大阪府富田林市にあります畑ヶ田遺跡で銭貨入った土器の瓶と
掘っ立て柱の建物跡が見つかりました。
近くなので、早速チャリで出かけました。
保育園の建設に先立ち 弥生時代から中世にかけての集落跡がこの近辺
にあったことが発掘でわかっています。今回出土した土器から奈良時代
(8世紀)のものと考えられます。
柱穴の並び方から少なくとも5練の掘立柱建物の存在が想定できます。
建物1,2の柱穴は方形で一辺が約1mあり大きなものといえます
建物の正確な規模は不明ですが、一般集落とは異なる性格を持っていた
可能性も考えられます。
完全な形の土師器のかめの底に五枚の銭貨が、土を取り除くと現れました
錆が付着しており種類を特定できませんが、6時の位置に開ではないかと
思われる文字が認められ、かめの形状も奈良時代のものと見られるので
和銅開珎(わどうかいちん) 神功開宝(じんぐうかいほう)では
ないかと思われます。
土器に銭貨を埋納する事例は平城宮で多く確認されてますが
穴の中に据えられた例としては府下では大変珍しいそうです。
性格については、地鎮具もしくは胞衣壷(えなつぼ)がかんがえられます
胞衣とは人間の胎盤のことで、容器に入れた胞衣を門口や土間に埋め、
人が踏むほどその子供がよく育つとさています。
掘っ立て柱の建物跡が見つかりました。
近くなので、早速チャリで出かけました。
保育園の建設に先立ち 弥生時代から中世にかけての集落跡がこの近辺
にあったことが発掘でわかっています。今回出土した土器から奈良時代
(8世紀)のものと考えられます。
柱穴の並び方から少なくとも5練の掘立柱建物の存在が想定できます。
建物1,2の柱穴は方形で一辺が約1mあり大きなものといえます
建物の正確な規模は不明ですが、一般集落とは異なる性格を持っていた
可能性も考えられます。
完全な形の土師器のかめの底に五枚の銭貨が、土を取り除くと現れました
錆が付着しており種類を特定できませんが、6時の位置に開ではないかと
思われる文字が認められ、かめの形状も奈良時代のものと見られるので
和銅開珎(わどうかいちん) 神功開宝(じんぐうかいほう)では
ないかと思われます。
土器に銭貨を埋納する事例は平城宮で多く確認されてますが
穴の中に据えられた例としては府下では大変珍しいそうです。
性格については、地鎮具もしくは胞衣壷(えなつぼ)がかんがえられます
胞衣とは人間の胎盤のことで、容器に入れた胞衣を門口や土間に埋め、
人が踏むほどその子供がよく育つとさています。