の民への呼びかけに拡大される。パウロが、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモテ2:4同)と記しているとおりだ。しかしそれは、イスラエルの救いを取りやめたとか、無視したということではない。選民の救いと全世界の救いとは、みごとに調和した神の救いの御計画なのであり、それがキリストの福音により、あきらかにされたのである。◆それがあまりにも栄光と知恵に満ちているので、パウロは思わず叫ばざるを得なかった。「神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。」(ローマ11:32,33同)◆だから私たちも叫ぼう。どうかこの神に、栄光がとこしえにありますように!