奈良県桜井市にあります 脇本遺跡の第17次調査の
現地説明会がありました。弥生時代から飛鳥時代にかけての
遺跡です 周辺には雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」や天武天皇の皇女
である大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢神宮に奉仕されるために
泊瀬斎宮で心身を清めた所があったと言われています。
今回は場所と駐車場が特定できなかったので車を三輪神社の
駐車場において、歩き始めました。

三輪神社入り口に
なんとBMとヤマハのバイクが止まっていました ヤマハのV MAX
だそうで、見ただけで震えそうでした。
三輪神社からはいつも北に向かって山の辺道を歩きますが
今回は南から東に向かいます 少し登りますと、まず平等寺に
着きます

ここから少し下がると金屋の石仏と呼ばれる仏様を祭る
お堂に見えます。



この辺りは大和と東国を結ぶ要衝にあたります 古代より
賑わっていたところです。 海拓榴市(つばいち)の名前が
残っています。



しばらく歩くと川岸にこんな碑があります ここが?と思いますが
船での交通の重要な所です


やっと現説会場の朝倉小学校に着きました 1時間の道のりです
近鉄大和朝倉駅に係員の案内があつてそれにそって歩きます
駐車場もここにありました


柱には直径35から45cmの木材を使っていますが、抜き取られてこの柱穴が
建物か柵なのか確定できないそうです
現地説明会がありました。弥生時代から飛鳥時代にかけての
遺跡です 周辺には雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」や天武天皇の皇女
である大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢神宮に奉仕されるために
泊瀬斎宮で心身を清めた所があったと言われています。
今回は場所と駐車場が特定できなかったので車を三輪神社の
駐車場において、歩き始めました。

三輪神社入り口に
なんとBMとヤマハのバイクが止まっていました ヤマハのV MAX
だそうで、見ただけで震えそうでした。
三輪神社からはいつも北に向かって山の辺道を歩きますが
今回は南から東に向かいます 少し登りますと、まず平等寺に
着きます

ここから少し下がると金屋の石仏と呼ばれる仏様を祭る
お堂に見えます。



この辺りは大和と東国を結ぶ要衝にあたります 古代より
賑わっていたところです。 海拓榴市(つばいち)の名前が
残っています。



しばらく歩くと川岸にこんな碑があります ここが?と思いますが
船での交通の重要な所です


やっと現説会場の朝倉小学校に着きました 1時間の道のりです
近鉄大和朝倉駅に係員の案内があつてそれにそって歩きます
駐車場もここにありました


柱には直径35から45cmの木材を使っていますが、抜き取られてこの柱穴が
建物か柵なのか確定できないそうです
